
1. 歌詞の概要
「Sunglasses」は、Black Country, New Roadが2019年にシングルとして発表し、その後2021年のデビュー・アルバム『For the first time』にも収録された、バンドの初期代表作のひとつである。約9分にもおよぶ長尺の楽曲は、ポストパンク、ポストロック、現代クラシック、ジャズといった要素が混然一体となり、まるで一篇の小説か舞台劇のような構成を持つ。
この楽曲の核となっているのは、「アイデンティティの崩壊」と「現代的なナルシシズム」、そして「男らしさの欺瞞性」への風刺である。語り手は一見すると傲慢で自信に満ちた人物に見えるが、その語りは次第に破綻し、脆く、情けない本性が露呈していく。タイトルの「Sunglasses(サングラス)」は、そうした虚勢や防御の象徴であり、語り手が自分自身を守るために身に着ける仮面として機能している。
日常的な情景描写とハイパーリンク的な文化参照(Kanye West、FKA Twigs、Cheesecake Factoryなど)が織り交ぜられた歌詞は、現代の若者が抱える不安定な自己意識や過剰な自意識を痛烈にあぶり出している。
2. 歌詞のバックグラウンド
「Sunglasses」は、Black Country, New Roadが広く知られるきっかけとなった楽曲であり、2019年に初めてリリースされたヴァージョンと、2021年のアルバム収録版では構成や歌詞に細かな違いがある。特に2021年版は、より演劇的で起伏のあるアレンジが施されており、アイザック・ウッドのヴォーカルもより語り口調の強いものへと変化している。
楽曲の制作背景には、現代社会における自己像と期待、恋愛や階級に対する葛藤がある。語り手は、裕福な恋人の家庭に取り込まれそうになりながらも、自分を守るために“男らしさ”を過剰に演じようとする。しかしその姿は滑稽で、哀れでもある。彼がサングラスを「高級な、プレミアムな、割れにくいやつ」と何度も強調する様子は、見栄と恐れの象徴ともいえる。
また、楽曲構成も印象的で、静かな導入部から次第にテンションが高まり、語り手の感情が爆発するような展開へと雪崩れ込む。その後はまた静かに、だが崩壊した自己意識を引きずるように終焉を迎える。まさに“語り手の精神の地滑り”をリアルタイムで追体験するような構造になっている。
3. 歌詞の抜粋と和訳
英語原文:
“I’m more than adequate
Leave Kanye out of this
Leave your dad out of this”
日本語訳:
「俺は“そこそこ”どころか十分以上にイケてる
カニエの話はやめろ
君の父親の話もやめてくれ」
引用元:Genius – Sunglasses Lyrics
このフレーズは、語り手の自尊心の脆さと、周囲の人物との関係性におけるコンプレックスを強烈に浮かび上がらせている。自分を守るために攻撃的になる様子、誰かの成功や知名度と比較されることへの苛立ち。それは、「強がり」と「崩壊」が紙一重の場所にあることを示している。
4. 歌詞の考察
「Sunglasses」の語り手は、自らを過剰に飾り立て、自信満々に振る舞うことで、内面的な脆さや不安を覆い隠そうとする。だがその虚勢は時間とともに剥がれ落ち、彼が本当に抱えているのは、恐れと劣等感、そして愛されたいという未成熟な欲望であることが露呈していく。
特に印象的なのは、語り手が恋人の家族(上流階級の象徴)に対して劣等感を感じながらも、彼女の影響を受けて自分自身の価値観を変えてしまおうとするくだりだ。だがその変化は自発的なものではなく、彼のアイデンティティを削る“同化”のようなものであり、それに気づいた語り手は“怒り”というかたちで抵抗しようとする。
また、語り手が語る内容は、しばしば急激にトーンが変わり、断片的で、ほとんど独白に近い。これはまるで、不安定な精神状態をそのまま綴った日記のようでもあり、そこに浮かび上がるのは、「他者に見られる自己」を過剰に意識し続ける現代の若者像である。
サングラスというアイテムは、この曲全体を貫くメタファーであり、「見られること」と「見られたくないこと」のジレンマを象徴している。語り手は他者の目線を遮りたくてサングラスをかけるが、同時にそのサングラス自体が彼の虚勢の象徴として機能するため、むしろ彼の不安を際立たせてしまうという、倒錯したアイロニーがある。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- “The Overload” by Yard Act
階級や社会に対するシニカルな視線を、語り調のヴォーカルとポストパンクサウンドで描き出す点が共通。 - “Stoned and Starving” by Parquet Courts
日常の中での焦燥感や空虚さを淡々と語るスタイルが、「Sunglasses」の脱力的なユーモアと響き合う。 - “I’m a Man” by Pulp
男性性の欺瞞とナルシシズムを皮肉たっぷりに描いたブリットポップの名曲。 - “Dry Fantasy” by Mogwai
言葉を使わずしても精神の浮遊と内面の景色を描き出す点で、音楽的な親和性がある。
6. 自意識過剰とナルシシズムの破壊劇
「Sunglasses」は、現代における“見られる自己”への過剰な意識と、それがもたらす不安定なアイデンティティの物語である。アイザック・ウッドの語りは、その情緒的起伏の激しさと、ユーモラスでありながらも痛々しい自己開示によって、単なる批評や風刺を超えた、非常にパーソナルな表現となっている。
この曲のすごさは、その長尺をまったく無駄にしない構成力にある。静と動を繰り返しながら、語り手の仮面が剥がれていくさまを、音と共にダイナミックに描写する。ブラスやギターが荒れ狂うように鳴り響く中で、「俺は“十分以上”にイケてる」というフレーズは、もはや哀れな自己暗示として響いてくる。
そして最終的に、語り手は自分を取り繕う術も失い、かけたはずのサングラスの向こう側から、素の自分と対面せざるを得なくなるのだ。その瞬間の静けさと虚無こそが、この曲の本質的な“痛み”であり、聴き手の心を射抜く。
「Sunglasses」は、現代における“かっこよさ”という幻想が、いかに脆く、孤独なものかを炙り出す。それゆえに、この曲はただの風刺ではなく、誰しもの中にある弱さへの共感の歌でもあるのだ。
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