
発売日:2008年4月15日
ジャンル:サイケデリック・ロック、ノイズ・ロック、シューゲイズ、ネオ・サイケデリア、ガレージ・ロック、実験音楽
概要
The Brian Jonestown MassacreのMy Bloody Undergroundは、2008年に発表されたスタジオ・アルバムであり、バンドの長いディスコグラフィの中でも特に混沌、ノイズ、挑発性、即興性が強く表れた作品である。Anton Newcombeを中心とするThe Brian Jonestown Massacreは、1990年代以降のネオ・サイケデリック・ロックを語るうえで欠かせない存在であり、1960年代のサイケデリア、The Rolling Stones、The Velvet Underground、The Byrds、Spacemen 3、シューゲイズ、クラウトロック、ガレージ・ロックを独自に解体・再構成してきた。本作は、その中でも比較的ポップなメロディや60年代志向を抑え、より荒々しく、攻撃的で、実験的な音響へ傾いたアルバムである。
タイトルのMy Bloody Undergroundは、明らかにMy Bloody ValentineとThe Velvet Undergroundを連想させる。これは単なる引用ではなく、本作の音楽的な方向性を端的に示している。My Bloody Valentine的なノイズの壁、フィードバック、ぼやけた音像。The Velvet Underground的な反復、退廃、都市的な不穏さ、ロックの原始的な衝動。それらをBrian Jonestown Massacre特有のサイケデリックな歪み、Anton Newcombeの偏執的な美学、DIY的な荒さの中に投入した作品が、本作だといえる。
The Brian Jonestown Massacreのキャリアにおいて、本作は非常に扱いにくい位置にある。代表作としては、1996年のTheir Satanic Majesties’ Second Request、同年のTake It from the Man!、Thank God for Mental Illness、あるいは2001年のBravery, Repetition and Noiseなどが語られることが多い。これらの作品には、より明確なメロディ、60年代ガレージ/サイケへの愛情、ローファイながらも親しみやすい楽曲構造がある。一方、My Bloody Undergroundは、そうした「曲」としての分かりやすさを意図的に壊し、ノイズ、反復、断片的な構成、挑発的なタイトル、破壊的な音像を前面に出している。
その意味で、本作はBrian Jonestown Massacreの中でもリスナーを選ぶアルバムである。美しいサイケ・ポップやメロウなギター・メロディを期待すると、かなり戸惑う可能性が高い。音は粗く、曲はしばしば未完成のように響き、ヴォーカルは奥に埋もれ、ギターやノイズが前景を覆う。だが、その崩れた質感こそが本作の核である。整ったロック・アルバムではなく、地下室で鳴り続けるノイズ、壊れかけたアンプ、反復されるドローン、荒れた意識の記録として聴くべき作品である。
2000年代後半のインディー・ロック・シーンでは、ガレージ・ロック・リバイバル、ポスト・パンク・リバイバル、シューゲイズ再評価、サイケデリック・ロックの再興が並行して進んでいた。The Brian Jonestown Massacreは、そうした流れの先駆者でありながら、同時に流行とは常に距離を取る存在でもあった。本作は、シーンの整理されたネオ・サイケではなく、もっと汚く、危険で、制御不能な地下音楽の感覚を保持している。
歌詞やタイトルには、意図的な挑発、悪趣味、政治的・文化的な暴言性が含まれている。特にいくつかの曲名には差別的・攻撃的な語が使われており、現代の感覚では強い違和感や問題性を持つ。Anton Newcombeの表現はしばしば、ロックの反抗性や反権威性を過激な言葉で示そうとするが、それは常に成功しているわけではない。本作を評価する際には、音楽的な破壊性と、言葉の危うさ・問題性の両方を見なければならない。
