Nirvanaはグランジを完成させたのか、それとも終わらせたのか──『Nevermind』以後の矛盾

※本記事は生成AIを活用して作成されています。
TUNESIGHT DIALOGUE

※本記事は、TuneSightに登場する架空のライターによる創作対談です。


1991年の『Nevermind』は、グランジを世界規模の現象へ変えた作品として語られることが多い。Seattle周辺で育っていたパンク、ハードロック、インディー、メタルの混合物を、Nirvanaは「Smells Like Teen Spirit」「Come as You Are」「Lithium」のような強力な楽曲へまとめ、大手レーベルの流通とMTVを通じて一気に大衆文化の中心へ押し出した。しかし、その成功は同時にグランジを危うくした。地域的なシーンだったものがジャンル名として商品化され、服装や態度まで「グランジらしさ」として消費されるようになる。そしてNirvana自身も、自分たちが拡大させた市場から距離を取ろうとし、『In Utero』では『Nevermind』の成功を拒むかのような音へ進んだ。ではNirvanaはグランジを完成させたのか、それとも成功によって終わらせてしまったのか。今回はAlex、Sophie、Marcusの3人が、Seattleのシーン、Kurt Cobainのソングライティング、音の巨大化、メジャー化、そして『In Utero』に刻まれた矛盾から考える。

そもそもグランジに「完成形」はあったのか

Alex

最初に言ってしまうと、僕はグランジに完成形があったという考え自体が少し怪しいと思います。MudhoneyとSoundgardenとNirvanaを並べても、同じ音ではないでしょう。Melvinsまで入れればもっと違う。共通しているのはSeattle周辺のインディー文化やSub Pop、パンクと70年代ハードロックの混ざり方であって、厳密な様式ではない。だから『Nevermind』がグランジを完成させたというより、外部の人間にも理解できる形へ翻訳した、と考えた方が近いと思います。

Sophie

その「外部の人間にも理解できる形」というのが重要ですね。地域のシーンにいるときは、服装も音も価値観も生活の延長です。でも世界中のメディアが「これがSeattleの若者文化だ」と紹介し始めた瞬間に、特徴が抽出される。フランネル・シャツ、破れたジーンズ、無造作な髪、無関心そうな態度。それまで自然に存在していたものが記号になる。Nirvanaの成功は音楽だけでなく、シーンそのものを説明可能な商品へ変えてしまった。

Marcus

ヒップホップでも似たことがあります。地域的な文化が巨大化すると、外から見える特徴がジャンルの本体だと思われ始める。でも内部では最初からもっと多様なんですよ。グランジも、後から振り返ると「重いギターと無気力な若者」という一枚の写真みたいにされるけれど、それは成功後に作られたイメージでもある。Nirvanaはそのイメージを作ったというより、彼らの成功を説明するために周囲がグランジという言葉を拡大したんだと思います。

Alex

しかも『Bleach』を聴けば分かるけれど、Nirvana自身も最初から『Nevermind』の音ではないんですよ。『Bleach』にはMelvinsに近い重さやSub Pop的な荒さが強くて、ギターももっと鈍い。「About a Girl」みたいにKurtのポップ感覚がすでに出ている曲もあるけれど、アルバム全体ではその二つがまだ完全には統合されていない。『Nevermind』で初めて、重い音と異常に強いメロディが一つの様式として見えるようになった。

Sophie

だから「完成」という言葉に意味があるとすれば、グランジそのものの完成ではなく、「グランジとして世界に認識される形式」の完成なんでしょうね。Nirvana以前にもシーンは存在した。でも『Nevermind』以後は、シーンを知らない人でも「こういう音がグランジだ」とイメージできる。それが同時に、ジャンルを固定する第一歩になった。

『Nevermind』はなぜあれほど巨大になったのか

Marcus

「Smells Like Teen Spirit」が重要なのは、単に歪んだギターが大きかったからではないと思います。あの曲は構造がものすごく分かりやすい。静かなヴァースと爆発するコーラスの落差があり、ギター・リフも覚えやすい。Kurtの歌詞が完全には理解できなくても、曲の感情の流れは身体で分かる。曖昧さと大衆性が同時にあるんです。

Alex

そうですね。ギター・プレイ自体は技巧的ではないけれど、音の配置が非常に効率的です。イントロのリフで曲のアイデンティティが決まり、ヴァースでは音量を落として、コーラスで全部を開放する。Pixiesから影響を受けた静と動の構造はよく語られるけれど、Nirvanaの場合はそれをもっと原始的な快感にしている。複雑に聞かせず、落差を最大化する。

