アルバムレビュー:St. Arkansas by Pere Ubu

※本記事は生成AIを活用して作成されています。

発売日:2002年5月20日

ジャンル:ポストパンク、アート・ロック、エクスペリメンタル・ロック、アヴァン・ロック、ガレージ・ロック、インダストリアル・ブルース

概要

Pere Ubuの『St. Arkansas』は、2002年に発表されたスタジオ・アルバムであり、1970年代後半から続く同バンドの長い活動歴の中でも、特に荒涼としたアメリカ的風景、歪んだロックンロール、奇妙なブルース感覚、そしてDavid Thomas特有の不条理な語りが濃く表れた作品である。Pere Ubuは、アメリカ・オハイオ州クリーヴランドを拠点に登場したポストパンク/アヴァン・ロックの重要バンドであり、1978年の『The Modern Dance』、1979年の『Dub Housing』によって、パンク以後のロックにおける実験性、都市的疎外、電子音、ノイズ、ガレージ・ロック、ダダイズム的ユーモアを結びつけた存在として高く評価されてきた。

バンド名は、フランスの劇作家アルフレッド・ジャリの戯曲『ユビュ王』に由来する。この名前が示すように、Pere Ubuの音楽には最初から、ロック・バンドでありながら演劇的で、文学的で、反ロック的な側面があった。彼らはパンクのエネルギーを持ちながら、単純な怒りや速度だけに頼らず、奇妙な電子音、断片的な構成、不安定なリズム、David Thomasの独特な声によって、ロックを異物化してきた。『St. Arkansas』は、その長い実験の延長線上にありながら、同時にアメリカ南部や田舎道、伝承、聖人、幽霊、奇妙な宗教性を思わせる乾いたイメージを強く持つアルバムである。

タイトルの『St. Arkansas』は、非常にPere Ubuらしい不可解な言葉である。Arkansasはアメリカ南部の州であり、ブルース、フォーク、カントリー、貧困、農村的な神話、アメリカの裏側を連想させる。一方で、そこに「St.」が付くことで、「聖アーカンソー」という架空の聖人、あるいは土地そのものが聖人化されたような奇妙な印象を生む。これは、アメリカの地理と宗教的なイメージをずらして組み合わせる、Pere Ubuらしいダダ的なタイトルである。アルバム全体にも、現実のアメリカと幻覚のアメリカ、ロックンロールの歴史とその廃墟、聖なるものと俗なるものが入り混じっている。

音楽的には、『St. Arkansas』はPere Ubuの作品の中でも比較的ギター・ロック色が強い一方で、単純なロック回帰ではない。歪んだギター、乾いたドラム、反復するベース、奇妙なシンセサイザーや電子音が、ブルースやガレージ・ロックの原型をねじ曲げるように配置される。曲はしばしばロックンロールらしいリフやビートから始まるが、そこにDavid Thomasの声が乗ることで、すぐに通常のロックとは異なる奇妙な劇場へ変わる。彼の声は、歌というより語り、叫び、呻き、説教、独り言の間を行き来する。Pere Ubuにおいて、ヴォーカルはメロディを届けるためだけのものではなく、世界の歪みを体現する装置である。

本作は、Pere Ubuの後期作品として、初期の『The Modern Dance』や『Dub Housing』のような都市的・工業的な緊張とはやや異なる感触を持つ。初期作品がクリーヴランドの工場地帯やポストパンク的な都市不安を強く感じさせるとすれば、『St. Arkansas』はもっと乾いた道、開けた土地、古いアメリカの風景、しかしそこに潜む奇妙な恐怖を感じさせる。これは、アメリカーナのパロディであり、ブルースの亡霊であり、ロックンロールが持つ土着性を不気味に変形させたものでもある。

歌詞面では、Pere Ubuらしく、明確な物語や直接的なメッセージよりも、断片的なイメージ、反復される言葉、不条理な状況、奇妙な人物像が中心になる。David Thomasの歌詞は、リスナーに意味を分かりやすく説明するものではない。むしろ、聴き手は言葉の隙間から、アメリカの周縁、奇妙な信仰、壊れた日常、孤独な人物、古びたロックンロールの残骸を感じ取ることになる。彼の言葉は、明晰な詩というより、壊れたラジオから聞こえてくる説教や、夢の中で誰かが語る断片のようである。

