※本記事は、TuneSightに登場する架空のライターによる創作対談です。
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「It’s My Life」や「Talk Talk」を知っている人が、予備知識なしに『Spirit of Eden』を再生したら、同じバンドだとすぐには信じられないかもしれない。初期のTalk Talkはシンセサイザーと明確なビート、Mark Hollisの強烈な声を軸にしたニューウェイヴ/シンセポップの文脈から登場した。しかし1986年の『The Colour of Spring』で生楽器と即興の比重を増やし、1988年の『Spirit of Eden』、1991年の『Laughing Stock』では、曲、演奏、録音、そして沈黙の境界そのものを作り直していく。後にポストロックの先駆として語られるこの変化は、なぜ起こり、どこが本当に新しかったのか。Naomi、Alex、Sophieが、ジャンル名より「音楽の作り方」の変化からTalk Talkを考える。『The Colour of Spring』はそれまでのシンセ中心の方法から生楽器へ大きく移行した作品であり、その後の二作につながる転換点だった。 ※本記事は、TuneSightに登場する架空のライターによる創作対談です。
- 初期Talk Talkを「売れ線シンセポップ」と片づけてはいけない
- 『The Colour of Spring』で何が壊れ始めたのか
- 『Spirit of Eden』で「曲を録音する」という順番が逆転した
- 「沈黙」はなぜ楽器と同じくらい重要になったのか
- なぜ『Spirit of Eden』を「ポストロック」と呼びたくなるのか
- 『Laughing Stock』では何がさらに先へ進んだのか
- Mark Hollisだけの物語にすると何を見落とすのか
- 「ポストロックの先駆」という評価はTalk Talkをまた狭くしないか
- 一枚だけ選ぶなら──転換点は『Spirit of Eden』ではなく『The Colour of Spring』なのか
- 対談を終えて
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初期Talk Talkを「売れ線シンセポップ」と片づけてはいけない
Talk Talkの変化を劇的に見せるために、初期を単純な商業的シンセポップとして扱う説明があるけれど、私はそこから疑いたい。「Talk Talk」や「It’s My Life」は確かに80年代ニューウェイヴの音を持っている。でもMark Hollisの歌を聴くと、最初からかなり変でしょう。滑らかにメロディを運ぶポップ歌手ではなく、語尾を潰したり、声を急に張り上げたりする。シンセが整った表面を作っているのに、その中央にいる人間だけが妙に不穏なんです。
僕も初期を「偽物のTalk Talk」として扱いたくないですね。「It’s My Life」は普通にすごくいい曲だし、Paul Webbのベースもかなりメロディックです。後期を知ってから聴くと、「本当はこの頃から別のことをやりたかった」と解釈したくなるけど、それは後知恵でしょう。むしろ重要なのは、このバンドには最初から強いポップ・ソングを書く能力があったこと。それを持ったまま後で構造を壊すから、『Spirit of Eden』がただの実験音楽にならないんです。
音響的にも、初期からシンセサイザーを「未来的な飾り」として使っているだけではないですね。反復するパターンが曲の骨格になっているので、後期のミニマルな反復と完全に無関係ではない。ただ初期では、その反復がドラムマシンやキーボードによって明確な輪郭を持っている。後期になると同じ「反復」が、オルガンの持続音だったり、ドラムのわずかなパターンだったり、空間そのものになっていく。素材が変わるというより、反復の意味が変わるんです。
そしてMark Hollisのイメージも面白い。Duran DuranやSpandau Balletと同時代に見られることがあっても、Talk Talkには派手なスター性への居心地の悪さがずっとある。もちろん80年代の映像文化の中で活動していたけれど、Hollis自身の存在感は「もっと私を見て」という方向ではない。後にヴォーカルすら音の一部へ後退させていく人が、初期にはポップ・バンドのフロントマンをやっていた。この緊張は最初からあったと思う。
