
発売日:2013年10月29日
ジャンル:オルタナティヴ・ロック、インディー・ロック、ポスト・パンク、アート・ロック、ノイズ・ポップ
概要
Throwing MusesのPurgatory/Paradiseは、2013年に発表された通算9作目のスタジオ・アルバムであり、同時にバンドの長い歴史を凝縮し直したような異色作である。Throwing Musesは1980年代前半にロードアイランド州ニューポートで結成され、クリスティン・ハーシュを中心に、タニヤ・ドネリー、デイヴ・ナルシゾ、レスリー・ラングストンらを擁して活動を開始した。4ADから作品を発表した最初のアメリカのバンドとしても知られ、The PixiesやSonic Youth、R.E.M.、Hüsker Dü以降のアメリカン・オルタナティヴ・ロックの流れの中で、独自の文学性と不安定なリズム感覚を持つ存在として評価されてきた。
Purgatory/Paradiseは、2003年のセルフタイトル作以来、およそ10年ぶりに発表されたThrowing Muses名義のアルバムである。ただし本作は、通常のロック・アルバムとは大きく異なる形態を持つ。全32曲という非常に多い曲数で構成され、多くの曲は短く、断片的で、スケッチのように提示される。さらに本作は、クリスティン・ハーシュによるエッセイや歌詞、写真、デザインを含む書籍的な作品としても発表され、音楽と文章、記憶、断片的なイメージが一体となるプロジェクトとして成立している。
タイトルのPurgatory/Paradiseは「煉獄/楽園」を意味する。ここには、苦痛と救済、停滞と解放、喪失と美、日常と幻覚のような二項対立が置かれている。ただしThrowing Musesの音楽において、それらは明確に分離されない。苦しみの中に美しさがあり、安らぎの中に不穏があり、家庭的な風景の中に異様な感覚が入り込む。本作はまさに、その境界の揺らぎを断片的な楽曲群によって描いたアルバムである。
クリスティン・ハーシュのソングライティングは、初期から一般的なヴァース/コーラス構造に収まりにくかった。彼女の曲は、感情の発作、記憶の断片、身体感覚、夢の残像のようなものから成り立っており、メロディもリズムも予測できない方向へ曲がることが多い。Purgatory/Paradiseでは、その特徴がさらに凝縮されている。短い曲が次々に現れ、消え、また別の角度から同じ感情が戻ってくる。その構成は、従来のアルバムというより、壊れた日記、写真の束、あるいは意識の流れに近い。
音楽的には、Throwing Muses特有の鋭いギター、デイヴ・ナルシゾのしなやかで変則的なドラム、ハーシュの荒く切迫した声が中心である。ベースはバーナード・ジョルジュが担い、トリオ編成ならではの隙間と緊張感が作品全体を支えている。大きなプロダクションで飾り立てるのではなく、曲ごとの骨格をむき出しにするような音像が多い。そのため、楽曲は短くても密度が高く、聴き手は次々と変化する感情の断面に直面することになる。
本作の重要性は、Throwing Musesが過去のスタイルを懐古的に再現するのではなく、自分たちの断片性、神経質なリズム、不安定なメロディを、2010年代の作品形式へ更新した点にある。1980年代から90年代のオルタナティヴ・ロックが、アルバム単位の物語性やバンド・サウンドを重視していたのに対し、Purgatory/Paradiseは、短い断章を連ねることで、より散文的で現代的な聴取体験を作っている。これは、単なる復帰作ではなく、Throwing Musesというバンドの本質を再構成した作品である。
日本のリスナーにとって本作は、The Breeders、Pixies、Sonic Youth、PJ Harvey、Belly、初期4ADの硬質で文学的なギター音楽に関心がある場合、非常に興味深いアルバムである。ただし、代表曲を求めて聴くタイプの作品ではない。むしろ、断片を読み解きながら、アルバム全体に広がる心理的な地形をたどる作品である。曲数の多さに反して、全体は散漫ではなく、煉獄と楽園の間を行き来する一つの意識としてまとまっている。
全曲レビュー
1. Smoky Hands
