
発表年:1971年
収録アルバム:Tago Mago
ジャンル:クラウトロック、エクスペリメンタル・ロック、サイケデリック・ロック、ファンク、ミニマル・ロック、アヴァンギャルド
概要
Canの「Halleluhwah」は、1971年発表のアルバム『Tago Mago』に収録された長尺楽曲であり、クラウトロックという言葉で語られる音楽の中でも、最も重要な到達点のひとつである。18分を超える長さを持ちながら、通常のロックにおける展開やドラマの積み上げではなく、反復、グルーヴ、即興、編集、身体性、異物感によって聴き手を引き込む。Canというバンドの本質である、ロック、ファンク、ジャズ、現代音楽、テープ編集、民族音楽的な感覚、そして集団即興が、きわめて強い密度で結晶した楽曲である。
Canは1968年に西ドイツで結成されたバンドであり、Irmin Schmidt、Holger Czukay、Michael Karoli、Jaki Liebezeitを中心に活動した。初期にはMalcolm Mooneyがヴォーカルを務め、その後、日本出身のDamo Suzukiが参加することで、バンドはより流動的で呪術的な表現へ進んだ。「Halleluhwah」は、そのDamo Suzuki在籍期を代表する楽曲であり、Canが単なるロック・バンドではなく、スタジオと即興を使って新しい音楽言語を作り出していたことを示す重要な作品である。
『Tago Mago』は、Canのディスコグラフィの中でも特に実験性が高く、同時に強い肉体性を持つアルバムである。「Paperhouse」「Mushroom」「Oh Yeah」のような比較的曲として把握しやすい前半から、「Halleluhwah」を経て、より抽象的で不穏な「Aumgn」「Peking O」へ進む構成は、ロック・アルバムというより、意識の変容を記録した音響作品のようでもある。その中で「Halleluhwah」は、アルバムの中心に位置し、身体的なグルーヴと実験性を結びつける巨大な軸となっている。
この曲の最大の特徴は、Jaki Liebezeitのドラムによる圧倒的な反復グルーヴである。彼の演奏は、ロック的な派手さやジャズ的な自由奔放さとは異なり、機械のような正確さと人間的な揺れを同時に持つ。しばしば「モーターリック」と呼ばれるクラウトロック的な反復リズムの中でも、「Halleluhwah」のドラムは特別な存在感を持つ。一定のビートを保ちながら、微細な変化を加え続けることで、聴き手の時間感覚を少しずつ変えていく。
Holger Czukayのベースは、曲全体の低音の循環を支える。単にコードの根音を鳴らすのではなく、ドラムと一体になって反復のうねりを作る。Michael Karoliのギターは、ロック・ギターの主役的なソロではなく、音色、断片、リズム、ノイズとして曲の中に入り込む。Irmin Schmidtのキーボードは、空間を歪ませ、不穏な響きを加え、楽曲を単なるファンク・ロックではなく、より幻覚的な音響へ導く。そしてDamo Suzukiのヴォーカルは、歌詞を明確に伝えるというより、声そのものを楽器化し、英語、日本語、意味以前の音声、呪文のような発声を混ぜながら、曲に異様な生命感を与えている。
「Halleluhwah」は、ファンク的な身体性を持ちながら、通常のファンクとは異なる。James BrownやSly and the Family Stoneのように、強いリズムの快楽を持ちながら、Canはそこから歌の中心性やソウルフルなコール・アンド・レスポンスを外し、反復そのものを実験の場にしている。結果としてこの曲は、踊れる音楽でありながら、同時に不安で、無機的で、どこか異世界的である。
後世への影響も非常に大きい。「Halleluhwah」に代表されるCanの反復的なグルーヴは、ポストパンク、ニュー・ウェイヴ、ノー・ウェイヴ、インダストリアル、テクノ、ハウス、ポストロック、インディー・ロック、エクスペリメンタル・ミュージックに広く影響を与えた。Public Image Ltd、Talking Heads、The Fall、Sonic Youth、Stereolab、Primal Scream、Radiohead、LCD Soundsystemなど、Canの影響を感じさせるアーティストは多い。特に「ロック・バンドが反復によってトランスを作る」という方法論において、この曲の存在はきわめて大きい。
楽曲レビュー
1. Jaki Liebezeitのドラム:人間と機械の境界