だから僕は、Talk Talkの物語を「シンセポップを捨てて芸術家になった」とするのが嫌なんです。それだとポップが低くて実験音楽が高い、みたいな序列になる。実際は「It’s My Life」を書ける人が、その後「Eden」を作った。それがすごい。ポップ・ソングの構造を理解していた人が、その構造のどこを消しても曲が成立するのかを試した、と考えた方が面白いですよ。
その意味では後期Talk Talkは、ポップから逃げたというより、ポップを分解した音楽なのかもしれません。メロディ、反復、クライマックスは残る。でも「何分でサビへ行く」「ドラムはずっと拍を示す」「ヴォーカルが一番前にいる」といったルールを一つずつ外していく。だから完全な抽象音楽にはならないんです。
『The Colour of Spring』で何が壊れ始めたのか
大きな転換点はやはり『The Colour of Spring』です。ここではそれまで中心だったシンセサイザーの比重が大きく下がり、ピアノ、オルガン、ギター、パーカッション、アコースティック・ベースなど、生の楽器が前へ出てくる。さらにSteve Winwood、Danny Thompsonらを含む多くの演奏者が参加している。アルバム自体はTalk Talk最大級の商業的成功を収めた作品でもあって、つまり彼らは失敗したから実験へ逃げたわけではない。むしろ成功しながら制作方法を変え始めていた。
「Life’s What You Make It」を聴けば、その中間地点がよく分かりますね。曲としてはフックが強いし、ドラムも明確で、シングルとして普通に成立している。でもギターがコード進行を説明し続けるのではなく、短い音で空間に傷を付けるように入る。オルガンも伴奏というより持続する地面みたいに聞こえる。初期のシンセポップを生楽器へ置き換えただけじゃない。楽器同士の役割そのものが変わり始めているんです。
私は「Living in Another World」も重要だと思う。非常に大きな曲なのに、80年代のアリーナ・ロックのような英雄性がない。Mark Hollisの声は猛烈だけれど、その声が世界を支配するというより、巨大な演奏の中でもがいている感じがある。後期Talk Talkでは人間が音響空間の一部まで小さくなるけれど、その前段階として「フロントマンが中心にいるのに、音楽全体を完全には支配できない」という構図がここにある。
さらに重要なのは、Tim Friese-Greeneとの関係でしょう。彼は正式なツアー・メンバーではないけれど、Hollisと共同で曲を書き、プロデュースと演奏にも深く関わった。『The Colour of Spring』以降を「Mark Hollis一人のヴィジョン」として語ると、制作の共同性が見えなくなる。Talk Talk後期は、典型的な四人組バンドの民主的セッションとも、独裁的なソロ制作とも違うんです。HollisとFriese-Greeneを中心に、演奏家の素材を集めて作品へ編み直していく形に近づいていく。
その時点で「バンド」という言葉が怪しくなってくるんですよね。Paul WebbとLee HarrisがいるからTalk Talkではある。でもアルバムに鳴っている音全部をその固定メンバーが担当しているわけではない。ゲスト奏者が増えて、ギターも複数の人が弾く。普通のロック・バンドなら、メンバーの演奏個性を強くする方向へ行くところで、Talk Talkは逆に「誰が弾いたか」より「どんな瞬間を残すか」を優先していく。
そして皮肉なのは、この移行期の『The Colour of Spring』が大きく成功したことなのよね。普通ならそこで「このバランスが正解だ」と思う。ポップな曲もあり、生楽器で少し芸術的になり、チャートにも届く。レコード会社から見てもバンドから見ても、継続する理由が十分ある。でも次の『Spirit of Eden』は、その成功法を伸ばすのではなく、成功を可能にした構造そのものを解体していく。そこがこのバンドの異常さです。
『Spirit of Eden』で「曲を録音する」という順番が逆転した
『Spirit of Eden』で最も根本的に変わったのは、音色より制作手順です。普通は曲を書き、アレンジを決め、演奏者がそれを録音する。でもこの作品では、多数のミュージシャンによる長い即興演奏を録り、HollisとFriese-Greeneがそこから必要な瞬間を選び、編集しながら構造を作っていった。つまり演奏者が必ずしも完成曲を理解した状態で演奏しているわけではない。先に音の出来事があり、後から「曲」が発見されるんです。