「Smoky Hands」は、アルバムの入口として、Throwing Musesらしい曖昧な身体感覚を提示する楽曲である。煙に包まれた手というイメージは、掴もうとしても形が崩れる記憶や、汚れ、過去の痕跡を連想させる。ハーシュの歌詞では、身体の一部がしばしば心理の比喩として現れるが、本曲でも手は行為、接触、罪悪感の象徴として機能する。
サウンドは短く、鋭く、説明を拒む。ギターは過度に厚く重ねられるのではなく、線のように走り、ドラムは曲を揺らしながら前へ押す。冒頭から、本作が大きなロック・アンセムではなく、断片の連続として進むことが示される。
2. Morning Birds
「Morning Birds」は、朝の鳥という穏やかなタイトルを持ちながら、単純な安らぎの曲ではない。朝は再生や始まりを示す一方で、夜の不安がまだ身体に残っている時間でもある。Throwing Musesの楽曲において、自然のイメージはしばしば美しさと不穏を同時に含む。
音楽的には、メロディにわずかな明るさがありつつ、リズムやコード感はどこか落ち着かない。鳥の声が爽やかな朝を告げるというより、意識を現実へ引き戻すように響く。楽園のような風景が、煉獄的な疲労と重なり合う本作のテーマを、早い段階で示す曲である。
3. Sleepwalking 1
「Sleepwalking 1」は、タイトル通り夢遊状態を扱う短い断章である。Throwing Musesの音楽には、覚醒と睡眠の境界が曖昧になる感覚がある。意識は働いているが、身体が勝手に動く。言葉は発せられるが、意味は少しずつずれていく。本曲はその感覚を小さな形で切り取っている。
サウンドは、完全な楽曲というよりも、アルバム全体に挿入される心理的な通路のように機能する。後に続く「Sleepwalking」系列の断片とともに、本作の意識の流れを形成する重要なパーツである。
4. Sunray Venus
「Sunray Venus」は、本作の中でも比較的印象的なタイトルを持つ楽曲である。太陽光線とヴィーナスという言葉が組み合わされることで、美、光、女性性、神話的なイメージが生まれる。しかしThrowing Musesの手にかかると、その美しさは安定したものではなく、過剰な光によって焼きつくような感覚を伴う。
音楽的には、ギターとヴォーカルが鋭く絡み合い、短い曲ながら強い存在感を持つ。歌詞は神話的な比喩を日常的な不安と接続し、美しいものが同時に暴力的でもあることを示す。ハーシュの声は、崇拝ではなく、眩しすぎる対象に対する警戒として響く。
5. Lazy Eye
「Lazy Eye」は、視覚のずれを示すタイトルを持つ。怠惰な目、焦点の合わない目、あるいは現実をまっすぐ見られない状態。ハーシュの歌詞世界では、知覚の異常や身体感覚の歪みが内面の不安と結びつくことが多い。本曲もその文脈で聴くことができる。
音楽的には、短いながらも不安定なリズム感が印象的である。まっすぐ進むようでいて、どこか横にずれる。視線が定まらない感覚が、曲構造そのものに反映されている。Throwing Musesらしい、身体的な違和感をギター・ロックへ変換した曲である。
6. Freesia
「Freesia」は、花の名前を冠した楽曲である。フリージアは香りや繊細さを連想させるが、Throwing Musesにおける花のイメージは、単なる可憐さには留まらない。美しさはしばしば腐敗や記憶、失われた関係と結びつく。
サウンドは比較的柔らかいが、歌の奥には緊張がある。花のイメージは、過去の幸福や女性的な記憶を呼び起こす一方で、その儚さを強調する。短い曲の中に、香りのように消えやすい感情が閉じ込められている。
7. Curtains
「Curtains」は、幕、カーテン、遮蔽物を意味するタイトルである。カーテンは外界と室内を隔てるものであり、同時に舞台の開閉を示す。つまり本曲には、隠すこと、見せること、終わりを告げることという複数の意味が重なる。
Throwing Musesのサウンドは、ここでも過度に説明的ではない。ギターの響きは室内の影のように広がり、ヴォーカルはカーテンの向こう側から聞こえてくるように感じられる。歌詞のテーマは、自己開示と防御の間にある緊張として読める。見られたいが、完全には見られたくない。その矛盾が曲の中心にある。
