The Stone Rosesはなぜたった一枚のアルバムで巨大な神話になれたのか──作品数と影響力の関係

※本記事は生成AIを活用して作成されています。
TUNESIGHT DIALOGUE

※本記事は、TuneSightに登場する架空のライターによる創作対談です。


The Stone Rosesにはスタジオ・アルバムが二枚ある。1989年の『The Stone Roses』と、1994年の『Second Coming』だ。それでも彼らについて語るとき、巨大な評価の中心にはほとんど常にデビュー作がある。「I Wanna Be Adored」「She Bangs the Drums」「Waterfall」「Made of Stone」「I Am the Resurrection」。さらに同時期の「Fools Gold」まで含めれば、The Stone Rosesという神話の骨格は1989年前後の短い期間にほぼ形成されている。長いディスコグラフィーによって評価を積み上げたThe BeatlesやRadioheadとは、まったく違うタイプの影響力だ。なぜ一枚のアルバムが、それほど大きな未来を作ることができたのか。今回はAlex、Sophie、Marcusの3人が、John Squireのギター、ManiとReniのリズム、Ian Brownの存在感、Madchester、Spike Island、そして「続かなかったこと」まで含めて、その神話の構造を考える。

『The Stone Roses』は完成された作品というより「新しいバンド像」だった

Alex

最初に言いたいのは、1989年の『The Stone Roses』が新しかった理由をギターだけで説明するのは無理だということです。John SquireのギターにはThe Byrdsや60年代サイケデリアを思わせる要素があるし、メロディにも過去の英国ポップとのつながりがある。個々の材料だけ見れば、突然未来から落ちてきた音ではない。でもReniのドラムとManiのベースが入った瞬間、そのギターが全然違う場所へ移動するんです。ロックの曲なのに、リズム隊が「ギターを支える」だけではなく、身体を動かす中心になっている。

Marcus

僕はそこが最も重要だと思います。ロック・バンドのベースとドラムが、歌とギターを運ぶ土台ではなく、それ自体で聴き手を踊らせる。「She Bangs the Drums」なんてメロディはすごくポップだけれど、演奏を聴くとかなりしなやかでしょう。ドラムは四角く拍を刻まず、ベースもルート音だけに縛られない。インディー・ロックを聴いている人とクラブへ行く人の身体感覚が、同じ曲の中で接続できた。

Sophie

しかもその接続が、いかにも「ロックとダンスを融合しました」という実験に見えなかったのが大きいですね。Happy Mondaysならクラブ文化との関係がもっと露骨に見える部分がありますが、The Stone Rosesのデビュー作は一見すると非常に古典的な英国のギター・バンドでもある。そこにダンス的な身体性が内側から入り込んでいる。だから60年代を愛する人にも、80年代末の新しいマンチェスターの空気を求める人にも届いた。

Alex

John Leckieのプロダクションも、そのバランスを壊していないんですよ。ギターを巨大にしてリズム隊を後ろへ押し込むこともないし、逆にクラブ・ミュージックのように低域だけを極端に支配させるわけでもない。「Waterfall」なんて、ギターの透明感、Maniの動き、Reniの細かなリズムが全部聞こえる。だから一枚の中に「これから英国のギター・バンドはこうなれる」という複数の可能性が入っていた。

Sophie

「新しいジャンルを発明した」というより、新しいバンド像を見せたんでしょうね。ギターを愛していても過去に閉じなくていい。踊れてもロックの身体性を失わなくていい。美しいメロディを書いても洗練されたポップスターにならなくていい。その複数の矛盾が一つのバンドに共存したことで、後続がそれぞれ別の部分を持っていけた。それが影響力を大きくしたと思います。

Ian Brownは「上手く歌う」以外のフロントマン像を作った

Sophie

The Stone Rosesの神話を音楽技術だけで説明できない最大の理由がIan Brownです。彼の歌唱を純粋な技術で評価すれば、もっと優れたロック・シンガーはいくらでもいる。でも「I Wanna Be Adored」の最初の一声には、歌唱力とは別の権威がある。何も証明していない段階から、すでに自分たちは特別だと信じ切っているように聞こえるんです。

