- イントロダクション:Throwing Musesは、なぜ今も異様に新しく響くのか
- アーティストの背景と歴史:14歳で始まった、普通ではないバンド
- 音楽スタイルと影響:変拍子、ねじれたギター、そして声の亀裂
- 代表曲の楽曲解説
- アルバムごとの進化
- Throwing Muses:4ADから放たれた衝撃のデビュー
- House Tornado:家庭、嵐、神経のロック
- Hunkpapa:少し開かれたメロディとバンドの成長
- The Real Ramona:Tanya Donelly期の美しい終盤
- Red Heaven:Tanya Donelly脱退後のHershの世界
- University:90年代オルタナ期の力強い名作
- Limbo:一度目の終章に近い重い作品
- Throwing Muses:2003年の再始動と原点回帰
- Purgatory/Paradise:本と音楽が融合した異色作
- Sun Racket:2020年、硬質なロックとしての再確認
- Moonlight Concessions:2025年、原点へ戻るようで新しい最新作
- Kristin Hershという存在:ソングライターではなく、“音に取り憑かれた記録者”
- Tanya Donellyの存在:Throwing Muses初期に差したメロディの光
- David Narcizoのドラム:普通に叩かないリズムの建築家
- 影響を受けたアーティストと音楽
- 影響を与えた音楽シーン:女性オルタナティブ、インディー、アートロックへの深い影
- 他アーティストとの比較:Pixies、Sonic Youth、Belly、PJ Harveyとの違い
- 近年の活動:40年以上続く“現在形”のバンド
- まとめ:Throwing Musesは“壊れた心の構造”を音楽にしたバンドである
イントロダクション:Throwing Musesは、なぜ今も異様に新しく響くのか
Throwing Musesは、1981年にアメリカ・ロードアイランド州ニューポートで結成されたオルタナティブ・ロック/ポストパンク・バンドである。中心人物は、ボーカル/ギター/ソングライターのKristin Hersh。初期には義理の姉妹であるTanya Donellyも重要なソングライターとして参加し、のちにDonellyはThe BreedersやBellyでも活躍することになる。
Throwing Musesの音楽を一言で表すなら、“感情の地震をそのままギターにした音楽”である。一般的なロックのように、Aメロ、Bメロ、サビが気持ちよく並ぶわけではない。リズムは突然変わり、ギターは奇妙な角度でねじれ、Kristin Hershの声は囁き、叫び、震え、時に言葉以前の衝動のように響く。
彼女たちは1980年代のアメリカ・インディーから登場したが、そのサウンドは今聴いても分類しにくい。パンク、ポストパンク、フォーク、ノイズ、カレッジロック、アートロック、そしてどこか呪術的な歌。どれにも近く、どれにも完全には属さない。
Throwing Musesは、英国の名門レーベル4ADと契約した最初のアメリカのバンドとしても知られている。Trouser Pressは、彼女たちを「英国4ADに最初に契約されたアメリカのバンド」と紹介し、その初期作品を、ぎくしゃくしたギター・ポップとKristin Hershの予測不能なボーカルが混ざった、当時ほかに似たもののない音楽だったと評している。Trouser Press
そして2025年には、11作目のスタジオ・アルバムMoonlight ConcessionsをFire Recordsからリリースした。Bandcampでは同作が2025年3月14日リリースの作品として掲載され、“Summer Of Love”、“South Coast”、“Libretto”、“Drugstore Drastic”などを収録している。Throwing Muses
アーティストの背景と歴史:14歳で始まった、普通ではないバンド
Throwing Musesの物語は、Kristin Hershがまだ10代だった頃に始まる。公式バイオでは、Hershが14歳でThrowing Musesを結成したと紹介されている。kristinhersh.com これは驚くべき事実だ。彼女の音楽には、若さの未熟さというより、むしろ若さゆえに抑えきれない感覚の奔流がある。
初期メンバーには、Kristin Hersh、Tanya Donelly、ドラマーのDavid Narcizo、ベーシストのLeslie Langstonらがいた。HershとDonellyという二人の女性ソングライターの存在は、Throwing Muses初期の大きな特徴である。Hershの曲はよりねじれ、暗く、身体的で、Donellyの曲には後のBellyにもつながるメロディックで幻想的な感覚があった。
