発売日: 2003年10月7日
ジャンル: スワンプ・ロック、ブルース・ロック、オルタナティヴ・カントリー
概要
『Puss ‘n’ Boots』は、Crash Test Dummiesが2003年にリリースした6作目のスタジオ・アルバムであり、
前作『I Don’t Care That You Don’t Mind』（2001）から続くルーツ志向の作風をより肉体的・官能的に深化させた作品である。
本作の最大の特徴は、ブルースやスワンプ・ロック、R&B的リズム感を積極的に取り入れたことにある。
Brad Robertsのバリトン・ヴォイスはこれまで以上にねっとりとしたエロティシズムを帯び、
音楽そのものも、体温のあるグルーヴとナイトクラブ的な親密さを纏っている。
アルバムタイトル『Puss ‘n’ Boots（長靴をはいた猫）』は童話由来ながら、
本作では**“誘惑とずる賢さ、そして欲望”の寓意として使われており、
ジャケットも含め、全体にわたってフェティッシュかつセクシャルなテーマ**が貫かれている。
2000年代以降のCrash Test Dummiesは、ヒットチャートの表舞台からは遠ざかったが、
本作においては逆にそれを解放と捉え、「自分たちのやりたいこと」に振り切った自由な創作が展開されている。
全曲レビュー
1. It’s a Shame
ブルージーなギターリフとスロウなテンポが印象的なオープニング。
“残念だ”というシンプルな繰り返しの中に、諦めと色気が入り混じった哀感が漂う。
2. Triple Master Blaster
前作『Give Yourself a Hand』にも収録された曲の新録バージョン。
より濃厚でファンキーな仕上がりとなり、性的パワープレイのメタファーがより強調されている。
3. The Two Mrs. Grenvilles
タイトルが示す通り、三角関係または二重生活を思わせる物語調の楽曲。
ジャズ的なコード進行と語り口が、不倫や欺瞞を妖艶に描き出す。
4. My Enemies
本作ではアコースティック・スワンプ的にリアレンジされ、原曲のパラノイア感覚がより湿り気を増している。
「敵が多い」という設定はユーモアだが、その実、人間関係の不信が根底にある。
5. Interlude 1 – Won’t You Cry?
短いインタールード。Brad Robertsの独白のような歌とメロトロン的な音像が、夜の吐息のように差し挟まれる。
6. Puss ‘n’ Boots
タイトル曲は、官能性とアブストラクトな言葉遊びが絡み合うジャジーなナンバー。
“猫のように忍び寄る”という比喩で、恋愛の誘惑と駆け引きの快楽性を描いている。
7. Poor Man’s Son
労働者階級の悲哀を描いた、ブルース・バラッド風の楽曲。
古きアメリカーナの文脈を踏襲しつつも、アイロニカルな語りが現代的でもある。
8. You Said You’d Meet Me (In California)
夢と現実のあいだで揺れる男女の物語。
“カリフォルニアで再会しよう”という約束が、遠くて永遠に届かない理想郷として描かれる。
9. Interlude 2 – I Never Try That Hard
再びのインタールード。
淡々と語られる“努力しない”という姿勢が、自己防衛と虚無の混合物として表出する。
10. Bye Bye Baby, Goodbye
『I Don’t Care That You Don’t Mind』にもあった別れの歌の再演。
今作ではよりスウィンギーで官能的にアレンジされ、未練と誘惑が表裏一体で語られる。
11. I’m a Dog
過去作からの再録。ブルースハープとスライドギターが効いており、動物的本能と忠誠の裏返しを描く本作にぴったりのテーマ性。
12. Stupid Same
こちらも再演ながら、ぐっと泥臭くなったサウンドが“繰り返す愚かさ”に説得力を与えている。
総評
『Puss ‘n’ Boots』は、Crash Test Dummiesのキャリアにおいて、
**もっともエロティックでブルースに染まった“夜のアルバム”**である。
この作品では、かつてのユーモアと哲学は健在でありながらも、
それらがより肉体と欲望、関係のなかで蠢く“リアルな生”へと引き寄せられている。
フォークでもポップでもなく、ジャンルのラベルすら意味をなさない本作にあるのは、
Brad Robertsという“語り部”の夜の顔であり、
その声が吐くウィットや怠惰、愛情と未練の混ざった混沌そのものである。
このアルバムは、大人の夜のための寓話であり、
物語ではなく、気だるい空気と余韻の音楽なのだ。
おすすめアルバム（5枚）
- Tom Waits – Mule Variations (1999)
ブルースとビート詩的語りが交錯する名作。Bradの路地裏感覚と重なる。 - JJ Cale – Naturally (1971)
スワンプ・ロックの代表作。気怠さと音の間合いの美学が共鳴。 - Nick Cave and the Bad Seeds – No More Shall We Part (2001)
官能と死生観が溶け合うダークな語り作品。語り手の距離感が近い。 - Leonard Cohen – Ten New Songs (2001)
低音ボーカルと官能性。老境のウィットと静謐がこの作品にも通じる。 - Morphine – Cure for Pain (1993)
ミニマルで濃密、夜のグルーヴ。Crash Test Dummiesのジャジーな側面に近い。
歌詞の深読みと文化的背景
『Puss ‘n’ Boots』における歌詞世界は、かつての神やスーパーヒーロー、哲学的命題ではなく、
日常の関係性や感情の揺れ――とりわけ“愛と欲望の曖昧なグレーゾーン”に重心を置いている。
“誘惑の猫”“過剰な男らしさ”“敵と味方の境界線”“努力しない者の美学”など、
語られるのはどれも人生の本質的にはどうでもいいようで、実は決定的な瞬間ばかりである。
Brad Robertsはそれらを、嘲笑するでも肯定するでもなく、
少しニヤリとしながら語る傍観者として振る舞う。
その距離感こそが、このアルバムを“気怠くも親密な夜の読書”のようにしている。
Crash Test Dummiesは、ここでようやく**「何者にもなろうとしないことの自由」**を手に入れた。
それは、誰にも媚びない代わりに、誰にでもそっと寄り添える音楽なのかもしれない。
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