Pulpの最高傑作は『Different Class』なのか──『This Is Hardcore』との決定的な違い

※本記事は生成AIを活用して作成されています。
TUNESIGHT DIALOGUE

※本記事は、TuneSightに登場する架空のライターによる創作対談です。


pulpの最高傑作を一枚選ぶなら、1995年の『Different Class』を挙げる人は多いだろう。「Common People」「Disco 2000」「Sorted for E’s & Wizz」といった代表曲を収め、長い下積みを経たバンドがブリットポップの中心へ到達した作品でもある。しかし、その二年半後に発表された『This Is Hardcore』を聴くと、話は単純ではなくなる。成功の絶頂を記録した『Different Class』に対して、『This Is Hardcore』は成功した後の空虚、加齢、性、倦怠、自己嫌悪を真正面から扱い、音楽的にもより重く、人工的で、映画的な世界へ踏み込んだ。今回はSophie、Marcus、Naomiの3人が、Jarvis Cockerの歌詞、階級意識、ダンスミュージックとの距離、サウンドの変化を手がかりに、「Pulpの最高傑作」という定説を二枚の違いから考える。

『Different Class』は「Common People」が入っているから名盤なのか

Sophie

『Different Class』について最初に確認したいのは、「Common People」が巨大すぎるせいでアルバム全体の評価までそこへ吸い寄せられていることです。もちろんあの曲はPulpの核心に近い。でも一枚を通して聴くと、「Mis-Shapes」から「Underwear」「Monday Morning」「I Spy」まで、階級、性、嫉妬、退屈がかなり違う温度で描かれている。ブリットポップの祝祭を代表した作品というより、祝祭の中にいる人間たちの恥ずかしさや悪意まで記録したアルバムなんですよ。

Marcus

「Common People」も、単なる労働者階級のアンセムとして整理するとかなり危ないと思います。Jarvisがやっているのは「普通の人々」を英雄化することではなく、貧困や階級を一時的な趣味として消費できる人間への怒りでしょう。金がないことをロマンティックな経験として選べる人と、そこから逃げられない人との違いを歌っている。だからサビは大勢で歌えるのに、歌詞の中心にはかなり鋭い不均衡があるんです。

Naomi

しかも音は、その歌詞の厳しさに対して驚くほど開放的です。「Common People」はシンセサイザーの単純なパターンから始まって、曲が進むにつれてギター、ドラム、声がどんどん密度を上げていく。最初から巨大な音を鳴らすのではなく、反復しながら徐々に圧力を高めるから、最後の大合唱に必然性がある。Pulpはバンド編成ですが、ロックのリフだけで曲を押すというより、ダンスミュージックに近い累積の仕方をする瞬間が多いですね。

Sophie

そこはPulpが同時代のブリットポップ勢と違ったところでもあります。Oasisならギターの巨大さそのものが共同体を作るし、Blurは英国的な人物観察をかなり意識的にポップへ変換していた。Pulpはもっと身体に近い。服装、家、クラブ、ベッド、ドラッグ、金といった具体的なものから階級が見えてくる。「Different Class」というタイトル自体が非常に直接的だけれど、アルバムの中では階級が政治用語としてではなく、日常の動作として描かれています。

Marcus

だから「I Spy」なんかもかなり重要なんです。復讐心と階級的な resentment が性的な欲望と混ざっていて、綺麗な正義ではない。Jarvisの主人公は正しい被害者として描かれず、自分の嫌らしさまでさらけ出す。その複雑さがあるから、『Different Class』は社会派の作品でありながら説教臭くならない。人物が社会構造に押されながら、その人物自身もかなり面倒なんですよ。

Naomi

音の配置もその曖昧さを支えています。明るいシンセ、ディスコ的なリズム、ギターのざらつきが一曲の中に同居していて、どれか一つのジャンルへ固定されない。「Sorted for E’s & Wizz」では、祝祭的なレイヴ文化を扱いながら音楽自体は完全な陶酔へ行かず、少し醒めた場所にいる。Pulpは踊れるけれど、踊っている自分を外から見てしまうバンドなんです。

「Disco 2000」にあるのは郷愁ではなく、時間の残酷さではないか

Naomi

『Different Class』をポップアルバムとして強くしているのは、「Disco 2000」みたいな曲があることですよね。リズムは前へ進むし、シンセも非常に明るい。でも歌詞は、過去に親しかった相手との関係を未来の約束へ投影している。サウンドが前進しているのに、主人公の意識はずっと過去へ引っ張られている。その逆方向の運動が曲を単なるノスタルジーにしないんです。