Throwing Musesは、当時のアメリカ・インディーの中でも非常に異質だった。R.E.M.のようなカレッジロックの爽やかさとも、Sonic Youthのノイズ実験とも、Pixiesの爆発的なポップ感とも違う。彼女たちの曲は、まるで誰かの夢や発作や日記を、そのままバンド演奏に変換したようだった。
Pitchforkは、Throwing Musesの初期について、Hershが1983年の大きな事故の後に“音の幻影”のような体験をし、それが曲作りへつながったと紹介している。また、バンドの音楽は不規則なコード、変則的な拍子、予測不能な構造を持っていたと評している。Pitchfork
この背景を知ると、Throwing Musesの曲がなぜあれほど普通のロックの文法から外れているのかが見えてくる。彼女たちにとって音楽は、完成された商品ではなく、内側から押し寄せるものをどうにか形にするための装置だったのだ。
音楽スタイルと影響:変拍子、ねじれたギター、そして声の亀裂
Throwing Musesの音楽は、よくオルタナティブ・ロック、ポストパンク、インディー・ロックと呼ばれる。しかし、その本質はもっと複雑だ。
最大の特徴は、曲構造の不安定さである。一般的なロックのように予測可能な展開をしない。急にテンポが変わる。ギターのフレーズが奇妙なところで折れる。メロディが明るくなりかけた瞬間に、足元が崩れるようなコードへ落ちる。聴き手は常に少しだけ不安な場所に置かれる。
次に、Kristin Hershの声である。Hershのボーカルは、きれいに歌うことを目的にしていない。むしろ、声が感情に追いつかない瞬間こそが魅力だ。囁くように始まり、突然叫び、言葉の端が裂ける。彼女の声には、怒り、恐怖、ユーモア、幻覚、母性、少女性、疲労が同時にある。
そして、ギターの質感も重要である。Hershのギターは、単なるコード伴奏ではない。ねじれた神経のように曲を動かす。美しいアルペジオもあれば、刃物のようなノイズもある。Throwing Musesのギターは、風景ではなく、心理状態そのものを描く。
Kristin Hersh自身の影響源も幅広い。Pitchforkのインタビューでは、彼女がアパラチアのフォークソングから、XやViolent Femmesのようなパンク/オルタナティブ系アーティストまで、さまざまな音楽に影響を受けてきたことが紹介されている。Pitchfork
代表曲の楽曲解説
“Hate My Way”:Throwing Musesの異物感を決定づけた初期代表曲
“Hate My Way”は、Throwing Muses初期の代表曲であり、彼女たちの異様な魅力が凝縮された楽曲である。ギターはぎくしゃくと進み、リズムは不安定で、Hershの声は怒りと混乱の間を行き来する。
この曲を初めて聴くと、何が起きているのか分からないかもしれない。だが、それこそがThrowing Musesの入口である。美しいメロディに安心させるのではなく、聴き手を感情の渦の中へ放り込む。
“Hate My Way”というタイトルも強烈だ。「私のやり方を憎む」とも、「私の憎み方」とも読める。そこには自己嫌悪と反抗が同時にある。Hershの音楽は、敵を外に置くだけではない。自分自身の中にある矛盾や暴力性まで引きずり出す。
“Fish”:美しさと不気味さが同時に泳ぐ曲
“Fish”は、Throwing Musesの中でも印象的な初期曲である。タイトルはシンプルだが、曲の中では水中のような揺らぎと、どこか不穏な感覚が交差する。
Throwing Musesの曲には、自然物や日常的な言葉がよく出てくる。しかし、それらは普通の風景としては描かれない。魚、水、家、子ども、身体。そうしたものが、Hershの歌の中では夢の象徴のように変形する。
“Fish”の魅力は、メロディが美しいのに、どこか安心できないところにある。まるで透明な水槽の中で、何か得体の知れないものが動いているような曲だ。
“Dizzy”:Tanya Donelly期のメロディックな輝き
“Dizzy”は、Throwing Musesの中でも比較的メロディが開けた楽曲である。Tanya Donellyの存在が、バンドに独特の軽さと幻想味を与えていた時期の魅力がよく出ている。
この曲には、めまいのような感覚がある。タイトル通り、ふわっと視界が揺れる。だが、単に夢見心地なだけではない。Throwing Musesらしく、曲はどこか不安定で、足元が少し浮く。
HershとDonellyが同じバンドにいたことは、80年代アメリカ・インディーにおける奇跡の一つだ。二人の感性は違うが、その違いが初期Throwing Musesに豊かな緊張感を与えていた。
“Not Too Soon”:Tanya Donellyのポップセンスが光る名曲
