
発売日: 2000年4月3日
ジャンル: オルタナティヴ・ロック、ポストパンク、エレクトロニカ
概要
『The Menace』は、Elasticaが2000年に発表した2ndアルバムである。
1995年のデビュー作『Elastica』がUKロックの渦中で大きな成功を収めたのとは対照的に、本作は長い空白期間を経て届けられた“再始動の記録”でもある。メンバーの脱退、ドラッグ問題、音楽的スランプ、そして制作環境の混乱――さまざまな困難の中で生まれた作品なのだ。
5年間という時間は、ブリットポップの興隆と崩壊を含め、ロックの潮流を大きく変えた。
その間に登場したエレクトロニカ、インダストリアル、オルタナ再評価などのトレンドはバンドの耳にも影響し、Elasticaはかつてのキレ味鋭いギター・ポップから、より荒涼としたポストパンク的質感へと舵を切っている。
本作は、バンドが“生き延びた証”としての側面を強く持つ。
サウンドはざらつき、ミニマルで、時に歪みすぎるほど無骨。しかしその不安定さこそが、当時のElasticaの状態をそのまま封じ込めたリアリズムとなっているのだ。
“クールで鋭利な女性ロックバンド”というイメージからさらに一歩踏み込み、崩壊寸前のバンドが放つ静かな攻撃性と、冷たさの中に潜む焦燥を聴かせてくる。
また、Justine Frischmannが影響を受けてきたWireやThe Fall、さらにAphex Twin周辺のテクスチャーを取り込むことで、ただのブリットポップ発の続編ではなく、“90年代以降のUKロックが迎えた転換点”を象徴する作品にもなっている。
その結果、『The Menace』はヒット作ではなくとも、音楽史の文脈では非常に興味深い位置に立つアルバムと言えるのだ。
全曲レビュー
1曲目:Mad Dog
緊張感のあるギターと乾いたドラムが、冒頭から荒涼とした世界を提示する。
ブリットポップ的明るさは完全に影を潜め、冷たいポストパンクの空気が支配する。Elasticaの“戻ってきたけれど同じではない”という宣言にも思える幕開けだ。
2曲目:Generator
反復的なリフを軸に、硬質なリズムが押し寄せるナンバー。
歌詞には閉塞感と倦怠感が漂い、Justineの乾いたボーカルがその虚無感を増幅する。バンドが抱えた疲弊の影が、音の端々に滲んでいるようにも思える。
3曲目:Image Change
シンプルなビートと削ぎ落としたギターが特徴で、ミニマルな構成が逆に強烈な印象を残す。
“変化”を示すタイトルの通り、Elasticaの新たな方向性がわかりやすく提示された楽曲である。
4曲目:How He Wrote Elastica Man
The Fallとのコラボレーションで、原曲「How I Wrote Elastic Man」の自己パロディ的なアレンジ。
ポストパンクの源流に返るような皮肉とユーモアが交差し、本作の中でも独特の浮遊感と異物感をもたらしている。
5曲目:My Sex
Ultravox!のカバーで、エレクトロニックな冷たさが際立つ。
Elastica版はさらに無機質に研ぎ澄まされており、機械的で陰影のあるボーカル処理が、アルバムの中盤に不穏な深みを付加している。
6曲目:Love Like Ours
短い楽曲ながら、揺れ動くギターと淡々としたメロディが耳に残る。
“愛”という言葉を冠しながらも、どこか温度のない空気が支配し、感情が摩耗していくような感覚をもたらす。
7曲目:KB
ざらついたギターと粗削りなリズムが支配する楽曲。
構造はシンプルだが、その直線的なエネルギーがアルバムの緊張感を途切れさせない役割を果たしている。
8曲目:Da Da Da
Trioのカバーでありながら、Elastica流のミニマリズムと乾いたユーモアが絶妙にマッチした曲。
反復フレーズの無表情な響きは、本作のテーマである“空虚さ”や“心理的な距離感”と自然に重なる。
9曲目:Nothing Stays the Same
タイトル通り“変わり続けること”を暗示するメランコリックな曲。
