
1. 歌詞の概要
Cosignsは、Bartees Strangeが2022年に発表した楽曲である。
収録アルバムは、同年6月17日に4ADからリリースされた2ndアルバムFarm to Table。アルバムでは4曲目に置かれており、Heavy Heartに続く先行シングルとして2022年4月に公開された。Farm to Tableは、Bartees Strangeにとって4AD移籍後初のアルバムであり、Live Foreverでのブレイク以後に訪れた成功、戸惑い、罪悪感、野心を描いた作品として受け止められている。ウィキペディア+2Bartees Cosignsというタイトルは、直訳すれば「共同署名」や「保証」、音楽業界の文脈では「有力者からのお墨付き」「支持表明」のような意味を持つ。
つまりこの曲で歌われるのは、Bartees Strangeがインディー・ロック・シーンの中で得た承認である。
有名なアーティストと一緒にツアーをする。
著名なミュージシャンから名前を挙げられる。
憧れだったレーベルに所属する。
自分の周囲に、以前なら遠くに見えていた人たちがいる。
この曲には、そうした成功の高揚がある。
だが、Cosignsは単純な自慢の曲ではない。
表面だけを聴くと、かなり派手だ。
Barteesは、自分がどれだけ認められているかを語る。
Phoebe Bridgers、Lucy Dacus、Justin Vernonといった名前も文脈として語られ、彼がインディー・シーンの中心に近づいたことが強調される。Grammy.comのインタビューでも、この曲は一聴すると自信満々の自己賛美に聞こえるが、実際にはその裏に不安や謙虚さがあると紹介されている。Grammy
ここが、この曲の核心である。
Cosignsは、自慢しながら震えている曲だ。
「俺はここまで来た」と言う。
でも同時に、「本当にここにいていいのか」とも感じている。
称賛されている。
でも、その称賛がいつまで続くのかはわからない。
名前を呼ばれている。
でも、自分自身がまだそれに追いついていない。
この二重性が、Bartees Strangeらしい。
彼は、インディー・ロック、ヒップホップ、エモ、R&B、フォーク、スタジアム・ロックを自由に横断するアーティストである。PitchforkのFarm to Table評でも、彼のジャンル横断性と、黒人男性としてインディー・ロックの中で活動することの政治性が指摘されている。Cosignsについては、Future的なAuto-Tuneのボーカルに近い感触を持ちながら、そこで語られる自慢の対象が高級車やモデルではなく、Big Thiefや4ADのMartin Millsのようなインディー文脈の名前であることが面白さとして挙げられている。Pitchfork
つまりCosignsは、ラップ的なボースティングを、インディー・ロックの承認ゲームに置き換えた曲なのだ。
「誰に認められたか」
「誰と同じ部屋に入れるようになったか」
「どのレーベルが自分を迎えたか」
それを派手に並べながら、Barteesは成功の甘さと気まずさを同時に鳴らしている。
2. 歌詞のバックグラウンド
Farm to Tableというアルバム・タイトルには、Bartees Strangeの人生の移動が込められている。
オクラホマの田舎で育ち、やがてワシントンD.C.の音楽シーンを経由し、Live Foreverで注目され、4ADという歴史あるインディー・レーベルへ到達する。アルバム項目では、Farm to Tableというタイトルが「田舎の農場から、音楽業界の成功によってテーブルに席を得るまで」という移動を示すものとして説明されている。ウィキペディア
Cosignsは、その「テーブルに席を得た」瞬間の曲である。
ただし、その席は完全に居心地の良いものではない。
Bartees Strangeは、Live Foreverで急速に注目された。
その後、The National、Phoebe Bridgers、Lucy Dacus、Courtney Barnett、Car Seat Headrest、boygeniusなどと関わり、インディー・シーンの中心的な人々とつながっていく。そうした状況を、彼はCosignsの中でかなり直接的に歌う。
