


※本記事は、TuneSightに登場する架空のライターによる創作対談です。

1979年11月、Public Image Ltdが発表したセカンド・アルバム『Metal Box』は、ポストパンクの名盤という言葉だけでは収まりきらない作品だ。Jah Wobbleの巨大なベース、Keith Leveneの金属片のようなギター、John Lydonの神経質なヴォーカル。そして複数のドラマーを渡り歩きながら作られた、不安定なのに異様なほど強固な音響空間。ロック・バンドの基本編成を使いながら、なぜこれほど「ロックではない」感触が生まれたのか。
今回は、元ギタリストのAlex、英国のポストパンクを文化面から見るSophie、プロデューサー/DJとして低音と空間に耳を向けるNaomiの3人が、『Metal Box』を改めて聴き直す。焦点となるのは、よく言われる「ギターを壊した」という評価の、その先だ。
※本記事は、TuneSightに登場する架空のライターによる創作対談です。
- 「ギターを追放した」という言い方は、本当に正しいのか
- Jah Wobbleのベースは「伴奏」ではなく地面だった
- 「Swan Lake」は死を歌いながら、異様に身体的だ
- 「Poptones」──美しいギターなのに、安心できない
- ドラマーが固定されないことが、逆にアルバムの統一感になった
- 3枚の12インチを金属缶に入れる──パッケージまで反ロックだった
- 「Careering」と「Socialist」──ロック・バンドが電子音の内部へ入っていく
- 「Radio 4」が最後に残す、異常な静けさ
- 『Metal Box』以後、ギターはどう変わったのか
- 最高傑作はどれか──『Metal Box』だけでPiLを語れるのか
- 1曲だけなら──「Poptones」「Swan Lake」「Albatross」
- 対談を終えて
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「ギターを追放した」という言い方は、本当に正しいのか
最初にタイトルへ少し反論したい(笑)。『Metal Box』は「ロックの中心からギターを追放した」と言えるけど、Keith Leveneのギター自体はめちゃくちゃ目立っているんですよ。
「Albatross」を聴けば分かる。10分以上続く曲の中で、ギターはずっと耳障りな存在として居座っている。普通のロックなら、ギターはコードを鳴らして曲の骨格を説明したり、リフで前進させたり、ソロでドラマを作ったりする。でもLeveneは、その仕事をほとんどやらない。
だから「ギターを消した」というより、「ギターに与えられていた社会的地位を剥奪した」と言ったほうが近いかもしれない。
70年代の英国ロックまで振り返ると、ギタリストって非常に分かりやすいヒーローだったでしょう。ステージの前に立つ、技術が見える、ギターそのものがファッションにもなる。それをパンクはいったん単純化した。でもPiLはさらに先へ行って、ギターをヒーローから装置へ変えてしまった。
そう。Leveneは上手くないから普通に弾かなかったんじゃない。そこを間違えると『Metal Box』の面白さが半分なくなる。
彼はむしろギターが何をすると「ギターらしく聞こえるか」を知っていて、そこを意図的に避けている感じがする。「Memories」なんて特にそう。ギターは強烈だけど、曲を支えていない。上空で裂けてる。
私は「上空」という言い方がすごく大事だと思う。
このアルバムを聴いていると、楽器が横一列に並んでいないんです。Wobbleのベースは下に巨大な床を作る。ドラムはその床の上で反復する。Lydonの声は前方にあるけれど、安定したセンターではない。そしてLeveneのギターは、かなり高い位置か、左右の端に置かれているように聞こえる。
つまり、役割だけでなく空間上の配置そのものが普通のロックと違う。
そこでギターが中心から追放されるわけですね。
そう。ただし空いた中心には何も置かれない。
ここが重要です。
普通ならギターを引っ込めれば、シンセサイザーやヴォーカルが中央を占める。でも『Metal Box』には、そこに穴が残っている。その空洞が不安感になっていると思います。
Jah Wobbleのベースは「伴奏」ではなく地面だった
でも、この作品についてギターから話し始めること自体、少し罠でもありますよね。
来ると思った(笑)。