とはいえ、My Bloody Undergroundは単なる混乱した作品ではない。反復するギター、ドローン、ノイズ、執拗なグルーヴの中には、Brian Jonestown Massacreが長年追求してきた「ロックの呪術性」がある。メロディを整えるのではなく、音の渦の中に聴き手を引きずり込む。曲を完成させるのではなく、崩れかけた状態のまま提示する。その危うい美学が、本作の存在理由である。
日本のリスナーにとって、本作はBrian Jonestown Massacre入門には向かない。しかし、バンドの中でも最も実験的でノイズ寄りの側面、Anton Newcombeの過激なサイケデリック志向、シューゲイズとガレージ・ロックが崩壊寸前で結びつく感覚を知るには重要な作品である。整った名盤というより、地下で鳴る危険な記録として聴くべきアルバムである。
全曲レビュー
1. Bring Me the Head of Paul McCartney on Heather Mill’s Wooden Peg (Dropping Bombs on the White House)
アルバム冒頭から、The Brian Jonestown Massacreは挑発的で悪趣味なタイトルを提示する。Paul McCartneyやHeather Mills、White Houseといった固有名詞を乱暴に組み合わせたこの曲名は、ロックにおける反権威的なジョーク、タブロイド文化への皮肉、そしてAnton Newcombe特有の攻撃的なユーモアが混ざったものだといえる。しかし、その挑発は非常に乱暴であり、曲名自体がすでに本作の危うさを示している。
音楽的には、ノイズと反復が前面に出たオープニングである。通常のロック・ソングのように明快なメロディで導入するのではなく、混濁した音像の中へリスナーをいきなり投げ込む。ギターは歪み、音の輪郭は曖昧で、リズムも整然とした推進力より、荒れたエネルギーを重視している。
この曲の役割は、アルバムの世界観を宣言することにある。ここでは、美しいサイケデリック・ポップやノスタルジックな60年代趣味はほとんど前面に出ない。代わりにあるのは、攻撃性、過剰なノイズ、悪意のある冗談、政治的・文化的イメージの破壊的なコラージュである。
歌詞やタイトルが示す挑発性は、The Brian Jonestown Massacreの「地下性」を強く押し出している。ただし、それは単純に肯定できるものではない。ロックの反抗性は、ときに批評性を持つが、ときに単なる暴言や悪趣味に近づく。本曲はその境界線上にあり、聴き手に不快感を与える可能性も含めて、本作の不安定な性格を象徴している。
2. Infinite Wisdom Tooth / My Last Night in Bed with You
「Infinite Wisdom Tooth / My Last Night in Bed with You」は、長いタイトルが示す通り、身体的な違和感と親密な記憶が奇妙に結びついた楽曲である。「wisdom tooth」は親知らずを意味し、痛み、成長、不要なもの、身体の奥にある不快な存在を連想させる。一方で「My Last Night in Bed with You」は、恋愛や別れ、最後の親密さを示す。タイトルだけでも、身体の痛みと感情の痛みが重ねられている。
サウンドは、浮遊感と不穏さが同居している。Brian Jonestown Massacreらしいサイケデリックな反復がありながら、メロディは明確に前へ出るというより、ノイズの中に埋もれている。ギターの響きはざらつき、リズムは夢の中のように曖昧で、曲全体にぼやけた記憶のような質感がある。
歌詞のテーマとしては、失われた関係、身体的な不快感、過去の夜への回想が読み取れる。Anton Newcombeの表現は、感情を直接語るより、奇妙なイメージを並べることで心理状態を伝えることが多い。この曲でも、親知らずという生々しい身体イメージと、最後の夜というロマンティックな記憶が衝突し、甘美さよりも違和感が残る。
この曲は、本作の中では比較的サイケデリックな美しさを感じさせる瞬間でもある。ただし、その美しさは澄んだものではなく、歪み、痛み、記憶の曖昧さに覆われている。Brian Jonestown Massacreのサイケデリアは、単に色彩豊かな夢ではなく、身体と精神の不快な揺らぎでもあることを示す楽曲である。