Alex

あれは面白いですよね。普通なら「I Wanna Be Adored」なんてタイトルを歌うなら、もっと大声で自己主張したくなる。でもIanはむしろ脱力している。背後ではギターやベースが徐々に巨大になっていくのに、本人は力まない。そのためスターになりたい人ではなく、「スターであることはすでに決まっている」と考えている人みたいに聞こえる。

Marcus

ヒップホップ的な視点から聴くと、そこはよく分かります。声量や歌唱力ではなく、デリバリーが人格を作っている。Ianの声には「この言葉を信じさせるために頑張っています」という感じがない。むしろ努力していないように聞こえることが自信になる。技術的な完璧さとは別に、声の置き方だけでキャラクターが成立するんです。

Sophie

そのキャラクターは90年代の英国ロックへかなり大きな道を作ったと思います。フロントマンが昔ながらの派手なエンターテイナーである必要がなくなる。革ジャンを着て大声でシャウトしたり、超人的な歌唱を見せたりしなくても、姿勢や目つきや言葉の置き方で巨大な存在になれる。後のManchesterのバンドを見ると、その影響を考えずにはいられません。

Alex

そして重要なのは、Ian一人ではあの態度が成立しないことです。彼があれだけ脱力できるのは、後ろの三人がものすごく動いているから。Reniは細かく叩き、Maniはベースで曲を動かし、Squireはギターの層を作る。演奏陣が複雑だから、フロントマンは逆に何もしないことができる。この役割分担が完璧なんですよ。

Reniはなぜ「ロックを踊れるものにした」と言われるのか

Marcus

The Stone Rosesを一枚だけの神話にした人物を一人選べと言われたら、僕はかなりReniに傾きます。「Elephant Stone」や「She Bangs the Drums」を聴けば分かるけれど、彼のドラムはロック的な重さとファンク的なしなやかさの両方を持っている。キックとスネアだけで前へ押すのではなく、ハイハットやゴースト的な細かな動きまで含めてグルーヴを作る。ギター・バンドなのに、ドラムを追いかけて聴きたくなるんです。

Alex

ギタリストにとってもReniは大きいですよ。リズムが単純な8ビートなら、Squireの細かなギターはもっと装飾的に聞こえたと思う。でもドラム自体が流動的だから、ギターもリズムの中へ溶ける。「Waterfall」のギターなんて美しいフレーズとして記憶されるけれど、実際にはリズム隊との噛み合わせがかなり重要です。

Sophie

このリズム感がMadchesterという時代とつながったんですよね。80年代末のManchesterでは、ロック・バンドとクラブ・カルチャーを完全に別の文化として扱うことが難しくなっていた。The Stone Rosesはハウスそのものを演奏したわけではないけれど、クラブへ行った後の身体でギター・バンドを聴ける。そこが決定的だったと思います。

Marcus

それが「Fools Gold」で完全に表面へ出る。あの曲ではベースとドラムが中心で、ギターは長い時間の中を漂うように配置される。ヴァース、コーラス、ギター・ソロという昔ながらのロック構造より、グルーヴが続くこと自体が快楽になっている。ここまで来ると、The Stone Rosesが単なる60年代リヴァイヴァルではなかったことが明確です。

Alex

しかもSquireがそこでギター・ヒーロー的に暴れないんですよね。ワウやカッティングを使いながら、リズムの隙間に入っていく。『The Stone Roses』本編で見せたジャングリーなギターとは違うけれど、「ギターが曲を支配しなくてもいい」という発想は共通している。そこが後の英国ギター・ロックに与えた影響はかなり大きかったと思います。

Marcus

だからThe Stone Rosesが残したものは「ダンス・ビートを入れれば新しい」という公式ではない。リズムを曲の中心に戻すことだった。インディー・ロックが頭で聴く音楽と身体で聴く音楽に分かれかけたところで、その二つを再接続したんです。

「I Wanna Be Adored」は神話が音楽より先に始まる曲だった

Sophie

一枚しかなくても巨大な神話になれた理由を考えるなら、「I Wanna Be Adored」を一曲目に置いたことはかなり重要です。新人バンドのデビュー・アルバムなのに、普通なら必要な自己紹介がない。「僕たちはこういう音楽をやっています」ではなく、いきなり崇拝されたいと言う。しかもアルバムを聴く側が、その誇大妄想を笑えないだけの音が後から続いてくる。