それってロック・バンドとしてはかなり怖い制作方法ですよ。普通ならギタリストは「Aメロではこれ、サビではこれ」と自分の役割を理解して演奏する。でもここでは長く弾いたものの中から数秒だけ使われる可能性がある。演奏者が曲全体を支配できない。だから「The Rainbow」なんかを聴いていると、一つ一つの楽器がアレンジされたパートというより、暗闇で突然現れた出来事みたいに聞こえるんでしょうね。
そしてその方法によって、ロック特有の自己主張も消えていく。ギター・ソロなら「今この人を聴いてください」という見せ場でしょう。でも『Spirit of Eden』では、誰かが強烈な音を出しても、それが数秒後には消える。スター演奏家の個性より、その瞬間が曲全体に何を残すかが重要になる。これはパンク以後のロックともプログレとも違う方法ですね。
「Desire」が分かりやすいです。静かな部分では音の位置さえ曖昧なのに、突然ドラムやギターがものすごい強度で入ってくる。でも普通のロックなら、その爆発をサビとしてもう一度使って聴き手に覚えさせるでしょう。Talk Talkはそうしない。一度起きた現象として通り過ぎる。繰り返さないことで、その一回の物理的な衝撃を大きくしているんです。
僕があの曲で好きなのもそこです。ギターが鳴った瞬間だけ切り取れば、ものすごくロックなんですよ。歪んでいて荒々しい。でも「ロック的な興奮を維持する」という発想がない。鳴ったら消える。それによってギターが楽器というより雷みたいになる。後のポストロックがやる静寂から轟音へのダイナミクスを連想するけれど、Talk Talkはもっと予測不能ですよね。
そしてアルバム全体にも通常の「シングル曲」がほとんど見えない。これは難しくしたかったからではなく、制作方法から考えれば当然なのかもしれない。即興の断片を時間をかけて組み上げた作品を、三分半のヴァース/コーラスへ押し込めたら、本来の呼吸が壊れる。『Spirit of Eden』が商業的に扱いづらかったのは、実験的な音色だからではなく、ポップ産業が必要とする単位そのものから外れていたからでしょう。発売時には前作ほどの商業性を期待できない作品となり、ツアーも行われなかった。
「沈黙」はなぜ楽器と同じくらい重要になったのか
Talk Talk後期を語る時、「静か」という言葉だけでは足りないと思うんです。静かな音楽なら他にもたくさんある。彼らの場合、重要なのは沈黙が次の音の大きさを決めていることです。一音の後に十分な時間を空けると、次の小さな音まで巨大に感じられる。つまり無音部分がダイナミクスを作っている。Hollisの後期作品には、この「音が鳴っていない時間をどう聴かせるか」という発想がどんどん強くなる。
ギターでもそれは本当に大きいですね。普通は一音鳴らしたら次に何を弾くか考える。でも後期Talk Talkでは、一音弾いたら「もう弾かなくていいかもしれない」と考える必要がある(笑)。それがすごく難しい。ロック・ギタリストは音を出すことで存在を証明する文化にいるから、弾かない選択はかなり勇気がいるんです。
私はその沈黙が、宗教的な感覚に近づく瞬間もあると思う。もちろん作品を特定の宗教へ単純化する意味ではなくて、人間が言葉で空間を埋めることをやめた時に、もっと大きな何かを意識するということ。「I Believe in You」でも、歌そのものが非常に私的で切実なのに、周囲の音が説明を加えすぎない。そのため感情が「こう感じてください」と誘導されず、空間に残される。
リヴァーブの使い方も面白いです。80年代だから大きな残響がある、という話ではない。音を大きく見せるためではなく、音が消えた後にも空間だけ残すために使われる。ドラムが鳴った後、次の拍をすぐ埋めず、残響が減衰していく時間まで構造にする。だからテンポをBPMだけで測っても意味が薄い。曲そのものが呼吸して伸び縮みしているように聞こえるんです。
Lee Harrisのドラムがすごいのも、そこですよ。彼は「ドラムを叩かない時間」を演奏できる。普通ならフィルを入れたくなる場所で待って、必要になった瞬間だけ重い一打を置く。それで突然バンド全体が動き出す。後のポストロックに影響したとされるダイナミクスも、実はギターの轟音以上に、このドラムの待ち方が大きかったんじゃないかと思います。
つまりTalk Talkの静けさは内向的な美学だけではなく、演奏者同士の関係なんですね。一人が沈黙すると、別の人の小さな音が前へ出る。全員が主張を控えることで、音楽がむしろ立体的になる。ロックの「四人で大きな塊を作る」という発想を逆転させている。
なぜ『Spirit of Eden』を「ポストロック」と呼びたくなるのか
