
発売日:2024年4月18日
ジャンル:ラテン・オルタナティブ、トラップ、ヒップホップ、エレクトロポップ、ファンク、ネオソウル、レゲトン、実験ポップ
- 概要
- 全曲レビュー
- 1. LA QUE PUEDE, PUEDE
- 2. EL ÚNICO
- 3. DUMBAI
- 4. SUPERSÓNICO
- 5. COSAS RICAS
- 6. MI DESEO
- 7. BABY GANGSTA
- 8. PAGA DIOS
- 9. VIBES
- 10. TODO EL DÍA
- 11. POLVO
- 12. KALEIDOSCOPE
- 13. EN EL AFTER
- 総評
- おすすめアルバム
- 1. Ca7riel & Paco Amoroso – CATO / 関連EP・シングル群
- 2. Nathy Peluso – Calambre(2020)
- 3. Wos – Caravana(2019)
- 4. Bad Bunny – YHLQMDLG(2020)
- 5. Rosalía – MOTOMAMI(2022)
概要
Ca7riel & Paco Amorosoの『Baño María』は、アルゼンチンの現代ポップ/ラップ/オルタナティブ・シーンにおける混成的なエネルギーを象徴する作品である。Ca7rielとPaco Amorosoは、ブエノスアイレスを拠点に活動してきたアーティストであり、トラップ、ヒップホップ、ファンク、ロック、エレクトロニック、レゲトン、R&Bを自在に横断するスタイルによって、ラテン・アメリカの新しいポップ感覚を体現してきた。『Baño María』は、二人の関係性、ユーモア、享楽性、過剰なキャラクター性、そして音楽的な器用さが非常に濃く出たアルバムである。
タイトルの「Baño María」は、スペイン語で湯煎を意味する言葉である。料理において直接火にかけず、ゆっくりと熱を通す方法を指すが、このアルバムにおいては、複数のジャンル、感情、声、欲望、クラブ的な熱気を一つの容器の中で溶かし合わせる比喩として機能している。Ca7riel & Paco Amorosoの音楽は、何か一つのスタイルへ純化されるのではなく、むしろ異なる成分が同時に加熱され、混ざり、泡立ち、時に分離しそうになりながらも独特の味を生む。『Baño María』というタイトルは、その混合と加熱の感覚を非常にうまく表している。
彼らの音楽的背景を理解するうえで重要なのは、アルゼンチンの都市音楽が2010年代以降、トラップやレゲトン、フリースタイル・バトル文化、インディーロック、クラブミュージックと結びつきながら急速に拡張してきたことである。Duki、Wos、Nicki Nicole、Bizarrap、Nathy Peluso、Truenoなどが国際的な注目を集める中で、Ca7riel & Paco Amorosoはその中心的潮流に接続しながらも、より奇妙で、演劇的で、ジャンル横断的な存在として位置づけられる。彼らは単にラップするだけではなく、歌い、叫び、笑い、演じ、音楽をキャラクターの遊び場にする。
Ca7rielは、ギターやベースを含む演奏能力、ファンクやロックへの感覚、そして柔軟なヴォーカル表現を持つアーティストである。一方のPaco Amorosoは、より軽妙でポップなフロウ、ユーモラスな声の使い方、キャラクター性の強いラップで楽曲に別の温度を与える。二人が組むことで、音楽は単なるラップ・デュオではなく、声と人格がぶつかり合う劇場になる。『Baño María』では、その掛け合いが非常に重要であり、曲ごとに二人の関係性が異なる形で現れる。
