
1. 歌詞の概要
Mulholland Dr.は、Bartees Strangeが2022年に発表したアルバムFarm to Tableの2曲目に収録された楽曲である。アルバムは2022年6月17日に4ADからリリースされ、この曲はHeavy Heartに続いて配置されている。Apple Music – Web タイトルのMulholland Dr.は、ロサンゼルスの山道、マルホランド・ドライブを思わせる。
夜景、成功者たちの邸宅、映画産業の夢、そしてその裏側にある孤独。
この曲は、そんなきらびやかな場所に立った瞬間の高揚と、そこに自分が本当に属しているのかという違和感を同時に鳴らしている。
歌詞の中心にあるのは、簡単に乗り越えろと言われる痛みである。
周囲は言う。前を向け、気にするな、慣れればいい。
けれど語り手の内側では、そんな言葉では片づかない混乱が渦を巻いている。
この曲の感情は、ただ暗いだけではない。
むしろサウンドは大きく開けていて、光が差している。
ギターは澄んでいて、ドラムは身体を前に押し出し、コーラスは空へ伸びていく。
それなのに、歌の奥には小さな震えがある。
成功へ近づくほど、過去の傷も、失敗への恐れも、置いてきたはずの感情もくっきり見えてしまう。
Mulholland Dr.は、夢の景色を眺めながら、その夢の中で自分を見失いかける歌なのだ。
Bartees Strangeの魅力は、ジャンルの境界を軽々と越えるところにある。
インディーロック、エモ、ソウル、ヒップホップ、R&B。
それぞれの要素が、彼の声を中心にして自然に混ざり合う。
この曲でも、清涼感のあるギターと巨大なサビ、感情を削るようなボーカルがひとつになっている。
聴いていると、広い道路を車で走っているような開放感がある。
しかし窓の外の夜景は美しいのに、胸の奥だけは落ち着かない。
その落差こそが、この曲の核である。
2. 歌詞のバックグラウンド
Mulholland Dr.が収録されたFarm to Tableは、Bartees Strangeにとって2作目のフルアルバムであり、4ADからのリリース作である。前作Live Foreverで注目を集めた彼は、この作品でさらに大胆に音楽性を広げた。PitchforkはFarm to Tableについて、ジャンルを飛び越えるソングライティングがより確かなものになったと評している。Pitchfork
Bartees Strangeは、イングランド生まれ、オクラホマ育ちのアーティストである。軍人の父とオペラ歌手の母を持ち、幼少期から移動の多い生活を送ってきた。そうした背景は、彼の音楽に漂う居場所のなさ、そしてどこにでも行ける感覚の両方につながっている。ウィキペディア
彼の音楽がひとつのジャンルに収まらないのは、単なる器用さではない。
それは、ひとつの場所、ひとつの肩書き、ひとつの音楽的文脈だけでは自分を説明できないという感覚から生まれているように聴こえる。
Mulholland Dr.は、そんな彼の資質がよく表れた曲である。
Rolling Stoneのインタビュー紹介では、この曲について、ロサンゼルスで出会った幸福そうで裕福な人々を見つめる内容として触れられている。ローリングストーン
この情報を踏まえると、曲の舞台は単なる道路ではなく、成功の象徴としてのロサンゼルスでもあると読める。
ロサンゼルスは、アメリカのポップカルチャーにおいて夢の都市として描かれてきた。
音楽、映画、テレビ、セレブリティ。
そこには誰もが憧れるまばゆさがある。
けれど、そのまばゆさはときに残酷でもある。
成功している人々の輪の中にいると、自分もそこに近づいたような気持ちになる。
同時に、自分がそこにいる理由を疑ってしまう。
Bartees Strangeは、その感覚を大げさな告白ではなく、揺れる歌声と広がるサウンドで描く。
Farm to Tableというアルバムタイトルも重要だ。
直訳すれば農場から食卓へ。
つまり、何かが育ち、運ばれ、誰かの前に置かれるまでの過程を含んだ言葉である。
Bartees Strange自身もまた、突然現れたスターではない。
さまざまな場所を移動し、バンド活動やカバーEP、プロデュース、ツアーを通じて経験を重ねてきた。Farm to Tableは、そうした彼自身の移動と成長が、ひとつの食卓に並べられたようなアルバムなのだ。
その中でMulholland Dr.は、成功の景色を見上げる曲であると同時に、その景色に飲み込まれまいとする曲でもある。
3. 歌詞の抜粋と和訳
歌詞の全文は、公式配信サービスや歌詞掲載サイトで確認できる。Dorkの歌詞ページでは、Mulholland Dr.がFarm to Table収録曲であり、作詞作曲にBartees Strange、Carter Zumtobel、Chris Connors、Dan Kleederman、Graham Richmanがクレジットされ、プロデュースはBartees StrangeとChris Connorsと記載されている。Readdork