8. Triangle Quantico
「Triangle Quantico」は、幾何学的な言葉と地名的な響きを持つタイトルであり、本作の中でも抽象性が高い。三角形は関係性、緊張、均衡の記号として機能し、Quanticoは軍事・捜査・制度的なイメージを連想させる。これらが組み合わされることで、個人的な感情が何らかの構造や監視の中に置かれているような印象が生まれる。
音楽的には、角ばったリズムと短いギター・フレーズが印象的である。三角形のように、曲は滑らかに丸まらず、角を持ったまま進む。Throwing Musesのポスト・パンク的な側面が表れた断章である。
9. Milan
「Milan」は、都市名をタイトルにした楽曲である。ミラノはファッション、芸術、都市的洗練を連想させるが、ハーシュの歌詞世界では、地名はしばしば現実の場所というより、記憶や感情が投影される容器として使われる。
曲は短く、都市の印象を長く描写するのではなく、一瞬の景色のように過ぎ去る。アルバム全体が写真集や断片的な日記のように構成されていることを考えると、「Milan」はその中の一枚の写真のような役割を持つ。美しい都市の名前の裏に、個人的な不在や距離が漂う。
10. Slippershell
「Slippershell」は、柔らかさと硬さが同居するような造語的タイトルである。スリッパのような家庭的で柔らかいものと、殻のように防御的なものが重なる。Throwing Musesらしい、日常の物質に心理的な意味を与えるタイトルである。
音楽的には、家庭的な親密さと神経質な緊張が共存する。歌詞では、守られることと閉じ込められることの境界が曖昧になる。殻は安全を与えるが、同時に外部との接触を遮断する。本曲は、家庭や身体をめぐる複雑な感情を短く鋭く表現している。
11. Bluff
「Bluff」は、虚勢、はったり、崖を意味する言葉である。どちらの意味を取っても、危うい位置に立つ感覚がある。自分を強く見せること、あるいは崖の縁に立つこと。Throwing Musesの歌詞において、こうした二重の意味は重要である。
サウンドは切迫しており、短い中にも強い緊張を持つ。歌詞は、強がりの裏にある不安を描くものとして読める。ハーシュのヴォーカルは、虚勢を暴くようでもあり、同時に自ら虚勢を張っているようでもある。自己防衛の音楽としてのThrowing Musesがよく表れている。
12. Folding Fire
「Folding Fire」は、「折り畳まれる火」という矛盾したイメージを持つ。火は広がり、燃え、制御しにくいものだが、それを折り畳むという表現には、感情の圧縮や衝動の封じ込めが感じられる。
音楽的には、内側に熱を抱えたまま進む曲である。爆発的に広がるのではなく、短いフレーズの中に火種を閉じ込めるような構成になっている。本作全体の断片性を象徴する一曲であり、大きな感情を小さな器に押し込むことで、逆に緊張を高めている。
13. Sleepwalking 2
「Sleepwalking 2」は、先に現れた「Sleepwalking 1」の続きとして、アルバム内の夢遊的な流れを強める。ここでの反復は、同じ曲の再現ではなく、意識状態が再び似た場所へ戻ってくることを示す。
Throwing Musesは、アルバムを直線的な物語として進めるのではなく、同じ感情や状態が角度を変えて戻ってくる構造を作っている。「Sleepwalking」系列はそのための重要な装置である。聴き手は、目覚めているのか眠っているのか分からない感覚の中を移動する。
14. Static
「Static」は、静電気、雑音、停滞を意味する。Throwing Musesの音楽において、雑音は単なるノイズではなく、コミュニケーションの不全や神経のざわめきとして機能する。本曲はそのタイトル通り、内面に走る細かなノイズを描く。
サウンドは短く、ざらつきがあり、完全には整えられていない。歌詞のテーマは、言葉になる前の苛立ちや、空気中に帯電するような感情として読める。静けさではなく、静的なノイズ。そこに本作の不穏な美しさがある。