Sophie

そしてMTV時代との相性も大きかったと思います。「Smells Like Teen Spirit」の映像は、学校の体育館、チアリーダー、若者の倦怠、最後には混乱へ向かう。その世界観はかなり分かりやすい。でも同時に、広告のように洗練されすぎていない。若者向け文化の中に入りながら、若者向け商品を少し壊しているように見えた。その曖昧さがNirvanaの魅力だった。

Marcus

僕はDave Grohlのドラムもかなり大きいと思います。『Nevermind』の曲はKurtの繊細さや歌詞に注目されがちだけれど、リズムが相当強い。「Breed」や「Territorial Pissings」を聴くと、ドラムが曲を物理的に押している。あの身体性があるから、内向的な歌詞でも音楽が閉じない。悲しさを大衆的なロックに変える装置として、ドラムの存在はかなり重要です。

Alex

Krist Novoselicのベースもそうですね。ギターがパワーコード中心だから、ベースがただ根音を追うだけだと曲が平坦になる。でも「Lounge Act」なんかではベースラインがかなり動いていて、曲の推進力を作る。Nirvanaは三人編成だからこそ、一つ一つのパートがむき出しになる。そのシンプルさが『Nevermind』では巨大な音に変換されたんです。

Butch Vigのプロダクションは「グランジ」を磨きすぎたのか

Alex

『Nevermind』をめぐる矛盾の中心には、Butch Vigのプロダクションがあると思います。ギターは何本も重ねられ、ヴォーカルもダブル・トラッキングされ、ドラムはかなり大きく録られている。結果として音は非常に力強い。でも、これを「地下のSeattleシーンそのままの音」と呼ぶのは無理があります。かなり精密に作られたロック・レコードです。

Sophie

その磨かれ方が問題になったのは、Nirvanaのイメージが「作り込まれていない本物の若者」という方向へ消費されたからでしょうね。実際には『Nevermind』は、自然にスタジオへ入って一発録りした作品ではない。なのに文化的には、80年代の華美なロックへの反動として「加工されていない音」の象徴になった。そのイメージと制作実態の間にズレがある。

Marcus

でも僕は、そのズレ自体は必ずしも悪いと思わないです。ヒップホップでも、荒々しいストリート感を持つ作品が実際にはものすごく精密に編集されていることがある。重要なのは、制作技術が何を作っているかでしょう。『Nevermind』の場合、スタジオの技術はNirvanaを上品にしたというより、彼らの爆発力を誰にでも伝わるサイズへ拡大している。

Alex

まさにそうです。「Drain You」なんて、音響的にはかなり作り込まれているけれど、演奏の原始性は失われていない。問題は、Kurt自身が後にその磨かれ方へ違和感を持つようになったことですね。成功した後で聴くと、「自分たちの荒さまで商品として完璧に整えられてしまった」と感じた部分があったんじゃないかと思う。

Sophie

しかも『Nevermind』の音が売れたことで、レコード会社側に「この種の荒いギターを、きれいに巨大化すれば売れる」という学習が起こる。そこからグランジの外見だけを持ったバンドまで市場へ投入されるようになる。だからNirvanaの成功は、オルタナティブを主流へ押し上げたと同時に、「オルタナティブらしさ」を商品規格に変えてしまった。

Nirvanaは売れた瞬間に「オルタナティブ」ではなくなったのか

Marcus

ここは言葉の矛盾ですよね。オルタナティブというのは本来、何かに対する代替だった。でもその代替がチャートの中心へ行ったら、まだオルタナティブなのか。Nirvanaはそこに真正面からぶつかった。自分たちが嫌っていた種類の大衆文化を批判しながら、自分たち自身が大衆文化の中心になる。

Sophie

そしてKurtは、その矛盾を完全には演技で処理できなかったように見えます。ロックスターになった後も「自分はロックスターです」と割り切って振る舞うタイプではなかった。むしろスター性そのものへの嫌悪と、成功への欲望が同居していた。売れたい気持ちがなかったわけではない。でも売れた結果、自分の歌がどんな人にでも所有されることには不安があった。

Alex

これは音楽家としてかなり難しいですよ。良い曲を書いて、良いレコードを作って、それが大勢に届く。それ自体は普通なら成功です。でもNirvanaの場合、「大勢に届くこと」が自分たちの所属していたDIYやパンクの価値観と衝突した。しかもファンの中には、Kurtが嫌っていたような男性性や差別的な態度を持つ人まで入ってくる。自分の曲が誰に届くかは、成功した時点で制御できなくなる。