本作の魅力は、享楽的でありながら、単純なパーティー・アルバムに終わらない点にある。サウンドはしばしば派手で、ビートは踊れる。シンセ、重いベース、トラップ的なハイハット、レゲトンの揺れ、ファンクのグルーヴ、オートチューンを使ったメロディが次々と現れる。しかし、その中には現代的な空虚さ、自己演出、身体の消費、成功への欲望、友情と競争、恋愛の軽さと孤独も混ざっている。Ca7riel & Paco Amorosoは、深刻なテーマを深刻な表情だけで歌うのではなく、冗談、誇張、悪ふざけ、色気、騒がしさを通じて表現する。
歌詞の面では、スペイン語圏の都市音楽らしく、スラング、ユーモア、性的な比喩、ブランドや街の感覚、自己言及が多い。彼らの言葉は、伝統的なシンガーソングライター的な詩情とは異なり、SNS以降の断片的な自己演出、クラブの会話、ストリートの軽口、ラップの誇示、ロマンティックな未練が混ざったものとして響く。日本のリスナーにとっては、歌詞のニュアンスをすべて直接理解するのは難しい部分もあるが、声のテンションやリズム、掛け合いの間から、二人のキャラクター性は十分に伝わる。
音楽的に見れば、『Baño María』はラテン・トラップやレゲトンの型を用いながらも、それをかなり自由に崩している。曲によってはファンクやネオソウルに接近し、別の曲ではエレクトロポップやクラブ・ミュージックの質感が強くなる。ロック的なエッジや、ジャムセッション的な軽さも見える。これは、グローバル化したラテン・ポップが、もはや一つのジャンルとして閉じていないことを示している。Ca7riel & Paco Amorosoは、ジャンルを選ぶのではなく、必要な瞬間に必要な質感を引き出す。
『Baño María』は、非常に現代的なアルバムである。ここでの現代性とは、単に最新のビートを使っているという意味ではない。むしろ、アイデンティティが固定されず、真面目さと冗談、ローカル性とグローバル性、男性的な誇示とそのパロディ、クラブの熱狂と内面の空虚さが同時に存在していることにある。二人は自分たちをかっこよく見せながら、そのかっこよさをどこかで茶化す。セクシーに振る舞いながら、そのセクシーさの演技性も見せる。この二重性が、彼らの音楽を単なる流行のラテン・ポップ以上のものにしている。
日本のリスナーにとって本作は、アルゼンチン発の現代都市音楽の自由さを知るうえで非常に有効な作品である。レゲトンやラテン・トラップに馴染みがあるリスナーはもちろん、Gorillaz、OutKast、Beastie Boys、Nathy Peluso、Rosalía、Bad Bunny、あるいはジャンル横断的なインディーポップを好むリスナーにも響く要素がある。『Baño María』は、踊れるアルバムであり、笑えるアルバムであり、同時に現代ポップの混沌を鋭く映すアルバムでもある。
全曲レビュー
1. LA QUE PUEDE, PUEDE
「LA QUE PUEDE, PUEDE」は、アルバムの冒頭にふさわしい、自己主張と挑発に満ちた楽曲である。タイトルは「できる者はできる」という意味合いを持ち、能力、魅力、実力、存在感を誇示するフレーズとして響く。Ca7riel & Paco Amorosoの音楽において、自己肯定はしばしばユーモアと誇張を伴う。この曲でも、二人は自分たちのキャラクターを大きく見せながら、その派手さ自体を楽しんでいる。
音楽的には、ビートの押し出しが強く、トラップやラテン・クラブミュージックの感覚を土台にしている。低音は太く、リズムは身体を動かすことを前提に作られている。一方で、声の配置や細かなフックにはポップな軽さがあり、単なる威圧的なラップにはならない。二人の声の違いが曲の中で立体感を作っている。
歌詞では、自分たちが「できる側」にいることが強調される。しかし、この誇示は単純なマッチョイズムではない。Ca7riel & Paco Amorosoの場合、誇張された自己像にはいつも演技性がある。自分を強く見せることと、その強さを少し滑稽に見せることが同時に起きる。このバランスが、彼らの魅力である。