“Not Too Soon”は、Tanya Donelly作の代表曲として知られる。Throwing Musesの楽曲の中では、かなりポップで親しみやすい部類に入る。のちのBellyの美しいギター・ポップへつながる感覚もはっきりある。
この曲のメロディは、Throwing Musesのカタログの中でも特に明るい。しかし、バンド全体の演奏にはやはり少しひねりがある。普通のインディー・ポップになりきらない。そこがThrowing Musesらしい。
Donellyがバンドを離れた後、Throwing MusesはよりHershの内的世界へ深く潜っていく。だからこそ、“Not Too Soon”のような曲は、初期から中期への過渡期を象徴する大切な一曲である。
“Bright Yellow Gun”:90年代オルタナの中で鳴った鋭いフック
“Bright Yellow Gun”は、1995年のアルバムUniversityを代表する曲であり、Throwing Musesの中でも比較的ストレートなロック曲として聴ける。タイトルからして強烈だ。明るい黄色の銃。ポップな色彩と暴力的な物体が同居している。
この曲は、Throwing Musesが90年代オルタナティブ・ロックの中でもしっかり通用するフックを持っていたことを示す。ギターは鋭く、サビは印象的で、Hershの声も強い。だが、普通のロック・シングルのように整いすぎない。どこか言葉にできない不穏さが残る。
“Bright Yellow Gun”は、Throwing Musesの“聴きやすい入口”としても機能するが、聴き込むほどに彼女たち特有の歪んだ美しさが見えてくる。
“Shark”:後期の重さと鋭さ
“Shark”は、1996年のLimbo期を象徴する曲の一つである。タイトル通り、曲には鋭く泳ぐ捕食者のような緊張感がある。
この時期のThrowing Musesは、初期の奇妙な跳ね方から、より重く、より削ぎ落とされたロックへ向かっている。だが、Hershの曲作りの予測不能さは残っている。“Shark”には、サメの背びれが水面を切るような怖さがある。
アルバムごとの進化
Throwing Muses:4ADから放たれた衝撃のデビュー
1986年のセルフタイトル作Throwing Musesは、彼女たちの最初の大きな記録である。4ADから出たこの作品は、当時のリスナーにとってかなり異様に響いたはずだ。美しいジャケットや耽美的な音像で知られた4ADのカタログの中で、Throwing Musesはもっと生々しく、ぎくしゃくし、予測不能だった。
Trouser Pressが指摘するように、彼女たちは4AD初のアメリカのバンドであり、初期作品はほかに似たもののない音楽だった。Trouser Press
このアルバムには、Hershの内側から噴き出す感情と、Donellyのメロディックな感性が混ざっている。まだ荒い。しかし、その荒さこそが強烈だ。
House Tornado:家庭、嵐、神経のロック
1988年のHouse Tornadoは、Throwing Musesの初期を代表する重要作である。タイトルが非常にいい。家の中の竜巻。家庭という本来は安全な場所が、内側から崩れていくようなイメージだ。
このアルバムでは、曲構造のねじれ、Hershの声の揺れ、バンドの緊張感がさらに強まっている。音楽は決して聴きやすくはない。だが、そのぶん強烈なリアリティがある。Throwing Musesにとって、ロックは感情を整えるためではなく、感情の混乱をそのまま鳴らすためのものだった。
Hunkpapa:少し開かれたメロディとバンドの成長
1989年のHunkpapaでは、Throwing Musesの音楽が少しだけ開ける。曲の輪郭がやや明確になり、メロディも前に出てくる。しかし、普通のギターロックにはならない。リズムのズレ、コードの不穏さ、Hershの声の亀裂は残っている。
このアルバムは、初期の混沌と、90年代に向けた少し開かれたサウンドの間にある作品だ。聴きやすさと奇妙さのバランスが面白い。
The Real Ramona:Tanya Donelly期の美しい終盤
1991年のThe Real Ramonaは、Tanya Donelly在籍期の最後を飾る重要作である。“Not Too Soon”を含むこのアルバムは、Throwing Musesの中でも比較的メロディックで、光のある作品として聴ける。
Donellyのポップセンスがバンドに柔らかな輪郭を与え、Hershの曲の鋭さと対比を作っている。この二人のバランスは、Throwing Musesにしかない魅力だった。Donellyはその後The Breedersを経てBellyを結成し、より明確なギター・ポップの世界へ進む。
The Real Ramonaは、Throwing Musesの一つの時代の終わりであり、同時にKristin Hersh中心のより濃密な時期への入口でもある。
Red Heaven:Tanya Donelly脱退後のHershの世界