しかし、彼の音楽にはいつも「外側にいる」感覚がある。
黒人アーティストとして、白人中心に見えやすいインディー・ロックの中に入ること。
ラップもロックもエモもカントリーも聴いてきた人間として、ひとつのジャンルに収まらないこと。
成功しているのに、まだ自分が招待客なのか侵入者なのか確信できないこと。
Pitchforkのプロフィールでは、Barteesがジャンルについて聞かれるたび、ひとつの呼び名に固定されることを軽くかわし、自分はただBarteesなのだという姿勢を見せる人物として描かれている。Pitchfork
Cosignsは、その姿勢を最もポップに、そして少し露悪的に表した曲だ。
この曲では、彼は承認を笑いながら受け取る。
でも、その承認に酔い切らない。
Pasteのインタビューでは、CosignsはLive Forever以後に自分に機会をくれたアーティストたちへのラブレターのような曲として紹介されている。つまり、この曲の名前の列挙は単なるマウンティングではなく、助けてくれた人たちへの感謝でもある。Paste Magazine
ここが重要だ。
Cosignsは「俺はすごい」と言う曲である。
でも同時に「俺を見てくれた人たちがいた」と言う曲でもある。
成功は個人の才能だけで成立しない。
誰かがドアを開ける。
誰かがツアーに呼ぶ。
誰かが名前を挙げる。
誰かが推薦する。
その積み重ねが、次の場所へ人を運ぶ。
Bartees Strangeは、それを知っている。
だからこそ、この曲の自慢は、どこか感謝と不安を帯びている。
3. 歌詞の抜粋と和訳
歌詞の全文は、Spotifyや各種歌詞掲載サービスで確認できる。ここでは権利に配慮し、短い一部のみを引用する。
引用元:Spotify掲載歌詞、各種公式配信サービス
作詞・作曲:Bartees Strange、Chris Connors
収録アルバム:Farm to Table
リリース:2022年4月20日、アルバム収録は2022年6月17日
レーベル:4AD
アルバムのトラックリストでは、CosignsはChris ConnorsとBartees Strangeの共作として記録されている。ウィキペディア
I’m a genius, damn
和訳:
俺は天才だ、まったく
この一節は、非常に大胆である。
自分で自分を天才だと言う。
それも、冗談のように、でも本気も混ざった調子で。
この言葉だけを見ると、完全な自己賛美に見える。
しかし、Bartees Strangeの文脈で聴くと、これは単純な傲慢さではない。
長いあいだ外側に置かれてきた人間が、ようやく自分の価値を声に出す。
その時の言葉は、少し大きくなりすぎることがある。
それは防御でもあり、祝福でもある。
I keep consuming
和訳:
俺は消費し続けている
この言葉は、成功の中毒性をよく表している。
承認を得る。
もっと欲しくなる。
拍手を浴びる。
次はもっと大きな場所へ行きたくなる。
名前を呼ばれる。
もっと多くの人に呼ばれたくなる。
消費しているのは、音楽かもしれない。
名声かもしれない。
チャンスかもしれない。
自分自身かもしれない。
Buzz Magazineのレビューでも、Cosignsは上昇感を持ちながら「消費し続ける」「決して十分ではない」という飢えを含む曲として触れられている。Buzz Magazine
Hungry as ever
和訳:
相変わらず飢えている
この一節が、Cosignsの感情をよく示している。
成功しても、飢えは消えない。
むしろ、成功したからこそ、さらに飢える。
次のステージが見えてしまう。
もっと広い部屋、もっと大きな音、もっと多くの承認。
この飢えは、野心でもある。
しかし、同時に不安でもある。
満たされないから走れる。
でも、満たされないまま走り続けるのは苦しい。
It’s never enough
和訳:
それでも決して十分じゃない
この一節は、曲の華やかな表面をひっくり返す。
いくら名前を挙げられても。
いくら有名な人とつながっても。
いくらレーベルから評価されても。
十分ではない。
これは、現代の成功の怖さでもある。
数字も評価も可視化される。
自分の価値が、ストリーミング回数、レビュー、ツアー規模、SNSの反応、誰に認められたかで測られてしまう。