「LA QUE PUEDE, PUEDE」は、『Baño María』の導入として、二人のエネルギー、ユーモア、グルーヴを一気に提示する楽曲である。アルバムが真面目な内省よりも、まず身体と声の勢いから始まることを宣言している。
2. EL ÚNICO
「EL ÚNICO」は、「唯一の男」「唯一の存在」を意味するタイトルを持つ楽曲であり、自己演出と恋愛的な独占欲が重なる曲である。Ca7riel & Paco Amorosoの音楽では、自分が特別であるという主張がしばしば登場するが、それはラップ的な誇示であると同時に、恋愛関係の中で相手にとって唯一でありたいという欲望にもつながる。
音楽的には、トラップ的なビートとメロディックなヴォーカルが結びついている。オートチューンを含む声の処理は、感情を機械的に冷たくするというより、むしろ誇張されたポップなキャラクターを作るために使われている。声が加工されることで、語り手は生身の人物でありながら、同時に画面上のアバターのようにも響く。
歌詞では、相手にとって自分が唯一であること、あるいはそう見せたい欲望が描かれる。恋愛の言葉でありながら、そこには自己ブランド化の感覚もある。現代のポップ・アーティストは、愛される相手であると同時に、消費されるキャラクターでもある。この曲には、その二重性がある。
「EL ÚNICO」は、自己肯定と不安の境界にある楽曲である。唯一であると宣言するほど、実は唯一でなくなることへの恐れもにじむ。Ca7riel & Paco Amorosoは、その不安を重くせず、踊れるポップに変換している。
3. DUMBAI
「DUMBAI」は、タイトルからして派手で、富、過剰、異国的なラグジュアリーを連想させる楽曲である。ドバイという地名を直接的に想起させる響きは、現代都市音楽における成功、金、ブランド、巨大な建築、消費の象徴として機能する。Ca7riel & Paco Amorosoは、この過剰なイメージを真正面から使いながら、どこか戯画化している。
音楽的には、低音の効いたビートと、キャッチーなフックが中心になる。曲全体には派手な空気があり、ラグジュアリーな世界を遊びとして演じている感覚がある。ビートは重いが、二人の声には軽さがあり、過剰な富のイメージを真剣に崇拝するというより、ポップな仮装として扱っている。
歌詞では、成功、金銭、移動、魅力、ステータスの記号が並ぶ。これはラップにおける典型的な誇示の語彙でもあるが、二人のスタイルでは、そこにユーモアとパロディが混じる。彼らは豪華さを求めるが、その豪華さがどこか嘘っぽく、演じられたものであることも分かっている。
「DUMBAI」は、現代ラテン・トラップにおける成功のイメージを、派手に、そして少し茶化しながら提示する楽曲である。アルバムの中で、物質的な欲望とポップな演技性を強く打ち出している。
4. SUPERSÓNICO
「SUPERSÓNICO」は、「超音速」を意味するタイトル通り、スピード、加速、現代的な移動感を持つ楽曲である。Ca7riel & Paco Amorosoの音楽における快感の一つは、ジャンル間を高速で移動するような感覚にあるが、この曲はその性質をタイトルから明確に示している。
音楽的には、ビートが鋭く、展開にも勢いがある。トラップ、エレクトロ、ポップの要素が高速に接続され、曲は静止しない。低音は身体に働きかけるが、上ものの音は軽く、浮遊感を持つ。この重さと軽さの組み合わせが、超音速的な感覚を作る。
歌詞では、速度、成功、身体の興奮、夜の移動が連想される。現代都市音楽において、速さは単なるテンポではなく、情報、欲望、消費、関係性が次々と変化する感覚でもある。この曲では、その速度に乗ることの快感が前面にある。
二人のヴォーカルは、ビートの上を自在に動く。Ca7rielのメロディックな動きと、Pacoの軽妙なフロウが交差し、曲にスピード感と立体感を与える。「SUPERSÓNICO」は、アルバムの中でも特に推進力のある楽曲であり、二人の音楽が持つ現代的な加速感をよく表している。
5. COSAS RICAS