『St. Arkansas』は、Pere Ubuの代表作として最初に挙げられることは少ないかもしれない。バンドの歴史的評価は、どうしても1970年代末の革新的な初期作品に集中しやすい。しかし本作は、後期Pere Ubuが単なる過去の再演ではなく、独自のアメリカ的幻覚を作り続けていたことを示す重要なアルバムである。初期のポストパンク的鋭さを期待すると、やや地味に聞こえる部分もあるが、ロックンロールの型を崩し、ブルースやガレージの影をアヴァン・ロックへ変換する手つきには、長年のバンドならではの深みがある。

全曲レビュー

1. The Fevered Dream of Hernando DeSoto

オープニング曲「The Fevered Dream of Hernando DeSoto」は、タイトルからして非常にPere Ubu的である。Hernando de Sotoはスペインの探検家であり、アメリカ大陸の征服と植民の歴史を連想させる人物である。そこに「熱に浮かされた夢」という言葉が加わることで、歴史、征服、幻覚、アメリカという土地の暴力的な起源が、悪夢のように浮かび上がる。

音楽的には、アルバム冒頭にふさわしく、不穏で乾いたロックの感触を持つ。ギターは荒く鳴り、リズムは前へ進むが、その進行には奇妙なねじれがある。Pere Ubuのロックは、常に正統的なグルーヴから少しずれている。そのずれが、曲に落ち着かなさを与えている。

David Thomasのヴォーカルは、語り部のようでありながら、信頼できない語り部でもある。彼は歴史を説明するのではなく、夢の中で見た断片を叫ぶように歌う。DeSotoという歴史的名前は、アメリカの成立に潜む暴力や迷信を呼び起こすが、曲はそれを教科書的に描かない。むしろ、征服の記憶が熱病の夢として現在に残っているように響く。

この曲は、『St. Arkansas』が単なるロック・アルバムではなく、アメリカの神話や歴史の幽霊を扱う作品であることを最初に示す。アルバムはここから、現実と幻覚の境界を進んでいく。

2. Slow Walking Daddy

「Slow Walking Daddy」は、タイトル通り、ゆっくり歩く父親、あるいは古いブルース的な男性像を連想させる曲である。Pere Ubuはここで、ブルースやロックンロールにおける“daddy”という言葉の古臭い響きを、奇妙で不安定なものへ変えている。

音楽的には、ゆったりしたテンポと重いグルーヴが印象的で、ブルース・ロック的な骨格を持つ。しかし、Pere Ubuが演奏すると、そのブルースは素直な伝統音楽にはならない。リズムはどこかぎこちなく、音の隙間には不気味な空気がある。まるで古いブルースの亡霊が、壊れたアンプから鳴っているようである。

歌詞では、父性的な存在が威厳ある人物としてではなく、どこか滑稽で、疲れ、遅れて歩く存在として描かれるように感じられる。これはロックやブルースにおける男性性のパロディとしても聴ける。強い男、支配する父、歩き続ける放浪者といった神話が、ここでは崩れた身体として現れる。

「Slow Walking Daddy」は、本作のアメリカーナ的側面をよく表す曲である。ただし、それは温かな郷愁ではなく、歪んだ郷愁である。Pere Ubuはアメリカ音楽の根を掘り返し、その下にある奇妙な骨を見せる。

3. Michele

「Michele」は、本作の中でも比較的名前の具体性が強い楽曲である。人名をタイトルにすることで、曲は一見すると個人的な人物像やラヴ・ソングのように見える。しかし、Pere Ubuにおいて人名は、しばしば実在の人物というより、奇妙な記憶や物語の入口として機能する。

音楽的には、比較的メロディアスな面があり、アルバムの中で少し柔らかい空気を持つ。ただし、その柔らかさは一般的なポップ・ソングの親しみやすさではない。ギターやリズムには不安定な揺れがあり、David Thomasの声も、相手を優しく呼ぶというより、遠い記憶の中の名をつぶやくように響く。

歌詞の中心にあるのは、人物への呼びかけ、記憶、距離感である。Micheleという名前は、聴き手に具体的な女性像を想像させるが、その輪郭ははっきりしない。Pere Ubuの音楽では、人物は常に少し幽霊的である。存在しているようで、すでに失われている。