だって「誰がロックの主役なのか」という発想そのものがギター中心的だから。
『Metal Box』を最初から聴けば、「Albatross」で身体を支配するのはどう考えてもWobbleのベースでしょう。私は初めてこの作品の構造を理解したとき、「ギターが変わった」というより「ベースの地位が異常なほど上がった」ことのほうが重要だと思った。
完全にそちらですね、私は。
Wobbleのベースラインって、音数だけを見れば必ずしも複雑ではない。でも音の長さ、低域の量、反復の強さによって、ベースが和声楽器というより環境になっている。
「Poptones」が典型的です。ベースラインが始まった時点で空間が決まってしまう。上に何を載せても、その重力から逃げられない。
ギタリストの立場から聴いても、Wobbleが主役なのは認めます。
むしろLeveneのプレイがあれだけ自由になれたのは、Wobbleが下を全部引き受けているからでしょう。コードのルートを弾く必要もないし、「次はサビです」と知らせる必要もない。
Wobbleが曲を止めないから、Leveneは曲を壊せる。
Wobbleが曲を止めないから、Leveneは曲を壊せる。
しかもWobbleの発想には、ロックだけでは説明しにくい低音文化があります。PiLとダブの関係は散々語られてきましたが、大切なのは単に「レゲエっぽいベース」ではない。
ダブでは、録音された演奏を完成品として固定せず、ミックスによって空間そのものを組み替える発想があるでしょう。音を抜く、残響を伸ばす、低音だけを巨大化する。
『Metal Box』には、その「抜く」という考え方が深く入っている。
つまり、何を演奏するか以上に、何を存在させないか。
ええ。
ロックは長い間、足し算の音楽でもあったと思うんです。ギターを重ねる、コーラスを重ねる、サビを大きくする。『Metal Box』は逆で、構造の一部を撤去していく。
その結果、低音がむき出しになる。
「Swan Lake」は死を歌いながら、異様に身体的だ
この話をすると絶対に「Swan Lake」に行きたくなる。
シングルでは「Death Disco」として発表された曲ですけど、『Metal Box』では「Swan Lake」というタイトルになっている。Lydonの母親の死に結びついた曲として知られていますが、内容の重さと音楽の身体性が奇妙なくらい同居している。
ギターも最高ですよ。チャイコフスキーの『白鳥の湖』を連想させるフレーズを、きれいに引用するんじゃなくて、ひしゃげた金属みたいにする。
あれを「悲しい曲」にしないところがLydonらしいと思う。
死や喪失を扱うロックには、どうしても感動的な物語へ変換する力が働くでしょう。美しいコードをつけて、声を盛り上げて、聴き手に泣く場所を用意する。
でも「Swan Lake」には、そういう安全な出口がない。
声が痛いですよね。
痛い。でもセンチメンタルではない。
だから私は、Sex PistolsからPiLへの移行を「パンクからポストパンクへ」とジャンル名だけで整理すると重要なものを落とすと思う。LydonはSex Pistolsでロックの様式を破壊したあと、PiLでは自分自身が「Johnny Rotten」という様式になることから逃げようとしていた。
『Metal Box』の声って、フロントマンとして格好良く聞こえることをかなり拒絶しているじゃないですか。
「歌唱」より音響に近い瞬間があります。
Lydonの声は意味を運ぶ一方で、非常に強い中高域の成分として刺さってくる。Wobbleの低音と対極にある。
だから、このアルバムには低音と声の二極構造があると思う。低音は身体を固定する。声はそこから逃げようとする。
それ、Leveneのギターも声側ですね。
そうです。ギターとヴォーカルが上で傷つけ合って、ベースとドラムが下で平然と続いている。
「Swan Lake」はその関係がものすごく分かりやすい。
「Poptones」──美しいギターなのに、安心できない
『Metal Box』を「攻撃的なアルバム」とだけ説明すると、「Poptones」の奇妙な美しさを説明できないんですよね。
僕は『Metal Box』でLeveneのギターを一曲選べと言われたら、たぶん「Poptones」です。
あれはかなり美しい。アルペジオ的な反復で、音も「Albatross」ほど暴力的ではない。でも安心感はまったくない。