3. Who Fucking Pissed in My Well?
「Who Fucking Pissed in My Well?」は、タイトルからして怒りと下品さをむき出しにした曲である。「誰が俺の井戸に小便をしたのか」という表現は、生活の源泉や精神的な場所を汚されたことへの怒りとして読める。井戸は水、生命、共同体、内面の深い部分を象徴する。その井戸を汚すというイメージは、信頼や創作の源を侵害される感覚につながる。
音楽的には、荒々しいガレージ・ロックとノイズが混ざり合っている。演奏は整然としているというより、怒りをそのまま録音したような粗さがある。ギターはざらつき、ヴォーカルは攻撃的で、曲全体が苛立ちに満ちている。The Brian Jonestown Massacreの持つパンク的な側面が強く表れている。
歌詞は、誰かに対する不信、怒り、裏切られた感覚を中心にしていると考えられる。Anton Newcombeの音楽には、しばしば外部の世界や音楽業界、仲間、社会への敵意が表れる。この曲では、その敵意がほとんど比喩の皮を被らず、直接的な罵倒として噴き出している。
この曲の魅力は、完成された楽曲美よりも、感情の粗さにある。聴きやすい曲ではないが、アルバム全体の荒廃したエネルギーを支えている。怒りを芸術的に整えるのではなく、汚いまま投げつける。その姿勢が、本作のノイズ・ロック的な性格を強めている。
4. We Are the Niggers of the World
この曲は、公式タイトルに極めて差別的な語を含んでいる。John LennonとYoko Onoの「Woman Is the Nigger of the World」を想起させる表現でもあるが、現代のリスナーにとって強い問題性を持つタイトルであることは避けて通れない。おそらくAnton Newcombeは、抑圧や疎外、社会の外側に置かれた存在を挑発的に表現しようとしたと考えられる。しかし、差別語を用いること自体が、聴き手によっては表現の批評性よりも暴力性として受け止められる。
音楽的には、反復的で催眠的な構造を持つ。ギターやリズムが同じ場所を回り続けるように響き、曲全体に閉塞感がある。Brian Jonestown Massacreの音楽において、反復はしばしば意識を変容させる手段として機能するが、ここでは社会的な怒りや疎外感を増幅する装置になっている。
歌詞のテーマは、周縁化された存在、世界への敵意、自己の疎外感といったものだろう。ただし、タイトルの問題性によって、曲のメッセージは単純には受け取れない。ロックにおける挑発は、社会批評になる場合もあるが、差別的な言葉を借用することでかえって当事者性を欠いた暴力に見える場合もある。本曲は、その危険を強く孕んでいる。
この曲を評価するには、音楽的な迫力と、言葉の問題性を分けて考える必要がある。音としては、本作の中でも暗く、執拗で、地下的な力を持つ。しかし、タイトルと表現の選択には明確な批判的視点が必要である。The Brian Jonestown Massacreの危険な魅力と限界が、同時に露出した楽曲である。
5. Who Cares Why?
「Who Cares Why?」は、タイトル通り「理由など誰が気にするのか」という投げやりな態度を持つ楽曲である。原因や意味を問うことへの疲れ、説明することへの拒絶、世界に対する冷笑が感じられる。本作全体に漂う破壊的なムードの中で、この曲は虚無感を担っている。
サウンドは比較的ミニマルで、反復的な構造が中心となる。大きな展開を避け、同じムードを持続させることで、無気力と苛立ちが混ざった感覚を作り出している。Brian Jonestown Massacreの反復は、60年代サイケデリアやクラウトロックの影響を感じさせるが、ここでは瞑想的というより、荒れた精神状態のループのように響く。
歌詞では、理由や動機を問うことそのものが無意味化されているように聞こえる。なぜ怒っているのか、なぜ壊れているのか、なぜ音楽を作るのか。その問いに対して「誰が気にする?」と返す態度は、反抗であると同時に疲弊でもある。
この曲は、本作の中心にあるニヒリズムをよく示している。The Brian Jonestown Massacreの音楽はしばしば、過去のロックやサイケデリアへの愛情によって支えられているが、My Bloody Undergroundではその愛情がかなり荒廃している。意味や目的ではなく、鳴ってしまう音、続いてしまう反復だけがある。その感覚が「Who Cares Why?」に刻まれている。
6. Yeah-Yeah
「Yeah-Yeah」は、タイトルの反復からして、ロックンロールの原始的な掛け声や、意味を失った応答を思わせる楽曲である。「yeah」という言葉はポップ・ミュージックにおいて最も基本的な肯定の声のひとつだが、この曲ではその肯定が空虚にも、酩酊にも、反復的な呪文にも聞こえる。
サウンドは、シンプルなフレーズの反復とノイズの質感を中心に展開する。明快な歌詞や構成よりも、音の持続が重要である。Brian Jonestown Massacreの音楽における「yeah」は、ポップな歓喜ではなく、地下で響くぼんやりとした合図のように機能している。