Sophie

しかもJarvis Cockerが書く郷愁は、故郷が美しかったという種類のものではないんですよ。Sheffieldの青春が理想郷として回想されるわけではなく、退屈だったし、恥ずかしかったし、片思いも実らない。それでも時間が経つと、その冴えなかった時代を捨て切れない。「Disco 2000」は巨大なポップソングだけれど、中心にあるのは「人生は思っていたようには進まなかった」という感覚だと思います。

Marcus

僕はそこで階級の話ともつながると思います。時間の経過って、全員に平等に起こるようで実際にはそうじゃない。誰が地元を離れられるか、誰が家族を作るか、どんな仕事に就くかで、同じ学校にいた人間が別の生活へ分かれていく。「Common People」が階級を現在の経済条件として描く曲なら、「Disco 2000」は人生の軌道が分岐した後に、その差を感情として見せる曲にも聞こえるんです。

Sophie

その視点で「Something Changed」を聴くと、さらに面白い。こちらは逆に、人生を決める偶然をロマンティックに扱っているようで、実はかなり不安定ですよね。もし別の日だったら、別の場所だったら、この関係は存在しなかった。その偶然性を祝うことで、現在の幸福さえ必然ではないと認めている。『Different Class』は成功の絶頂にあるアルバムなのに、時間や人生をコントロールできるという感覚がほとんどないんです。

Naomi

そしてそこが『This Is Hardcore』へつながりますね。『Different Class』では時間の残酷さがまだポップソングの中に収まっている。ビートがあり、サビがあり、観客と共有できる。でも次作では、時間そのものがもっと重たくなる。曲が進んでも爽快な出口が用意されない。その違いは歌詞だけではなく、テンポや音響の密度にもはっきり出ています。

Marcus

つまり二枚を「明るい作品と暗い作品」に分けるより、『Different Class』では不安をまだ共同体へ変換できた、と考えた方がいいんでしょうね。孤独や階級差や失恋を歌っていても、最後には何千人でも歌える形へ変えられる。『This Is Hardcore』では、その共同体を信じ切れなくなっている。それが二枚の決定的な断絶だと思います。

『This Is Hardcore』では、なぜ成功そのものが不気味に聞こえるのか

Sophie

『This Is Hardcore』が強烈なのは、成功後の苦悩を「有名になるのは大変だった」というスターの愚痴にしなかったところです。1998年に出た時点で、ブリットポップの熱狂自体がかなり変質していた。その中でPulpは「自分たちは成功した、では次に何があるのか」という問題を、もっと個人的な老いとか性欲とか自己嫌悪へ接続した。「The Fear」というタイトルから始まる時点で、『Different Class』の社会的な視線とはかなり違う。

Marcus

『Different Class』では主人公が社会の中で誰とどの位置にいるかを測っていたけれど、『This Is Hardcore』ではもっと自分自身の内部へ向かっていますよね。しかも内省が成長や救済へ向かわない。「Help the Aged」も高齢者への優しい呼びかけに見せながら、自分もそこへ向かっているという恐怖が混ざっている。若者文化を外から批評するのではなく、自分が若者ではなくなっていくことに動揺している。

Naomi

音もそれに合わせて、明確に「重力」が増しています。「The Fear」は低い帯域と暗い質感が前面に出ていて、『Different Class』のシンセが持っていた軽い人工性とは違う。音が空間の中に広がるというより、部屋の空気自体が濃くなっていく感じがある。シンセサイザーもキラキラした色彩ではなく、心理的な圧迫を作るために使われています。

Sophie

タイトル曲「This Is Hardcore」はさらに極端ですね。ポルノグラフィーや映画撮影のイメージを使いながら、欲望を解放として描かない。見られること、演じること、消費されることが全部混ざっている。スターになった人間が自分自身を商品として見る感覚と、性的なイメージを撮影する行為が重ねられているように聞こえるんです。

Marcus

あの曲で重要なのは、セックスが親密さではなくパフォーマンスになっていることだと思います。『Different Class』にも「Underwear」みたいな性的な曲はあるけれど、あそこには二人の間の気まずさや欲望がある。「This Is Hardcore」になると、それがカメラや観客を前提とした演技になる。成功後のPulpが感じていた疎外を、ものすごく身体的な比喩に変えているんです。