1992年のRed Heavenは、Tanya Donelly脱退後のThrowing Musesを示す作品である。ここからバンドは、よりKristin Hershの内面世界へ集中していく。
このアルバムは、Donelly期にあったポップな明るさが少し後退し、代わりにHershの生々しさが前面に出る。曲はより乾き、声はより剥き出しになり、バンドの音も骨格が見えるようになる。
Red Heavenは、Throwing Musesが“二人のソングライターのバンド”から、“Hershのヴィジョンをバンドで鳴らす存在”へ変化した作品である。
University:90年代オルタナ期の力強い名作
1995年のUniversityは、Throwing Musesの中でも非常に聴きやすく、力強いアルバムである。“Bright Yellow Gun”を含むこの作品では、90年代オルタナティブ・ロックの文脈と、Hersh独自の歪んだ作曲感覚がうまく結びついている。
このアルバムは、初めてThrowing Musesを聴く人にも比較的入りやすい。ギターは太く、曲は明確で、バンドの演奏も引き締まっている。だが、もちろん普通のロックでは終わらない。Hershの歌詞とメロディには、常に少し危険な角度がある。
Limbo:一度目の終章に近い重い作品
1996年のLimboは、Throwing Musesの一度目の活動期の終盤に位置するアルバムである。バンドはその後1997年に一度活動を停止し、メンバーはそれぞれのプロジェクトへ向かう。
Limboには、疲労と鋭さが同居している。音は重く、曲は硬質で、Hershの声にも張り詰めたものがある。タイトルの“Limbo”は、宙ぶらりんの場所、境界にある状態を意味する。まさにこの時期のバンドの感覚にふさわしい。
Throwing Muses:2003年の再始動と原点回帰
2003年のセルフタイトル作Throwing Musesは、再始動後の重要作である。この時期には、Kristin Hersh、David Narcizo、Bernard Georgesという編成が中心となる。Hershは同時期により激しいプロジェクト50 Foot Waveも始動させており、そのエネルギーはThrowing Musesにも影響を与えている。
Pitchforkは50 Foot Waveについて、Hershの強烈なギター、叫び、鋭い歌詞を持つ新たなパンク・バンドとして紹介している。Pitchfork
この側面は、のちのThrowing Musesにもつながっていく。Hershは常に、自分の中の音楽を別々の器に流し込みながら進化してきた。
Purgatory/Paradise:本と音楽が融合した異色作
2013年のPurgatory/Paradiseは、Throwing Musesの中でも特に異色の作品である。Pitchforkは、同作をアートブックとマルチメディアCDを組み合わせたリリースとして紹介し、32曲、歌詞、写真、Hershの文章、David Narcizoのデザインを含む作品だったと報じている。Pitchfork
これは単なるアルバムではない。Throwing Musesというバンドの断片的な思考、記憶、イメージ、音を一冊の本のように提示した作品である。曲は短く、断片的で、アイデアのスケッチのようなものもある。だが、その断片性がThrowing Musesらしい。
Hershの音楽は、常に直線ではなく、断片の集合として成り立っている。Purgatory/Paradiseは、その性質を最も極端な形で表した作品だ。
Sun Racket:2020年、硬質なロックとしての再確認
2020年のSun Racketは、Throwing Musesの10作目のスタジオ・アルバムである。Bandcampでは2020年9月4日リリース、収録曲に“Dark Blue”、“Bywater”、“Maria Laguna”、“Bo Diddley Bridge”などが並ぶことが確認できる。Throwing Muses
Kristin Hershの公式サイトでも、Sun RacketはFire Recordsから2020年9月4日にリリースされた作品として紹介されている。kristinhersh.com
The Guardianはこのアルバムについて、前作Purgatory/Paradiseの断片的な構成とは違い、10曲すべてに始まり、中間、終わりがあり、バンドの激しさはキャリアの長さにもかかわらずまったく弱まっていないと評している。ガーディアン
Sun Racketは、Throwing Musesが今もロックバンドとして強靭であることを示した作品だ。Hershのギターは鋭く、リズムは粘り、曲は過去の模倣ではなく現在形で鳴っている。
Moonlight Concessions:2025年、原点へ戻るようで新しい最新作