「Michele」は、アルバムの荒涼とした風景の中に、人間的な記憶の断片を差し込む曲である。だが、それは安らぎではなく、むしろ誰かの不在を強調するように機能している。

4. 333

「333」は、数字だけのタイトルを持つ楽曲であり、非常に不穏な印象を与える。数字は、宗教的記号、暗号、迷信、あるいは偶然の羅列として読むことができる。Pere Ubuの世界では、このような数字もまた、意味がありそうで確定しない不気味な記号として扱われる。

音楽的には、反復性と硬さが強く、ポストパンク的な緊張がある。リズムは前へ進むが、その反復は快適ではなく、何かに取り憑かれたように感じられる。電子音やギターの響きも、曲に呪術的な印象を与える。

歌詞が明確に意味を説明しない分、タイトルの数字が曲全体の空気を支配する。333という数字は、666の半分のようにも見え、悪魔的記号の変形としても響く。聖なるものと不吉なものの境界が曖昧になる点は、『St. Arkansas』のタイトルとも通じている。

「333」は、本作におけるダークで反復的な側面を担う楽曲である。Pere Ubuの音楽が、ロックンロールの単純な快楽ではなく、記号や呪文のような不安を生むことを示している。

5. Hell

「Hell」は、非常に直接的なタイトルを持つ曲である。「地獄」という言葉は、宗教的な罰の場所であると同時に、日常の苦しみ、精神的な閉塞、アメリカ的荒廃の比喩でもある。『St. Arkansas』という聖性と土地を組み合わせたタイトルの中で、「Hell」はその反対側にある暗い場所として機能する。

音楽的には、荒々しく、ガレージ・ロック的なエネルギーがある。だが、曲は単純なハード・ロックにはならない。ギターの音やリズムの配置には奇妙な歪みがあり、David Thomasのヴォーカルは地獄を説明するというより、すでに地獄の中から叫んでいるように聞こえる。

歌詞における地獄は、死後の世界だけではなく、現実の生活そのものでもある。Pere Ubuの音楽では、地獄は地下や炎の中にあるのではなく、アメリカの道端、安っぽい部屋、壊れた記憶、繰り返される日常の中にあるように感じられる。

「Hell」は、アルバムの宗教的・神話的なイメージを強める曲である。聖なるアーカンソーと地獄。その二つは離れているようで、Pere Ubuの世界では同じ土地の表裏として響く。

6. Lisbon

「Lisbon」は、ポルトガルの首都リスボンをタイトルに持つ曲であり、アルバムのアメリカ的な風景の中に、突然ヨーロッパ的な地名を差し込む。Pere Ubuはしばしば、地名を用いることで、曲に具体性と異物感を同時に与える。この曲でも、Lisbonという名前は、実際の都市であると同時に、遠い場所、記憶の中の場所、あるいは幻想の地名として響く。

音楽的には、やや開けた空間を感じさせるが、完全に明るくはない。ギターやリズムの動きには浮遊感があり、旅や移動の感覚がある。しかし、その旅は観光的なものではなく、どこか迷い込んだようなものだ。Pere Ubuの地理感覚は常に不安定で、どの場所も正確な地図上の場所であると同時に、心理的な場所でもある。

歌詞では、リスボンという場所が何を意味するのかは明確に語られない。だが、その曖昧さによって、曲は移動と距離の感覚を持つ。アメリカ南部的なタイトルのアルバムの中で、リスボンという言葉が現れることで、作品全体の地理は一気に広がり、同時に混乱する。

「Lisbon」は、アルバムに異国的な影を加える曲である。Pere Ubuの世界では、場所は常に少しずれている。どこへ行っても、結局は同じ幽霊がついてくる。

7. Phone Home Jonah

「Phone Home Jonah」は、タイトルからして複数の文化的参照が混ざっている。「Phone home」は映画『E.T.』を連想させる有名なフレーズであり、Jonahは旧約聖書のヨナを思わせる名前である。つまり、このタイトルにはSF、聖書、帰郷、遭難、呼びかけが奇妙に組み合わされている。

音楽的には、Pere Ubuらしい不条理なロックの感覚が強い。リズムはぎくしゃくし、ギターや電子音は曲に奇妙な推進力を与える。David Thomasの声は、説教師のようでもあり、迷子の人物に向けた通信のようでもある。