歌詞の意味を細かく追うより、声の響きや反復の効果に注目すべき楽曲である。言葉が意味を持つ前に、音として身体に届く。これはサイケデリック・ロックの基本的な性質でもある。意味の明瞭さより、反復による意識の変化が重視される。
「Yeah-Yeah」は、アルバムの中で比較的単純な構造を持ちながら、本作の呪術的な反復性をよく表している。意味を削ぎ落とした言葉が、ノイズとともに鳴り続ける。その空虚さと快感が、この曲の核である。
7. Golden-Frost
「Golden-Frost」は、タイトルから美しさと冷たさが同時に感じられる楽曲である。「golden」は輝き、価値、夕暮れの光を連想させる一方、「frost」は霜、寒さ、停止、死の気配を伴う。この二つの言葉の組み合わせは、Brian Jonestown Massacreの持つサイケデリックな美と退廃をよく象徴している。
サウンドは、本作の中では比較的叙情性が感じられる。ノイズに覆われながらも、ギターの響きやメロディには冷たい美しさがある。荒れた音像の中から、かすかに光が差すような楽曲である。The Brian Jonestown Massacreが単なるノイズ・バンドではなく、メロディや音色の美を持つバンドであることを思い出させる。
歌詞では、失われた輝き、凍りついた感情、過去の美しい記憶が読み取れる。Anton Newcombeの楽曲には、破壊衝動の奥にロマンティックな感覚が潜んでいることが多い。「Golden-Frost」では、そのロマンティシズムが比較的分かりやすく表れている。
この曲は、アルバム全体の荒々しさの中で、冷たい美しさを担う楽曲である。聴き手に休息を与えるほど穏やかではないが、ノイズの中にある詩情を感じさせる。My Bloody ValentineやSpacemen 3の影響を、Brian Jonestown Massacre流のざらついたサイケデリアとして消化した一曲といえる。
8. Just Like Kicking Jesus
「Just Like Kicking Jesus」は、宗教的なイメージを極めて挑発的に扱った楽曲である。タイトルは、信仰や聖性に対する暴力的な比喩であり、The Brian Jonestown Massacreの反宗教的、反権威的、悪趣味な挑発性が強く表れている。Jesusという象徴を傷つけるイメージは、単なる冒涜であると同時に、宗教的権威や道徳への反発としても読める。
サウンドは、暗く、攻撃的で、ノイズの質感が強い。ギターは鋭く歪み、ヴォーカルは奥に埋もれ、全体に荒れた儀式のような雰囲気がある。宗教的な高揚とは逆に、ここでは反聖歌のような不穏さが作られている。
歌詞のテーマは、信仰への反発、罪悪感、救済の拒否、あるいは神聖なものを破壊したい衝動だと考えられる。Anton Newcombeの表現には、しばしば自己破壊と反権威が重なっている。外部の権威を壊すことは、同時に自分自身の内側の秩序を壊すことでもある。
「Just Like Kicking Jesus」は、本作の中でも特に暗く、挑発的な楽曲である。宗教的イメージを乱暴に扱うことで、聴き手に不快感と緊張を与える。Brian Jonestown Massacreの音楽が、サイケデリックな美しさだけでなく、暴力的な反抗性も持つことを示している。
9. Automatic-Faggot for the People
この曲もまた、公式タイトルに同性愛者への蔑称として使われてきた語を含んでおり、現代の視点では明確に問題を孕む。さらにタイトルはR.E.M.のAutomatic for the Peopleをもじったものと考えられ、オルタナティヴ・ロック史への皮肉や悪趣味なパロディとして機能している。しかし、その言葉選びは単なる冗談では済まされない暴力性を含む。
音楽的には、曲名の挑発性にふさわしく、整ったポップ性よりも崩れたノイズ感が強い。The Brian Jonestown Massacreはここで、オルタナティヴ・ロックの名盤タイトルを歪め、自分たちの地下的で反商業的な態度を示しているように聞こえる。だが、その反抗は、差別的な語の使用によって複雑な問題を抱える。
歌詞や音のムードには、自己嫌悪、シーンへの反発、オルタナティヴ文化そのものへの皮肉が感じられる。Anton Newcombeは、しばしば音楽業界や同時代のバンドに対する敵意を表現してきた。この曲も、オルタナティヴ・ロックが制度化され、商品化されることへの嫌悪として聴くことができる。
ただし、批評性があるとしても、タイトルの差別的な語彙は批判的に受け止められるべきである。本曲は、Brian Jonestown Massacreの反抗精神が、鋭い批評と粗暴な挑発の間で揺れていることを示す。音楽的にはアルバムの不穏なムードを強めるが、言葉の面では慎重な評価を必要とする楽曲である。
10. Darkwave Driver / Big Drill Car