2025年のMoonlight Concessionsは、Throwing Musesの11作目のスタジオ・アルバムである。Bandcampでは2025年3月14日リリースの9曲入り作品として掲載され、“Summer Of Love”、“South Coast”、“Theremini”、“Libretto”、“Drugstore Drastic”などが収録されている。Throwing Muses
Fire Recordsの公式情報では、同作は2025年3月14日にリリースされ、The Guardian、Uncut、The Quietusなどから高い評価を受けたことが紹介されている。firerecords.com
また、Fire Recordsのアーティスト情報によれば、2025年にはKristin Hershを中心に、Fred Abong、Hershの息子Dylan、そしてMoonlight Concessionsに参加したチェロ奏者Pete Harveyも加わり、英国ツアーを行っている。firerecords.com
The Guardianは同作について、アコースティック・ギター、最小限のパーカッション、Pete Harveyのチェロが印象的で、暗く緊張感のある作品だと評している。ガーディアン
つまりMoonlight Concessionsは、轟音ロックというより、より裸で、より呪術的なThrowing Musesである。音数が減った分、Hershの声と言葉がさらに鋭く響く。
Kristin Hershという存在:ソングライターではなく、“音に取り憑かれた記録者”
Kristin Hershは、単なるソングライターではない。彼女の音楽は、曲を“作る”というより、内側から聞こえてくるものを“記録する”ような感覚がある。
Pitchforkのインタビューでは、Hershが14歳でThrowing Musesを始め、音楽業界の性差別や企業的な圧力をくぐり抜けながら、独立した精神で活動を続けてきたことが紹介されている。Pitchfork
この独立性は、彼女の音楽にも表れている。Hershは、流行に合わせて曲を書くタイプではない。むしろ、曲が要求する形に自分を合わせる。
彼女の歌詞は、物語として分かりやすいわけではない。イメージが飛び、言葉が断片化し、身体感覚と幻覚が混ざる。しかし、それが不思議なリアリティを持つ。Hershの歌は、説明ではなく症状に近い。感情が言葉になる前の状態を、そのまま音にしている。
Tanya Donellyの存在:Throwing Muses初期に差したメロディの光
Tanya Donellyは、Throwing Muses初期において非常に重要な存在である。彼女の曲は、Kristin Hershのねじれた世界に、別の光を差し込んだ。
Donellyのメロディは、よりポップで、より幻想的で、少し夢見心地だ。“Not Too Soon”のような曲を聴くと、後のBellyへつながる感覚がはっきり分かる。彼女がThrowing Musesを離れたことで、バンドはよりHershの内面へ深く潜るようになった。
つまり、初期Throwing Musesの魅力は、Hershの狂気的な構造とDonellyのメロディックな浮遊感のせめぎ合いにあった。二人のバランスがあったからこそ、初期作品には独特の奥行きがある。
David Narcizoのドラム:普通に叩かないリズムの建築家
Throwing Musesの音楽を支えるうえで、ドラマーのDavid Narcizoも欠かせない。彼のドラムは、普通のロックのようにただビートを支えるものではない。曲の不安定な構造に合わせて、リズム自体が曲を動かす。
Throwing Musesの変則的な展開は、ギターや歌だけでは成立しない。Narcizoのドラムが、曲の中の亀裂や段差を理解し、それをリズムとして組み立てているから成立する。彼は、Hershの曲が持つ奇妙な重力に耐えられる数少ないドラマーである。
また、Purgatory/Paradiseではデザイン面にも関わり、音楽だけでなくバンドの視覚的な世界にも貢献している。Pitchfork
影響を受けたアーティストと音楽
Throwing Musesのルーツには、パンク、ポストパンク、アパラチア民謡、フォーク、ニューウェーブ、アートロックなどがある。Kristin Hershは、音楽的な影響を単純なジャンルとしてではなく、身体的な感覚として吸収しているように見える。
彼女にとってフォークは、穏やかなアコースティック音楽ではなく、古い記憶や呪文のようなものだ。パンクは単なる反抗ではなく、ルールを壊して自分の文法を作るための方法である。Throwing Musesの曲には、その両方がある。
影響を与えた音楽シーン:女性オルタナティブ、インディー、アートロックへの深い影
Throwing Musesは、商業的な巨大成功を収めたバンドではない。しかし、その影響は非常に深い。彼女たちは、女性がフロントに立つロックバンドのあり方を大きく広げた。