Naomi

だから音楽もショービジネス的に豪華なのに、豪華さが快楽にならない。ピアノ、ストリングス、重いビート、映画音楽的な展開が使われていて、『Dog Man Star』期のSuedeとはまた違う種類の演劇性があります。ただ、あちらが悲劇を巨大化するなら、Pulpは舞台装置そのものを信用していない。華やかなステージに立ちながら、「これは全部セットではないか」と疑っている音なんです。

「Help the Aged」は老いを笑っているのか、恐れているのか

Marcus

僕は『This Is Hardcore』で最もPulpらしい曲の一つが「Help the Aged」だと思っています。タイトルだけ見ると、福祉キャンペーンのスローガンみたいでしょう。でも歌が進むにつれて、老いを遠くの他人の問題として扱えなくなる。年を取った人間を見ている自分も、確実にそちらへ向かっている。その視線の反転がすごくJarvisらしいんです。

Sophie

そして1990年代の英国ポップカルチャーという文脈で聴くと、かなり残酷です。ブリットポップは若さを商品にした運動でもあった。若いバンド、若い観客、若い英国というイメージが大量に流通した後で、Jarvisは「では、その若さが終わったら?」と歌う。しかも彼自身はPulpが成功するまで非常に長い時間を要したから、ようやくスターになった時点ですでに永遠の若者を演じる立場ではなかった。

Naomi

その曲はアレンジも巧妙ですよ。メロディだけならかなり親しみやすく、コーラスも覚えやすい。だから一瞬『Different Class』に近いポップ性が戻ってきたように聞こえる。でも音の底に重さがあり、完全には跳ねない。前作ならもっと推進力に変えていた要素を、ここでは少し引きずるように演奏している。

Marcus

そこが重要ですね。老いについて歌うからテンポを遅くしました、という単純な対応ではない。曲そのものはまだポップとして機能する。でも聴いている側が歌詞を理解すると、そのポップさが不気味になる。Pulpは『Different Class』でも明るい曲に暗い内容を入れていたけれど、『This Is Hardcore』ではそのズレがより意識的で、笑った後に気まずさが残ります。

Sophie

「A Little Soul」にも近いものがありますよね。父親が息子へ語りかけるという形を取りながら、そこにあるのは人生訓ではなく、自分の失敗を引き継がせたくないという敗北感です。Jarvisの人物描写は、以前なら社会的な観察とユーモアで距離を取っていた。でもこのアルバムでは、その距離がかなり近い。笑える人物を描いていたら、いつの間にか自分自身を描いていたという感覚がある。

Naomi

だから『This Is Hardcore』は内向的なのに、音自体は小さくならないんでしょう。内面へ潜る作品だからアコースティックで簡素になるのではなく、むしろ不安を巨大なセットで鳴らす。そこがこの作品の特殊なところです。心理的には閉じているのに、録音は非常に劇場的なんです。

二枚の違いを決めるのは、階級より「観客との距離」ではないか

Sophie

『Different Class』と『This Is Hardcore』を比較するとき、私は最初は階級意識の変化が最大の違いだと思っていました。でも聴き直すと、もっと大きいのは観客との距離かもしれない。『Different Class』ではJarvisが「あの人たち」を観察しながら、最終的には「僕たち」という場所を作れる。「Mis-Shapes」にも「Common People」にも、排除された側が集まる感覚があります。

Marcus

それに対して『This Is Hardcore』では、「僕たち」がかなり崩れていますね。スターになったJarvisは、以前と同じ場所から普通の人々を語ることができない。その違和感を隠さないのが誠実だと思います。成功後も労働者階級の代弁者のように振る舞う方が、むしろ簡単だったかもしれない。でも彼は「自分はもうその位置にはいない」という問題を、かなり醜い形で引き受けている。

Naomi

音楽的にも観客との距離が広がっていると思います。『Different Class』ではリズムが聴き手を曲の内部へ引き込む。クラブ的なビートやシンセの反復が、「この曲に参加できる」という感覚を作る。一方『This Is Hardcore』では、曲が舞台の上で展開していて、こちらは客席から見ることが多い。特にタイトル曲は、参加型のポップというより映画を見せられている感覚に近い。

Sophie

それがブリットポップ後の空気とも一致していたのでしょうね。1995年にはポップスターと観客の距離が近づいたような幻想があった。地元のパブやクラブの延長に巨大なフェスティバルがあるような感覚です。でも数年でバンドが本当に巨大になると、その親密さは維持できない。『This Is Hardcore』は、Pulpがその幻想の崩壊をアルバム一枚にしてしまったように聞こえます。