Marcus

そこが面白いです。ポップカルチャーでは、作品を公開した瞬間に作者の所有物ではなくなる。でもKurtは、その現実をかなり苦痛に感じたんだと思う。自分の反感や脆さを歌った曲が、単なる巨大なロック・アンセムとして消費される。その瞬間、反抗の意味が薄まる。反抗まで商品になるという問題です。

Sophie

だからNirvana以後のグランジには、「成功すればするほど反抗としての意味が弱くなる」という構造的な矛盾が生まれた。これはNirvana個人だけの問題ではない。反商業主義的な態度を商業市場の中で表現する以上、完全には逃げられない矛盾です。

「Smells Like Teen Spirit」はアンセムになった瞬間に別の曲になった

Alex

「Smells Like Teen Spirit」について僕が面白いと思うのは、Kurtが巨大な世代アンセムを書こうとしたわけではないのに、結果としてそうなってしまったことです。ギター・リフもキャッチーだし、コーラスの爆発もあるけれど、歌詞は明快なスローガンではない。なのに聴き手が勝手にそこへ「世代の怒り」を読み込んだ。

Sophie

そこには時代の欲望もあったと思います。メディアは常に「次の世代を代表する声」を欲しがる。60年代なら別の人物、70年代ならパンク、そして90年代にはKurt Cobainがその位置に置かれた。でも本人の歌詞は、そんなに整理された世代論ではない。むしろ自己嫌悪や曖昧なイメージが多い。その曖昧さが逆に大勢の投影を可能にしたんです。

Marcus

ヒップホップでも、作者が個人的なことを言っているのに「世代の声」として解釈されることがあります。大衆文化は、複雑な個人を象徴へ圧縮するんですよ。「Smells Like Teen Spirit」もそうで、Kurt個人の矛盾が「若者の反抗」という一つのラベルにまとめられた。曲が大きくなるほど、本人から離れていく。

Alex

そしてライブで大勢がイントロのリフに反応するようになると、もう曲は個人的なものではないんですよね。あの4コードが鳴った瞬間に、観客全体が何をすべきか知っている。それはロックとして最高の状態でもある。でもKurtにとっては、自分が嫌っていたロックの巨大な儀式を自分自身が作ってしまったとも言える。

Sophie

そこがNirvanaの悲劇的なところです。彼らはロックの古い権威を壊したかったのに、その成功によって新しい権威になった。反スターがスターになる。反アンセムがアンセムになる。反商業的なイメージが最大級の商品価値を持つ。『Nevermind』以後のNirvanaは、この逆説から逃げられなくなった。

『In Utero』は『Nevermind』への反論だったのか

Alex

『In Utero』については、よく「『Nevermind』のポリッシュを拒否したアルバム」と言われますが、それはかなり正しいと思います。Steve Albiniを起用して、ドラムもギターももっと生々しく、部屋の響きが見えるような録音にした。「Serve the Servants」が始まった瞬間から、『Nevermind』の滑らかな巨大さとは違う。音が近いというより、むしろ痛いんです。

Marcus

ただ、完全な反商業作品ではないですよね。「Heart-Shaped Box」も「All Apologies」も曲として非常に強い。Kurtはメロディを書く能力を捨てていない。だから面白いんです。もし本当に成功を破壊したいだけなら、もっと聴きにくいレコードにもできた。でも『In Utero』は、曲の大衆性を残しながら音の快適さを壊している。

Sophie

その点で、『In Utero』は自己否定というより自己防衛にも見えます。『Nevermind』の成功で作られた「Nirvanaとはこういうバンド」というイメージから、自分たちの領域を取り戻そうとしている。ジャケットも歌詞も身体性が強くて、妊娠、病気、肉体、内部器官のようなイメージが多い。外から消費されるロックスター像に対して、もっと不快で私的な身体を見せている。

Alex

「Milk It」とか「Scentless Apprentice」を聴くと、その拒絶はかなり露骨です。ギターは耳に優しい厚みではなく、金属的で刺さる。Daveのドラムも巨大だけれど、Butch Vig的な完成されたロック・ドラムとは違って、部屋の空気ごと叩いている感じがある。ただし「Dumb」や「All Apologies」のような柔らかい曲もあるから、単純なノイズ化ではない。

