
発売日:1974年11月
ジャンル:クラウトロック、エクスペリメンタル・ロック、サイケデリック・ロック、アヴァン・ファンク、電子音楽
概要
CanのSoon Over Babalumaは、1974年に発表されたアルバムであり、バンドの歴史において大きな転換点に位置する作品である。前作Future Daysを最後に、ヴォーカリストのダモ鈴木がバンドを離脱したため、本作はCanが専任ヴォーカリスト不在の体制で制作した最初のアルバムとなった。結果として、Soon Over Babalumaは、歌を中心に据えたロック・アルバムというより、リズム、音響、反復、即興、空間処理を中心にした、より抽象度の高い作品として成立している。
Canは、1960年代末から1970年代にかけて西ドイツで生まれたクラウトロックを代表するバンドである。ただし、クラウトロックという言葉は、特定のサウンドを指すというより、当時のドイツの実験的ロック、電子音楽、即興音楽、ミニマリズム、ジャズ、現代音楽、サイケデリアが混ざり合った広い動きを指す。Canはその中でも特に、リズムの持続、編集による構成、演奏の即興性、テープ操作、非英米的なロック観によって独自の存在感を築いた。
本作に至るまでのCanは、Tago Magoで狂気と呪術性を、Ege Bamyasiでミニマルなファンクとポップな断片を、Future Daysで水のような浮遊感とアンビエント的な音響を提示していた。Soon Over Babalumaは、その流れを受け継ぎつつ、さらにバンド内部の演奏そのものへ焦点を移した作品である。ヴォーカルが後退したことで、ヤキ・リーベツァイトのドラム、ホルガー・シューカイのベース、ミヒャエル・カローリのギターとヴァイオリン、イルミン・シュミットの鍵盤と電子音がより前面に出る。つまり本作は、Canというバンドが「歌の伴奏」ではなく、音の有機体として機能していたことを明確に示している。
タイトルのSoon Over Babalumaは意味を一義的に固定しにくい。言葉の響きには、呪文、童謡、未知の地名、架空言語のような感覚がある。Canは英語圏のロックのように、歌詞の意味やメッセージを明確に伝えることを必ずしも目的としていない。むしろ、言葉は音響の一部であり、声は楽器のひとつである。本作ではその傾向がさらに強まり、アルバム全体が異国的で、国籍不明で、時間感覚の曖昧な音楽として響く。
音楽的には、ジャズ的な即興、アフロ・ファンク的なリズム、ラテン的な揺れ、現代音楽的な構成感、電子音楽の抽象性が混ざり合っている。ただし、それらは引用として分かりやすく並べられているのではなく、Can独自の反復と編集によって、どのジャンルにも完全には属さない形へ変換されている。特にヤキ・リーベツァイトのドラムは本作の核である。彼の演奏は機械のように正確でありながら、人間的な揺らぎと身体性を失わない。後のポストパンク、ニューウェイヴ、テクノ、ポストロック、マスロック、インディー・ダンスに至るまで、Canのリズム感覚は広範な影響を与えた。
日本のリスナーにとってSoon Over Babalumaは、Tago Magoのような過激な狂気や、Ege Bamyasiのような分かりやすいフックを期待すると、やや捉えにくい作品に感じられるかもしれない。しかし、音の配置、リズムの持続、楽器同士の会話、曲が徐々に形を変えていく過程に耳を向けると、非常に豊かなアルバムであることが分かる。本作はCanのディスコグラフィの中でも、派手な代表作というより、バンドの演奏能力と音響的な探求が成熟した形で表れた重要作といえる。
全曲レビュー
1. Dizzy Dizzy
「Dizzy Dizzy」は、アルバムの幕開けにふさわしい、奇妙な浮遊感と身体的なリズムを併せ持つ楽曲である。タイトルの「Dizzy」は「めまい」を意味し、その反復によって、曲全体のぐらついた感覚が強調されている。Canの音楽には、一直線に進むロックの推進力とは異なる、円を描くような運動感があるが、この曲はまさにその特徴をよく示している。
まず印象的なのは、ヤキ・リーベツァイトのドラムである。リズムは安定しているが、単純なロック・ビートではなく、細かなアクセントによって揺れ続ける。ホルガー・シューカイのベースは、ドラムに密着しながら低音の反復を作り、曲の土台を支える。ミヒャエル・カローリのヴァイオリンは、東欧的、あるいは中近東的とも感じられる旋律を奏で、曲に異国的な色彩を加える。このヴァイオリンの存在によって、曲は通常のギター・ロックから大きく離れ、奇妙な舞踏音楽のような印象を持つ。
ヴォーカルはダモ鈴木の時代ほど前面に出るものではないが、声は楽器の一部として機能している。歌詞の意味を明確に追うというより、発声の響き、言葉のリズム、声の質感を聴くべき曲である。タイトルが示すめまいは、歌詞の内容だけでなく、音楽そのものの構造に埋め込まれている。リズムは反復しながらも、ヴァイオリンやギターの線が視界を揺らし、聴き手は安定しているのか不安定なのか分からない状態に置かれる。