普通のギター・アルペジオって、ハーモニーを説明するものじゃないですか。でも「Poptones」は、同じ場所をぐるぐる回っている感じがする。
しかも「Poptones」はKeith Leveneがドラムも担当しています。
そう。それを知ると面白いんですよ。ギターだけを独立して考えるより、Levene自身があの曲の循環構造をどう感じていたか想像しやすくなる。
私はあの曲を聴くと「時間が進行しない」と感じます。
反復音楽には大きく二つあって、反復によって高揚して前へ進むものと、反復によって時間感覚を停止させるものがある。「Poptones」は後者。
そしてWobbleのベースが、その停止した時間をすごく深くする。
歌詞の背景を考えると、あの美しさがさらに気味悪くなる。
Lydonは誘拐事件の記事から着想した内容を歌っていて、車のラジオから流れるポップ・ミュージックというイメージが出てくる。タイトルの「Poptones」という軽さと、歌われている状況との落差がものすごい。
ポップ・ミュージックが「楽しい生活のサウンドトラック」ではなく、恐怖の現場でも無関係に流れ続けるものとして現れる。
だからあのギターも美しくていいんですよね。
むしろ醜く弾いたら分かりやすすぎる。
そう。「怖い内容だから怖い音にする」という映画音楽的な説明を拒否している。
明るさや美しさが、人間の状況に何も配慮せず存在してしまう。その無関心さが怖い。
ドラマーが固定されないことが、逆にアルバムの統一感になった
『Metal Box』をバンドの演奏として考えると、かなり変なんですよ。ドラマーが一人じゃない。
「Albatross」「Swan Lake」ではDavid Humphrey、「Memories」「No Birds」「Graveyard」「Socialist」「Chant」ではRichard Dudanski、「Bad Baby」ではMartin Atkins。さらに「Poptones」はLeveneがドラム、「Careering」ではWobbleがドラムを担当している。
普通なら統一感が壊れそうでしょう。
でも壊れない。
そこなんです。
私はそれが、「この作品のアイデンティティーが演奏者固有のグルーヴだけに依存していない」証拠だと思います。
固定ドラマーがいるバンドでは、ドラマーのタイム感がアルバム全体の身体になる。でも『Metal Box』の場合、身体の中心がむしろWobbleの低音と、ミックスの思想にある。
ドラマーが変わっても、曲の空間的な規則が変わらない。
それはPiLという組織自体にも合っていますね。
「Public Image Limited」という名前からして、通常のロック・バンドというより企業体のような響きがある。固定された友情共同体としてのバンド神話から距離を取る名前だった。
もちろん実際のPiL内部には強烈な個性のぶつかり合いがあるけれど、『Metal Box』を聴くと、「いつもの4人がスタジオに入って一斉に演奏しました」という物語から音楽そのものが離れている。
これは後世のオルタナティブ・ロックにもかなり重要な発想だと思う。
バンド・サウンドって、必ずしもメンバー全員が同時に鳴っている音じゃない。スタジオで作った人工物でもバンドは成立する。
ただ、『Metal Box』の場合は完璧に構築されたスタジオ作品という感じでもないんですよね。
そこが好きです。
ものすごく編集的なのに、傷が残っている。
現在のDAW環境なら、低音の位置もタイミングもノイズも全部整理できます。でも『Metal Box』は、構造は大胆に編集的なのに、音そのものには人間が触った粗さがある。
「設計されているのに汚い」という矛盾がある。
3枚の12インチを金属缶に入れる──パッケージまで反ロックだった
音から少し離れると、オリジナル版の形態を無視できません。
『Metal Box』は名前通り、金属製の円形ケースに3枚の12インチ盤を収め、それぞれ45回転で再生する仕様だった。これは単なる珍しいジャケットではなく、作品の聴かれ方そのものへの介入ですよね。
面倒なんですよ(笑)。
そこがいいの。
普通のLPならA面をかけて20分くらい座っていられる。でも『Metal Box』は頻繁に盤を裏返したり交換したりする必要がある。アルバムという連続した物語を便利に消費させてくれない。
しかも金属缶からレコードを取り出すこと自体、一般的な紙ジャケットより扱いやすいとは言い難い。
ただ、音響的には45rpmの12インチという形式に意味があります。