They say to just get over it
和訳:
みんなは、ただ乗り越えればいいと言う。
この一節は、曲の入口として非常に強い。
痛みを抱える人に向けられる、悪意のない雑な言葉。
それが語り手の心にどう響くのかを、曲は静かに問いかける。
it’s easy if you try
和訳:
やってみれば簡単だ、と。
ここで描かれているのは、他人の痛みに対する距離感である。
言う側にとっては簡単でも、受け取る側にとってはそうではない。
この小さなズレが、曲全体の不安を生んでいる。
I don’t know what’s happening in my life
和訳:
自分の人生に何が起きているのか、わからない。
成功、移動、出会い、喪失。
外から見れば前進に見える出来事も、本人の内側では混乱として積み重なることがある。
このラインは、その正直な感覚を短く切り取っている。
I know how we lose
和訳:
僕らがどうやって失っていくのかは、わかっている。
この言葉には、経験者の重みがある。
失うことを知っている人間だけが持つ、少し冷めたまなざし。
Mulholland Dr.の明るいサウンドに影を落としているのは、この感覚である。
引用元:Dork Lyrics / LRCLIB掲載情報。歌詞の権利は各権利者に帰属する。Readdork
4. 歌詞の考察
Mulholland Dr.の歌詞は、心の整理がつかないまま成功の景色の中に立っている人の言葉として響く。
冒頭の、乗り越えればいいという言葉。
これは一見すると励ましである。
しかし、曲の中ではむしろ圧力として響く。
痛みには時間が必要である。
それなのに周囲は、効率よく立ち直ることを求める。
まるで悲しみもキャリアの一部で、うまく処理できる人間ほど優秀だと言われているようだ。
Bartees Strangeは、そうした空気に抵抗している。
この曲が面白いのは、弱音を吐く歌でありながら、サウンドがしぼんでいないところである。
むしろ曲は大きい。
ギターは透明で、リズムはしなやかに前へ進み、サビはスタジアムロックのようなスケールを持っている。
Pitchforkはこの曲について、エモ的なクリーンギターから始まり、巨大なコーラスへ上昇していくと評している。Pitchfork
この説明は、曲を聴いたときの感覚にかなり近い。
最初は車窓から見える街の灯りのように、音が点々とまたたく。
そこから徐々に視界が広がり、気づけば高台から都市全体を見下ろしている。
けれど、その夜景は完全な祝福ではない。
美しすぎる景色は、人を孤独にすることがある。
マルホランド・ドライブという場所は、ロサンゼルスの夢を象徴する。
そこに立てば、下には都市の灯りが広がる。
ハリウッドの神話、富、成功、選ばれた人々の生活。
すべてが手に届きそうに見える。
だが、その場所にいることと、そこに属していることは違う。
Bartees Strangeの歌声には、そこに立ってしまった人の戸惑いがある。
ここまで来た。
でも、ここは本当に自分の場所なのか。
その問いが、曲の奥でずっと鳴っている。
Farm to Table全体にあるテーマのひとつは、成功への複雑な感情である。
音楽的に評価され、ツアーが増え、4ADのような名門レーベルから作品を出す。
それは祝福されるべきことだ。
けれど、成功は単純なゴールではない。
成功すると、過去の痛みが消えるわけではない。
むしろ、以前よりも鮮明に見えてしまうことがある。
自分はなぜここにいるのか。
誰に認められたくて走ってきたのか。
この景色を見せたかった人は、いま隣にいるのか。
Mulholland Dr.は、そうした問いをロックソングの熱の中に封じ込めている。
サウンド面では、Bartees Strangeの多層的な音楽性がよく出ている。
ギターの響きにはエモやインディーロックの感触がある。
しかし歌の運びは、ソウルやR&Bのしなやかさを含んでいる。
声の揺れ方、フレーズの伸ばし方、感情の押し出し方に、ロックだけでは説明しきれない深さがある。
Chorus.fmのレビューでは、この曲のバッキングボーカルやハーモニーが中心に立ち、天へ漂っていくようだと評されている。chorus.fm
実際、コーラスの広がりはこの曲の大きな聴きどころである。
ひとりの独白だったものが、いつの間にか複数の声に支えられていく。
その瞬間、曲は個人的な不安から、もっと広い祈りのようなものへ変わる。
ここで重要なのは、救いがはっきり提示されないことだ。
曲は、すべて大丈夫だとは言わない。
傷は癒えるとも言い切らない。
ただ、混乱したままでも声を上げることはできる、と示している。
それがBartees Strangeらしさである。