「Halleluhwah」を語るうえで、まず中心に置くべきはJaki Liebezeitのドラムである。この曲のグルーヴは、ほとんど一曲全体を支配する巨大なエンジンのように機能している。ドラムは派手なフィルや大きな展開で聴き手を驚かせるのではなく、一定のパターンを保ちながら、微細な変化を積み重ねる。
この反復は、単なる単調さではない。むしろ、反復の中にこそ変化がある。スネアの置き方、ハイハットの開き具合、ゴーストノートの細かな動き、キックの重心が少しずつ揺れることで、同じパターンが同じに聴こえなくなる。Jaki Liebezeitは、機械のように正確に叩きながら、その正確さの中に人間の身体的な揺れを残している。
このドラムは、後のテクノやハウスにも通じる感覚を持つ。まだドラムマシンがロックの中心に入る前の時代に、Liebezeitは人間の身体で機械的な反復を作り出していた。しかし、その演奏は冷たい機械ではない。むしろ、長時間聴くことで身体がその周期に同調し、意識が少しずつ変化していくような力を持つ。
「Halleluhwah」のドラムは、ロックの拍を単なる伴奏から解放している。通常のロックでは、ドラムは歌やギターの展開を支える役割を担うことが多い。しかしこの曲では、ドラムこそが主役であり、他の楽器はその周囲を漂い、絡み、変化していく。これはロック・バンドの機能を根本から組み替える発想である。
2. 反復のグルーヴ:進まないことで深くなる時間
「Halleluhwah」は、通常のポップ・ソングのように、ヴァース、コーラス、ブリッジ、クライマックスへ進む曲ではない。むしろ、進行を最小限に抑え、同じグルーヴの中に留まり続けることで、時間の感覚を変えていく。曲が前へ進んでいるというより、同じ場所を掘り続けることで深くなっていく。
この「進まないこと」は、Canの音楽の核心にある。西洋ロックの多くは、コード進行やメロディ展開によって時間を線的に進める。しかしCanは、反復によって円環的な時間を作る。聴き手は、曲がどこへ向かうのかを追うのではなく、現在鳴っているグルーヴの中に入り込む。
この反復は、ミニマル・ミュージックやアフリカ音楽、ファンク、ジャズの即興とも接続している。ただしCanの場合、それは学術的な実験ではなく、ロック・バンドの肉体性の中で実践されている。つまり「Halleluhwah」は、知的な実験であると同時に、非常に身体的な音楽でもある。
長尺であることも重要である。18分という長さは、通常のシングル的な感覚からすれば過剰である。しかしこの曲において、長さは必要な条件である。短ければ、反復が身体に入り込む前に終わってしまう。長く続くからこそ、聴き手は最初の理解を超え、音の中に沈み込むことができる。
3. Damo Suzukiのヴォーカル:意味以前の声
Damo Suzukiのヴォーカルは、「Halleluhwah」において非常に特異な役割を果たしている。彼の声は、歌詞を明確に伝えるためのものではない。むしろ、声そのものが楽器となり、リズムや音色、呼吸、叫び、囁き、断片的な言葉として曲の中を漂う。
Damoの歌唱には、英語的な発音、日本語的な響き、意味不明の音節、即興的な発声が混ざっている。これは、通常のロック・ヴォーカルのように物語や感情を中心に置くものではない。声は、グルーヴに取り憑かれた身体の反応のように響く。言葉は意味を伝える以前に、音として存在する。
この点が、「Halleluhwah」を非常に国際的で、同時にどこにも属さない音楽にしている。Damo Suzukiは日本出身だが、Canの音楽の中で彼の声は、特定の国民性や言語を代表するものではない。むしろ、言語の境界を溶かし、声を原初的な音へ戻す役割を果たしている。
彼のヴォーカルには、呪術的な感覚もある。歌詞の意味を追うよりも、声の反復、断片、叫びが聴き手の意識へ直接働きかける。これは、ロックのヴォーカルを「歌」から「儀式」へ近づける表現である。Canの音楽がしばしばトランス的と呼ばれる理由は、Damoの声にも大きく関係している。
4. Holger Czukayのベース:低音の循環と編集感覚
Holger Czukayのベースは、「Halleluhwah」のグルーヴを支える重要な要素である。彼のベースは、ロック的なルート音の補強にとどまらず、ドラムと一体になって、曲の低音の循環を作る。ベースラインは反復的だが、細部には変化があり、曲の長さを支える粘りを生み出している。
Czukayはベーシストであると同時に、Canのサウンド編集においても重要な人物だった。彼はラジオ、テープ、編集、偶然の音を音楽に取り込む感覚を持っていた。「Halleluhwah」でも、単なる一発録りのジャムというより、録音された演奏が編集によってひとつの巨大な音楽構造へ整えられているような感触がある。