Cosignsは、そのゲームの中で勝ち始めた人間の歌である。
しかし、勝ち始めたからこそ、そのゲームの終わりのなさに気づいてしまう。
4. 歌詞の考察
Cosignsは、承認欲求の曲である。
ただし、ここでの承認欲求は単純に悪いものとして描かれていない。
人は認められたい。
特に、長いあいだ見えない場所にいた人ほど、認められることには意味がある。
Bartees Strangeにとって、インディー・ロックの中で名前を呼ばれることは、ただの虚栄ではない。
それは、自分の居場所ができることでもある。
黒人アーティストとして、ジャンルの境界をまたぎながら、自分が好きな音楽をすべて抱えて進む。
その道は、簡単ではない。
だから、誰かのcosignは重要だ。
「この人はここにいていい」
「この人を聴くべきだ」
「この人は私たちのシーンの一部だ」
そうした支持は、ドアを開ける力を持つ。
しかし、Cosignsはその力に酔うだけの曲ではない。
むしろ、承認されることの落とし穴を描いている。
誰かに認められると、次はもっと大きな誰かに認められたくなる。
ひとつのcosignは、次のcosignへの欲望を生む。
認められるほど、自分の価値を他人の名前で測るようになる。
それは危険だ。
自分が自分であることより、誰が自分を支持しているかが重要になってしまう。
音楽そのものより、周囲の名前の豪華さが前に出てしまう。
Bartees Strangeは、その危うさをよくわかっているように聞こえる。
だから、Cosignsは自慢の曲でありながら、どこか居心地が悪い。
ボーカルにはAuto-Tuneがかかり、ラップ的なフロウがあり、ビートはヒップホップやトラップの影響を感じさせる。Pitchforkはこの曲をFutureに近い感触を持つものとして評しているが、その自慢の内容がインディー・ロック業界の人脈である点に、この曲の奇妙な面白さがある。Pitchfork
この構図がとても鋭い。
ヒップホップのボースティングでは、富、車、ジュエリー、性的成功、ストリートでの地位が語られることが多い。
Barteesはそのフォーマットを使いながら、語る対象をインディー・ロックの承認へ置き換える。
つまり彼は、ジャンルの言語をずらしている。
ラップの自慢の構造を借りる。
でも、その中身は4AD、Big Thief、Phoebe Bridgers、Lucy Dacus、Justin Vernonといったインディー・シーンの社会的資本になる。
これは笑える。
同時に、とても批評的である。
インディー・ロックもまた、承認の経済で動いている。
誰に見つけられたか。
誰に前座へ呼ばれたか。
どのメディアが推したか。
どのレーベルに入ったか。
Cosignsは、その構造を自分の成功談として語りながら、同時に茶化している。
ここにBartees Strangeの知性がある。
彼はただジャンルを混ぜるだけではない。
ジャンルごとの「成功の語り方」も混ぜる。
そして、その結果として生まれる気まずさを隠さない。
「俺は天才だ」
「でも、まだ足りない」
「有名な人に認められた」
「でも、それで本当に満たされるのか」
この矛盾が、Cosignsを強い曲にしている。
5. この曲が好きな人におすすめの曲 5曲
- Boomer by Bartees Strange
2020年のLive Forever収録曲。Bartees Strangeのジャンル横断性を一気に示した代表曲であり、ラップ、インディー・ロック、ポップの切り替えが鮮やかである。Cosignsの自己肯定と不安が好きなら、Boomerの若々しい爆発力も強く響く。
- Heavy Heart by Bartees Strange
Farm to Tableのリード・シングル。Cosignsが成功の高揚と飢えを歌う曲なら、Heavy Heartは罪悪感や家族、重荷を背負って進む感覚を歌う曲である。アルバム全体の感情の奥行きを理解するには外せない。Farm to TableではHeavy Heartが先行シングルとして最初に発表された。ウィキペディア
- Wretched by Bartees Strange