「Darkwave Driver / Big Drill Car」は、タイトルからして複数の音楽的・機械的イメージが重なる楽曲である。「Darkwave」はポスト・パンクやゴシック系の暗い電子/ロック音楽を連想させ、「Big Drill Car」は巨大な掘削機械、あるいはアメリカのパンク/オルタナティヴの記憶を想起させる。タイトル自体が、音楽ジャンル、機械、速度、地下への掘削を混ぜ合わせたような印象を持つ。
サウンドは、暗い反復と機械的な推進力を備えている。ギターはノイズとして鳴り、リズムは硬く、全体に工業的な感覚がある。Brian Jonestown Massacreのサイケデリック・ロックは、しばしば有機的な揺らぎを持つが、この曲ではより冷たく、機械的な側面が出ている。
歌詞や雰囲気からは、夜の運転、地下へ潜る感覚、暗い意識の中を進む感覚が読み取れる。ドライバーという言葉は、車を運転する者であると同時に、何かを駆動する力でもある。ビッグ・ドリル・カーというイメージは、地表を壊し、さらに深い場所へ進む音楽そのものの比喩としても機能する。
この曲は、My Bloody Undergroundというタイトルの「地下」性を強く体現している。音楽は空へ開けるのではなく、地中へ潜る。光ではなく、暗いトンネルと機械音がある。Brian Jonestown Massacreのサイケデリアが、幻想的な色彩ではなく、工業的な暗闇へ向かった楽曲である。
11. Monkey Powder
「Monkey Powder」は、タイトルからドラッグ、化学物質、動物性、錯乱を連想させる楽曲である。The Brian Jonestown Massacreの音楽には、薬物的な意識変容のイメージがしばしばつきまとうが、この曲ではそれがより荒々しく、グロテスクな形で表れている。
サウンドは粗く、混沌としており、曲全体に酩酊したような不安定さがある。ギターやリズムは明確な輪郭を持つというより、ノイズの塊として押し寄せる。聴き手は、整った楽曲構造を追うより、音の濁流に巻き込まれる感覚になる。
歌詞の意味は断片的だが、理性の崩壊、身体の変調、薬物的な錯乱、動物的な衝動が感じられる。タイトルの「monkey」は、人間の中にある原始的・滑稽・制御不能な部分を示しているようにも読める。「powder」は粉末状の物質を連想させ、ドラッグ文化との接続を強める。
「Monkey Powder」は、本作の中でも特に荒れたサイケデリアを示す楽曲である。60年代的な色彩豊かな幻覚ではなく、もっと汚れた、危険な、身体に悪そうな幻覚である。Brian Jonestown Massacreの音楽が持つ自己破壊的な側面を象徴する一曲といえる。
12. Black-Hole-Symphony
アルバム終盤に置かれた「Black-Hole-Symphony」は、タイトル通り、巨大な暗闇、重力、崩壊、吸い込まれる感覚を思わせる楽曲である。「symphony」という言葉が付いていることで、単なるノイズではなく、崩壊そのものを壮大な音楽として提示しようとする意志が感じられる。
サウンドは、重く、広がりがあり、アルバムの終盤にふさわしい暗いスケールを持つ。ギターのノイズや反復は、ブラックホールの重力のように聴き手を内側へ引き込む。曲の構造は明快なポップ・ソングではなく、音響の塊として展開する。
歌詞や音のムードからは、終末感、虚無、自己崩壊、宇宙的な孤独が読み取れる。Brian Jonestown Massacreのサイケデリアは、しばしば宇宙的な広がりを持つが、ここでの宇宙は開放的なものではない。広がるのではなく、吸い込まれる。光ではなく、重力と暗闇が支配する。
「Black-Hole-Symphony」は、My Bloody Undergroundの到達点として非常に象徴的な楽曲である。アルバム全体を通して積み重ねられたノイズ、怒り、挑発、反復、虚無感が、ここで巨大な暗い音響としてまとめられる。美しい終曲ではないが、アルバムの荒廃した美学には非常に合っている。
総評
My Bloody Undergroundは、The Brian Jonestown Massacreのディスコグラフィの中でも、特に実験的で、攻撃的で、評価の分かれる作品である。バンドの代表的な魅力である60年代サイケデリック・ポップの美しさや、ガレージ・ロックのキャッチーなメロディは後退し、代わりにノイズ、反復、不快感、挑発、崩壊寸前の音像が前面に出ている。
本作を理解するうえで重要なのは、完成度という尺度だけで聴かないことである。楽曲の構成はしばしば粗く、音像は濁り、歌詞やタイトルには問題含みの挑発が多い。しかし、それらの要素は単なる失敗や未整理さだけではなく、Anton Newcombeが追求してきた地下的ロック美学の一部でもある。美しく整えるのではなく、荒れたまま提示する。意味を明快にするのではなく、ノイズと反復で意識を揺さぶる。その姿勢が本作を成立させている。