15. Strawberry Moon
「Strawberry Moon」は、甘美で詩的なタイトルを持つ。苺色の月というイメージは、自然、季節、女性性、血、甘さ、夜を同時に連想させる。Throwing Musesの美学では、こうした美しいイメージはしばしば身体的な不安と結びつく。
音楽的には、比較的メロディアスで、アルバム中盤に柔らかな光を差し込む。ただし、その光は安定した幸福ではなく、夜の中で一瞬だけ見える赤い月のようなものだ。歌詞は、美しいものが不気味さを含む瞬間を描いている。
16. Sleepwalking 3
「Sleepwalking 3」は、夢遊状態の反復をさらに深める断章である。ここまで来ると、アルバム全体が通常の覚醒状態ではなく、断続的な意識の記録であることが明確になる。曲は短いが、配置によって大きな意味を持つ。
同じテーマが三度現れることで、聴き手はアルバムの内部に周期性を感じる。煉獄とは、同じ場所へ何度も戻る状態でもある。本作における夢遊は、進んでいるようで進まない心理的な循環を表している。
17. Cherry Candy 1
「Cherry Candy 1」は、甘い菓子のイメージを持つ曲である。チェリーとキャンディは子ども時代、人工的な甘さ、赤い色、誘惑を連想させる。ただしThrowing Musesにおいて、甘さはしばしば毒性を含む。
音楽的には、小さく鋭いポップ性を持ちながら、完全には安心できない。タイトルの甘さに対して、サウンドには歪みや切迫感がある。これは本作全体の特徴でもある。楽園的なものは、常に煉獄的な不安と隣り合っている。
18. Film
「Film」は、記憶や映像、距離を示すタイトルである。フィルムは現実を記録するが、同時に現実を加工し、過去へ固定する。ハーシュの歌詞における記憶は、しばしば鮮明でありながら信用できない。本曲はその性質を扱っている。
音楽は、映像の断片のように短く現れ、過ぎ去る。歌詞は、見ているものと経験しているものの間にあるずれを示しているように響く。現実はそのまま残るのではなく、フィルム化され、編集され、少しずつ別のものになる。
19. Sleepwalking 4
「Sleepwalking 4」は、アルバム後半に向けて夢遊的なモチーフをさらに定着させる。ここでは、眠りながら歩くという状態が、単なる比喩を超えて、作品全体の構成原理になっている。
曲の短さは、意識の途切れそのものを表す。長い物語ではなく、一瞬だけ浮かぶ感情。Throwing Musesはこのような断片を積み重ねることで、通常のロック・アルバムとは異なる心理的リアリズムを作っている。
20. Opiates
「Opiates」は、鎮痛、麻痺、依存を連想させるタイトルである。痛みを消すものは、同時に感覚を鈍らせる。Purgatory/Paradiseというアルバムにおいて、このテーマは非常に重要である。楽園的な安らぎは、時に麻酔のようなものでもある。
音楽的には、鋭さと鈍さが同時にある。歌詞では、痛みから逃れたい欲望と、逃れた結果として自分が薄れていく感覚が交差する。Throwing Musesの音楽は、癒しを単純な救済としては描かない。痛みを消すことが、必ずしも生を回復することではないという不安が、本曲にはある。
21. Cherry Candy 2
「Cherry Candy 2」は、「Cherry Candy 1」の反復あるいは変奏として機能する。甘さのイメージが再び戻ることで、アルバム内に小さな循環が生まれる。ここでの甘さは、記憶の中で変質し、最初とは異なる響きを持つ。
同じモチーフが別の場所に置かれることで、意味が変わるのは本作の特徴である。楽曲は短くても、アルバム全体の構造の中で互いに反響している。「Cherry Candy 2」は、その反響の一つである。
22. Sleepwalking 5
「Sleepwalking 5」は、夢遊のモチーフがいよいよ強迫的な反復に近づく断章である。眠りながら歩くことは、意識的な選択ではない。身体は進むが、自分がどこへ向かっているのか分からない。この感覚は、アルバム全体の煉獄的な構造と深く結びつく。