この曲は、Soon Over Babalumaが単なるロック・アルバムではなく、身体的でありながら幻覚的な音楽であることを示す入口になっている。Canの演奏は決して派手に技巧を見せつけるものではないが、各楽器が最小限の動きで独自の空間を作る。特に、反復の中で少しずつ変化する音の配置は、後のミニマル・テクノやポストロックにも通じる感覚を持っている。
2. Come sta, La Luna
「Come sta, La Luna」は、イタリア語風のタイトルを持つ楽曲で、「月はどうしているか」といった意味合いを想起させる。Canの音楽における言語感覚は、明確な国籍を持つというより、さまざまな響きを混ぜ合わせ、意味よりも音の質感を優先するものだ。この曲でも、タイトルからして異国的で、演劇的で、やや滑稽な雰囲気が漂っている。
曲の冒頭は、前曲以上に奇妙で、カーニヴァル的な感覚を持つ。ピアノや電子音、パーカッション、声の断片が組み合わさり、まるでどこか知らない町の夜祭りに迷い込んだような印象を与える。Canはしばしば、スタジオ録音でありながら、偶然その場で何かが発生しているような感覚を作り出す。この曲も、明確なポップ・ソングの形式より、場面や空間を立ち上げることに重点が置かれている。
歌詞やヴォーカルは、演劇的であり、時にコミカルにも響く。月に問いかけるようなタイトルは、ロマンティックな詩情を思わせる一方で、Canの手にかかると、それは夢遊病的で不安定な音響劇へ変化する。声は意味を伝えるより、登場人物のように曲の中を動き回る。これにより、楽曲は通常の歌ではなく、音による小さな舞台作品のようになる。
リズム面では、ラテン的、あるいは地中海的な軽さが感じられるが、それはジャンルの再現ではない。Canは異文化のリズムをそのまま借りるのではなく、自分たちの即興と反復の中に溶かし込む。そのため、曲はどこかで聞いたことがあるようで、実際にはどこにも属していない。ここにCanの独自性がある。
「Come sta, La Luna」は、Soon Over Babalumaの中でも特にユーモアと異国趣味、音響実験が混ざり合った曲である。前曲「Dizzy Dizzy」がめまいのような身体感覚を提示したのに対し、この曲は夢の中の演劇のような感覚を作る。アルバム序盤において、Canがロック・バンドでありながら、同時に音響演劇集団のようにも機能していたことを示す重要な楽曲である。
3. Splash
「Splash」は、タイトル通り、水しぶきや跳ねる動きを連想させるインストゥルメンタル色の強い楽曲である。Future DaysにおいてCanは、水の流れや海のような浮遊感を音楽化していたが、「Splash」にはその流れを引き継ぎながら、よりリズム的で即興的な方向へ展開した印象がある。曲は液体のように形を変えながら進み、固定された構造よりも、動きそのものが重要になる。
この曲で特に際立つのは、リズム隊の精密さである。ヤキ・リーベツァイトのドラムは、複雑な音数を詰め込むのではなく、一定のパターンを強い集中力で持続させる。そこにベースが絡み、全体としてファンク的なグルーヴが生まれる。ただし、それはアメリカのファンクのように明確なダンス性を持つというより、より無機的で、実験的で、冷たい質感を帯びている。Canのグルーヴは、身体を動かすためのものでもあり、同時に意識を変容させるためのものでもある。
ギターや鍵盤は、曲の表面で自由に動き回る。フレーズは断片的で、時に鋭く、時に水面の反射のように散る。タイトルの「Splash」は、音の発生の仕方そのものを表しているようにも聴こえる。ひとつの旋律が長く歌われるのではなく、音が飛び散り、消え、また別の場所から現れる。こうした音響感覚は、後のポストパンクやノーウェイヴ、さらにはエレクトロニック・ミュージックにも通じる。
歌詞を中心に曲を理解するタイプの作品ではないため、「Splash」はCanの演奏そのものを聴く曲である。各楽器は独立して動いているようで、全体としては非常に強固なバランスを保っている。このバランス感覚こそがCanの大きな特徴であり、即興的でありながら散漫にならない理由である。曲は自由に見えて、見えない重力によって結びついている。
アルバム全体の中で、「Splash」は中盤へ向けて音楽的な抽象度を高める役割を果たしている。前半の曲にあった声や演劇性が後退し、リズムと音響の運動が中心になる。Canがロックの形式を解体し、演奏の流れだけで曲を成立させられるバンドであったことを示す一曲である。
4. Chain Reaction