「COSAS RICAS」は、「おいしいもの」「いいもの」「魅力的なもの」を意味するタイトルを持つ楽曲である。スペイン語の“rico”には、味覚的なおいしさ、性的な魅力、金銭的な豊かさなど、複数の意味がある。この曖昧さが、Ca7riel & Paco Amorosoの世界に非常によく合っている。
音楽的には、ファンクやR&B的な柔らかさを含んだグルーヴが感じられる。ビートは踊れるが、攻撃的というより、滑らかで官能的である。声の使い方も、ラップだけでなく歌に近い部分が多く、二人のメロディ感覚が前面に出る。
歌詞では、食べ物、身体、快楽、贅沢が重なり合う。おいしいものを味わうことと、相手の魅力を味わうことが同じ言葉の中で接続される。これはラテン・ポップやレゲトンにもよく見られる比喩だが、二人の場合はそこに少しコミカルな軽さがある。欲望は真剣でありながら、どこか遊びとして提示される。
「COSAS RICAS」は、アルバムの中で官能性とユーモアが自然に結びついた楽曲である。快楽を重く語らず、味覚や身体感覚として軽やかに鳴らしている点が魅力である。
6. MI DESEO
「MI DESEO」は、「私の願い」「私の欲望」を意味する楽曲であり、アルバムの中でも感情や欲望が比較的直接的に表れる曲である。Ca7riel & Paco Amorosoの楽曲では、欲望はしばしば冗談や誇示として語られるが、この曲ではタイトルからして、より内側の願望へ焦点が当たる。
音楽的には、メロディックな要素が強く、トラップやR&Bの感覚が混ざる。ビートは現代的だが、声の表現には柔らかさがあり、二人のポップ・ソングライティング能力がよく出ている。派手な曲の間に置かれることで、アルバムに感情的な陰影を与える。
歌詞では、相手への欲望、自分の中にある願い、満たされたいという感覚が描かれる。ここでの欲望は、単純な性的衝動だけではない。承認されたい、愛されたい、特別な存在でありたいという心理も含まれている。二人の音楽では、欲望は身体的であると同時に、自己像の問題でもある。
「MI DESEO」は、アルバムの中で、享楽の奥にある感情を少し見せる楽曲である。派手なキャラクターの裏に、満たされない願いがあることを感じさせる。
7. BABY GANGSTA
「BABY GANGSTA」は、タイトルからしてユーモラスで、かわいらしさと不良性が合体したような楽曲である。「Baby」と「Gangsta」という語の組み合わせは、幼さ、愛称、親密さと、ストリート的な強さや危険なイメージを同時に呼び起こす。Ca7riel & Paco Amorosoの演劇的なキャラクター性がよく出た曲である。
音楽的には、軽快なビートとキャッチーなフックが中心で、遊び心が強い。攻撃的なギャングスタ・ラップのパロディのようにも聴こえ、強さを演じながら、その強さの可笑しさも見せる。二人の声の掛け合いが、曲のコミカルさを支えている。
歌詞では、危険な魅力、かわいらしい悪さ、恋愛の中の支配と甘さが混ざる。これは本格的な犯罪性の表現というより、ポップなキャラクター作りである。現代の都市音楽では、強さや危険性も一種のスタイルとして消費されるが、この曲はその構造を軽く茶化している。
「BABY GANGSTA」は、アルバムの中で特にキャラクター性の強い楽曲である。Ca7riel & Paco Amorosoが、ラップの男性的な強さをそのまま受け入れるのではなく、可愛げと冗談を混ぜて再構成している点が面白い。
8. PAGA DIOS
「PAGA DIOS」は、「神が払う」というような意味を持つタイトルであり、金、借り、責任、信仰、運命をめぐるユーモラスかつ象徴的な響きを持つ。Ca7riel & Paco Amorosoの音楽では、宗教的な言葉や大げさな表現が、日常的な欲望や冗談と混ざることがある。この曲もその一例として聴ける。