一般論として、12インチを45回転で使えば溝により余裕を持たせられるので、低域やダイナミクスを扱いやすい。ダンス・ミュージックの12インチ文化とも相性がいい。
Wobbleのベースがこれほど中心的な作品をその形で出したことは、単なるデザイン上の奇策とは言えません。
ロック・アルバムなのに、7インチ・シングルの延長でも普通のLPでもなく、12インチの物理的な迫力を使う。
ええ。そして面白いのは、その工業製品みたいなパッケージと、音の質感が一致していること。
Leveneのギターは金属的だし、Lydonの声にも温かさは少ない。「Metal Box」というタイトルを見てから聴くと、音楽まで箱の内側で反響しているように感じる。
一方で、私は「デザインと音が完璧に統一されている」と言い切るのも少し違うと思う。
金属缶って、非常にモダニズム的で格好いいでしょう。無機質で、アートスクール的でもある。でも中の音楽はもっと生々しく、醜く、感情的です。
外側は工業製品なのに、中ではLydonがほとんど傷口をさらしている。そのギャップも大きい。
なるほど。「無機質な音楽」ではないんですよね。
全然違う。
冷たいデザインの中に、冷静ではない人間が入っている。
「Careering」と「Socialist」──ロック・バンドが電子音の内部へ入っていく
前半の有名曲だけで終わると、『Metal Box』をロックの革新としてしか評価できなくなるので、「Careering」の話をしたいです。
あれはギター好きには居心地悪い曲ですよ(笑)。
だからいい。
シンセサイザー的な音響、反復、処理された感触が前面に出て、バンド演奏というより機械が作動しているように聞こえる。しかもドラムはWobbleが担当している。
ここでは「上手いドラマーが良いグルーヴを生む」という常識もあまり重要ではない。
必要なのは、正しい場所で同じ運動を続けること。
パンクのDIY精神って普通、「楽器が上手くなくてもバンドを始めていい」という話になりますよね。
でもPiLはさらに先へ行って、「その楽器の担当者じゃなくても演奏していい」というところまで行く。
その結果、楽器に対する身体の癖が消えるんです。
熟練したドラマーなら無意識に入れるフィルやダイナミクスがある。でも別の楽器の人がドラムを叩くと、必要最小限の構造だけが残ることがある。
「Careering」には、そのぎこちなさがむしろ合っている。
「Socialist」も同じ流れで聴けますよね。
安価なシンセサイザーを使った電子音が入ってきて、後半になるほど「これは本当にギター・バンドなのか」という問いが意味を失っていく。
ただ、僕はここで『Metal Box』を「未来のエレクトロニック・ミュージックを予言した作品」と持ち上げすぎるのは嫌なんですよ。
分かります。
だって音はかなり不格好だから。
そこは同意します。不格好だから重要なんです。
彼らが電子音楽家として完成された方法論を持っていたわけではない。ロック・バンドが、自分たちの道具では足りなくなって、隣の部屋に置いてある別の機械へ手を伸ばしている。
私はその感じが好きです。
完成されたジャンルの誕生というより、ジャンル間の壁に穴が開いている瞬間。
「Radio 4」が最後に残す、異常な静けさ
そして最後が「Radio 4」。
この曲があることで、『Metal Box』は単に攻撃的な作品では終わらなくなる。
Keith Leveneが一人で作った曲ですね。ギターだけじゃなく、ベースやシンセサイザーなども含めて彼が演奏した作品。
アルバムを通して聴くと、あそこだけ急に誰もいなくなったみたいに感じる。
私は「Radio 4」がすごく重要だと思います。
それまで低音、ドラム、ギター、ヴォーカルが互いに場所を奪い合っていたのに、最後だけ空間が開く。
ストリングス風のシンセサイザーが流れて、ラジオのクロージング音楽のような感覚もある。タイトルはBBC Radio 4を指しているわけですが、アルバムの最後に公共放送の名前を持つ音楽が置かれるのも面白い。
英国ではラジオは家庭空間と密接だったから、「Radio 4」という名前には妙な日常性もあるんですよね。
『Metal Box』の一時間、ずっと都市の地下か廃工場にいたような感覚なのに、最後に突然、家庭のラジオから流れてきそうな音になる。
ただし家には誰もいない。
怖い言い方するなあ(笑)。
でも、そう聞こえません?