「Chain Reaction」は、アルバムの中でも特に長く、緊張感に満ちた楽曲である。タイトルが示す「連鎖反応」は、まさに曲の構造そのものを表している。ひとつのリズム、ひとつの音の変化が次の動きを生み、それがさらに別の変化を引き起こす。Canの音楽における反復は、単なる同じことの繰り返しではなく、細かな変化が連鎖するプロセスである。この曲はその原理を非常に明確に示している。
冒頭から、ドラムとベースが強い推進力を作る。ヤキ・リーベツァイトのドラムは、機械的な正確さと人間的なグルーヴを同時に持っている。一定のパターンを保ちながらも、アクセントの置き方や細かな変化によって、曲は常に前へ進んでいるように感じられる。ホルガー・シューカイのベースは、リズムの下部で粘り強く動き、曲の重心を低く保つ。
ギターとキーボードは、リズムの上で緊張を高める役割を担う。ミヒャエル・カローリのギターは、ロック的なリフを演奏するというより、音の線を刻み、曲に鋭い輪郭を与える。イルミン・シュミットの鍵盤や電子音は、空間に不穏な色を加え、曲を単なるジャムではなく、構築された音響作品へ引き上げている。
この曲には、後のポストパンクやダンス・ロックを先取りする感覚がある。例えば、Public Image Ltd.、Talking Heads、The Fall、そして後のLCD Soundsystemのようなアーティストが追求した、反復するリズムの中で緊張を作る方法論は、Canのこうした楽曲から大きな影響を受けている。特に「Chain Reaction」は、ロック・バンドがクラブ・ミュージック的な持続性を持つことができるという可能性を早い段階で示した曲といえる。
歌詞や明確な歌メロが中心にないため、聴き手は曲の展開を「物語」としてではなく、「変化する状態」として体験することになる。音が積み重なり、圧力が増し、細かなズレが生まれ、そのズレが新しい動きを作る。まさに連鎖反応である。ロックにおける即興演奏はしばしば長いソロやブルース的な展開に向かうが、Canの場合は個人のソロよりも集団的なリズムの変化が重要になる。その点で「Chain Reaction」は、ロックの即興を根本から別のものへ変えた楽曲のひとつである。
5. Quantum Physics
アルバムの最後を飾る「Quantum Physics」は、タイトルからして非常に抽象的で、科学的なイメージを持つ楽曲である。量子物理学という言葉は、目に見える日常的な世界とは異なる、微細で不確定な領域を連想させる。Canはここで、ロック・バンドの演奏を、ほとんどアンビエントや電子音楽に近い抽象的な音響へと変化させている。
前曲「Chain Reaction」がリズムの連鎖によって緊張を作っていたのに対し、「Quantum Physics」はより静的で、空間的で、内省的である。曲は明確なビートで進むというより、音の粒子が空間に浮かび、ゆっくりと変化していくように感じられる。タイトルと同様に、音楽そのものも粒子と波の中間のような曖昧な状態を持つ。
イルミン・シュミットの電子音や鍵盤は、曲全体に深い奥行きを与える。ギターやベースも、通常のロック的な役割から離れ、音の質感として配置されている。ヤキ・リーベツァイトのドラムも、前曲のような強い推進力ではなく、より抑制された形で空間を支える。このように、各楽器が役割を変化させることで、曲はバンド演奏でありながら、電子音響作品のような印象を持つ。
歌詞や声が前面に出ないため、聴き手は音そのものの動きに集中することになる。ここでのCanは、ロックの枠を大きく離れ、音の存在、時間の流れ、空間の広がりを探っている。これは後のアンビエント、ポストロック、エクスペリメンタル・ミュージックに通じる重要な感覚である。Brian Eno以降のアンビエントが環境音としての音楽を発展させる一方で、Canはロック・バンドの編成から、同じように空間的な音楽へ接近していた。
「Quantum Physics」は、アルバムの終曲として非常に効果的である。Soon Over Babalumaは、めまいのようなリズム、異国的な演劇性、液体的な即興、連鎖するグルーヴを経て、最後に抽象的な音響空間へ到達する。これは、物理的な身体から精神的な空間へ、あるいはリズムから純粋な音へ向かう流れとも読める。Canの作品の中でも、この曲はとりわけ未来的であり、1974年という時代を考えると非常に先鋭的である。
総評
Soon Over Babalumaは、Canの代表作群の中では、Tago MagoやEge Bamyasi、Future Daysに比べてやや語られる機会が少ない作品かもしれない。しかし、その重要性は非常に高い。本作は、ダモ鈴木の脱退後、Canがヴォーカルのカリスマ性に依存せず、バンドそのものの演奏力、リズム感覚、音響構築力によって作品を成立させたアルバムである。
