※本記事は、TuneSightに登場する架空のライターによる創作対談です。
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1990年代前半まで、全米のヒップホップ史はしばしばニューヨークとロサンゼルスを中心に語られていた。東海岸にはNas、Wu-Tang Clan、The Notorious B.I.G.、西海岸にはN.W.A、Dr. Dre、Snoop Doggy Dogg。その二極構造の間で、南部にもGeto Boys、2 Live Crew、UGK、8Ball & MJGなど独自のシーンはすでに存在していたが、全国的な批評やメディアの中心に置かれる機会は限られていた。
そこへ1994年、アトランタからOutKastが『Southernplayalisticadillacmuzik』で登場する。André 3000とBig Boiは南部訛りを隠さず、Organized Noizeのファンク、ソウル、生演奏を取り込んだプロダクションの上で、アトランタそのものをラップした。その後『ATLiens』『Aquemini』『Stankonia』『Speakerboxxx/The Love Below』と進むにつれ、「南部でも優れたヒップホップが作れる」という証明から、「南部だからこそヒップホップを別の形にできる」という段階へ移っていく。今回はMarcus、Naomi、Sophieの3人が、OutKastが変えたのは地域の序列だったのか、ラップの音だったのか、それともヒップホップにおける「地方」という概念そのものだったのかを考える。
※本記事は、TuneSightに登場する架空のライターによる創作対談です。
- OutKast以前にも南部ヒップホップはあった──ここを間違えると全部崩れる
- 1995年のSource Awardsは、なぜ神話的な瞬間になったのか
- 『Southernplayalisticadillacmuzik』は、アトランタの発音まで音楽にした
- Organized Noizeがいなければ、OutKastの革命は成立しなかった
- Big BoiとAndré 3000は、最初から「現実」と「幻想」だったのか
- 『ATLiens』で南部は「宇宙」になった
- 「南部らしさ」を守るのではなく、南部らしさの定義を変えた
- 『Aquemini』で二人の違いは、グループ最大の武器になった
- 「Rosa Parks」が南部の過去と現在を同じ曲に入れた
- 「SpottieOttieDopaliscious」はラップなのか、ソウルなのか
- Goodie MobとDungeon Familyが「Dirty South」に社会的な言葉を与えた
- 『Stankonia』でアトランタは地域ではなく「未来都市」になった
- 「B.O.B.」は南部ヒップホップが世界の実験音楽になった瞬間だった?
- Big BoiはなぜAndré 3000より過小評価されやすいのか
- André 3000の変化は、ブラック男性像そのものを広げた
- 『Speakerboxxx/The Love Below』はOutKastの完成なのか、解体なのか
- 「Hey Ya!」が売れたことは、南部ヒップホップの勝利だったのか
- OutKast以後、アトランタはなぜ巨大な中心になったのか
- 南部が中心になった結果、ヒップホップの「標準語」まで変わった
- 最高傑作を一枚だけ選ぶなら
- 初心者向けなら『Aquemini』か『Stankonia』か
- 1曲だけなら──「Elevators」「B.O.B.」「SpottieOttieDopaliscious」
- 過小評価された作品を選ぶなら
- OutKastが変えたのは南部ではなく、ヒップホップの地図だった
- 対談を終えて
- 関連レビュー
OutKast以前にも南部ヒップホップはあった──ここを間違えると全部崩れる
まず絶対に最初に言いたいことがあります。
「OutKastが南部ヒップホップを作った」は間違い。
そこは重要ですね。
OutKast以前から南部にはヒップホップがある。
ヒューストンならGeto Boys。
マイアミなら2 Live CrewやMiami bass。
メンフィスにも独自の動きがある。
テキサスではUGKもいる。
8Ball & MJGもメンフィスから出ている。
だからOutKastを「何もなかった南部に突然現れた天才」と語ると、その前史を消してしまう。
では、何を変えた?
南部ヒップホップが存在することではなく、南部ヒップホップが全米のヒップホップの中心を定義できることを証明した。
これが大きい。
「地方から中央へ認めてもらった」だけではない?