Alex

イントロも普通じゃないですよね。すぐに歌やリフを出して掴むのではなく、音が遠くから少しずつ近づいてくる。最初から「今ここにいるバンド」を録音するより、何かが出現する場面を作っている。あれだけでThe Stone Rosesを実際より巨大な存在に見せる力があります。

Marcus

そしてベースが入ると、一気に身体がつながる。タイトルはナルシシズムの極端な形だけれど、演奏には共同体的な快感があるんですよ。「俺を崇拝しろ」と言っている人物を遠くから見るのではなく、グルーヴの中へ聴き手も入る。だから傲慢さが排他的にならない。

Sophie

The Stone Rosesの自信って、そこがOasisとも少し違うと思います。Oasisは「俺たちは世界最大のバンドになる」という上昇物語が非常に強い。でもThe Stone Rosesは、まだ世界を征服していない段階から、自分たちはすでに伝説だという態度を取る。未来形ではなく現在完了に近いんです。

Alex

John Squireのギターもその神話性を支えています。ハードロックのような巨大なリフで威圧するのではなく、少しずつ層を増やして空間そのものを広げる。曲が大きくなっているのに、誰か一人の超絶技巧が原因ではない。バンド全体が一つの巨大な存在へ変わっていく。

Sophie

だから一枚目なのに「デビュー感」が薄いんですよね。未完成な若者が成長していく物語ではなく、最初から自分たちの世界観が完成しているように見えた。その後の作品数が少なかったことで、結果的にその第一印象が修正されずに残ったとも言えます。

「She Bangs the Drums」はなぜ後のBritpopへの扉になったのか

Alex

The Stone Rosesの影響を考えるなら、「She Bangs the Drums」が一番分かりやすいかもしれません。ギター・ポップとしてすごく強いし、サビは一回聴けば覚えられる。でも演奏は単純なストレート・ロックではない。ReniとManiが細かく動くから、曲全体が跳ねる。この「大きなメロディと踊れる演奏」の組み合わせが後の英国ロックに重要だった。

Sophie

しかも歌詞や声に、80年代インディー特有の「私たちは主流とは別の場所にいます」という防御的な感じがあまりない。自分たちの音楽がもっと大きな場所へ行って当然だという雰囲気がある。ここが90年代につながりますよね。インディーであることと、大衆的な成功を望むことが矛盾しなくなる。

Marcus

僕はそこをBritpopの前史として見ると面白いと思います。Britpopになるとダンス的なリズムはかなり後退するバンドも多い。でも「英国のギター・バンドが、自国のポップ史を引き受けながら大勢に向けて歌える」という自信はThe Stone Rosesがかなり先に作っていた。音の直接的なコピーより、その態度の影響の方が大きい。

Alex

Noel Gallagher以降のギター・バンドにつながる部分もそこでしょうね。必ずしも新しいコードや奏法を発明する必要はない。過去の英国音楽を自分たちのものとして使い、それを現在の若者の音にすればいい。The Stone RosesはThe ByrdsやThe Beatlesの影響を隠そうとしなかったけれど、懐古バンドには聞こえなかった。

Sophie

それはジャケットにも出ています。John Squireのアートワークには60年代的な美術への参照があるけれど、作品全体は博物館的ではない。過去を忠実に再現するのではなく、自分たちの世代の記号として使う。90年代の英国文化が後に何度もやることを、かなり早い段階でやっていた。

Marcus

だから後続バンドが受け取ったのは曲だけではない。「自分たちの過去を引用することは、必ずしも後ろ向きではない」という許可だったんだと思います。そこからOasisのようなもっと巨大な大衆性へ行く道も開いた。

「Fools Gold」で一枚のアルバムの外側まで神話が拡張した

Marcus

ただ、「一枚で神話になった」と言うとき、『The Stone Roses』だけを完全に閉じた作品として扱うのも違います。「Fools Gold」があるからです。1989年の彼らを考えると、この曲がデビュー作の世界をさらに広げた。アルバムのギター・ポップだけなら、影響力はもう少し違う形だったかもしれない。