音楽的には、クラウトロックの核心である反復と実験性が明確に表れている。ロックの典型的な構造、つまりヴァース、サビ、ギター・ソロ、クライマックスといった形式は、本作では大きく後退している。その代わりに、リズムの持続、音色の変化、楽器同士の関係性、空間の処理が曲を動かしている。Canにとって重要なのは、曲がどこへ向かうかよりも、曲がどのような状態を作り、どのように変化していくかである。
ヤキ・リーベツァイトのドラムは、本作の最大の軸である。彼の演奏は、後のテクノやミニマル・ミュージックを思わせる正確さを持ちながら、完全に機械的ではない。人間の身体が持つわずかな揺れと、機械のような反復が共存している。この感覚は、1970年代のロックとしては非常に先進的であり、後のポストパンクやダンス・ミュージックに大きな影響を与えた。ホルガー・シューカイのベースと編集感覚、ミヒャエル・カローリのギターとヴァイオリン、イルミン・シュミットの鍵盤と電子音も、曲を固定されたロック・ソングではなく、変化する音響空間へ変えている。
歌詞面では、本作は明確なメッセージを提示するアルバムではない。むしろ、声や言葉は音の一部として扱われている。これは、英米ロックにおける歌詞中心の聴き方とは異なる。日本のリスナーが本作を聴く場合も、言葉の意味を追うより、声の質感、発音のリズム、楽器との関係に注目すると理解しやすい。Canにおいて、ヴォーカルは主人公ではなく、音響の一要素である。
アルバム全体の流れを見ると、「Dizzy Dizzy」と「Come sta, La Luna」で身体的かつ演劇的な世界を提示し、「Splash」で水のような即興性へ進み、「Chain Reaction」でリズムの連鎖を極限まで高め、最後に「Quantum Physics」で抽象的な音響空間へ到達する。わずか5曲ながら、構成は非常に豊かである。曲数の少なさは物足りなさではなく、一曲ごとの密度と時間の広がりを強める方向に働いている。
本作は、Canのキャリアにおける過渡期の作品であると同時に、過渡期だからこそ生まれた独自の魅力を持っている。ダモ鈴木在籍期の強烈な個性が後退したことで、バンドの音楽はより抽象化し、より器楽的になった。その結果、Soon Over Babalumaは、Canの中でも特に演奏と音響の関係が見えやすいアルバムとなった。後の時代から見ると、本作はポストパンク、ニューウェイヴ、エレクトロニック・ミュージック、ポストロック、ミニマル・テクノへつながる発想の宝庫である。
日本のリスナーにとっては、メロディや歌を中心に聴くより、反復するリズムに身を委ね、音の微細な変化を追う聴き方が適している。特に、現代のテクノ、クラブ・ミュージック、ポストロック、実験的インディーに親しんでいるリスナーなら、本作の先見性を実感しやすいだろう。Soon Over Babalumaは、Canが「ロック・バンド」という形式を保ちながら、その内側からロックを解体し、未来の音楽へ接続したアルバムである。
おすすめアルバム
1. Can – Future Days
Soon Over Babalumaの直前に発表された作品であり、ダモ鈴木在籍期の最後を飾るアルバムである。水のような浮遊感、アンビエント的な音響、ゆるやかなリズムの持続が特徴で、Soon Over Babalumaの抽象性を理解するうえで重要な前作である。
2. Can – Ege Bamyasi
Canのファンク的な反復とポップな断片がバランスよく表れた代表作である。Soon Over Babalumaより曲ごとの輪郭がはっきりしており、Canのリズム感覚と編集美学を比較的聴きやすい形で体験できる。
3. Can – Tago Mago
Canの実験性と狂気が最も強く表れた作品のひとつである。長尺即興、テープ編集、サイケデリックな混沌、ダモ鈴木の強烈なヴォーカルが結びつき、クラウトロックの金字塔となった。Soon Over Babalumaの抑制された抽象性とは対照的に、より過激なCanを知るために重要である。
4. Neu! – Neu!
クラウトロックにおける反復リズムの重要性を理解するうえで欠かせない作品である。モーターリックと呼ばれる直線的なビートは、Canの有機的な反復とは異なるが、同じくロックを英米的なブルース感覚から切り離し、機械的・未来的な音楽へ変化させた点で関連性が高い。
5. Faust – Faust IV
Canと同じくドイツの実験的ロックを代表するバンドによる作品である。コラージュ、即興、ノイズ、反復、ユーモアが混在し、クラウトロックの多様性を示している。Soon Over Babalumaの音響実験やジャンルの曖昧さに関心があるリスナーに適した関連作である。

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