歌詞のイメージは、家に電話すること、遠く離れた場所から助けを求めること、あるいは神話的な試練の中にいる人物へ語りかけることを連想させる。ヨナは巨大な魚に飲み込まれた人物として知られるが、Pere Ubuの世界では、その聖書的物語もポップ・カルチャーの断片と混ざり、奇妙な現代神話になる。

「Phone Home Jonah」は、本作のダダ的ユーモアと宗教的イメージの混交を示す楽曲である。深刻なようで滑稽、滑稽なようで不気味。この曖昧さが、Pere Ubuの大きな魅力である。

8. Where’s The Truth?

「Where’s The Truth?」は、「真実はどこにあるのか」という直接的な問いをタイトルに持つ曲である。Pere Ubuにおいて、この問いは哲学的であると同時に、非常に皮肉な響きを持つ。彼らの音楽世界では、真実は常に断片化され、語り手も信用できず、音も歪んでいる。そのため、この問いに明確な答えが与えられることはない。

音楽的には、やや重く、問い詰めるようなリズム感がある。ギターとベースは反復し、David Thomasの声は、答えを求めるというより、答えがないことを知りながら問い続けるように響く。ここにはポストパンク的な懐疑精神がある。

歌詞では、真実の不在、あるいは真実を求めることの滑稽さが感じられる。政治的な真実、宗教的な真実、個人的な真実。どれも確かなものとしては現れない。Pere Ubuは、真実を高らかに宣言するバンドではなく、真実という言葉そのものを疑うバンドである。

「Where’s The Truth?」は、アルバムの中で概念的な中心のひとつになっている。『St. Arkansas』の奇妙な聖性も、地獄も、歴史も、地名も、すべてが真実のようであり、同時に作り話のようでもある。この曲はその不安定さを端的に示している。

9. Dark

「Dark」は、非常に簡潔なタイトルを持つ曲である。「暗い」という言葉は、Pere Ubuの音楽全体を表す形容詞にもなり得るが、ここでは単なるムードではなく、見えないもの、理解できないもの、心の奥にあるものを示しているように響く。

音楽的には、暗い音響と不安定なリズムが中心で、アルバム終盤の影を深める。Pere Ubuの暗さは、ゴシック・ロック的な劇的な暗さとは異なる。もっと乾いていて、日常的で、突然足元に開く穴のような暗さである。

歌詞では、闇そのものが何かを隠しているというより、世界がもともと十分には見えない場所であることが示されるように感じられる。David Thomasの声は、闇を恐れているというより、その闇の中に慣れてしまった人物のようにも聞こえる。

「Dark」は、アルバム終盤で作品全体の陰影を凝縮する曲である。タイトルは単純だが、その単純さゆえに広い解釈を許す。Pere Ubuの音楽において、暗さは装飾ではなく、世界認識そのものである。

10. Walking Again

「Walking Again」は、「再び歩く」という意味を持つ曲であり、アルバム終盤において、移動、回復、反復、あるいは生き延びることを示すように響く。Pere Ubuの作品では、歩くことは単なる身体動作ではなく、不確かな世界を進み続けることの象徴である。

音楽的には、比較的リズムの推進力があり、前へ進む感覚がある。ただし、それは明るい再生の音楽ではない。足取りは重く、周囲の風景は歪んでいる。それでも歩く。ここに、Pere Ubu的な生存感覚がある。

歌詞では、何かの後に再び動き出すことが示唆される。地獄を見た後、真実を見失った後、暗闇を通った後、それでも歩くこと。これはロックンロールの原始的な機能とも関係する。ロックはしばしば、壊れた身体を再び動かすリズムとして機能する。

「Walking Again」は、アルバム終盤に小さな前進感を与える曲である。救済ではないが、停止でもない。Pere Ubuの音楽における希望は、大きな光ではなく、奇妙な足取りで歩き続けることに近い。

11. The Google Eye

「The Google Eye」は、2002年という時代を考えると興味深いタイトルを持つ曲である。Googleは当時すでに検索エンジンとして急速に存在感を増していたが、現在ほど巨大な情報インフラではなかった。その言葉に「Eye」が付くことで、検索、監視、見ること、見られること、情報の網を連想させる。