NaomiではなくMarcus:

「Fools Gold」では、リズムがほとんど主人公です。ManiのベースとReniのドラミングが反復を作り、Squireのギターはそこへ断片的に入る。ロック・ソングをダンサブルにアレンジしたというより、最初から長いグルーヴの中で音を変化させていく発想になっている。ここでMadchesterという言葉が示すものが非常に分かりやすくなる。

Alex

僕はギターの位置が好きです。Squireは『The Stone Roses』であれだけ美しいコードやメロディを弾けることを証明した後に、「Fools Gold」ではそこから離れる。ギターがコード進行を説明せず、ワウの音色や短いフレーズで空間に穴を開ける。この一曲があることで、彼を単なる60年代型のギタリストとして分類できなくなるんですよ。

Sophie

文化的にはさらに重要でしょうね。「Fools Gold」は、ロック・バンドとレイヴ文化の間に橋をかけたというThe Stone Rosesのイメージを決定づけた。ファンがバンドを見る場所と踊る場所が重なっていく。これは単なるジャンル融合ではなく、若者の夜の過ごし方そのものが変わっていた時代との接続です。

Marcus

だからThe Stone Rosesの「一枚」は、実際には周辺のシングルまで含んだ一つの期間として考えた方がいいと思います。『The Stone Roses』というアルバムが中心にあり、その周囲に「Elephant Stone」「Fools Gold」「One Love」などがある。その短期間の曲群が異常に濃かった。

Alex

そうですね。作品数が少ないというより、「代表作になる候補が短い期間に集中している」と考えた方が正確です。普通のバンドなら何枚かに分散するようなアイデアが、1988年から90年あたりへ密集している。それが後から一つの黄金期として見えるんです。

Spike Islandはなぜ「良いライブ」以上の意味を持ったのか

Sophie

神話を語るなら1990年のSpike Islandは外せません。重要なのは、単に大勢を集めた野外公演だったことではないと思います。通常のロック・コンサート会場とは違う場所で、大規模なイベントを作り、レイヴやウェアハウス・パーティーに近い感覚をロック・バンドのライブへ持ち込んだ。それによってThe Stone Rosesは「人気バンド」から「一つの世代を集める現象」に変わった。

Marcus

ここで面白いのは、演奏の完璧さと神話が必ずしも比例しないことです。歴史的なライブって、後から音源を聴けば演奏が最高だったから伝説になったとは限らない。その場に行くこと自体が文化的な参加になる場合がある。Spike Islandはまさにそういうタイプでしょう。

Alex

バンドの神話って、レコードだけでは完成しないんですよね。『The Stone Roses』を家で聴いていた人たちが一つの場所へ集まって、「自分たちと同じ感覚を持つ人間がこんなにいる」と確認する。その瞬間、曲が私的なものから世代的なものに変わる。これは「I Am the Resurrection」みたいな曲に特に合っている。

Sophie

ファッションも重要です。バギーなシルエット、カジュアルなスポーツウェア、色彩。後から「Madchester」や「baggy」の記号として整理されますが、当時は音楽、クラブ、服装が同じ若者文化の中で混ざっていた。The Stone Rosesはその中心にいながら、作り込まれたポップスターには見えなかった。そこが大衆化しても「自分たちのバンド」だと思わせる理由だった。

Marcus

つまりSpike Islandで巨大になったのはステージ上の4人だけではない。観客も含めた文化そのものが巨大化した。これはThe Beatles型のスター崇拝とも、ハードロック型の巨大ステージとも少し違う。バンドが象徴ではあるけれど、祝われているのは集まった人たちの感覚でもある。

Sophie

そして後から振り返ると、それが神話化に最適なんですよね。短い黄金期、巨大な群衆、独特な場所、その後に訪れる停滞。物語としてあまりにも形がいい。長く安定して活動したバンドには作りにくい種類の伝説です。

なぜ五年間の空白が神話を壊さず、むしろ大きくしたのか

Alex

普通なら1989年に傑作を出して、次のアルバムが1994年というのは致命的ですよ。特にあの時期は音楽の変化が速い。Madchesterがあり、グランジが世界を変え、Britpopが始まろうとしている。その間The Stone Rosesは新作を出せない。バンドのキャリアとして見れば、明らかに失速です。