最終的には違います。
最初は確かに「南部にもすごいMCがいる」と認めさせる戦いだった。
でも『Aquemini』や『Stankonia』まで行くと、もうニューヨークやロサンゼルスの基準で評価してもらう必要がない。
OutKast自身の基準を作っている。
つまり周縁から中心へ移動したのではなく、中心を複数にした。
まさに。
1995年のSource Awardsは、なぜ神話的な瞬間になったのか
OutKast史でどうしても象徴的になるのが、1995年のSource Awardsですね。
そう。
OutKastがBest New Rap Groupを受賞したとき、会場からブーイングが起きた。
当時は東海岸と西海岸の対立が非常に大きく、南部はその二極の外側に置かれていた。
そこでAndréが、南部にも言うべきことがあるという趣旨の言葉を返す。
後から見ると、あの瞬間がものすごく象徴的になった。
実際、その後アトランタが巨大なヒップホップ都市になることを考えると、予言のようにも見える。
でも「Andréの一言で南部が始まった」みたいな神話にはしたくない。
重要なのは、あの発言がすでに存在していた南部の不満と自信を可視化したこと。
「俺たちはお前たちの亜流ではない」。
それを全米レベルのヒップホップ空間で言った。
音楽史って、技術的発明だけでなく「自分たちをどう名乗るか」が変わる瞬間がありますよね。
そう。
あれは音の革命ではない。
地理的な自意識の革命だった。
『Southernplayalisticadillacmuzik』は、アトランタの発音まで音楽にした
1994年のファースト『Southernplayalisticadillacmuzik』。
タイトル自体がすでに宣言ですよ。
長すぎる(笑)。
でもあの長さがいい。
“Southern”。
“playalistic”。
“Cadillac”。
アトランタの南部性、プレイヤー文化、車文化を一語に圧縮する。
「私たちはニューヨークのラップを南部訛りでやります」じゃない。
タイトルの時点で自分たちの辞書を作っている。
音もかなり特徴的です。
Organized Noizeのプロダクション。
後のOutKastほど電子的・実験的ではなく、もっと生演奏感がある。
ファンク。
ソウル。
低いベース。
ギター。
ホーン。
そこが決定的。
当時のニューヨークなら、サンプルを切った硬いドラムが大きい。
西海岸ならG-Funkが巨大になっていた。
OutKastとOrganized Noizeは、そのどちらとも違う南部のファンクを作った。
「Player’s Ball」も、タイトルからアトランタの文化が見える。
そう。
車。
街。
パーティー。
プレイヤー。
若者の生活。
地方色を消して全国へ売るのではなく、地方色そのものを商品にする。
Organized Noizeがいなければ、OutKastの革命は成立しなかった
ここは強調したいです。
OutKastをAndré 3000とBig Boiだけの物語にすると、音楽的にはかなり不完全。
Organized Noize。
Rico Wade、Ray Murray、Sleepy Brown。
完全に同意。
Dungeon Familyという環境そのものが重要。
OutKastだけでなくGoodie Mobもいる。
「Dungeon」という名前は、制作拠点になった地下室から来る。
その環境がおもしろい。
ヒップホップのプロデュースだけではなく、生演奏を含むミュージシャンシップがある。
ソウル、ファンク、ゴスペル的な感覚もある。
南部のブラック・ミュージック史と自然につながっている。
Atlanta bassだけでもない。
東海岸のブームバップをコピーするわけでもない。
Parliament-Funkadelic、Sly Stone、Prince的な自由さまで感じる。
Organized Noizeの重要性は、ヒップホップのビートを「サンプラーで作るもの」に限定しなかったことでもあると思います。
もちろんサンプリングも使う。
でも生のベースやギター、鍵盤、ヴォーカルが自然に混ざる。
そのため、OutKastの初期サウンドにはバンド的な呼吸がある。
そしてDungeon Familyは、単なる制作チームではなく共同体だった。
Goodie Mobの『Soul Food』まで含めて考えると、アトランタの南部性が一つの世界として見えてくる。
OutKastは孤立した二人の天才ではなかった。Dungeon Familyという生態系から、全国へ最初に大きく突き抜けた存在だった。
Big BoiとAndré 3000は、最初から「現実」と「幻想」だったのか
OutKastというと、後になるほど「Big Boiは地に足がついたラッパー、Andréは宇宙人」という分け方をされます。
便利だけど、それも少し雑。
Big Boiだってかなり変なラップをするし、Andréにもストリートの視点はある。
でも重心の違いは確かにある。
Big Boiはリズムが非常に強いですね。
ものすごく強い。
速い。
言葉数が多い。
南部訛りをリズムにする。
ビートの細かい場所へ入り込む。
そしてAndréは、キャリアが進むほど韻の構造や声色を変えながら、抽象的なテーマへ行く。
二人の違いが、グループを壊すのではなく広げた。
そこです。
普通、デュオって共通のスタイルを作る。
OutKastは逆。
二人が違えば違うほどOutKastになる。
Big Boiが地面を残す。
Andréが空へ行く。
でも両方アトランタ。
それが最終的に『Speakerboxxx/The Love Below』まで行くんですね。
そう。
最初からあった差が、最後には二枚のアルバムになる。
『ATLiens』で南部は「宇宙」になった
1996年の『ATLiens』で大きく変わります。
タイトルからしてAtlantaとaliensを接続している。
地方性を強調していたバンドが、突然宇宙へ行く。
でも僕は逆だと思う。
アトランタだから宇宙へ行けた。
どういう意味?