分かります。
しかも、その静けさが「解決」ではないんです。
普通のアルバムなら最後に感情を回収する曲を置くことがある。でも「Radio 4」は、それまで起きたことを説明しない。単純に遠ざかっていく。
だからもう一度「Albatross」に戻ると、余計に重い。
最初は何の準備もなくあのベースが来るでしょう。最後まで行って戻ると、「なるほど、このアルバムは最初から閉じ込める気だったんだ」と分かる。
『Metal Box』以後、ギターはどう変わったのか
このアルバムの影響を「誰がLeveneの奏法を真似したか」だけで追うと、かなり狭くなると思う。
もちろんポストパンク以降、ギターをコード伴奏から解放する考え方はGang of Four、The Pop Group、後のノイズロックやオルタナティブにもいろいろな形で現れる。
でも『Metal Box』の本当の遺産って、ギターの音色そのもの以上に、「ギターは中心にいなくてもいい」と証明したことじゃないかな。
さらに言えば、「ロック・バンドはロックらしい序列を守らなくてもいい」。
ヴォーカルが一番前、ギターが次、その下にリズム隊、という序列を壊している。
これは80年代以降の英国音楽を考えるうえでかなり大きいと思います。ポストパンクからニューウェイヴ、インダストリアル、ダンス・ミュージックとの接続まで、バンドという形式は残しつつ内部の力関係を変えられることが分かった。
私はさらに、90年代以降の音響的なロックにもつながると思います。
ギターを「リフを弾く楽器」ではなく、「周波数帯を占める音源」として扱う考え方。ベースをコードの根音ではなく、物理的な圧力として考えること。
もちろん後世のアーティストが全員『Metal Box』から直接学んだという意味ではありません。ただ、いま私たちが当たり前に使っている「バンド編成を音響素材として再配置する」という発想を、1979年の時点で非常に過激な形にした作品ではある。
でも面白いのは、結果的にLeveneがものすごく「ギター・ヒーロー」になってしまったことですよね。
本人が壊したはずの役割で(笑)。
そう。だって『Metal Box』を聴いてギターを始めた人なら、あの音を出したくなるでしょう。
僕もギタリストとして聴くと、「普通に弾かないって、こんなに難しいんだ」と思う。
コードを知らなくてもノイズは出せる。でも「Memories」や「Poptones」で鳴っている音は、適当に外している音じゃない。
何を残すかという判断がある。
だから「ギターを追放した」という最初の言い方に戻ると、追放されたのは楽器ではなく、ギターに期待されていた機能なんでしょうね。
そう思います。
ギターはそこにいる。ただ、王座から降ろされている。
最高傑作はどれか──『Metal Box』だけでPiLを語れるのか
ではPiLの最高傑作を一枚選ぶなら、私はやっぱり『Metal Box』です。
理由は完成度だけではなく、この作品でしか成立していないバランスがあるから。
Wobble、Levene、Lydonという三者の美意識が互いを完全には理解していないように聞こえるのに、それが一枚のアルバムとして成立している。共同作業の理想形というより、緊張関係の記録なんですよね。
『The Flowers of Romance』のほうがコンセプトはさらに純化されるけれど、私は『Metal Box』に残っているロックとの摩擦が好きです。
私は最高傑作なら『The Flowers of Romance』を選びます。
おお。
『Metal Box』で始まった「ロック・バンドの構造を抜いていく」という作業が、1981年の『The Flowers of Romance』ではさらに進んでいる。Wobbleがすでに脱退していて、通常のベース中心のバンド・サウンドからも離れて、パーカッションと声とテープ的な発想が前面に出る。
音響作品としての徹底度では、私はあちら。
ただし歴史的な転換点としては『Metal Box』のほうが大きいと思います。
僕は迷うけど『Metal Box』。
『The Flowers of Romance』はすごい。でも、僕にとっては少し「正しく壊れすぎている」。
『Metal Box』にはまだギターもベースもドラムもある。つまりロック・バンドだと認識できる材料が残っている。その状態で、各パーツの役割だけがおかしくなっている。
その不完全な変形のほうが刺激的なんです。
初心者に最初から『Metal Box』を勧めます?