Sophie

Silvertoneとの契約をめぐる法的な争いもあって、その空白は単純な創作上の選択ではありませんでした。でも結果だけ見ると、第一作が「更新されない作品」になった。普通なら次作によって前作の意味が変わるでしょう。ところが何年も新しい答えが出ないから、ファンやメディアが『The Stone Roses』を何度も語り直すことになる。

Marcus

これは作品数と神話の関係で面白いところです。音楽家が新作を出し続ければ、評価は常に更新される。失敗作もあれば方向転換もある。でも沈黙すると、既存作品に解釈が集中する。一枚のアルバムが過剰な量の意味を引き受けるようになるんです。

Alex

しかも、その間にThe Stone Rosesから影響を受けたように見える次世代のバンドが登場してくる。すると本人たちが新作を出していない間に、影響だけが可視化されていく。「この後の英国ロックのここにもRosesがいる」と周囲が証明してくれる。本人が活動していないのに存在感はむしろ増えるという奇妙な状況です。

Sophie

神話というものには不在が必要なのかもしれませんね。常に本人が出てきて「実際はこうです」と説明すると、物語が現実に戻される。でもThe Stone Rosesには空白が多い。そのため1989年から90年の姿が固定され、理想化される余地が生まれた。

Marcus

ただし、それを美化しすぎるべきではないと思います。バンドにとっては失われた時間でもあるし、音楽的な発展の機会も失った可能性がある。神話としては有利だったかもしれないけれど、キャリアとして理想的だったわけではない。この二つを分けた方がいいですね。

『Second Coming』は本当に神話を壊したのか

Alex

僕は『Second Coming』を「失敗した二枚目」とだけ扱うのが好きじゃないんです。確かに『The Stone Roses』を期待したら、かなり違う作品です。SquireのギターはもっとLed Zeppelin的なブルース・ロックへ寄り、リフやソロが前へ出る。「Love Spreads」なんて、一作目のジャングリーなギターから考えると別のバンドみたいでしょう。でも演奏自体には面白い部分がたくさんある。

Marcus

僕も「Begging You」はかなり重要だと思います。あの曲では反復するビートとギターが激しくぶつかっていて、「Fools Gold」の延長をもっと攻撃的にしたようにも聞こえる。だから二作目が完全に70年代ロックへ後退したという説明も単純すぎる。複数の方向が一枚の中でうまく統合されていないことの方が問題でしょう。

Sophie

でも神話という観点では、その統一されていなさが大きかったんですよね。デビュー作は「The Stone Rosesとは何か」に非常に明確な答えを与えた。一方『Second Coming』は、その答えを更新するより複数の可能性へ分裂している。五年間待った聴き手にとっては、作品そのもの以上に「待っていた未来と違った」という感覚があった。

Alex

「Ten Storey Love Song」みたいな曲を聴くと、メロディを書く力が消えたわけではないんです。でも一作目では4人のバランスが魔法みたいに成立していたのに、二作目ではSquireのギターがかなり大きな空間を取る。僕はギタリストだから楽しめるけれど、Rosesの特別さって本来、誰か一人が支配しないところにあったと思う。

Marcus

それはリズムの問題でもあります。一作目ではReniとManiがギター・ロックの時間感覚自体を変えていた。でも二作目では、曲によってはギターの重量にバンド全体が引っ張られる。優れたハードロックとして聞こえる瞬間はあっても、「この4人にしか作れない未知のバランス」という感じが弱くなった。

Sophie

だから逆説的に『Second Coming』は、一作目の神話を壊すより強化した部分がある。「やはりあの瞬間は再現できなかった」と証明する形になったからです。本当はもっと複雑な作品なのに、歴史の中ではデビュー作の奇跡を際立たせる役割を背負ってしまった。

OasisはThe Stone Rosesの何を引き継いだのか

Sophie

影響力を考えるとOasisとの関係は避けられません。ただし、音そのものをそのまま継承したと考えるとかなり違います。OasisにはReniのようなダンス的ドラミングはないし、Maniのようなファンク的なベースが中心でもない。それでもThe Stone Rosesなしでは、Oasisの登場の仕方は違っていたと思うんです。