彼の音楽は、ジャンルを混ぜることそのものが目的ではない。
複数の感情が同時に存在してしまう現実を、そのまま鳴らすためにジャンルを越える。
嬉しいのに怖い。
成功しているのに孤独だ。
愛されたいのに逃げ出したい。
前に進みたいのに、過去が背中をつかむ。
Mulholland Dr.は、そうした矛盾を整理しない。
むしろ矛盾したまま、アクセルを踏み込む。
だからこの曲は美しい。
傷ついているのに、風を切っている。
迷っているのに、遠くまで行けそうな気がする。
夜のロサンゼルスを走る車の中で、窓を少し開ける。
冷たい風が入ってきて、街の灯りが流れていく。
その一瞬、人生がうまくいっているのか壊れかけているのか、自分でもわからなくなる。
Mulholland Dr.は、そのわからなさを鳴らす曲なのだ。
5. この曲が好きな人におすすめの曲 5曲
- Heavy Heart by Bartees Strange
Farm to Tableの冒頭を飾る曲であり、Mulholland Dr.と地続きの感情を持っている。華やかなホーンと大きなメロディの裏側に、後悔や責任感がにじむ。Bartees Strangeのスケール感と内省性を同時に味わえる一曲である。
- Wretched by Bartees Strange
Mulholland Dr.の次に収録される楽曲で、Farm to Table序盤の勢いを決定づける存在である。ポップに突き抜けるメロディと、少し不穏な感情の混ざり方が魅力。明るいのに胸がざわつく感覚を求めるなら、非常に相性がいい。
- Wolf Like Me by TV on the Radio
Bartees Strangeの音楽に通じる、ロック、ソウル、アート性の交差点にある名曲である。切迫したリズムと野性的なボーカルが、都市の夜を疾走するように響く。Bartees StrangeがTV on the Radioに影響を受けてきた文脈を知るうえでも聴いておきたい曲である。Pitchforkの記事でも、Bartees StrangeはTV on the Radioへの敬意を語っている。Pitchfork
- Bloodbuzz Ohio by The National
低く沈む感情と、大きく広がるロックサウンドの組み合わせという点で、Mulholland Dr.と響き合う。派手な爆発ではなく、胸の奥でゆっくり火が広がるような曲である。Bartees StrangeはThe Nationalの楽曲を再解釈したEP Say Goodbye to Pretty Boyも発表しており、彼のルーツをたどるうえでも重要なバンドである。ウィキペディア
- Kyoto by Phoebe Bridgers
疾走感のあるアレンジと、内側では整理しきれない感情を抱えた歌詞が共存する一曲である。明るい音像の中に疲労や罪悪感が潜む構造は、Mulholland Dr.と近い。Bartees StrangeはKyotoのリミックスにも関わっており、インディーロックの同時代的なつながりを感じられる。ウィキペディア
6. 光の中で迷うロックソングとしてのMulholland Dr.
Mulholland Dr.は、Bartees Strangeの強みが凝縮された曲である。
大きなメロディ。
ジャンルをまたぐしなやかなサウンド。
胸を張っているようで、どこか傷ついている歌声。
そして、成功の景色を前にしたときの複雑な感情。
この曲は、ロサンゼルスの美しい夜景をただ賛美する曲ではない。
むしろ、その美しさに照らされてしまった不安を描いている。
光が強いほど、影は濃くなる。
夢に近づくほど、自分の輪郭が揺らぐ。
Mulholland Dr.は、その瞬間を音にしている。
Bartees Strangeのキャリアにおいても、この曲は重要な位置にある。
Live Foreverで示したジャンル横断の才能を、Farm to Tableではより大きなスケールで押し出している。
その中でMulholland Dr.は、彼がただの器用なミクスチャー・アーティストではなく、感情の矛盾をポップソングとして成立させられる書き手であることを証明している。
サビが広がる瞬間、曲は一気に空へ抜ける。
しかし、その空は完全な青空ではない。
夕暮れと夜の境目のような色をしている。
そこがいい。
すべてが解決した歌ではなく、解決しないまま走り続ける歌。
だからこそ、聴き終えたあとに妙な余韻が残る。
自分の人生にも、こういう瞬間があった気がする。
そう思わせる力がある。
Mulholland Dr.は、成功の歌であり、喪失の歌であり、都市の歌であり、孤独の歌である。
そして何より、痛みを抱えたままでも美しい音を鳴らせるということを教えてくれる曲なのだ。

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