発売日: 2008年4月7日
ジャンル: オルタナティヴ・ロック、ローファイ、インディーロック、アートロック
“山脈”という名の迷宮——言葉未満の感情を彫刻する音の断崖
2008年、The Breedersがリリースした4作目『Mountain Battles』は、
Kim Dealを中心としたその創作ユニットが、さらに抽象的で、そして削ぎ落とされた音楽的アプローチへと歩みを進めたことを告げる作品である。
このアルバムには、答えのない問いのような構造、
断片的で意味の解釈を拒むようなリリック、
そして空気の揺れまで記録されたかのようなローファイな質感が支配している。
まるで、山の中にこだまする音がそのまま録音されたかのような、自然で人工的な音像——
それが本作の核なのである。
プロデュースはKim DealとSteve Albini、そしてThe Breeders自身。
音の余白、歪み、声の揺らぎがすべて作品として扱われ、
本作はまさに“静寂とノイズの境界”に身を置くロックの最果てを鳴らしている。
全曲レビュー
1. Overglazed
アルバムの幕開けは、歌詞をほぼ廃したシュプレヒコールのような反復フレーズと、ノイズ的ギターの波。
意味不明=純粋衝動としてのロックがここにある。
2. Bang On
重く鈍いビートと、無骨でスカスカなギター。
Dealの呟くようなボーカルが、都市的リズムと原始的衝動をつなぐ。
3. Night of Joy
アコースティックの響きと微かなエコーが、内省と幻覚の間を行き来するような浮遊感を生む。
一瞬の感情が長く尾を引くタイプの楽曲。
4. We’re Gonna Rise
アルバム中もっともエモーショナルで構築的なナンバー。
それでも決して劇的にはならず、“静かな決意”だけが残る。
タイトルの「私たちは立ち上がる」は、囁きにも似た祈りのように響く。
5. German Studies
タイトル通り、ドイツ語と英語が交錯する不思議なテンポの曲。
国境や言語を超えた意味不明さが、逆に普遍的な孤独感を浮かび上がらせる。
6. Spark
短く、ぎこちなく、どこか生々しい。
“火花”という言葉の儚さを、音そのものが体現する。
7. Istanbul
異国情緒をまとったミステリアスな一曲。
Kim Dealの歌唱が、記憶の中の風景のようにぼんやりとした色合いを持つ。
8. Walk It Off
粗いガレージ感と不協和が心地よく混ざる。
言葉を“話す”というより、音のパターンとして配置する感覚が支配する。
9. Regalame Esta Noche
スペイン語によるカバー曲。
Dealの声が異国語に乗るとき、言葉が“音”として純粋に立ち上がる瞬間が訪れる。
静かな異化効果が秀逸。
10. Here No More
孤独と諦念の中で、淡々と語られるようなバラード。
“ここにはもういない”というフレーズが、喪失の記録というより“存在しなかった記憶”のように響く。
11. Mountain Battles
アルバムタイトル曲にして、最も抽象的な構成。
音が山の稜線をなぞるように浮き沈みし、言語未満の感情がむき出しで突き刺さる。
本作の精神的エピセンター。
12. It’s the Love
唯一、わかりやすい愛の言葉が使われているが、その分どこか白々しくもある。
それでも、本気で「これは愛だ」と言ってしまえる破れかぶれの美しさがある。
13. Walk It Off (Reprise)
前曲のリフレイン的に終幕を引き取る短編。
すべての言葉が出尽くしたあと、音だけが山中に残されているような静かなエンディング。
総評
『Mountain Battles』は、The Breedersが到達した最もミニマルで抽象的な表現領域であり、
それは同時に、音楽における“存在の揺らぎ”そのものを鳴らす試みでもある。
ここにはカタルシスも解釈も用意されていない。
代わりにあるのは、断片、沈黙、ざらつき、そして聞き手自身の“耳の反射”によって完成する音楽。
Kim Dealはこの作品で、“ロックバンドでありながら、ポストロック的な存在”という新たなスタンスを獲得したと言ってよい。
このアルバムは、聴くたびに“山”の姿が変わる。
それはきっと、私たち自身の心の地形が変わり続けているからなのだ。
おすすめアルバム
- Grouper – Dragging a Dead Deer Up a Hill
静けさと抽象性の交差点。『Night of Joy』や『Here No More』と共鳴。 - Electrelane – The Power Out
多言語、女性的実験性、ポストロック要素の交差点。 - Deerhunter – Microcastle
夢とノイズ、構築と崩壊が共存する、現代的な“山の物語”。 - Yo La Tengo – And Then Nothing Turned Itself Inside-Out
日常と抽象、語りと沈黙のバランスが見事なローファイ叙情。 - Broadcast – Haha Sound
古典と前衛、ポップと幻覚が交差する音の迷宮。The Breedersの実験精神に通じる。
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