Throwing Musesは、ここで劇的な展開を用いず、反復そのものによって心理状態を示す。聴き手は、曲が短く切り替わるたびに、別の場所へ移動したようでいて、同じ内面の迷路に戻される。
23. Dripping Trees
「Dripping Trees」は、滴る木々という鮮明な自然イメージを持つ曲である。雨、樹液、涙、湿った記憶などが連想される。Throwing Musesの自然描写は、風景そのものよりも、身体感覚や感情の投影として機能する。
音楽的には、湿度を感じさせるギターと、抑制された歌が印象的である。木々が滴るという情景は、美しいが、同時に何かが漏れ出しているようでもある。自然の中に、感情の流出や身体的な傷が重ねられる一曲である。
24. Sleepwalking 6
「Sleepwalking 6」は、反復される夢遊断章の一つとして、アルバム終盤の感覚をさらにぼかしていく。ここまで聴くと、夢遊は単に眠りの比喩ではなく、生きることの自動化を示しているようにも感じられる。
日常を進んでいるが、自分の意思で歩いているのか分からない。そうした不安は、現代的な心理にも通じる。Throwing Musesは、1980年代から持っていた不安定な内面表現を、ここで断章形式によって更新している。
25. Park Bench
「Park Bench」は、公園のベンチという日常的なイメージを持つ。公園は公共の場所でありながら、個人的な孤独が現れやすい場所でもある。ベンチは休息の場所であると同時に、待つ場所、取り残される場所でもある。
音楽的には、親密で小さな空間を作る曲である。歌詞では、外にいるのに内面へ沈むような感覚が描かれていると考えられる。Throwing Musesの強みは、こうしたありふれた場所に、心理的な重みを与える点にある。公園のベンチは、ここでは小さな煉獄として響く。
26. Cherry Candy 3
「Cherry Candy 3」は、三度目のチェリー・キャンディのモチーフである。甘さは繰り返されることで、次第に無邪気さを失い、強迫的な記号へ変わっていく。最初は菓子のように見えたものが、記憶や欲望の反復として現れる。
この曲は、アルバムの中にある小さな楽園の欠片であると同時に、その楽園が人工的で脆いことを示している。甘さは救いになるが、甘さに依存することは別の不安を生む。短いながら、本作の二重性をよく表している。
27. Sleepwalking 7
「Sleepwalking 7」は、夢遊モチーフの終盤に位置する。七度目の反復は、もはや一つの習慣、あるいは呪文のように機能する。Throwing Musesは、同じ言葉を何度も変奏することで、聴き手をアルバムの内部へ深く沈めていく。
通常のアルバムなら冗長になりかねない反復だが、本作では曲が短く、断片的であるため、むしろ意識の点滅として働く。眠りと覚醒の境界は、ここでほとんど消えている。
28. Speedbath
「Speedbath」は、速度と入浴という奇妙な組み合わせのタイトルである。身体を洗う、浸す、浄化するという行為が、速度や焦燥と結びつく。浄化されたいが、ゆっくり癒える時間はない。その矛盾がタイトルに表れている。
音楽的には、短く勢いがあり、アルバム終盤に一種の緊張をもたらす。入浴のような私的で身体的な行為が、落ち着きではなく焦りと結びつく点に、ハーシュらしい視点がある。煉獄から楽園へ向かうには、浄化が必要だが、その浄化すら不安定で急がされている。
29. Cherry Candy 4
「Cherry Candy 4」は、チェリー・キャンディのモチーフの最終的な反復として聴くことができる。甘さはここで、完全な解決ではなく、記憶に残る味のように作用する。短い断片が積み重なることで、同じ言葉が少しずつ摩耗し、意味を変えていく。
本曲は、本作の構造上、楽園的な誘惑の反復を象徴する。甘いものは繰り返し現れるが、決して長く留まらない。幸福は短く、断片的で、消えやすい。そこにPurgatory/Paradiseの核心がある。
30. Sleepwalking 8