1980年代のロックにおいて、女性ボーカリストはしばしば“可愛い”“強い”“セクシー”といった単純なイメージに回収されがちだった。しかしKristin Hershは、そのどれにも収まらなかった。彼女は美しく歌うことより、真実に近い声を出すことを選んだ。
のちのオルタナティブ・ロック、女性シンガーソングライター、エモ、ポストロック、アートロックの多くに、Throwing Musesの影はある。曲はきれいに整っていなくてもよい。感情は矛盾していてもよい。声は壊れてもよい。むしろ、その壊れ方にこそ真実がある。Throwing Musesは、そういう可能性を開いたバンドである。
他アーティストとの比較:Pixies、Sonic Youth、Belly、PJ Harveyとの違い
Throwing MusesはPixiesと比較されることがある。どちらもアメリカのオルタナティブ・ロックで、奇妙な曲構造と強烈な個性を持つ。しかし、Pixiesがよりポップで漫画的、爆発と静寂のコントラストを武器にしたのに対し、Throwing Musesはもっと内的で、心理的で、曲の構造そのものが不安定だ。
Sonic Youthと比べると、Throwing Musesはノイズよりも歌の内圧が中心にある。Sonic Youthがギターのチューニングや都市的なノイズで世界を歪ませたのに対し、Throwing Musesは感情のねじれによって曲を歪ませる。
Bellyと比べると、Tanya Donellyのメロディックな才能がThrowing Musesからどう独立したかがよく分かる。Bellyはより夢見がちでポップだが、Throwing Musesはもっと切実で、不穏で、身体的である。
PJ Harveyと比べると、どちらも女性性、身体、怒り、欲望をロックに持ち込んだ重要アーティストである。ただしPJ Harveyがブルースや演劇性を鋭く研ぎ澄ませたのに対し、Kristin Hershはより断片的で、幻覚的で、内側から崩れていくような音楽を作る。
近年の活動:40年以上続く“現在形”のバンド
Throwing Musesは、懐古的な再結成バンドではない。2020年のSun Racket、2025年のMoonlight Concessionsを聴けば、彼女たちが今も危険で、現在形の音を鳴らしていることが分かる。
Fire Recordsは、2025年にThrowing Musesが英国ツアーを行い、Kristin Hershを中心にFred Abong、Dylan、Pete Harveyらが参加したことを紹介している。firerecords.com
これは、Throwing Musesが固定された過去の編成だけでなく、その時々の形で音楽を生かし続けていることを示している。
Kristin Hershはソロ、50 Foot Wave、執筆活動なども並行して続けている。彼女にとってThrowing Musesは一つのバンドであると同時に、長い人生を通して戻ってくる“本体”のような存在なのだろう。
まとめ:Throwing Musesは“壊れた心の構造”を音楽にしたバンドである
Throwing Musesは、アメリカ・オルタナティブ・ロック史の中でも、最も独自で、最も分類しにくいバンドの一つである。彼女たちは4AD初のアメリカのバンドとして登場し、普通のロックの構造を壊し、感情のゆがみをそのまま音楽に変えた。
Throwing Musesは、4ADから放たれた異様なデビュー作である。
House Tornadoは、家庭と嵐が同居する初期の重要作である。
The Real Ramonaは、Tanya Donelly期の美しい終盤である。
Red Heavenは、Kristin Hershの世界がより濃く前面に出た作品である。
Universityは、90年代オルタナティブ期の力強い名作である。
Purgatory/Paradiseは、本と音楽を融合した異色の実験作である。
Sun Racketは、2020年になお激しさを失わなかった硬質なロック・アルバムである。
Moonlight Concessionsは、2025年により裸で暗い原点へ戻ったような最新作である。
Throwing Musesの音楽は、聴きやすい慰めではない。
むしろ、心の中の整理できない場所へ連れていく。
だが、その混乱の中に、奇妙な美しさがある。
壊れたリズム、裂けた声、ねじれたギター、夢のような言葉。
それらが一つになった瞬間、Throwing Musesの音楽は、ほかのどんなバンドにも似ていない光を放つ。
Throwing Musesとは、感情を整えるのではなく、感情の壊れ方そのものを鳴らすバンドである。




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