音楽的には、ビートの質感が鋭く、ラップの語感が前面に出る。二人のフロウは軽妙で、言葉遊びの感覚が強い。サウンドは現代的だが、タイトルにある宗教的な大きさとのズレが、曲に独特のユーモアを与えている。
歌詞では、誰が支払うのか、誰が責任を負うのかという感覚が遊びとして扱われる。神が払うという言い方は、責任を自分から外へ投げる冗談でもあり、同時に現実の不安を軽くする呪文のようでもある。金銭的な問題、成功への願望、生活の不安が、軽口として処理されている。
「PAGA DIOS」は、アルバムの中で、金銭と信仰の言葉をポップな冗談へ変える楽曲である。重いテーマを軽く扱うことで、逆に現代的な生活感が浮かび上がる。
9. VIBES
「VIBES」は、タイトル通り、雰囲気、気分、空気感を重視した楽曲である。現代ポップにおいて“vibes”という言葉は、具体的な意味よりも、場の感覚や相手との相性、音のムードを示す言葉として機能する。Ca7riel & Paco Amorosoは、この曖昧な言葉をそのまま楽曲の核にしている。
音楽的には、滑らかで心地よいグルーヴが中心である。強く攻める曲というより、流れに身を任せるタイプの楽曲で、R&Bやエレクトロポップの質感が感じられる。声もリラックスしており、アルバムの中で少し空気を緩める役割を持つ。
歌詞では、相手との雰囲気、夜の空気、身体の感覚、言葉にならない相性が描かれる。明確な物語よりも、ムードそのものが重要である。これは現代の都市音楽らしい感覚であり、関係性が言葉や約束よりも「感じ」によって成立することを示している。
「VIBES」は、アルバムの中で、言葉よりも空気を優先する楽曲である。Ca7riel & Paco Amorosoの音楽が、ラップの言語的な面白さだけでなく、音色やムードの作り方にも長けていることを示している。
10. TODO EL DÍA
「TODO EL DÍA」は、「一日中」を意味するタイトルを持つ楽曲であり、反復される欲望、関係、思考、生活のリズムをテーマにしている。何かを一日中考える、相手を一日中求める、あるいは一日中同じ感覚から抜け出せない。そうした現代的な執着が感じられる曲である。
音楽的には、リズムの反復が重要で、曲全体に中毒性がある。ビートは強すぎず、しかし身体を自然に揺らす。二人のヴォーカルは、タイトルの反復性と合わせて、時間のループを作る。昼と夜が混ざるような感覚がある。
歌詞では、相手や欲望が一日中頭から離れない状態が描かれる。恋愛的な執着とも読めるし、成功や快楽への依存とも読める。Ca7riel & Paco Amorosoの音楽では、軽い言葉の中に、現代的な集中力のなさや、逆に抜け出せない執着がよく表れる。
「TODO EL DÍA」は、アルバムの中で、時間のループと欲望の反復を描く楽曲である。大きな展開よりも、繰り返しの気持ちよさによって聴かせる。
11. POLVO
「POLVO」は、スペイン語で「粉」「埃」を意味すると同時に、口語的には性的なニュアンスも持つ言葉である。この二重の意味を持つタイトルは、Ca7riel & Paco Amorosoの言葉遊びに非常によく合っている。身体、欲望、軽さ、汚れ、消えていくものが同時に含まれている。
音楽的には、ダークな低音と官能的な雰囲気が感じられる。曲は明るいパーティー感よりも、夜の密室的な空気に近い。ビートは身体的でありながら、どこか乾いた質感があり、タイトルの「埃」や「粉」の感覚とも結びつく。
歌詞では、性的な欲望や一時的な関係が示唆される。だが、そこにはただの快楽だけでなく、終わった後に残る空虚さや、身体が消耗品のように扱われる感覚もにじむ。彼らはセクシュアルな表現を軽く扱うが、その軽さの中に現代的な孤独がある。
「POLVO」は、アルバムの中で、言葉の二重性と身体的なムードが強く出た楽曲である。快楽と埃のような儚さが同じ言葉の中で重なる点が、この曲の面白さである。
12. KALEIDOSCOPE