「Sleepwalking 8」は、夢遊モチーフの最後の反復として、アルバム全体の循環性を締めくくる。八度目の夢遊は、もはや異常ではなく、この世界の通常状態として響く。歩き続けること、意識が途切れながらも生き続けること。それが本作の基礎的な感覚である。
この断章によって、アルバムは最終盤へ向かう。夢から完全に覚めるのではなく、夢遊を抱えたまま終わりへ進む。Throwing Musesらしい、解決を拒む構成である。
31. Terra Nova
「Terra Nova」は「新しい土地」を意味するタイトルであり、アルバム終盤において重要な希望のイメージを持つ。長い夢遊と断片の連続を経て、新しい地平が見えてくる。ただし、それは完全な救済としてではなく、まだ不確かな可能性として提示される。
音楽的には、やや開かれた響きがあり、これまでの閉じた心理空間から外へ出る感覚がある。新しい土地とは、実際の場所であると同時に、新しい意識状態でもある。煉獄と楽園の間を漂った後、完全ではないが別の場所へ向かう気配が生まれる。
32. Walking Talking
アルバムを締めくくる「Walking Talking」は、非常に象徴的なタイトルを持つ。歩くこと、話すこと。生きるうえで基本的な行為でありながら、本作全体を経た後では、それが簡単なことではないと分かる。夢遊状態で歩き、言葉にならない断片を発してきたアルバムが、最後に「歩き、話す」ことへ戻るのである。
音楽的には、終曲として大きな解決を提示するのではなく、生命活動の継続を示すように響く。歩くことは旅であり、話すことは他者との接触である。しかしThrowing Musesにおいて、それらは常に不安定で、歪みを含む。それでも歩き、話し続けること。その姿勢が、アルバムの結論になっている。
総評
Purgatory/Paradiseは、Throwing Musesのキャリアの中でも特に実験的で、構造的に大胆なアルバムである。全32曲という曲数、短い断片の連続、書籍的な作品形態、歌詞と写真と音楽の結びつきは、一般的なロック・アルバムの枠を大きく超えている。しかし、その核にあるのは、初期から一貫するThrowing Musesの美学である。すなわち、不安定な感情、身体的な違和感、ねじれたメロディ、予測不能なリズム、そしてクリスティン・ハーシュの切迫した声である。
本作は、明快なシングルや代表曲を中心に聴くアルバムではない。むしろ、断片が互いに響き合い、一つの心理的な地図を作る作品である。「Sleepwalking」や「Cherry Candy」のように反復されるモチーフは、アルバムに循環構造を与えている。夢遊は煉獄的な停滞を示し、チェリー・キャンディは楽園的な甘さと人工的な誘惑を示す。これらが何度も戻ってくることで、聴き手は単なる曲の集合ではなく、意識の迷路を歩くような体験をする。
タイトルのPurgatory/Paradiseは、本作の核心を的確に示している。煉獄と楽園は別々の場所ではなく、同じ日常の中に重なって存在する。家庭、身体、自然、記憶、都市、甘いもの、眠り、歩行。そうした身近なものが、ある瞬間には救いとなり、別の瞬間には閉じ込めるものになる。Throwing Musesは、その変化を大きな物語ではなく、短い断章の連なりとして描く。これは、現代的な意識のリアリティに非常に近い表現である。
音楽的には、バンドの演奏が非常に重要である。クリスティン・ハーシュのギターと声は、曲を感情の中心へ引きずり込む。デイヴ・ナルシゾのドラムは、一般的なロックの直線的なビートではなく、曲の中の不規則な感情に合わせてしなやかに動く。バーナード・ジョルジュのベースは、断片的な曲群に低音の重心を与える。三人の演奏は派手な技巧の見せ場を作るのではなく、曲の神経系そのものとして機能している。
Throwing Musesが重要なのは、オルタナティヴ・ロックを単なるギターの歪みや反抗の音楽としてではなく、内面の構造をそのまま音楽へ変換する方法として発展させた点である。The Pixiesが静と動のダイナミズムを、Sonic Youthがノイズとチューニングの拡張を、R.E.M.が曖昧な歌詞とジャングル・ギターを提示したとすれば、Throwing Musesは、感情の不規則性そのものを楽曲構造へ組み込んだバンドである。本作は、その方法論を最も断片的かつ濃縮された形で示している。