ここでようやくポストロックという言葉ですよね。でも僕は、Talk Talk自身を最初から「ポストロック・バンド」と呼ぶのは少し変だと思う。後にその言葉で括られる音楽との共通点がある、という順序でしょう。『Spirit of Eden』が1988年、『Laughing Stock』が1991年で、後にポストロックと呼ばれる多くのバンドより前にこの方法へ到達していた。それで先駆者として見られるようになった。 Naomi:
共通点を具体的にすると分かりやすいです。まずギターをリフやコード伴奏から音色へ変える。次に静けさと強音のダイナミクスを曲の大きな構造にする。さらに長い時間を使い、反復を物語的なヴァース/コーラスより重視する。そしてスタジオ編集を「生演奏を修正する作業」ではなく、作曲そのものとして使う。後のポストロックに見られる特徴がかなり並んでいます。
ただ、私はTalk Talkを後の典型的なポストロックから聴くと、意外に「歌」が強いことに驚く。Mark Hollisの声は後退しているけれど、人格が消えたわけではない。『Spirit of Eden』も『Laughing Stock』も非常に歌のアルバムなのよね。インストゥルメンタル主体の後続バンドから遡ると、そこがむしろ違って聞こえる。
ブルースの感覚もありますよね。ギターの一音の曲げ方とか、Hollisの声の掠れ方とか。後のポストロックがもっと抽象的な音響へ行くのに対して、Talk Talkには古いブルースやジャズの身体感覚がかなり残っている。だから僕は「ポストロックを発明した」というより、「ロックの楽器をロックの文法から解放した」と言う方がしっくりきます。
そうですね。「ロック以後」という意味なら非常に近い。ギター、ベース、ドラムを捨てず、それらに別の仕事をさせる。電子音楽へ転向したわけでも、現代音楽へ移ったわけでもない。ロック編成を持ったまま、ロックが積み上げてきた慣習だけを少しずつ外していく。その結果を後世がポストロックとして理解したんだと思います。
そして重要なのは、彼らがジャンルを作ろうとしていなかったこと。ジャンルは後から、共通する特徴を整理するために生まれる。Talk Talkの価値を「ポストロック第一号」という称号にすると、また未来のために存在したバンドになってしまう。『Spirit of Eden』は1988年のTalk Talkが、自分たちに必要な作り方を突き詰めた結果として聴いた方がいい。
『Laughing Stock』では何がさらに先へ進んだのか
『Laughing Stock』では、『Spirit of Eden』で始めた方法がさらに徹底されます。長時間の演奏素材から極端に少ない部分を選び、完成形を組み立てていく。エンジニアのPhill Brownによれば、膨大な演奏のうち最終的に使われるのはごく一部で、アルバム制作は非常に長期化した。結果だけ聴くと簡素なのに、簡素さを作るために大量の音を捨てているんです。 Alex:
「Myrrhman」の冒頭なんて、本当に何も起きない時間を恐れていない。ギターや声が入っても、曲が始まったという確信がなかなか持てない。でも耳が慣れてくると、一つの音の質感がものすごく大きく感じられる。普通のロックなら二秒で通過するようなギターの響きを、数十秒かけて聴かせる。ここまで行くと「演奏が少ない」というより、聴き手の時間感覚を変更しているんですよ。
そして「Ascension Day」では逆に、演奏がかなり激しくなる。だから『Laughing Stock』を静かなアンビエント・ロックと理解するのも違うのよね。静けさが長いから、バンドが入った瞬間の暴力性が巨大になる。音量の大小ではなく、前後の関係で強度を作っている。
「After the Flood」もそうですね。オルガンのような持続音が大きな面を作り、そこへ歪みが重なっていく。和音が進むことより、音色が内部から変質していくことの方が重要になる。これは後のドローン、アンビエント、実験的ロックとも比較できるけれど、Hollisのヴォーカルが入ることで完全な抽象音響にはならない。人間の歌と音響の崩壊が同じ場所にある。
僕が『Spirit of Eden』より『Laughing Stock』に感じるのは、さらに「バンドらしくなさ」が増したことです。でも不思議なことに、生身の演奏感はむしろ強い。コンピューターで完璧に配置した感じではなく、誰かが一度しか出せない音を拾っているから。一回性を重視しているのに、最終的な構造は編集で作る。この「即興と編集」の矛盾がすごく現代的なんですよね。