「KALEIDOSCOPE」は、「万華鏡」を意味するタイトルを持ち、アルバムの終盤にふさわしく、多彩な色彩、断片的なイメージ、視覚的な変化を連想させる楽曲である。『Baño María』全体がジャンルやキャラクターの混合物であることを考えると、このタイトルはアルバムの美学を象徴している。
音楽的には、音色の変化や空間的な広がりが印象的である。ビートは現代的だが、サウンドには少しサイケデリックな感覚もある。万華鏡のように、同じ要素が角度を変えるたびに別の模様になる。Ca7riel & Paco Amorosoの音楽的な柔軟性がよく出ている。
歌詞では、視覚的な変化、関係の不確かさ、自己像の多面性が感じられる。二人の音楽では、自分という存在は固定されたものではなく、曲ごとに違う表情を見せる。万華鏡という比喩は、その変化し続ける自己演出をうまく表している。
「KALEIDOSCOPE」は、アルバムの中で、視覚的・音響的な多彩さを象徴する楽曲である。ジャンルの混合だけでなく、自己像そのものが断片的に変化する現代ポップの感覚が表れている。
13. EN EL AFTER
「EN EL AFTER」は、「アフターで」「パーティーの後で」という意味を持つ楽曲であり、アルバムの締めくくりとして非常に象徴的である。ここで描かれるのは、クラブやパーティーの熱狂そのものではなく、その後に残る時間である。踊り終わった後、朝が近づく頃、身体には疲れが残り、気分はまだ浮遊している。その曖昧な時間が曲の中心にある。
音楽的には、終盤らしい余韻がありながらも、完全に静かになるわけではない。ビートは残り、夜の名残のように鳴る。アルバム全体の享楽性が、この曲では少しだけ空虚さを帯びる。パーティーの後には、必ず現実が戻ってくる。その瞬間の感覚が重要である。
歌詞では、アフターの空間、仲間、相手、疲れた身体、まだ終わりたくない気持ちが描かれる。Ca7riel & Paco Amorosoにとって、パーティーは単なる遊びではなく、自己演出と関係性が交差する場所である。そしてアフターは、その演出が少し剥がれ、素の感情が見えかける時間でもある。
「EN EL AFTER」は、『Baño María』の最後にふさわしい楽曲である。アルバムは熱狂の中で終わるのではなく、熱狂の後の揺らぎを残して閉じられる。そこに、二人の音楽が持つ享楽と空虚の二重性がよく表れている。
総評
『Baño María』は、Ca7riel & Paco Amorosoの魅力を非常に濃く詰め込んだアルバムであり、アルゼンチンの現代都市音楽が持つ自由さ、混成性、ユーモア、過剰なキャラクター性を体現する作品である。トラップ、レゲトン、ファンク、エレクトロポップ、R&B、ロック的な感覚が一つの鍋の中で加熱され、タイトル通り「湯煎」のようにゆっくりと溶け合っている。
このアルバムの最大の魅力は、ジャンルを固定しない軽やかさである。Ca7riel & Paco Amorosoは、ラテン・トラップの文脈にいながら、その型に縛られない。曲によっては踊れるレゲトン的な揺れがあり、別の曲ではファンクやR&Bの滑らかさがあり、さらに別の曲ではエレクトロニックな硬さやロック的な勢いが現れる。彼らにとってジャンルは所属先ではなく、キャラクターを変えるための衣装に近い。
二人の声の関係も重要である。Ca7rielの柔軟でメロディックな表現、Paco Amorosoの軽妙でキャラクター性の強いフロウがぶつかることで、楽曲は常に対話的になる。どちらか一方が主役として支配するのではなく、二人が互いに演じ合い、茶化し合い、補い合う。その関係性がアルバム全体の推進力になっている。
本作は、享楽的なアルバムである。身体を動かすためのビートがあり、セクシュアルな言葉があり、成功や金、魅力、パーティーのイメージがある。しかし、その享楽は完全に無邪気ではない。そこには自己演出の疲れ、相手にとって唯一でありたい不安、快楽の後の空虚、パーティー後の余韻がある。Ca7riel & Paco Amorosoは、そうした感情を深刻な顔で説明するのではなく、冗談と誇張の中に忍ばせる。