Marcus

ただ、それを「成功して庶民性を失った」と道徳的に批判するのは違うと思います。むしろ、その矛盾そのものを作品にしたから面白い。成功した人間が成功前の怒りを同じ純度で歌い続けることはできない。それなら、新しい疎外を歌うしかない。『Different Class』が社会の中での疎外なら、『This Is Hardcore』は成功によって生まれた疎外なんです。

Naomi

その意味では、二枚は断絶しているようで非常に論理的につながっています。『Different Class』の最後に「Bar Italia」があることも大きい。夜が終わった後、現実へ戻る時間がすでに描かれている。『This Is Hardcore』は、その「パーティーの後」をアルバム全体へ拡大した作品と考えることもできます。

『This Is Hardcore』は暗すぎるのではなく、意図的に快楽を遅らせている

Naomi

私は『This Is Hardcore』が「重い」「暗い」と評されるとき、テンポだけでなく快楽の置き方が変わったことが大きいと思います。『Different Class』ではイントロやサビの段階で、かなり早く曲の魅力を提示する。「Disco 2000」も「Mis-Shapes」も、最初の数十秒で身体が反応できる。でも『This Is Hardcore』では、一曲をある程度聴かないと何が気持ちいいのか分からない曲が増えるんです。

Marcus

それは歌詞にもありますね。前作ではフレーズそのものがすぐ記憶に残る。Jarvisは複雑な社会的状況を、非常に口語的な一行へ圧縮するのが上手かった。『This Is Hardcore』ではその即効性を意図的に減らして、同じ人物の心理を長く追う。だから「一行で世界が見える」という快感より、「この人はなぜここまで自分を嫌っているんだ」という不穏さが残る。

Sophie

それによってアルバムとしての集中力は上がっている部分もあります。『Different Class』は一曲ごとに非常に強く、どこから聴いてもPulpの魅力がある。一方『This Is Hardcore』は、前半の不安から中盤の性的な空虚、後半の疲労へと流れを追うほど意味が増える。シングルの集合としては前作が上でも、アルバムという物語なら次作の方が統一されているという見方もできます。

Naomi

特に終盤がそうです。「Seductive Barry」は長い時間を使って官能を描くけれど、爽快なセックスの曲にはならない。そこから「Sylvia」「Glory Days」「The Day After the Revolution」へ行くと、アルバム全体がどんどん疲れていく。普通ならクライマックスで音楽を持ち上げるところを、Pulpはその疲労を隠さないんです。

Marcus

「Glory Days」というタイトルも皮肉ですよね。成功している時期を後から黄金時代として語ることの馬鹿らしさがある。人は「良い時代」をその最中には認識できず、後になって物語化する。その感覚は『Different Class』の「Disco 2000」にあった時間意識が、もっと苦い形になったものにも見えます。

Sophie

だから『This Is Hardcore』は突然別のバンドになった作品ではない。『Different Class』にあった不安、時間、階級、欲望を、成功後の位置からもう一度問い直している。ただし前作ではそれらをポップへ変換できたのに、今回は変換そのものを疑っている。その違いが「暗い」という一語では説明できないんです。

最高傑作として強いのは『Different Class』、深く残るのは『This Is Hardcore』?

Marcus

最高傑作を決めるなら、僕は『Different Class』です。理由は「Common People」があるからではなく、社会的な視点と個人的な恥ずかしさを、ここまでポップソングとして共有可能にした点ですね。階級について歌っているのに理論へ逃げず、失恋やセックスについて歌っているのに個人的な日記だけにもならない。その二つのスケールを同時に持っているアルバムはかなり少ないです。

Naomi

私はアルバムとしてなら『This Is Hardcore』にもかなり惹かれます。音色、テンポ、曲間の心理的な流れまで含めて、一枚の空間として設計されている感じが強い。『Different Class』は名曲の密度で圧倒しますが、曲によって色がかなり違う。一方『This Is Hardcore』は、聴き終えた時に一つの長い夜から出てきたような感覚があるんです。

Sophie

私は最終的には『Different Class』を取ります。ただ、『This Is Hardcore』を二番手という言葉で片づけたくない。むしろ前作があれほど成功したからこそ作れた、最も危険な続編だと思います。普通なら「Common People」級の曲をもう一度要求されるところで、Pulpは「The Fear」から始めた。商業的な勢いを維持するという意味では、かなり非合理的な選択ですよね。

Marcus

しかも、その選択にはテーマ上の必然がある。『Different Class』の成功をそのまま繰り返せば、「普通の人々」を歌ったスターが同じポーズを反復することになる。『This Is Hardcore』では、その位置の矛盾を自分へ向けた。だから政治性が消えたというより、政治が自己認識の問題へ入り込んだと考えた方がいいと思います。