Alex

僕は一番大きいのは「北部のギター・バンドが世界を狙っていい」という感覚だと思います。The Smithsにも巨大な影響力はあったけれど、Morrisseyにはアウトサイダーとしての複雑な自意識がある。The Stone Rosesはもっと堂々としていて、自分たちが最高だということをほとんど疑っていない。その自信はOasisにつながる。

Marcus

そしてロックと若者の共同体との関係ですね。曲を聴いて「素晴らしいアーティストだ」と鑑賞するだけではなく、「これは俺たちのバンドだ」と思わせる。ヒップホップでも地域を代表するアーティストにはその感覚があります。The Stone RosesはManchesterのバンドでありながら、その地方性を劣等感にせず大きな文化的自信へ変えた。

Sophie

服装もそうです。ステージ衣装というより、観客と連続して見える服を着ている。後のBritpopでも「スターなのに自分たちと同じ街にいそう」という距離感はかなり重要になる。David Bowie的な異星人のスターとは正反対です。

Alex

音楽的には、大きなメロディを難しくしないことも受け継がれたと思います。「Made of Stone」や「She Bangs the Drums」はコードの複雑さで勝負しているわけではない。でも演奏やアレンジによって巨大になる。Noel Gallagherも後に、基本的なコードから大きなアンセムを作る。それは直接のコピーではないけれど、同じ英国ロックの価値観につながっています。

Marcus

ただ、失われたものもある。Britpopが巨大化するにつれて、The Stone Rosesが持っていたダンス・カルチャーとの曖昧な境界は薄くなる。だから後継者たちはThe Stone Rosesのすべてを継いだのではなく、それぞれ一部分を受け取った。その分散こそ影響の大きさを示しているとも言えます。

一枚しかないから「可能性」が永遠に失われなかった

Marcus

作品数と影響力の話へ戻ると、僕はThe Stone Rosesの場合、「実現した作品」より「実現しなかった未来」が神話の大きな部分を占めていると思います。もし1989年から毎年のようにアルバムを出していたら、彼らが何者だったかはもっと明確になっていたでしょう。でも実際には、その答えが欠けている。

Alex

そうなんですよ。「次はもっとダンス寄りになったかもしれない」「ギター・バンドとしてさらに発展したかもしれない」「もっとポップになったかもしれない」。全部想像できる。『Fools Gold』を出した直後だっただけに、可能性がすごく広く見えていた。その状態で時間が止まった。

Sophie

神話にとって「もしも」は非常に強いんです。長く活動したバンドなら、可能性の大半は実際の作品によって答えが出る。でもThe Stone Rosesには、「本来ならもっと巨大になれた」という未完の物語が残った。それが現実以上のサイズまでバンドを膨らませる。

Marcus

スポーツ選手でも早くキャリアが途切れた人に似ていますよね。実績だけなら上にいる人がたくさんいるのに、「もし続いていたら」という想像が評価に入る。ただThe Stone Rosesの場合、重要なのは一枚目の水準が本当に高いことです。基準になる作品が弱ければ、未完であることは神話にならない。

Alex

そこは強調したい。作品数が少ないから評価されたわけではないんです。一枚の中に「I Wanna Be Adored」「She Bangs the Drums」「Waterfall」「Made of Stone」「I Am the Resurrection」がある。さらに周辺に「Fools Gold」がある。まず異常に強い核があって、その後の空白がそれを増幅した。

Sophie

つまり希少性だけでは神話は作れない。希少性が効くのは、残されたものが未来を想像させる場合だけです。The Stone Rosesの一作目は完璧に閉じた作品であると同時に、「この先いくらでも違う場所へ行けそう」と思わせる作品だった。その矛盾が大きいんでしょうね。

「I Am the Resurrection」はデビュー作の最後として傲慢すぎた

Alex

『The Stone Roses』の神話性を決めたもう一つの要素が「I Am the Resurrection」です。デビュー・アルバムで自分を復活そのものだと宣言する。普通ならかなり恥ずかしい。でも前半の歌としての強さがあり、そこから長いインストゥルメンタルへ入っていくことで、本当にバンドが別の存在へ変わるんですよ。