音楽的には、Pere Ubuの電子的・実験的な側面が感じられる。ギター・ロック的な骨格に、奇妙な音響が混ざり、情報化社会の不気味さを先取りするような印象もある。初期Pere Ubuが都市と工業社会の不安を鳴らしていたとすれば、この曲では情報と視線の不安が浮かび上がる。

歌詞では、見ること、探すこと、監視されることの不気味さが暗示される。Googleという言葉は、当時は新しい技術の象徴であり、同時に世界中の情報を見渡す目のようにも響く。Pere Ubuはその言葉を、便利さではなく不条理な視線として扱っているように聞こえる。

「The Google Eye」は、本作の中でも時代性を感じさせる曲である。Pere Ubuの不安は、工業地帯から情報空間へも広がっている。聖なる土地、地獄、真実、暗闇、そして検索する目。これらが同じアルバムの中に並ぶこと自体が、Pere Ubuらしい。

12. The Story of My Life

アルバムを締めくくる「The Story of My Life」は、「私の人生の物語」という非常に大きなタイトルを持つ曲である。しかし、Pere Ubuがこのようなタイトルを使う時、それは壮大な自伝的告白というより、人生という物語そのものへの皮肉として響く。人は自分の人生を一つの物語として語ろうとするが、その物語はしばしば断片的で、矛盾し、滑稽である。

音楽的には、終曲らしい余韻を持ちながらも、過度に感動的にはならない。Pere Ubuはアルバムを大団円で閉じるタイプのバンドではない。むしろ、最後まで少しずれた角度から、人生や物語を眺める。演奏には乾いたロックの感触があり、David Thomasの声は、語り部として最後の奇妙な話を聞かせるように響く。

歌詞では、人生を語ることの難しさ、あるいは語っても語りきれないことが感じられる。人生の物語とは、出来事の連続であると同時に、後から作られる作り話でもある。Pere Ubuは、その作り話性を隠さない。むしろ、人生そのものが不条理な演劇であるかのように提示する。

「The Story of My Life」は、『St. Arkansas』の終曲として非常にふさわしい。聖なる土地、地獄、歴史、真実、暗闇、情報の目を通過した後、最後に残るのは、自分の人生をどう語るかという問題である。しかし、その答えもまた安定しない。Pere Ubuらしい、開かれた不穏な終わりである。

総評

『St. Arkansas』は、Pere Ubuの後期作品の中でも、アメリカ的な風景と不条理なロックンロールが強く結びついたアルバムである。初期の『The Modern Dance』や『Dub Housing』が持っていた都市的・工業的なポストパンクの鋭さとは異なり、本作はより乾いた土地、奇妙な聖性、ブルースやガレージ・ロックの亡霊を思わせる。しかし、それは伝統回帰ではない。Pere Ubuはアメリカ音楽のルーツへ敬意を払うというより、そのルーツを掘り返し、ねじ曲げ、そこに潜む不気味さを露出させている。

本作の最大の魅力は、ロックンロールの既存の語法を使いながら、それを徹底的に異物化している点にある。ギター、ドラム、ベース、ブルース的なリフ、ガレージ的な勢い。表面的にはよく知られた素材がある。しかし、Pere Ubuが演奏すると、それらはまっすぐには進まない。リズムはわずかに歪み、ギターは乾き、電子音が空間を不安定にし、David Thomasの声がすべてを奇妙な演劇へ変える。結果として、聴き慣れたロックのはずなのに、どこか知らない土地の音楽のように響く。

David Thomasのヴォーカルは、本作でも決定的な役割を果たしている。彼の声は、一般的な意味で美しい歌声ではない。むしろ、不安定で、甲高く、芝居がかり、時に滑稽で、時に恐ろしい。しかし、その声こそがPere Ubuの世界を成立させている。彼の声がなければ、曲は奇妙なロックとして聴こえるだけかもしれない。彼の声が入ることで、曲は説教、悪夢、コメディ、歴史の断片、酔った語り、壊れたラジオ放送のようになる。

歌詞面では、アルバム全体にアメリカの神話的イメージが漂う。Hernando DeSoto、Arkansas、Hell、Jonah、Google Eye、Truth、Dark。これらの言葉は、歴史、宗教、土地、情報、哲学的疑問をばらばらに呼び起こす。しかし、それらは一つの明確な物語にはまとまらない。むしろ、そのまとまらなさが重要である。アメリカという土地の記憶は、征服、宗教、ブルース、道、技術、迷信、暴力、不条理の断片からできている。『St. Arkansas』は、それを整理するのではなく、奇妙なまま鳴らしている。