Canの音楽は、ライブ的な即興とスタジオ編集の中間にある。即興の生々しさを保ちながら、編集によって不要なものを削り、曲としての流れを作る。この方法論は、後のサンプリング文化やポストプロダクション的な音楽制作にも通じる。
Czukayの低音は、曲を地面につなぎ止める。Damoの声やKaroliのギター、Schmidtのキーボードが浮遊し、変形し、逸脱しても、ベースとドラムの反復があるため、曲は崩壊しない。この安定した不安定さが、Canの大きな魅力である。
5. Michael Karoliのギター:主役を拒否するロック・ギター
Michael Karoliのギターは、「Halleluhwah」において伝統的なロック・ギターの役割を大きく外れている。彼は長いギター・ソロで曲を支配するのではなく、短いフレーズ、リズムの断片、ノイズ、音色の変化によって曲に関わる。ギターは主役ではなく、グルーヴの中に潜り込む存在である。
これは、ロック・ギターの美学を大きく変える。1970年代初頭のロックでは、ギタリストが長尺ソロを弾き、曲のドラマを作ることが多かった。しかしCanは、そのギター・ヒーロー的な文法を採用しない。Karoliのギターは、むしろ音響的な部品として機能する。反復の中で、音が立ち上がり、消え、また別の形で戻ってくる。
このギターのあり方は、後のポストパンクやノー・ウェイヴ、ニュー・ウェイヴに大きな影響を与えた。ギターは必ずしもブルースを弾かなくてよい。ソロを弾かなくてよい。歌を飾らなくてもよい。リズム、ノイズ、テクスチャーとして存在できる。この発想は、Canの重要な遺産である。
「Halleluhwah」のギターは、曲を開放するというより、曲の内部を刺激する。外へ向かって爆発するのではなく、反復の内部で化学反応を起こす。この内向きのエネルギーが、曲の持続力を高めている。
6. Irmin Schmidtのキーボード:不穏な空間の設計
Irmin Schmidtのキーボードは、「Halleluhwah」において目立つソロ楽器というより、空間を作る役割を担っている。彼の音は、曲に不穏さ、浮遊感、幻覚的な奥行きを与える。単なるロック・バンドのキーボードではなく、現代音楽や電子音楽の感覚を持ち込む存在である。
Schmidtはクラシックや現代音楽の背景を持つ人物であり、その影響はCanの音楽全体に表れている。彼はコードで曲を装飾するのではなく、音色や響きによって空間を変える。「Halleluhwah」でも、キーボードは曲を安定させるより、むしろ少し不安定にする。
この不穏さが重要である。もし曲がドラムとベースだけで進めば、非常に強いファンク・グルーヴとして成立する。しかし、Schmidtのキーボードが加わることで、曲は単なるファンク・ロックではなく、サイケデリックで実験的な音響へ変化する。グルーヴは身体を動かすが、キーボードは意識を歪ませる。
Canの音楽は、肉体と頭脳の両方に働きかける。「Halleluhwah」は踊れる曲であると同時に、不安な夢の中にいるような曲でもある。Schmidtの音響設計は、その二重性を支えている。
アルバム『Tago Mago』における位置づけ
1. 肉体的グルーヴと実験性の中心
『Tago Mago』は、Canの作品の中でも特に重要なアルバムであり、ロック史においても大きな意味を持つ。前半には比較的曲として把握しやすい楽曲が並び、後半にはより抽象的でアヴァンギャルドな音響実験が展開される。その中で「Halleluhwah」は、両者をつなぐ中心的な位置にある。
この曲は、前半のロック的なグルーヴを保ちながら、後半の実験性へ向かう扉でもある。反復するドラムとベースによって身体を引き込み、Damoの声やキーボード、ギターの変化によって意識を揺さぶる。つまり「Halleluhwah」は、『Tago Mago』の中で最も肉体的でありながら、同時に最も開かれた楽曲のひとつである。
アルバム全体の構造を考えると、この曲は聴き手を通常のロック・アルバムの感覚から引き離す役割を持つ。短い曲の連続ではなく、ひとつの反復に長く滞在することで、耳の使い方が変わる。その後に続く「Aumgn」や「Peking O」の抽象性へ入る準備を、この曲が行っている。
2. Damo Suzuki期のCanの象徴