歌詞におけるユーモアも大きな特徴である。彼らはラップ的な誇示、性的な比喩、金銭や成功の記号を使いながら、それを完全には信じ切っていないように見せる。強い男を演じるが、その強さはどこか可笑しい。セクシーに振る舞うが、そのセクシーさは演劇的である。この自己パロディの感覚が、彼らを単なる流行の都市音楽アーティストから引き離している。
『Baño María』は、グローバルなラテン・ポップの時代における作品でもある。Bad Bunny以降、スペイン語圏の都市音楽は英語圏ポップと対等な影響力を持つようになり、レゲトンやトラップは世界的なポップの中心的語彙になった。その中でCa7riel & Paco Amorosoは、アルゼンチン的なユーモア、インディー的なひねり、音楽家的な柔軟性を加え、より異形で遊び心のあるポップを作っている。
アルバムとしては、統一された大きな物語を持つというより、二人のキャラクターと音楽的な引き出しを次々と見せる作品である。そのため、曲ごとのテンションやスタイルはかなり変化する。しかし、その変化こそが本作の本質である。『Baño María』は、整然としたコンセプト・アルバムというより、現代ポップの断片を一つの鍋で温めたような作品である。
日本のリスナーにとっては、スペイン語の細かなスラングや言葉遊びが壁になる部分もある。しかし、声の表情、ビートの動き、二人の掛け合い、サウンドの変化は言語を越えて伝わる。特に、ラテン・トラップやレゲトンを普段聴かないリスナーでも、ファンクやインディーポップ、オルタナティブなヒップホップを好むなら、本作の多彩さを楽しめる可能性が高い。
総じて『Baño María』は、Ca7riel & Paco Amorosoが現代ラテン・オルタナティブの中で独自の位置を確立した作品である。踊れるが、ただ軽いだけではない。ふざけているが、音楽的には非常に器用である。享楽的だが、その後に空虚さも残る。二人のユーモア、欲望、声、ジャンル感覚が湯煎のように混ざり合い、奇妙に中毒性のあるポップ・アルバムとして成立している。
おすすめアルバム
1. Ca7riel & Paco Amoroso – CATO / 関連EP・シングル群
二人の過去の共同作業や単発シングルをたどることで、『Baño María』に至るキャラクター形成やサウンドの進化が分かる。初期の荒さやユーモア、ラップと歌の混合感が、本作でより洗練されていく過程を確認できる。
2. Nathy Peluso – Calambre(2020)
アルゼンチン出身アーティストによるジャンル横断的なラテン・ポップの重要作である。ヒップホップ、ソウル、サルサ、R&B、演劇的なヴォーカル表現が混ざり、Ca7riel & Paco Amorosoと同じく、キャラクター性と音楽的器用さが強い。
3. Wos – Caravana(2019)
アルゼンチンのラップ/ロック/スポークンワード的な表現を代表する作品である。Ca7riel & Paco Amorosoよりも社会的・内省的な色が強いが、アルゼンチン都市音楽の広がりを理解するうえで重要なアルバムである。
4. Bad Bunny – YHLQMDLG(2020)
現代ラテン・トラップ/レゲトンの世界的拡張を象徴する作品である。『Baño María』よりもプエルトリコ的なレゲトンの文脈が強いが、スペイン語圏ポップがいかにグローバルなクラブ音楽になったかを知るうえで欠かせない。
5. Rosalía – MOTOMAMI(2022)
フラメンコ、レゲトン、実験ポップ、デジタル・サウンドを大胆に混ぜた作品であり、現代ラテン・ポップのジャンル解体を象徴する名盤である。『Baño María』の混成性やキャラクター性を、よりアートポップ的な方向から理解するために関連性が高い。

コメント