ニューヨークでもLAでもない。
ヒップホップの中心から見れば「お前たちは外側だ」と言われる。
なら、その疎外感を「俺たちはエイリアンだ」と変えてしまう。
外部であることを弱点ではなくアイデンティティにする。
音もファーストより暗く、空間的になる。
「Elevators (Me & You)」。
低くて、遅い。
音数もかなり少ない。
あの曲は重要です。
成功した後の現実を歌っている。
周囲から「売れたから金持ちだろ」と見られる。
でも実際の生活はそんなに単純ではない。
一方で自分たちは確かに以前とは違う場所へ行っている。
上昇するエレベーターと、社会的な移動が重なる。
そう。
でも祝勝歌ではない。
成功したことで孤立する。
だから『ATLiens』という名前が効く。
「南部らしさ」を守るのではなく、南部らしさの定義を変えた
普通、地域を代表するアーティストには「地元らしさを守れ」という期待がかかります。
OutKastはそこからかなり自由ですよね。
そう。
ファーストだけなら、「キャデラック、アトランタ、南部ファンク」という分かりやすい南部性がある。
でもAndréが服装を変える。
音が宇宙的になる。
サイケデリックになる。
それでもOutKastは南部なんです。
つまり南部ヒップホップを一つの音色として固定しなかった。
そこが革命。
もしOutKastがずっと『Southernplayalisticadillacmuzik』の音を続けていたら、「南部にも固有のスタイルがあります」という歴史になった。
でも彼らは違う。
「南部出身なら、ファンクもテクノもロックもジャズもポップも全部できる」。
その自由を作った。
地域性から自由になること自体が、その地域を強くした。
そう。
ニューヨークのMCが実験的なことをしても「ニューヨークらしくない」と毎回言われない。
南部のアーティストにも同じ自由が必要だった。
OutKastはそれを勝ち取った。
『Aquemini』で二人の違いは、グループ最大の武器になった
1998年の『Aquemini』。
タイトルはAndréのAquariusとBig BoiのGeminiを組み合わせている。
もうアルバム名からして「違う二人が一つになる」。
私はこれがOutKastの核心だと思います。
音響的にもかなり幅があります。
「Rosa Parks」。
「Skew It on the Bar-B」。
「Da Art of Storytellin’」。
「SpottieOttieDopaliscious」。
「Return of the ‘G’」も重要。
Andréの変化に対して、「お前は変わってしまった」「もうストリートじゃない」と見る周囲への反応がある。
ここで彼は、ブラック男性ラッパーがどう見えるべきかという期待そのものと戦っている。
服装、髪型、菜食、精神性。
伝統的なマッチョなラッパー像から離れる。
そう。
そしてBig Boiは逆にストリートの語彙を残す。
ただし彼も単純なギャングスタではない。
父親としての視点もある。
政治や社会への観察もある。
二人が別方向へ行くほど、アルバムの色が増える。
それが『Aquemini』の強さ。
「統一感=全曲同じ音」じゃない。
二人の対立を統一原理にする。
「Rosa Parks」が南部の過去と現在を同じ曲に入れた
「Rosa Parks」はタイトルからして歴史的な名前を使っています。
ただし本人について直接伝記的に歌った曲ではない。
そう。
そこは注意したい。
曲自体はOutKastが道を開けろと言うような自己主張の強い曲。
ただRosa Parksの名前を使ったことをめぐっては、後に本人側との法的な争いも起きた。
だから単純な公民権運動へのオマージュとして美談にするのは違う。