Marcus

そこがKurtの本質でしょうね。彼はポップ・ソングを書く才能を否定できない。否定したいのは、その才能が市場によって一つの公式にされることだったんだと思う。だから『In Utero』では「曲は良いまま、商品としての表面をざらつかせる」という方法を選んだ。かなり矛盾した戦略です。

Sophie

しかも最終的には「Heart-Shaped Box」や「All Apologies」などで追加のミックス作業が行われているので、完全なAlbini録音原理主義でもない。Nirvana自身が「純粋な地下性」に戻れなかったことがそこにも出ています。戻る場所そのものが、もうなくなっていたんです。

グランジが終わったのではなく、「グランジらしさ」が始まった

Sophie

私はNirvanaがグランジを終わらせたというより、『Nevermind』の成功以後に「グランジらしさ」が始まったと考えています。それ以前はSeattleの複数のバンドが、それぞれ違う音を鳴らしていた。でも成功後は、メディアもレコード会社も市場も、共通する特徴を探し始める。そこで初めてジャンルがパッケージ化される。

Alex

そうですね。Soundgardenはもっとメタル的だし、Alice in Chainsには別種の重さがある。Pearl Jamはクラシック・ロックとのつながりが強い。Nirvanaはパンク寄りです。それを全部グランジという一語でまとめると、実際の演奏の違いがかなり消える。でも世界的に売るには、一つの名前が必要だった。

Marcus

ジャンル名って往々にしてそういうものですよ。内部の人間より外部の市場に便利な言葉になる。すると「グランジ」という言葉を聞いただけで、ある服装、あるギター音、ある態度が連想される。その時点でシーンは文化からスタイルへ変わる。Nirvanaは意図せず、その変化の中心に置かれた。

Sophie

ファッションの面では特に皮肉です。Seattleの寒さや日常生活から自然に出てきたような服装が、世界規模の「グランジ・ルック」として再生産される。反ファッション的だったものがファッションになる。これはNirvanaの反商業主義が商品になったのとまったく同じ構造です。

Alex

音でも同じことが起きます。荒いギター、低いチューニング、感情的なコーラスだけを抽出すれば、それらしいバンドは作れる。でもNirvanaの本当に重要な部分は、Kurtのメロディ感覚やコードの変な動き、歌詞の脆さ、三人の演奏のバランスだった。表面だけ真似すると、グランジというより「Nevermind以後の商品」になる。

Marcus

つまりNirvanaはグランジを終わらせたのではなく、グランジが終わる条件を作ってしまった。地域文化が世界的な様式になれば、模倣が増え、記号が固定され、内部の多様性が失われる。そのプロセスは成功の裏返しなんです。

Kurt Cobainはパンクを守りたかったのか、それともポップを愛していたのか

Alex

僕はKurtを理解するうえで、一番大事なのはパンクとポップの両方を本気で好きだったことだと思います。もしパンクだけなら『Nevermind』みたいなメロディは書かない。もしポップだけなら『In Utero』のあの音には行かない。この二つが矛盾したまま共存していた。

Marcus

そこはかなり大きいですね。「売れたくない人が売れてしまった」という単純な物語ではない。Kurtには明らかに人に届く曲を書く能力があったし、それを楽しんでもいた。でも、その曲が大きくなることで自分の価値観まで変えられることには抵抗した。成功への欲望と成功への嫌悪が同時にある。

Sophie

だから彼の言動にも矛盾が出るんですよね。大衆的なロック・バンドでありながら、誰にでも受け入れられることを望んでいたわけではない。むしろ自分たちのファンが差別的な価値観を持つことには明確な拒絶を示した。つまり市場が広がることより、「誰が何のためにこの音楽を聴いているのか」にこだわっていた。

Alex

音楽的にも、「In Bloom」がその矛盾をすごくよく表していると思います。巨大なコーラスを持つ完璧なロック・ソングなのに、歌詞は曲の意味を理解せずに歌う人物をからかっている。つまり、誰でも歌える曲を書きながら、「お前は本当に分かっているのか」と問いかける。これ以上Nirvanaらしい矛盾はない。

Marcus

しかもその問いは、ヒットすればするほど自分たちにも返ってくるんですよ。何万人もの人がNirvanaを歌うようになったとき、その全員がKurtの価値観を共有しているわけではない。それでも音楽は共有される。ポップの力はそこにあるし、怖さもそこにある。

Sophie

Nirvanaはその怖さを受け入れてスターになるより、最後まで抵抗し続けた。だから彼らのキャリアは「成功して次の段階へ進んだ」という普通の物語にならない。成功そのものが次の問題になったんです。