Naomi

音楽的にも同じです。前作のシンセポップ的な即効性を残しながら、そこへオーケストレーション、重い低域、映画的な構成を持ち込んだ。単純に「成熟して暗くなった」わけではなく、Pulpが持っていた人工性をさらに人工的にしたんです。もともと彼らは自然体のロックバンドではない。『This Is Hardcore』では、その演技性を隠すのを完全にやめています。

Sophie

そう考えると、『Different Class』はPulpが社会と最も鮮やかにつながった作品で、『This Is Hardcore』はそのつながりが切れた後を描いた作品ですね。前者だけならPulpは90年代を代表する観察者で終わったかもしれない。でも後者があることで、観察している自分自身も観察対象にできるバンドだったと分かる。それがこの二枚を並べる意味だと思います。

初心者向けは『Different Class』、一曲なら「Common People」で決まりなのか

Sophie

初心者向けなら『Different Class』でいいと思います。Pulpのポップ性、Jarvisの語り口、ディスコやグラムの感覚、階級や性愛を見る視線が一番分かりやすく共存している。一曲だけなら、私はあえて「Common People」ではなく「Disco 2000」を選びたいですね。巨大なサビがありながら、その高揚と裏腹に時間の残酷さが残る。Pulpが単なる社会風刺のバンドではないことまで一曲で伝わります。

Marcus

僕は一曲なら「Common People」です。あまりに定番なので避けたくなる気持ちは分かるけれど、代表曲だからこそ代表曲なんですよ。階級という大きな問題を、個人的な会話、怒り、ユーモア、ダンス可能なビートへ変換している。Pulpの最も優れたところが全部一つの曲の中で衝突している。その完成度を逆張りで下げる必要はないと思います。

Naomi

私は「This Is Hardcore」を選びます。初心者向けではないけれど、Pulpがどこまでポップミュージックの形式を異様なものへ変えられたかを示す曲だからです。ピアノやストリングスの配置、重いビート、Jarvisの演技的な声、その全体が巨大なセットのように機能している。「Common People」が観客を曲へ引き込む曲なら、「This Is Hardcore」は観客を椅子に座らせて、不快な映画を最後まで見せる曲です。

Marcus

過小評価された一枚を挙げるなら、僕は二択の外へ出て『His ‘n’ Hers』もかなり重要だと思います。「Do You Remember the First Time?」「Babies」などで、すでにPulpの視点はかなり完成している。『Different Class』で突然社会観察を始めたわけではないし、性的な気まずさも以前からあった。あのアルバムを聴くと、『Different Class』が奇跡的な変身ではなく、長年作ってきた言語が最も広く届いた瞬間だと分かります。

Sophie

そして『This Is Hardcore』の後に『We Love Life』まで聴くと、Pulpが同じ場所へ止まり続けなかったことも見えてくる。だから最高傑作を一枚決めることはできても、Pulpの本質をその一枚へ固定するのは難しい。『Different Class』が最も完成されたPulpなら、『This Is Hardcore』は最も自己批判的なPulpです。この二つが並んでいるから、成功物語だけでバンド史を終わらせずに済むんです。

Naomi

私もそこが結論に近いですね。『Different Class』は外の世界を見ながら、その世界と一緒に踊れる。『This Is Hardcore』は鏡を見る時間が増え、その鏡さえ映画のセットかもしれないと疑っている。音楽的な違いも、最終的にはその視線の向きから生まれているんだと思います。

対談を終えて

『Different Class』をPulpの最高傑作とする評価は、やはり簡単には崩れない。階級、性、嫉妬、郷愁という扱いにくい題材を、観客と共有できる強力なポップソングへ変換した点で、このアルバムはPulpの能力が最も均衡した瞬間だった。しかし『This Is Hardcore』は、その完成形から単に暗い方向へ後退した作品ではない。『Different Class』で成立していた「僕たち」という感覚が、成功によって維持できなくなった後に、Jarvis Cockerが自分自身を観察対象へ変えた作品だった。前者では疎外さえダンスフロアで共有できたのに対し、後者では快楽そのものが演技や消費へ見えてしまう。最高傑作としての完成度なら『Different Class』。だがPulpが成功を反復するのではなく、その成功によって自分たちが何を失ったのかまで作品化したという点では、『This Is Hardcore』の方がはるかに危険で、後味の長い一枚である。

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