音楽的にはハーモニカも印象的。
そこも南部性。
ヒップホップ、ブルース的な音色、ファンク。
全部同時にある。
OutKastは南部の歴史を博物館のように保存するのではなく、現代のポップの中で再配置する。
そう。
そして時にはその再配置自体が論争になる。
そこも含めて、地域の歴史を使うことの複雑さがある。
「SpottieOttieDopaliscious」はラップなのか、ソウルなのか
私は『Aquemini』なら「SpottieOttieDopaliscious」がかなり重要です。
大好きです。
ホーン。
ゆっくりしたグルーヴ。
語り。
普通のヴァース/フック型ラップではない。
ほとんど短編映画。
AndréとBig Boiのストーリーテリングも違う。
ナイトライフ。
恋愛。
その後の生活。
若い男女の選択。
祝祭のように始まって、現実的な重さへ行く。
サウンドが急がないんです。
ヒップホップのトラックというより、ファンク/ソウルのバンドが長くグルーヴしているよう。
それがOutKastの南部性でもある。
南部のブラック・ミュージックの歴史には、ブルース、ゴスペル、ソウル、ファンクがある。
OutKastはそれを「昔のジャンル」として引用するのではなく、ヒップホップの現在へ入れる。
だから「ジャンル横断」という言葉以上に、系譜がつながっている。
Goodie MobとDungeon Familyが「Dirty South」に社会的な言葉を与えた
OutKastだけを話すと、Dungeon Familyのもう半分を落とします。
Goodie Mob。
1995年の『Soul Food』。
“Dirty South”という言葉を考える上でも重要ですね。
そう。
Goodie MobはOutKastより政治的、社会的な色が前に出る。
貧困。
人種。
南部の歴史。
食文化。
コミュニティ。
「Cell Therapy」の監視社会的な不安もある。
OutKastとGoodie Mobを一緒に見ると、アトランタのシーンが単なるパーティー音楽ではなかったことが分かる。
同じOrganized Noizeでも、グループによって音の意味が変わる。
そう。
そしてCeeLo Greenの声も強烈。
Dungeon Family全体で考えると、「南部ヒップホップは一つの音ではなく一つの創作共同体」という感覚になる。
その共同体から後のアトランタの強さへつながる。
直接一本線にはできないけど、文化的な土台として非常に大きい。
『Stankonia』でアトランタは地域ではなく「未来都市」になった
2000年の『Stankonia』。
ここでOutKastの音はさらに変わる。
タイトル自体が架空の国みたい。
『ATLiens』で宇宙人になり、『Stankonia』では国まで作った(笑)。
でも音響的には本当に重要です。
「B.O.B.」。
あれを南部ヒップホップという言葉だけで説明するのは難しい。
ドラムンベース的な速度。
ゴスペル的コーラス。
ロックの爆発。
ラップ。
全部一緒。
しかも無理やりジャンルを混ぜた感じがしない。
速度が異常に速いのに、Big BoiもAndréもラップとして成立させる。
「Ms. Jackson」は逆に非常にポップ。
でもテーマはかなり大人。
恋愛の破局を、当事者二人だけでなく相手の母親との関係まで含めて扱う。
責任。
子ども。
家族。
ラッパーの恋愛歌としてかなり特殊。
「So Fresh, So Clean」はもっと滑らかなファンク。
一枚の中で振れ幅がすごい。
そして、もう誰も「これは南部らしい音なのか」と問えなくなってくる。
OutKastがやれば、それがアトランタから出たヒップホップなんです。
「B.O.B.」は南部ヒップホップが世界の実験音楽になった瞬間だった?