「Unplugged」はグランジの終わりを示したのか

Sophie

1993年の『MTV Unplugged in New York』は、グランジというイメージを考えるうえでかなり重要です。Nirvanaといえば大音量、歪んだギター、破壊的なライブというイメージが強かったのに、そこで彼らは代表曲を大量に並べる安全なセットを選ばなかった。Meat Puppetsの曲を演奏し、Lead Bellyで知られる「Where Did You Sleep Last Night」で終える。自分たちをグランジの代表として展示することを拒んでいるように見える。

Alex

演奏面でもすごいですよ。アコースティックになったからKurtの曲が弱くなるどころか、メロディとコードの強さがむき出しになる。「About a Girl」なんて、『Bleach』の時点ですでにポップ・ソングとして非常に完成されていたことが分かる。つまりNirvanaの本質は歪んだギターだけではなかった。

Marcus

僕はあのライブで、Kurtが自分の音楽を別の系譜へ接続し直したように感じます。Seattle、パンク、グランジだけではなく、フォーク、ブルース、アメリカの古い歌へ広がる。そうするとNirvanaを「90年代の一ジャンル」に閉じ込めるのが難しくなる。グランジの代表でありながら、グランジより大きな歴史へ逃げているんです。

Sophie

しかも視覚的にも、一般的なMTVのロックスター的勝利とは逆ですよね。照明も花もどこか葬送的で、派手なショーというより静かな儀式に近い。後から見れば特別な意味を感じてしまうけれど、当時の段階でも、Nirvanaが巨大なグランジ・ブランドとして振る舞うことを拒否しているのは明確だったと思います。

Alex

僕はむしろ、あそこで「グランジは音色ではない」と証明してしまったと思うんです。アンプを小さくしてもKurtのコード感覚、声のひび割れ、KristとDaveの間の取り方は残る。つまりジャンルの外見を剥いでもバンドが成立する。それはNirvanaがグランジを超えた瞬間でもある。

Marcus

逆に言えば、そこでグランジという名前の限界が見えたとも言えます。Nirvanaが最も深い表現をした瞬間を「グランジだから」と説明できないなら、その言葉はすでに不十分なんです。

Nirvanaはグランジを殺したのではなく、成功の矛盾を露出させた

Marcus

僕は「Nirvanaがグランジを終わらせた」という言い方には少し慎重です。彼らが終わらせたというより、地下文化が大衆化したときに必ず生まれる矛盾を、あまりにも大きく見せてしまった。商業化、模倣、ファッション化、世代の代表への圧縮。それはNirvanaが悪いというより、成功の構造なんですよ。

Alex

同感です。『Nevermind』がなければグランジはもっと長く地下で続いたかもしれない。でも、それなら僕たちが今知っているような世界的な文化にはならなかった。完成と破壊が同時なんです。Nirvanaはこの音楽がどこまで届くかを証明し、その瞬間に「ここまで届いたらもう同じものではいられない」とも証明した。

Sophie

そして90年代半ば以降、「グランジ」という言葉自体が急速に過去形になっていくのも象徴的です。スタイルとして市場化された瞬間に、次の文化はそれを古いものとして扱い始める。ファッションは特にそうで、「本物らしさ」を商品にした時点で、その本物らしさは消費され尽くしてしまう。

Marcus

だからNirvanaの功績を「グランジを世界に広めた」とだけ言うと半分しか見えない。彼らは、反主流の文化が主流になった後に何が起きるかまで見せた。しかも、それを外から批評したのではなく、自分たち自身がその矛盾の中で傷ついた。

Alex

それが『In Utero』の凄さですよ。普通なら大成功したバンドが、その成功をさらに効率化する。でもNirvanaは、自分たちが作った公式を壊そうとした。完全には壊せないし、ポップな曲を書く才能も消えない。その不完全さこそリアルなんです。

最高傑作は『Nevermind』か『In Utero』か

Alex

最高傑作を一枚選ぶなら、僕は『In Utero』です。『Nevermind』の方が完璧なロック・アルバムだと思う瞬間もあるけれど、『In Utero』にはバンドの矛盾が全部入っている。美しいメロディを書けるのに音を不快にしようとする。大きくなったのに小さく戻ろうとする。Kurtのギターも上手く聞かせようとせず、必要なところでは壊れたような音を出す。その緊張感が好きです。