歌詞面では、ハーシュの書く言葉は一貫して身体的である。手、目、火、花、月、木、ベンチ、薬、眠り、歩行。抽象的な感情をそのまま説明するのではなく、具体的な物や身体の感覚に置き換えることで、歌詞は奇妙な実在感を持つ。そこに個人的な記憶、家庭的な風景、夢の残像、痛みの感覚が重なり、単純な解釈を拒む詩的空間が生まれる。
2010年代のアルバムとして見ても、Purgatory/Paradiseは興味深い。多くの音楽がストリーミング時代に合わせて単曲化していく中で、本作は逆に、短い曲を大量に配置することで、アルバム全体を一つの読書体験のように構成している。曲は短いが、断片として消費されるのではなく、全体の文脈の中で意味を持つ。この点で、本作はデジタル時代の断片性と、アルバムという形式の持続性を同時に扱っている。
日本のリスナーにとっては、決して分かりやすい作品ではない。しかし、歌詞の断片性、ギターのざらつき、女性ヴォーカルによる不安定な内面表現、4AD的な陰影に関心があるなら、本作は非常に深く聴ける。とくにPJ Harvey、The Breeders、Belly、Kristin Hershのソロ作品、Sonic Youthの内省的な側面、あるいはポスト・パンク以降の文学的なロックを好むリスナーには、多くの発見があるだろう。
総合的に見て、Purgatory/ParadiseはThrowing Musesの復帰作であると同時に、バンドの本質を大胆に再配置した作品である。完成されたポップ・ソングの連続ではなく、壊れた記憶、身体の違和感、甘さと痛み、夢遊と覚醒の断片が並ぶ。そこにあるのは、楽園へ到達する物語ではなく、煉獄と楽園が同じ場所にあることを受け入れる音楽である。Throwing Musesは本作で、長い沈黙の後もなお、他のどのバンドにも似ていない独自の意識の音楽を鳴らしている。
おすすめアルバム
1. Throwing Muses — Throwing Muses
1986年発表のデビュー作であり、Throwing Musesの不安定なリズム、鋭いギター、クリスティン・ハーシュの切迫した歌唱が最も生々しく表れた作品である。Purgatory/Paradiseの断片性や神経質な曲構造の原点を知るうえで重要である。
2. Throwing Muses — The Real Ramona
Throwing Musesの作品の中でも比較的メロディアスで聴きやすいアルバムである。タニヤ・ドネリー在籍期の最後の作品としても重要で、バンドの複雑な構造とポップ性が高い水準で結びついている。Purgatory/Paradiseの前に、より入口として聴きやすい一枚である。
3. Kristin Hersh — Hips and Makers
クリスティン・ハーシュのソロ作で、Throwing Musesの激しいバンド・サウンドとは異なり、アコースティックで内省的な表現が中心になっている。彼女の歌詞世界や声の本質を理解するうえで重要であり、Purgatory/Paradiseの文学的側面にもつながる。
4. Belly — Star
元Throwing Musesのタニヤ・ドネリーによるBellyの代表作であり、オルタナティヴ・ロックとドリーム・ポップ的なメロディが結びついた作品である。Throwing Musesの不安定な美学とは異なり、より甘く開かれたポップ性を持つが、4AD周辺の女性ソングライターの系譜を理解するうえで重要である。
5. PJ Harvey — Rid of Me
女性ソングライターによる身体的で鋭いオルタナティヴ・ロック表現を代表する作品である。Throwing Musesとは音楽性が異なるが、痛み、欲望、怒り、身体感覚をギター・ロックの緊張感へ変換する点で関連性が高い。Purgatory/Paradiseの不穏な内面表現に関心があるリスナーに適している。

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