私は「B.O.B.」をOutKastの音楽的革命の頂点の一つに置きたいです。
同意。
ヒップホップのビートを速くするだけなら前例はいくらでもある。
ジャングルやドラムンベースにも独自の歴史がある。
重要なのは、それらの速度感をOutKastのラップ、ギター、ゴスペル的要素と同じ曲に置いたこと。
しかも実験曲で終わらない。
フックがある。
ここがOutKast。
難しいことをしても、曲になる。
Andréの実験性だけじゃない。
Big Boiのラップがものすごく身体的だから、曲が抽象音響へ飛んでいかない。
やっぱり二人が必要なんです。
片方だけなら別の音楽になる。
Big BoiはなぜAndré 3000より過小評価されやすいのか
これ、かなり言いたいです。
Big Boiは過小評価されすぎ。
Andréの方が「天才」として語られやすい。
そう。
Andréは分かりやすく変化する。
服が変わる。
歌う。
ギターを弾く。
ジャズやポップへ行く。
言葉も哲学的になる。
だから批評家が「芸術家」として評価しやすい。
でもBig Boiのラップをちゃんと聞いてほしい。
リズムが異常。
速いのに言葉が潰れない。
ユーモアがある。
ストリートの具体性がある。
しかも変拍子的な感覚のトラックでも全然落ちない。
OutKastの複雑なプロダクションを、ヒップホップとして接地させている。
そう。
AndréがOutKastを外へ広げたなら、Big Boiは「どれだけ外へ行ってもこれはラップだ」と証明し続けた。
つまり保守的な役ではない。
全然。
むしろ超絶技巧のMC。
ただ彼の革新は「奇抜さ」という形で見えない。
André 3000がOutKastの境界を壊したとすれば、Big Boiは壊れた境界の中でもラップが成立することを証明した。
André 3000の変化は、ブラック男性像そのものを広げた
一方、Andréの文化的影響は音だけではないと思います。
90年代後半の彼は、いわゆるハードなラッパーの男性像からどんどん離れる。
そう。
服装。
髪。
精神性。
恋愛や不安についての言葉。
後には歌うことも増える。
それが「ラッパーらしくない」と批判される。
だから「Return of the ‘G’」が出てくるわけですね。
そう。
何を着たらブラック男性らしいのか。
何を食べたらストリートなのか。
誰が「リアル」を決めるのか。
Andréはその境界をかなり早く壊した。
音楽ジャンルの横断と人格の横断が一致している。
そこが重要。
彼がロックやファンクやポップへ行くことと、衣装や男性性を変えることが別々の演出ではない。
「一つのカテゴリーに入れられたくない」という同じ思想がある。
後のラッパーが歌ってもいい。
変な服を着てもいい。
内省的でもいい。
その自由にAndréの存在が大きく寄与したのは確かだと思う。
ただし、彼一人が全部始めたわけではない。
PrinceやP-Funkを含む前史も大きい。
『Speakerboxxx/The Love Below』はOutKastの完成なのか、解体なのか
2003年。
『Speakerboxxx/The Love Below』。
ここまで来ると、もうデュオなのか二人のソロなのか分からない。
実質的にそれぞれの作品を二枚組としてOutKast名義で出している。
Big Boiの『Speakerboxxx』。
Andréの『The Love Below』。
二人の違いが、ついに同じ曲の中ではなく別ディスクになる。
これは完成?
それとも解体?
両方だと思う。
OutKastの原理は最初から「違う二人が一緒にいる」。
その違いを極限まで押すと、最後には別々のアルバムになる。
でもそれをOutKastとして出す。
そこが面白い。
『Speakerboxxx』にはBig Boiの南部ファンク、ラップ、社会的テーマがある。
『The Love Below』ではAndréが歌、ファンク、ジャズ、ポップ、サイケデリアへ大きく移る。
そして「Hey Ya!」。
ヒップホップデュオのメンバーが作った曲なのに、典型的なラップヒットではない。
それが世界的な巨大ヒットになる。
