発売日: 1985年9月16日
ジャンル: ビッグ・ミュージック、アート・ロック、ネオ・フォーク、スピリチュアル・ポップ
『This Is the Sea』は、The Waterboysが1985年に発表した3作目のスタジオ・アルバムであり、
彼らの代名詞でもある**「ビッグ・ミュージック」路線の完成形にして到達点である。
フロントマンであるマイク・スコットが、詩、音楽、霊性、政治的意識、そして愛という主題を、
すべて一つの音楽形式に凝縮しようと試みた本作は、まさに精神のマニフェストとしてのロック・アルバム**であり、
1980年代の英国音楽において最もスピリチュアルな輝きを放つ作品のひとつに数えられている。
このアルバムで描かれる“海”とは、変化と越境、自己更新、そして無限なるものへの信仰の象徴。
それは前作『A Pagan Place』までの旅の終着点であり、
同時に、次なる霊的・民俗的フェーズへの入り口としても機能している。
全曲レビュー
1. Don’t Bang the Drum
堂々たるホーンとシンセによる荘厳なイントロから始まり、
やがて力強いビートと詩的な歌詞が展開されるオープニングナンバー。
社会的意識、怒り、理想が交差する本作のテーマ設定的楽曲である。
2. The Whole of the Moon
バンド最大の代表曲にして、不滅の名曲。
詩人、夢想家、預言者の視点が交錯するリリックは、
ボブ・ディランやプリンス、あるいは「自分以外の可能性」への賛歌とも読める。
希望と憧れがスコットの高揚する歌声とともに爆発する奇跡のポップ・アンセム。
3. Spirit
リズムと呪文のような詩句が繰り返される、ミニマルかつ神秘的な一曲。
“魂よ導け”という祈りが、音楽そのものと同化するように鳴る。
4. The Pan Within
神話的な“パン神”をモチーフにした官能と野性の賛美歌。
欲望と超越の境界線を彷徨うような感覚が、
バンドの精密な演奏とスコットの詩的熱唱により立体化されている。
5. Medicine Bow
テンポの速いアグレッシブな楽曲で、ビートとギターがリスナーを突き動かす。
アメリカーナ的要素と詩的イギリス性が混ざり合った、バンドの異色作。
6. Old England
本作随一の社会派トラック。
サッチャー時代のイギリスを見つめ、老いた国の病巣と魂の空白を抉り出すような詞が印象的。
ピアノの旋律が美しくも哀しい。
7. Be My Enemy
荒ぶるギターとドラムに乗せて、愛と憎悪の紙一重を描く、ロック色の強い一曲。
宗教的な“敵”というテーマが、内面的葛藤として解釈されている。
8. Trumpets
静謐でスピリチュアルなバラード。
「ラッパを聞いたか?」という問いは、死や再生、あるいは気づきへの暗喩であり、
このアルバムの「沈黙の中心」でもある。
9. This Is the Sea
タイトル曲にして、The Waterboys初期三部作の終焉を告げる荘厳なバラード。
“これが海だ、君が知っていたすべては過ぎ去った”──
という一節は、過去からの脱皮と新たな霊的次元への旅立ちを象徴する。
美しく、慈愛に満ち、しかも決定的な曲。
総評
『This Is the Sea』は、The Waterboysにとっての最初の完成点であり、永遠の出発点である。
このアルバムにおいて、マイク・スコットは単なるロック・ミュージシャンではなく、
現代の吟遊詩人、あるいは魂の地図を描く預言者としての立場を確立した。
それは内面の旅、社会への視線、神秘の召喚、そして“何か大きなもの”への祈りを、
すべてひとつの音楽言語に統合しようとする試みだった。
今もなお、「The Whole of the Moon」や「This Is the Sea」は、
聴く者を更新し、鼓舞し、涙させる力を持ち続けている。
おすすめアルバム
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U2 / The Unforgettable Fire
情熱と霊性、空間性が融合した同時代のスピリチュアル・ロック。 -
Van Morrison / Into the Music
瞑想的で祝祭的な魂の音楽。 -
Talk Talk / The Colour of Spring
ビッグ・サウンドと繊細さが交錯するポスト・ポップの金字塔。 -
Simple Minds / Once Upon a Time
スタジアムロックと詩的高揚が交差した感情の巨塔。 -
Peter Gabriel / So
アフリカ的リズムと個人の祈りが融合するアート・ポップの傑作。
特筆すべき事項
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「The Whole of the Moon」は、当初リリース時にはチャート入りしなかったが、後にUKチャートでTOP30入りし、The Waterboys最大のヒットとなった。
この曲は、音楽賞や文学的引用にも多用される20世紀英国ポップの詩的金字塔である。 -
アルバム制作時、マイク・スコットは約100曲以上を書き溜めており、
本作に収録されなかった楽曲の一部は後にボックスセットなどで公開されている。 -
このアルバムをもって、バンドは**アイルランド的民俗性への移行(次作『Fisherman’s Blues』)**へと舵を切るため、
“ビッグ・ミュージック時代の終焉”とも位置付けられる。 - 批評家・音楽家の間では、**“80年代における最もスピリチュアルなロック・アルバムのひとつ”**として今なお称賛され続けている。
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