Farm to Table収録曲。Bartees本人はこの曲を、最も低い時期に支えてくれた人たちへ捧げたものとして語っている。Cosignsの「俺はここまで来た」という顔の裏にある、支えられてきた記憶を知るために聴きたい曲である。Pitchfork
- Hold the Line by Bartees Strange
Farm to Table収録曲で、George Floydの娘Giannaへ向けて書かれた楽曲として知られる。Cosignsが個人的な成功と承認を扱うのに対して、Hold the Lineは政治的な痛みと祈りを深く抱えた曲である。アルバムの中で、Barteesの視野の広さを最も強く示す一曲だ。ウィキペディア
- Cash in Cash Out by Pharrell Williams feat. 21 Savage & Tyler, The Creator
直接的な音の近さというより、成功をめぐるボースティングの現代的な感触を比較するために聴きたい曲。Cosignsがインディー・ロック版の承認自慢だとすれば、こちらはよりストレートなラップの成功語りである。並べると、Bartees Strangeがどれほど変わった角度でボースティングを使っているかがわかる。
6. お墨付きの先にある、終わらない飢え
Cosignsは、Bartees Strangeのキャリアの中でも非常に象徴的な曲である。
この曲には、成功したアーティストの喜びがある。
同時に、成功したアーティストの不安がある。
ここまで来た。
でも、まだ十分ではない。
認められた。
でも、次の承認が欲しい。
名前を呼ばれた。
でも、その名前の中で自分自身を見失いたくない。
この矛盾が、曲全体を動かしている。
Bartees Strangeは、Cosignsで自分の人脈を誇る。
しかし、それは単なる自慢ではなく、「インディー・ロックの世界で評価されるとはどういうことか」を露出させる行為でもある。
音楽シーンは、純粋な才能だけで動いているわけではない。
もちろん才能は必要だ。
だが、同時に推薦、紹介、共演、レーベル、メディア、ツアー、友人関係が大きな意味を持つ。
Cosignsは、その現実を隠さない。
むしろ、そこをフックにする。
誰に認められたかを歌う。
それをラップ的なボースティングの形式で鳴らす。
でも、インディー・ロックの名前を並べることで、少し可笑しく、少し不気味にする。
このセンスがBartees Strangeらしい。
彼はジャンルの外側からジャンルを見ることができる。
インディー・ロックを愛しながら、その白さや閉鎖性も見ている。
ラップの形式を使いながら、そこに別の文化資本を入れる。
スタジアム・ロックの昂揚を鳴らしながら、個人的な不安を忍ばせる。
Cosignsは、そのすべてが短い時間に詰まった曲である。
Farm to Tableというアルバムの中で、この曲は明るい上昇の瞬間に見える。
しかし、本当は上昇の怖さを歌っている。
高く上がるほど、落ちることが怖くなる。
大きなテーブルに席を得るほど、そこに座り続ける責任が生まれる。
有名な人に認められるほど、自分がその期待に応えられるのか不安になる。
この曲の「飢え」は、そこから来ている。
空腹は、成功しても消えない。
むしろ成功によって、より洗練された形で残る。
もっと大きな曲を書きたい。
もっと多くの人に届きたい。
もっと認められたい。
でも、自分が誰なのかを失いたくない。
Cosignsは、その緊張の曲だ。
だから、この曲をただの自慢話として聴くと、少し浅くなる。
もちろん、楽しい。
派手で、軽快で、言葉の勢いもある。
自信に満ちた曲として聴いても十分に気持ちいい。
だが、その奥には「承認されることの中毒性」がある。
お墨付きは嬉しい。
でも、お墨付きだけでは自分を満たせない。
誰かの名前が自分の価値を保証してくれる。
しかし、最後には自分自身の音で立たなければならない。
Bartees Strangeは、そのことをわかっている。
だからこそ、Cosignsの明るさは少し苦い。
それは成功の祝杯であり、同時に次の不安への前奏でもある。
Bartees Strangeは、テーブルに席を得た。
だが、そこで満腹になるつもりはない。
Cosignsは、その飢えを、ラップとインディー・ロックとスタジアム級の昂揚を混ぜて鳴らした、彼らしい成功のアンセムである。

コメント