ここでOutKastは「南部ヒップホップが認められた」という話を完全に超える。
南部出身のヒップホップアーティストが、アメリカのポップそのものを再定義するところまで行く。
「Hey Ya!」が売れたことは、南部ヒップホップの勝利だったのか
でも少し意地悪に言うと、「Hey Ya!」がヒットしたことを南部ヒップホップの勝利と呼ぶのは複雑ですよね。
ラップ曲ではない。
その通り。
だからこそ面白い。
OutKastの勝利って、「南部ラップのフォーマットが全国制覇した」だけではない。
南部のヒップホップアーティストが、そのフォーマットから自由になれるほど中心へ行った。
つまりヒップホップであることを証明し続けなくてよくなった。
そう。
1995年には「南部にも言うことがある」と主張しなければいけなかった。
2003年にはAndréが「Hey Ya!」を作っても、OutKastという歴史の中で成立する。
この距離がすごい。
周縁のアーティストは、しばしば「自分の出身ジャンルを代表し続けろ」と要求される。
OutKastはそこから脱出した。
OutKast以後、アトランタはなぜ巨大な中心になったのか
もちろん、OutKastだけでアトランタが現在の位置になったわけではない。
これも重要。
その後にLil Jonとcrunkがある。
T.I.やGucci Mane、Young Jeezy。
さらにtrapが巨大になる。
Future、Migos、Young Thugを含む別世代が来る。
音もOutKastとはかなり違う。
全然違う。
だから「現在のAtlanta trapはOutKastが発明した」という話ではない。
でもOutKastが変えたのは、Atlantaのアーティストが全国的なヒップホップの中心になって当然だと思える条件。
そこは大きい。
都市のブランドを作った。
そう。
しかもアトランタをニューヨークやロサンゼルスのコピーとしてではなく、独自の創作都市として見せた。
Dungeon Family。
LaFace。
Organized Noize。
そこから別のシーンが何度も出てくる。
OutKast以後、南部の成功は例外ではなくなる。
南部が中心になった結果、ヒップホップの「標準語」まで変わった
さらに大きいのは、ラップの発音とフロウ。
昔、全国市場へ行くために地域訛りを少し抑える圧力がある場面もあった。
OutKastは南部の発音をそのままリズムにした。
Big Boiなんて特に。
言葉の母音の長さ自体がグルーヴになる。
そう。
その後、南部のラッパーが増えるにつれて、南部アクセントや南部特有のリズムがメインストリームのヒップホップの一部になっていく。
現在から聞くと普通に感じる。
でもこれは大きな変化。
「標準的なラップの声」が一つではなくなった。
そう。
ニューヨーク訛りがヒップホップの正統性を保証する時代から、地域ごとの発音がむしろ個性になる時代へ。
その転換の象徴としてOutKastは巨大です。
最高傑作を一枚だけ選ぶなら
僕は『Aquemini』。
迷わない。
『ATLiens』の内省。
ファーストの南部性。
『Stankonia』へ向かう実験性。
全部がちょうど交差している。
しかもBig BoiとAndréがまだ完全に別方向へ離れていない。
二人の差がグループの力として最も機能している。
私も『Aquemini』。
理由は少し違って、OutKastが「南部を代表するグループ」から、「アメリカ音楽史を自由に使うグループ」へ変わった作品だと思うから。
「Rosa Parks」「Da Art of Storytellin’」「SpottieOttieDopaliscious」。
世界観が広い。
私は『Stankonia』。
やっぱり音で行く。
はい(笑)。
『Aquemini』の完成度は認めます。
でも音響的な未来性なら『Stankonia』。
「B.O.B.」一曲だけでも異常。
速度、電子音、ロック、ゴスペル、ラップ。
2000年のヒップホップアルバムとして、ここまで複数の音楽を同時に鳴らした大胆さを取りたい。
初心者向けなら『Aquemini』か『Stankonia』か
初心者向けは?