Marcus

後半が特に重要ですね。歌詞の意味から離れて、ベース、ドラム、ギターの関係が中心になる。つまりIanが「俺こそ復活だ」と歌った後、バンド全体がその宣言を演奏で証明する。フロントマンのカリスマだけでは終わらない。

Sophie

アルバムの最後にこれを置くことで、「新人バンドの良いデビュー作を聴いた」という感覚では終わらないんですよね。もっと大きな文化的イベントに立ち会ったような印象が残る。The Stone Rosesは最初から自分たちを歴史の一部として演出する感覚が強かった。

Alex

しかもインスト部分でSquireがただ長いソロを弾くわけではない。ReniとManiがグルーヴを作り、その上でギターが絡む。即興的なロックの快感とダンス的な持続が近づいていく。『The Stone Roses』が持っていた複数の要素が最後に一つになるんです。

Marcus

だからこの曲は、「曲が終わる」というより「バンドがまだ鳴り続けられる」感覚を残す。これから何枚も凄いアルバムを作るんじゃないかと思わせる。歴史を知っている現在から聴くと、その終わり方が余計に切なく感じられるんですよ。

Sophie

まさにそこです。実際にはその未来が期待通りには展開しなかったから、アルバム最後の開放感が永遠の可能性として保存された。物語の結末を知ってから聴くことで、神話性がさらに増してしまうんです。

再結成は神話を壊したのか、それとも確認したのか

Sophie

2010年代の再結成は、このバンドにとって興味深い出来事でした。神話的なバンドが再び実体を持つと、理想化された記憶が壊れる危険がありますよね。年齢も変わるし、1989年の若者文化をそのまま再現することはできない。それでも再結成公演に巨大な需要が生まれたこと自体、一枚目の楽曲が世代を超えて共同体を作り続けていた証明でもあった。

Alex

演奏という意味では、Reni、Mani、Squireの組み合わせをもう一度聞けることに価値があったと思います。特にあのリズム隊は、レコードを聴くだけだと「良いインディー・バンド」という説明に埋もれがちだけれど、実際にはかなり特殊です。曲が何十年経っても機能するのは、メロディだけではなく演奏の構造が強いからです。

Marcus

再結成によって面白かったのは、影響がすでに次世代へ渡り切っていたことですね。彼ら自身が最新の音楽シーンを支配する必要はもうない。観客の中には当時を知る人もいれば、後からOasisやBritpopを経由してThe Stone Rosesへ来た世代もいる。神話が個人の記憶から音楽史へ移った後なんです。

Sophie

だから私は、再結成が神話を大きく壊したとは思わない。むしろ「1989年の一瞬だけの流行ではなかった」と確認する役割を持った。ただ、新しいアルバムによって過去を完全に更新するところまでは進まなかった。それもまた、一作目中心の物語を維持する結果になりました。

Alex

結局、あの一枚から脱出できなかったとも言えるし、脱出する必要がなかったとも言える。普通のバンドなら厳しい評価ですが、The Stone Rosesの場合は一枚目があまりにも強い。ライブでそれを鳴らすだけで、バンドの存在理由が成立してしまうんです。

最高傑作は当然デビュー作──では一曲だけなら何か

Alex

最高傑作については議論になりにくいですね。僕は『The Stone Roses』です。ギターを中心に聴いても、John Squireが一種類の音に固定されていない。「Waterfall」の流れるようなフレーズ、「Made of Stone」の大きなコード感、「I Am the Resurrection」の長い展開。それでもギターがバンド全体を押し潰さない。4人の力関係が一番美しい状態で残っています。

Marcus

僕もデビュー作です。ただ、理由はリズムですね。ロック・アルバムとして曲が強いのに、ManiとReniを追うだけでも一枚聴ける。このバランスは後続のBritpopでも意外に再現されなかった。The Stone Rosesの影響は巨大だったけれど、一番優れていた部分がそのまま標準になったわけではないんです。