Sophie

私は『Nevermind』を選びます。理由は文化的な規模も含めてです。あの作品はグランジを代表しただけでなく、「メインストリームのロックはこういうもの」という基準まで変えた。しかも今聴いても、歴史的資料ではなくポップ・アルバムとして強い。「Smells Like Teen Spirit」だけでなく、「Lithium」「Drain You」「On a Plain」まで、曲そのものの完成度が異常に高い。

Marcus

僕は今回のテーマなら『In Utero』ですね。『Nevermind』が答えだとすれば、『In Utero』はその答えに対する反論だから。成功した後に何をするかという問いに、普通の方法で答えなかった。もちろん完全に地下へ戻ることはできない。でも戻れないと分かったうえで、その矛盾を作品の音にした。その点でNirvanaのキャリアを一番深く表していると思います。

Alex

初心者向けなら『Nevermind』でしょうね。Nirvanaのポップ感覚、ギターの荒さ、Daveのドラム、Kristのベースが最も分かりやすく一つになっている。その後『In Utero』へ行くと、彼らが何を嫌がったのかが聞こえる。二枚を並べて聴くと、Nirvanaというバンドの矛盾が一気に分かります。

Sophie

一曲だけなら私は「Lithium」を選びます。静かなヴァースと爆発するコーラスという『Nevermind』の構造がありながら、感情は単純な怒りではない。安定と崩壊を何度も往復する。Nirvanaの大衆性と不安定さが最も自然に共存している曲だと思います。

Marcus

僕なら「In Bloom」です。ものすごくキャッチーで、大勢が歌えるのに、歌詞は自分たちを表面的に消費する聴き手への皮肉として読める。つまり成功すること自体が曲の意味をさらに矛盾させる。『Nevermind』以後の問題が、すでに『Nevermind』の中に書かれていたんです。

過小評価された作品に見える「別のNirvana」

Alex

過小評価された曲なら「Aneurysm」を挙げたいですね。ギターの反復とDaveのドラムがものすごく身体的で、Nirvanaが単なる悲しいソングライターのバンドではなかったことが分かる。曲が進むにつれて同じフレーズがどんどん圧力を増していく。スタジオ版もライブ版も、三人で鳴らすことの強さが出ています。

Marcus

僕は「Lounge Act」です。Kristのベースラインがかなり前に出ていて、Kurtのギターだけでは説明できないNirvanaのグルーヴがある。歌詞は所有欲や不安が混ざっていて、Kurtの脆さもかなり見える。でも演奏は前へ進み続ける。その感情と身体のズレが面白い。

Sophie

私は『Incesticide』という編集盤自体を挙げたいです。『Nevermind』からNirvanaに入った人が聴くと、BBCセッションやシングル、初期音源を通して、彼らがもっと雑多なバンドだったことが分かる。ポップな曲もノイズもカバーもある。『Nevermind』という完璧な物語を少し壊してくれる作品なんですよね。

Alex

そこは大事です。『Nevermind』だけだと、Nirvanaが最初から「グランジを世界に届けるために完成されたバンド」だったように錯覚する。でも実際にはもっとパンクで、もっと冗談が多くて、もっと粗い。彼らの魅力は完成度だけではないんです。

Marcus

だからNirvanaをグランジの完成形と呼ぶなら、その完成形は本人たちにとってかなり窮屈だったんでしょうね。完成された瞬間に、それを壊す必要が生まれた。その矛盾まで含めてNirvanaだったと思います。

対談を終えて

Nirvanaがグランジを完成させたのか、それとも終わらせたのかという問いには、どちらも当てはまる。『Nevermind』はSeattle周辺に存在していた複数の音楽的要素を、強烈なメロディ、静と動の構造、巨大なドラムとギターによって世界規模のポップ・フォーマットへ変換した。その意味では、外部から見た「グランジの完成形」を作った。しかし、その完成によってグランジは地域的な文化ではなく、市場が認識できるスタイルへ変わった。

そしてNirvana自身は、その変化に耐えられなかった。『In Utero』で彼らが壊そうとしたのは『Nevermind』の楽曲ではなく、『Nevermind』によって確立された「Nirvanaらしさ」だった。だがKurt Cobainのポップ・センスを完全に消すことはできず、メジャー市場から地下へ戻ることもできなかった。その失敗こそが重要だった。Nirvanaはグランジを殺したのではない。反主流の音楽が主流へ到達した瞬間、成功そのものが文化を変質させるという矛盾を、自分たちのキャリアそのもので露出させた。その意味で『Nevermind』はグランジの頂点であると同時に、頂点に達した瞬間からその終わりを始めた作品でもあった。

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