『Aquemini』。
OutKastのラップ力、南部性、実験性のバランスがいい。
私は『Stankonia』でもいいと思います。
「Ms. Jackson」「So Fresh, So Clean」という入口があるし、「B.O.B.」で変なところにも行ける。
私は『Aquemini』。
『Speakerboxxx/The Love Below』から入ると、André側のポップ性が強すぎて、二人組のラップグループとしてのOutKastが見えにくい。
そこは同意。
最初に一枚なら『Aquemini』。
1曲だけなら──「Elevators」「B.O.B.」「SpottieOttieDopaliscious」
一曲だけなら「Elevators (Me & You)」。
僕はこれ。
OutKastが成功したあと、疎外感と南部のアイデンティティをどう変えたかが聞こえる。
ビートも異常にいい。
私は「SpottieOttieDopaliscious」。
普通のラップソングの構造から離れながら、南部の夜、恋愛、若さ、その後の人生まで一曲で見せる。
OutKastが単なるMCデュオではなかったことが分かる。
「B.O.B.」。
音の革命という意味なら。
ドラムの速度とラップとゴスペルとロックが同時に成立する。
ジャンル名を付ける前に身体が反応する。
「Rosa Parks」じゃないのが面白い。
代表性と最高の一曲は違いますから。
過小評価された作品を選ぶなら
僕はファースト『Southernplayalisticadillacmuzik』。
『Aquemini』『Stankonia』以降の実験性があまりにも有名だから、「若い頃の南部ラップ作」として前段階扱いされやすい。
でもOrganized Noizeの音と二人の若いラップが本当に強い。
ここを聴かないと、その後どれだけ遠くへ行ったか分からない。
私は『ATLiens』。
評価は高いですが、OutKastの「実験的」というイメージを『Stankonia』以降だけで考えると見落とされる。
音数を減らすこと、空間を作ることでも革命できると示した作品。
私は『Idlewild』。
2006年。
OutKastの主要作品としては評価が分かれるし、二人の一体感も以前ほど強くない。
でも1930年代を思わせる南部の音楽文化と現代のヒップホップ、ジャズ、ブルースを接続しようとする発想は、彼らが最後まで「南部の歴史」を固定されたものとして扱わなかった証拠だと思う。
OutKastが変えたのは南部ではなく、ヒップホップの地図だった
結局、タイトルに答えるなら、OutKastは「南部ヒップホップの歴史」を変えたというより、ヒップホップ全体の地図を変えたのでは?
その方が正確だと思う。
南部には彼ら以前から歴史があった。
だから「OutKastが南部を作った」ではない。
でも彼らが全国規模の成功と批評的評価を得て、毎回音楽を変え続けたことで、「偉大なヒップホップはニューヨークかLAから出る」という前提を壊した。
さらに、地域の代表者になった後で、その地域らしい音を続ける義務まで壊した。
そこが本当に重要。
最初は「Atlantaを聞け」。
次は「Atlantaはこんな音もできる」。
最後には「Atlantaから来た俺たちは、何をやってもいい」。
その三段階。
そして、その自由が後の南部のアーティストにも残る。
そう。
ただし後のtrapやcrunkをOutKastの子孫として一直線に並べるのではなく、南部には複数の独立した革命があったと考えるべき。
OutKastはその中で、南部が例外ではなく中心になれるという想像力を決定的に広げた。
音響的には、南部性を一つの音色ではなく「自由に混ぜていい場所」にしたことが大きい。
地方性を守ったから世界的になったのではない。
地方性を出発点に、世界全部を使えるようになった。
それがOutKastですね。
OutKastは南部をヒップホップの中心へ連れていったのではない。ヒップホップには最初から一つの中心しかないという考えを壊した。
対談を終えて
OutKast以前にも南部ヒップホップは存在していた。Geto Boys、2 Live Crew、UGK、8Ball & MJGをはじめ、それぞれの都市には独自の歴史があった。だからOutKastの革命を、「南部から初めて優れたラッパーが登場した」という物語にすることはできない。彼らが変えたのは、南部の存在ではなく、その存在がヒップホップ史の中心でどう評価されるかだった。
『Southernplayalisticadillacmuzik』では、Organized NoizeとDungeon Familyという環境から、アトランタの訛り、車文化、ファンク、ソウルをそのまま全国へ持ち込んだ。『ATLiens』では周縁性をエイリアンというアイデンティティへ変換し、『Aquemini』ではBig BoiとAndré 3000の違いそのものを作品の強さにした。『Stankonia』では南部らしい音という枠を壊し、『Speakerboxxx/The Love Below』では二人が別々の音楽世界へ進むことさえOutKastとして成立させた。
その過程でBig Boiは、どれほどプロダクションが変化してもラップの身体性を失わないMC像を示し、André 3000は、ラッパーの服装、男性性、歌唱、ジャンル選択に課されていた境界を次々に曖昧にした。そしてOrganized Noize、Goodie Mobを含むDungeon Familyは、その二人を支えるアトランタ独自の創作共同体を作った。
OutKastの後、アトランタはcrunk、trapをはじめ何度も別の革命を生み、南部はヒップホップの巨大な中心の一つになる。しかしOutKastの最大の遺産は、その後のすべてを発明したことではない。ニューヨークでもロサンゼルスでもない場所から、自分たちの訛りと歴史を隠さずに世界へ出て、そのうえで「地域を代表する音」を作り続ける義務さえ拒否できることを証明したことだった。

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