そして『Laughing Stock』がTalk Talk最後のスタジオ・アルバムになったことも、後から神話性を高めている。ただ私は「これ以上進める場所がなかったから終わった」と美しくまとめたくはない。バンドの終了には実際の人間関係や契約、活動状況もある。作品が究極に到達したから自然消滅した、という芸術神話にすると現実を消してしまう。
その後Mark Hollisが1998年のソロ作で、さらに小さな音量とアコースティックな空間へ進んだことを考えると、少なくとも彼個人の探求には先があった。『Spirit of Eden』『Laughing Stock』、そしてソロ作は関連する流れとして本人も捉えていたことがうかがえます。
Mark Hollisだけの物語にすると何を見落とすのか
Talk Talkを語ると最終的にMark Hollisの天才物語になりやすいんだけど、僕はそこを少し抵抗したいです。もちろん中心人物なのは間違いない。でもLee Harrisのドラムがなければ、後期作品の時間感覚は全然違ったはず。彼は派手なことをしないのに、一打の位置で曲の重力を変える。あれは作曲だけでは作れない演奏ですよ。
Tim Friese-Greeneも欠かせません。Hollisとの共同作曲、プロダクション、キーボードなど、多層的な役割を持っていた。さらにPhill Brownの録音、数多くのゲスト・ミュージシャンによる即興もある。後期Talk Talkの方法では、演奏者が自分の音が最終形でどこに使われるか知らないこともあるわけで、作者性がかなり分散しています。それを全部Hollis一人の頭の中から出た作品として聞くと、制作方法そのものと矛盾するんです。
でも同時に、その大量の素材から何を残すかという美学には明確な統一感がある。つまり民主的なジャム・セッションをそのまま出しているわけでもない。多くの人が自由に音を出し、最後の選択は非常に厳しく行われる。その二段階構造がTalk Talk後期なんでしょうね。
僕はそこがジャズとの違いでもあると思う。ジャズなら即興の時間自体を演奏として聴く。でもTalk Talkは即興を録った後、それを最終作品のための素材にする。すごい瞬間があっても、曲に必要なければ捨てられる。演奏者としてはかなり残酷な制作です(笑)。
でもその残酷さによって、一音の必然性が高くなる。大量に録ったから密度が上がるのではなく、大量に録って大量に捨てるから密度が下がる。ここが普通の豪華なスタジオ制作と正反対なんです。予算と時間を使って音を増やすのではなく、最終的には空白を増やしている。
その方法自体が、80年代末から90年代初頭という時期にはかなり反時代的でもある。デジタル技術によって音を増やし、きれいに管理できる方向へ録音が進む中で、Talk Talkは一回の演奏の微妙な揺れや、静かな部屋の感触へ向かう。でも単なる「昔の生演奏へ戻ろう」ではなく、編集という非常にスタジオ的な方法を使っている。過去と未来のどちらにも単純には属さないんですよね。
「ポストロックの先駆」という評価はTalk Talkをまた狭くしないか
私はここまで話して、少し皮肉を感じるのよ。初期Talk Talkは「シンセポップ」と括られ、後期Talk Talkは「ポストロックの先駆」と括られる。結局どちらの時期もジャンル名によって説明されてしまう。でも彼らが実際にやったことは、ジャンルの説明から抜け続けることだったんじゃないかな。
そうですね。しかも「ポストロック」という言葉から想像する音がもう出来上がりすぎている。長いインスト、ディレイのかかったギター、静かに始まって最後に大轟音、みたいな。でも『Spirit of Eden』はそんなに単純じゃない。歌があるし、ブルースもあるし、オルガンもハーモニカもある。轟音が来ても予定されたクライマックスとしてではなく、突然起きる。
Talk Talkから後世が受け取ったのは、特定のサウンドより「ロックの素材を使ってロックの構造に従わなくていい」という許可だったと思います。ギターがあるからリフを作らなくてもいい。ドラマーがいるからずっと拍を刻まなくてもいい。ヴォーカリストがいるから声を一番前へ置かなくてもいい。スタジオにいるから演奏をそのまま記録しなくてもいい。その自由度が後の音楽に大きかった。
しかも、その自由を「難解さ」と同一視しなかった。『Spirit of Eden』にはものすごく美しいメロディがあるし、感情的にも遠い作品ではない。入口が普通のポップより分かりにくいだけで、いったん内部の時間へ入ればかなり直接的です。だから何十年後にも聴かれるのでしょう。