それは別(笑)。
初心者なら1978年の『Public Image: First Issue』。
タイトル曲「Public Image」があるし、Sex Pistolsから何が継続して、何が変わったのか分かりやすい。ギターもまだロックとして掴みやすい。
そこから『Metal Box』に行くほうが変化が見える。
私は最初から『Metal Box』でいいと思う。
理解できなくてもいいんですよ。むしろ「何だこれは」と思う経験込みでPiLだと思うから。
私は少し意地悪に『The Flowers of Romance』を先に聴かせたい(笑)。
一番厳しい人がいた。
1曲だけなら──「Poptones」「Swan Lake」「Albatross」
一曲だけ選ぶなら、僕は「Poptones」です。
Leveneのギター、Wobbleのベース、反復するドラム、Lydonの声。『Metal Box』の特徴が全部あるのに、単純な攻撃性ではなく美しさもある。
この曲を聴いて「ギターってコードを鳴らさなくても曲の中心的な感情を作れるんだ」と気づいた人はかなり多いと思う。
ただ、過小評価されている曲なら「No Birds」。
派手な代表曲ではないけれど、ギターとピアノ、声の位置関係が妙に落ち着かない。「No birds do sing」というフレーズも含めて、このアルバム特有の人工的な風景がある。
私は一曲なら「Swan Lake」。
PiLを単なる実験音楽集団として見てほしくないからです。
『Metal Box』には音響的な革新があるけれど、その中心にはLydonの非常に個人的な感情がある。「Swan Lake」はそれを最もはっきり感じられる。
重要なのは、個人的だから内向的になるのではなく、個人の痛みがディスコの反復や歪んだギターとぶつかって公共的な音になること。
過小評価という意味では、私は「The Suit」を挙げます。Wobbleの存在感を理解するには面白い曲で、アルバムの中でもかなり異質。中心人物が誰なのか分からなくなる感じが、PiLらしい。
私は「Albatross」です。
最初から10分超え(笑)。
一曲だけなら妥協したくないので。
「Albatross」を最後まで聴ければ、『Metal Box』の思想のかなりの部分が分かります。低音が時間を支配して、ギターが空間を傷つけ、ヴォーカルがそこから逃れようとする。
しかも劇的な展開によって長さを維持しているわけではない。同じ状態を続けることで、聴き手の時間感覚を変える。
それはロックの「曲」という概念から少し外へ出ています。
過小評価されたものを挙げるなら、曲ではなく最後の「Radio 4」をもっと重要視したい。あれがなければ『Metal Box』はもっと単純に暴力的で、もっと簡単に説明できるアルバムだったと思う。
確かに。
終わり方がきれいすぎないから、作品全体の記憶まで変わる。
じゃあ結局、三人とも一曲がバラバラですね。
そのほうが、このアルバムには合っています。
対談を終えて
『Metal Box』がロック史に残したものは、新しいギター奏法でも、ダブを取り入れたことだけでもない。Public Image Ltdは、ギター、ベース、ドラム、ヴォーカルという見慣れた材料をほぼそのまま使いながら、それぞれに割り当てられてきた役割を組み替えた。Keith Leveneのギターは消えたのではなく、コードと英雄性から解放され、Jah Wobbleのベースは伴奏から環境へ変わった。そしてJohn Lydonの声は、その不安定な建築物の内部で感情を説明するのではなく、傷として残り続ける。
だから『Metal Box』は「古びない名盤」というより、いまだ完全には正常化されていない作品なのだろう。後世の音楽がその方法論を吸収した現在でも、「Albatross」の最初の低音には何かが間違っている感覚が残る。
ロックの中心からギターを追放したあと、PiLはそこへ新しい王を置かなかった。その空席こそが、『Metal Box』というアルバムの最も不穏で、最も豊かな場所なのかもしれない。

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