他の曲よりもメロディが柔らかく、アルバムの中でひときわ人間的な揺らぎを感じさせる。
10曲目:Human
硬質なビートに淡々としたボーカルが重なり、無機質な世界の中で“人間らしさ”を探すようなストイックさが漂う。
孤独とアイロニーが静かに積み重なる1曲である。
11曲目:Nothing More to Say
音数を減らしたアレンジが、楽曲の虚無感を際立たせる。
Justineの声はどこか遠く、疲弊した心情が静かに響いてくるようなのだ。
12曲目:I Want You
ダークで歪んだサウンドがラストを飾る。執着にも似た欲望の揺れが描かれ、終盤へ向けて不穏さが徐々に強まる。
アルバムが抱えてきた混乱と焦燥が、最後にひとつの爆ぜ方をするかのような締めくくりである。
総評
『The Menace』は、Elasticaにとって“復帰作”であると同時に、“崩壊後の残響”でもある。
鮮烈なデビューでUKロックシーンを席巻したバンドが、混乱と疲労を抱えながら再び音を鳴らした結果、かつてのスピード感ではなく、より荒れた質感と冷めた空気を宿す作品になったのだ。
当時のUKロックはすでにブリットポップの熱狂が過ぎ去り、より実験的な方向へと向かい始めていた。
Radioheadが『Kid A』でエレクトロニカを大胆に導入し、Blurは『13』でノイズと破壊的なエモーションを広げ、The Chemical BrothersやAphex Twinがシーンにおける存在感を増していた時期でもある。
『The Menace』はその潮流の中に位置づけられ、Elasticaが置かれた混沌と、当時のシーンの変化が重なるように聴こえてくるのだ。
制作面では、ギターの輪郭をあえて曖昧にし、ビートを硬質に保ちながら、エレクトロニックな処理を随所に取り入れている。
ミキシングも乾いており、音が“近いようで遠い”。その距離感は、バンドが抱えた精神的な隔たりを反映しているかのようである。
ブリットポップ最盛期の明快なフックは姿を消し、代わりに不安、疲労、倦怠、そして皮肉が強く滲む。
結果として本作は、万人受けする“快作”ではない。
しかし、Elasticaというバンドの“闇”をもっとも鮮明に描き出した作品でもあり、時代の空気を強烈に吸い込んだ重要なアルバムと言えるのだ。
『Elastica』が光で本作が影だとすれば、この影の部分こそがバンドの実像を深く物語っている。
そして現在に至るまで、この作品が静かに再評価されている理由もそこにある。
おすすめアルバム(5枚)
- Wire / Chairs Missing ポストパンク的ミニマリズムの源流にある作品。
- Blur / 13 混乱と実験性を帯びた90年代後期UKロックの象徴。
- Radiohead / Kid A エレクトロニカ導入期の革新的アプローチが響き合う。
- Yeah Yeah Yeahs / Fever to Tell 鋭利なギターと荒れた質感が好相性。
- The Fall / This Nation’s Saving Grace Elasticaのルーツにも通じる鋭いポストパンクの名盤。
制作の裏側(任意セクション)
『The Menace』の制作は、紛れもなく“混乱の記録”である。
メンバー間の摩擦、薬物依存、ツアー疲れ、方向性の迷走――Elasticaは一度完全に立ち止まり、解散寸前まで追い込まれていた。
レコーディングは断続的に進められ、同じ曲を何度も録り直しては放棄する日々が続いたという。
使用機材も、初期の生々しいギターサウンドから一歩進み、サンプラーやシンセを積極的に導入。
これは単なる“流行の取り入れ”ではなく、疲弊した状態のメンバーが、従来のバンド形式で制作することが難しくなった結果でもある。
緊張と不安が漂うスタジオの空気は、音の荒れや無機質な質感となってアルバムに刻まれている。



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