音楽的には、Pere Ubuの長いキャリアの中で培われたアヴァン・ロックの手法が自然に機能している。若いバンドのように過激さを誇示するのではなく、歪みやずれが音楽の内部に染み込んでいる。曲は比較的ロックとして聴きやすい部分もあるが、その奥には常に違和感がある。この違和感は、初期作品ほど尖った形ではないものの、後期ならではの乾いた深みを持っている。

『St. Arkansas』は、Pere Ubuのディスコグラフィの中で入門作として最適とは言いにくい。バンドの歴史的意義を知るには、まず『The Modern Dance』や『Dub Housing』を聴く方が分かりやすい。しかし、本作は、Pere Ubuが2000年代に入っても独自の奇妙なロック世界を更新していたことを示す重要な作品である。特に、アメリカーナ、ブルース、ガレージ・ロック、ポストパンク、実験音楽が交差する地点に関心があるリスナーには、非常に興味深いアルバムである。

本作のアメリカ像は、一般的なルーツ・ロックが描くような郷愁のアメリカではない。そこにあるのは、熱病の夢、遅れて歩く父親、地獄、聖書の人物、真実を探す声、暗闇、検索する目、そして人生の物語である。これは、アメリカという土地をロマンティックに歌うアルバムではなく、アメリカの神話を壊れた舞台装置として再配置するアルバムである。

日本のリスナーにとって『St. Arkansas』は、Pere Ubuの音楽の中でも、比較的ロック的な入口と実験的な不条理が同居した作品として聴ける。ポストパンク、キャプテン・ビーフハート、The Residents、Talking Heads初期、Nick Cave、Tom Waits、あるいはひねくれたアメリカーナに関心があるリスナーには、本作の奇妙な味わいが伝わりやすいだろう。逆に、整ったメロディや分かりやすい歌詞を求めると、最初は取っつきにくいかもしれない。しかし、その取っつきにくさこそがPere Ubuの魅力でもある。

『St. Arkansas』は、聖なる土地の名前を借りながら、そこに地獄と不条理とロックンロールの残骸を詰め込んだアルバムである。Pere Ubuはここで、アメリカ音楽の伝統を礼拝するのではなく、奇妙な儀式として再演している。後期作品として見過ごされがちだが、David ThomasとPere Ubuが持つ異様な想像力、ロックを不安定化する力、そしてアメリカの裏側を幻覚として鳴らす力が十分に刻まれた作品である。

おすすめアルバム

1. Pere Ubu – The Modern Dance

Pere Ubuのデビュー・アルバムであり、ポストパンク/アヴァン・ロックの歴史的名盤。ガレージ・ロック、電子音、ノイズ、都市的疎外、不条理なヴォーカルが融合し、バンドの基本的な美学を確立している。『St. Arkansas』を理解する上で最も重要な原点である。

2. Pere Ubu – Dub Housing

初期Pere Ubuの最高傑作のひとつ。『The Modern Dance』よりもさらに不安定で、閉所恐怖的で、奇妙な音響が際立つ。David Thomasのヴォーカル、Allen Ravenstineの電子音、バンドの実験性が最も鋭く結びついた作品である。

3. Pere Ubu – Ray Gun Suitcase

1995年発表の作品で、後期Pere Ubuの中でも重要なアルバム。初期の実験性を受け継ぎながら、よりロック的な骨格と奇妙なアメリカ的イメージを併せ持つ。『St. Arkansas』へつながる後期の流れを理解する上で有効である。

4. Captain Beefheart & His Magic Band – Safe as Milk

ブルース、ガレージ・ロック、アヴァンギャルドな歌唱、奇妙なアメリカーナを結びつけた重要作。Pere Ubuの歪んだブルース感覚や、ロックンロールを異物化する姿勢の背景を理解する上で関連性が高い。

5. The Residents – Duck Stab / Buster & Glen

不条理な歌、奇妙なキャラクター、壊れたポップ感覚、演劇的なアヴァン・ロックが詰まった作品。Pere Ubuとは音楽性が異なるが、ロックをダダ的に解体し、奇妙なアメリカ的世界を作る点で深く響き合う。

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