Sophie

私も同じです。文化的にも、作品が1989年という瞬間の複数の変化を一枚に封じ込めている。60年代への憧れ、ポストパンク以後のインディー文化、マンチェスター、レイヴ、ファッション、労働者階級の若者の自信。それらを社会史の教材にせず、非常に美しいポップ・アルバムとして成立させている。

Marcus

一曲だけなら僕は「Fools Gold」を選びたい。アルバム収録曲ではないという点も含めてです。The Stone Rosesをただの素晴らしいギター・ポップ・バンドから、90年代への扉になった存在として理解するなら、この曲が一番分かりやすい。ギター、ファンク、ダンス、反復が全部つながっている。

Alex

僕なら「Waterfall」です。Squireのギター、Reniのドラム、Maniのベース、Ianの脱力した声が全部必要で、一つでも違えばこの感覚にならない。The Stone Rosesの4人がバンドとしてどれだけ特殊だったかが最も自然に聞こえる曲だと思います。

Sophie

私は「I Wanna Be Adored」ですね。理由は音楽だけではなく、このバンドの神話の作り方が最初の数分に凝縮されているからです。まだ何も成し遂げていない新人が、崇拝されたいと宣言する。そして約35年後に聴いても、その傲慢さが冗談に聞こえない。自己暗示が現実になった曲とも言えます。

過小評価された曲に見える「神話になる前のThe Stone Roses」

Alex

過小評価された曲なら「Bye Bye Badman」を挙げたいです。ギターの軽さとメロディの美しさがありながら、リズムはかなり柔軟に動いている。代表曲ほど巨大なアンセムではないけれど、デビュー作が単なる数曲のヒットで成立していないことがよく分かる曲です。

Marcus

僕は「Shoot You Down」が好きです。The Stone Rosesというと高揚感や自信が先に来るけれど、この曲にはもっと煙ったような親密さがある。リズムも強く押し出さず、ベースとギターが余白を作る。アルバムの中にこういう温度差があるから、最初から最後までアンセムを並べただけの作品にならない。

Sophie

私は「Sugar Spun Sister」を挙げます。初期The Stone Rosesのサイケデリック・ポップ的な感覚がよく残っている。後のMadchester的なイメージを知った後から聴くと、彼らが最初からクラブとの融合だけを目指していたわけではないことが分かる。いくつもの可能性を持ったバンドだったことが見える曲です。

Alex

そこが神話の理由でもあるんでしょうね。一枚を何度聴いても、「この方向へもっと行けたはず」という枝分かれが見える。ギター・ポップにも行けるし、「Fools Gold」の方向にも行ける。もっとサイケデリックにも、もっとハードにもなれた。その可能性の多さを二作目以降で全部消費しなかった。

Marcus

普通なら作品数が少ないことは評価の弱点です。でもThe Stone Rosesの場合、一作目が答えではなく大量の質問を残した。その質問に本人たちが十分答えなかったから、後続のバンドがそれぞれ答えることになった。そこに作品数と影響力の逆説があると思います。

対談を終えて

The Stone Rosesが一枚のアルバムを中心に巨大な神話になれたのは、作品数の少なさそのものに価値があったからではない。1989年の『The Stone Roses』とその前後のシングル群には、60年代的なメロディとギター、ファンクするベース、流動的なドラム、クラブ文化の身体感覚、そして根拠が追いつかないほど巨大な自信が短期間に集中していた。そこから後のBritpopへ続く大衆的なギター・バンド像も、「Fools Gold」から広がるダンスとロックの接続も見える。それでいて、そのどちらか一つへ完成されてはいなかった。

そして五年間の空白と『Second Coming』の異質さによって、その可能性は十分に回収されなかった。普通ならそれはキャリア上の損失である。しかし神話という観点では、実現しなかった未来が永遠に残ることになった。The Stone Rosesの影響力は、後続が彼らと同じ音を鳴らしたことだけでは測れない。あるバンドは自信を、あるバンドはメロディを、あるバンドはダンス感覚を、あるバンドはManchesterから世界を目指す姿勢を受け取った。一枚しか残さなかったから巨大になったのではない。その一枚に複数の未来が入っていたのに、本人たちがその未来を使い切らなかった。だから『The Stone Roses』は完成された過去であると同時に、今も終わっていない可能性として聞こえる。

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