僕は「I Believe in You」がその証明だと思う。あの曲をポストロック史の教材として聴く必要は全然ない。Hollisの声、オルガン、合唱、演奏の高まりだけで十分に心を掴む。実験的方法で作られていても、最後に残るのが実験の賢さじゃなく歌なのがTalk Talkの強さです。
「革新的な制作方法を使ったから偉い」で終わらないんですよね。即興編集も沈黙も、全部最終的には感情の密度を上げるために使われている。技術を見せたい作品なら、もっと音を複雑にできたはず。でもTalk Talkは技術を使って音を消した。そこが最もラディカルです。
だから「シンセポップからポストロックへ」という一本線の進化物語より、「曲を成立させるために必要なものを減らし続けた結果、ジャンルの外まで出た」と考える方が近いのかもしれない。最初はビート、シンセ、サビが曲を支えていた。最後には一音、沈黙、声の息遣いだけでも音楽が成立する場所まで行った。
一枚だけ選ぶなら──転換点は『Spirit of Eden』ではなく『The Colour of Spring』なのか
最高傑作なら僕は『Spirit of Eden』です。でも「なぜ変わったのか」を理解するために一枚選ぶなら、『The Colour of Spring』の方が面白いと思う。初期のポップ性も残っているし、後期の生楽器、反復、余白も見える。「Life’s What You Make It」みたいな曲がヒットとして成立しながら、その横で「Chameleon Day」のような変な曲まである。二つのTalk Talkが一枚の中でぶつかっているんです。
私も入口としては『The Colour of Spring』を推したいですね。『Spirit of Eden』だけ聴くと、突然大変身したように感じる。でも第三作を挟むと、変化が連続していたことが分かる。シンセの比重を下げ、生楽器を増やし、演奏者の数を広げ、一つのバンド編成を越えて音色を選ぶようになる。その制作思想が次作で極端になった。 Sophie:
ただ一曲だけなら私は「I Believe in You」を選ぶかな。Talk Talk後期を「静かで難しい音楽」と思っている人に、実際にはこんなに強い歌が中心にあると分かるから。Mark Hollisの声が完全に消えず、むしろ音数が減ったことで人間の脆さが前へ出ている。ポップ・ソングを書く能力と後期の音響美学が一番きれいに交差している曲だと思う。
僕なら「Desire」。静けさから突然バンドが入る瞬間だけなら、後のポストロックにつながると説明しやすい。でも実際に聴くと、その後すぐ期待を裏切る。クライマックスをサービスとして繰り返さないんです。「この瞬間が格好いいならもう一回やろう」というロックの常識を拒否している。それがTalk Talkの変さを一番よく表している。
私は『Laughing Stock』の「After the Flood」を選びます。音色の変化、持続音、歪み、声、空白が、どこからが作曲でどこからがプロダクションなのか分からないほど混ざっている。Talk Talkが最終的に到達したのは、新しいジャンルではなく「録音された音の出来事そのものを曲にする」方法だったことがよく分かります。
そう考えると、Talk Talkはシンセポップを捨てたのではなく、シンセポップ時代から持っていた「スタジオで曲を構築する」という発想を、逆方向へ極端に進めたとも言える。初期はスタジオで音を足してポップを作り、後期はスタジオで音を選び抜いて沈黙を作る。同じ技術への向き合い方が反転しているんです。
対談を終えて
Talk Talkがシンセポップからポストロックの先駆者になった理由は、ある日ジャンルを交換したからではない。『The Colour of Spring』でシンセ中心の編成から生楽器と多数の演奏者へ移り、『Spirit of Eden』では即興を先に録音し、後から編集によって曲を発見するような制作方法へ進んだ。そして『Laughing Stock』では、大量の素材を録りながら最終的には極端に少ない音だけを残し、沈黙まで作曲の一部にした。後世がそこにポストロックを見るのは、ギターを音色として扱い、静寂と強音を構造化し、スタジオ編集と生演奏の境界を消したからだ。しかしTalk Talk自身の魅力は、未来のジャンルを予告したことだけにはない。彼らは最後までメロディと歌を捨てなかった。ポップ・ソングを書く能力を持ったまま、「曲には何が必要なのか」を一つずつ問い直し、ついには一音と次の一音の間にある沈黙まで音楽にした。その過程こそ、Talk Talkの本当の方向転換だった。

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