音楽的には、My Bloody Valentine、The Velvet Underground、Spacemen 3、The Jesus and Mary Chain、クラウトロック、ガレージ・パンク、ノイズ・ロックの影響が混ざっている。だが、本作はそれらを洗練されたオマージュとしてまとめるのではなく、荒いコラージュのようにぶつけている。タイトルのMy Bloody Undergroundは、その意味で非常に正確である。シューゲイズ的なノイズと、Velvet Underground的な反復と退廃が、地下で濁ったまま鳴っている。
歌詞や曲名に含まれる差別的・攻撃的な表現については、明確に批判的な視点が必要である。The Brian Jonestown Massacreの挑発性は、ロックの反抗精神として機能する場合もあるが、本作ではその言葉選びが暴力的で、問題を孕む場面が多い。これを単に「過激で格好いい」と消費するのではなく、表現の危うさとして認識することが重要である。音楽的な面白さと、言葉の倫理的問題は同時に存在している。
アルバムとしての聴き心地は決して良くない。代表作のような入りやすさもない。Brian Jonestown Massacreの入門としては、Their Satanic Majesties’ Second RequestやTake It from the Man!、Bravery, Repetition and Noiseの方が適している。しかし、バンドの最も荒れた実験性、Anton Newcombeの制御不能な創作衝動、ネオ・サイケがノイズと悪意へ傾いた瞬間を知るには、本作は避けて通れない。
My Bloody Undergroundは、傑作というより問題作である。だが、問題作であること自体に価値がある。整ったサイケ・ロックではなく、崩れたサイケ・ロック。美しい夢ではなく、汚れた幻覚。ロックの地下性、反復、ノイズ、挑発が、危険な形でむき出しになったアルバムである。
日本のリスナーにとっては、Brian Jonestown Massacreの美しい面を知った後に聴くことで、本作の位置づけが分かりやすくなる。メロディや60年代趣味だけでなく、このバンドには不快で、過剰で、破壊的な側面がある。My Bloody Undergroundは、その側面を極端に押し出した作品であり、聴きやすさよりも地下音楽の危険な温度を求めるリスナーに向いている。
総合的に見て、My Bloody UndergroundはThe Brian Jonestown Massacreの中でも最も荒廃したアルバムのひとつである。完成度より衝動、美しさよりノイズ、整理より混沌を選んだ作品であり、バンドのサイケデリックな精神が最も暗く歪んだ形で現れている。聴き手を歓迎するアルバムではないが、近づけば確かに、地下から響く危険な音がある。
おすすめアルバム
1. The Brian Jonestown Massacre — Their Satanic Majesties’ Second Request
The Brian Jonestown Massacreの代表作のひとつであり、60年代サイケデリック・ロックへの愛情が最も豊かに表れたアルバム。My Bloody Undergroundの荒廃したノイズ性とは異なり、メロディやアレンジの美しさが際立つ。バンドの基本的な魅力を知るには最適な作品である。
2. The Brian Jonestown Massacre — Take It from the Man!
ガレージ・ロック、The Rolling Stones的なロックンロール、60年代ビート・バンドの要素が強い作品。My Bloody Undergroundよりも曲としての分かりやすさがあり、Brian Jonestown Massacreのロック・バンドとしての勢いを味わえる。荒々しさとキャッチーさのバランスが良い。
3. The Brian Jonestown Massacre — Bravery, Repetition and Noise
タイトル通り、反復とノイズの要素を含みながら、比較的メロディアスで聴きやすい作品。My Bloody Undergroundへつながるノイズ志向を理解しつつ、より整理された形でBrian Jonestown Massacreのサイケデリアを楽しめる。中期の重要作である。
4. My Bloody Valentine — Loveless
シューゲイズの金字塔であり、My Bloody Undergroundのタイトルが示唆する音響的参照点のひとつ。ギター・ノイズを美しい音の壁へ変換した作品であり、Brian Jonestown Massacreの粗く荒れたノイズとは異なるが、音像の溶解感という点で関連性が高い。
5. The Velvet Underground — White Light/White Heat
ロックのノイズ、反復、退廃、地下性を極端に押し出した歴史的作品。My Bloody Undergroundの不穏な反復や粗暴な音像を理解するうえで重要な参照点である。整ったポップではなく、ロックが破壊的な音響実験へ向かう瞬間を記録した名盤である。

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