「Halleluhwah」は、Damo Suzuki在籍期のCanを象徴する楽曲でもある。Malcolm Mooney期のCanには、よりアメリカン・ロックやガレージ的な荒々しさがあった。一方、Damo参加後のCanは、言語の境界を越えたヴォーカル、より流動的な即興、より深いトランス感覚を獲得した。
Damoの声は、バンドに特定の物語性を与えるのではなく、音の中に溶け込む。これはCanの集団性とよく合っている。彼はフロントマンでありながら、曲を支配しない。声は楽器のひとつとなり、反復の中で変化していく。
「Halleluhwah」では、このDamo期の特徴が最大限に活かされている。もし明確な歌詞や伝統的な歌唱が中心にあれば、この曲のトランス感覚は薄れていたはずである。Damoの意味以前の声があるからこそ、曲は国籍やジャンルを超えた奇妙な儀式のように響く。
後世への影響
1. ポストパンクへの影響
「Halleluhwah」の反復的なグルーヴ、非ブルース的なギター、ベースとドラム中心の構造、声の楽器化は、後のポストパンクに大きな影響を与えた。Public Image Ltd、The Fall、This Heat、Talking Headsなどのバンドには、Canの影響が強く感じられる。
特にポストパンクにおいて重要だったのは、ロックをブルースとギター・ソロ中心の音楽から解放することだった。Canはその先駆である。リズムを中心に置き、反復によって曲を作り、ギターを音響的な要素として扱う。この発想は、1970年代末以降のロックを大きく変えた。
「Halleluhwah」は、その方法論の非常に強力な例である。曲は長いが、ロック的なドラマを積み上げるのではない。グルーヴを維持し、微細に変化し続ける。この姿勢は、ポストパンクの多くのバンドにとって重要なモデルとなった。
2. ダンス・ミュージックとクラブ・カルチャーへの接続
Canの音楽は、ロック・バンドの形を取りながら、後のダンス・ミュージックにも大きく影響した。「Halleluhwah」の反復ビートは、テクノやハウスの反復構造を先取りしている。もちろん、Canはクラブ・ミュージックを作っていたわけではない。しかし、長時間続くビートが身体と意識を変えるという点で、後の電子音楽と深く接続している。
Jaki Liebezeitのドラムは、人力のドラムマシンのように聴こえることがある。だが、それは完全な機械ではなく、人間の微細な揺れを含んでいる。この人間と機械の中間的なビートは、後のクラブ・ミュージックにおける反復の快楽を予感させる。
LCD SoundsystemやPrimal Screamなど、ロックとダンス・ミュージックを結びつけたアーティストにCanの影響が感じられるのは、このためである。「Halleluhwah」は、ロック・バンドがダンス・ミュージック的な反復を作れることを早い段階で示した曲である。
3. ポストロック/インディーへの影響
Canの方法論は、ポストロックやインディー・ロックにも影響を与えた。Tortoise、Stereolab、Radiohead、Sonic Youthなどのアーティストには、Can的な反復、音響の使い方、スタジオ編集、グルーヴへの関心が見られる。
特にStereolabは、Canの反復性とポップ性を独自に発展させたバンドとして理解できる。Radioheadも『Kid A』以降、ロック・バンドの構造を電子音楽や反復に開く過程で、Can的な発想と接続している。Sonic Youthのノイズと反復にも、Canの影響を感じることができる。
「Halleluhwah」は、ロック・バンドが曲を展開するのではなく、ひとつの状態を持続させることで音楽を作れることを示した。その発想は、1990年代以降のポストロックにとって非常に重要だった。
日本のリスナーにとっての聴きどころ
日本のリスナーにとって「Halleluhwah」は、最初は長く、単調に感じられる可能性がある。しかし、この曲を通常のロック・ソングのように、展開やサビの盛り上がりを期待して聴くと、本質が見えにくい。重要なのは、反復の中に入り込むことである。
この曲は、どこかへ向かう音楽ではなく、同じグルーヴの中で意識を変えていく音楽である。ドラムとベースの反復に耳を合わせると、少しずつギター、キーボード、声の変化が見えてくる。最初は同じように聴こえていたものが、実は常に変化していることに気づく。
また、Damo Suzukiの存在は日本のリスナーにとって特別な意味を持つ。彼は日本出身でありながら、Canの中では日本的なアイデンティティを直接的に表現するのではなく、言語の境界を越えた声として機能している。この点は、日本人アーティストが西洋ロックの中でどのように異質な存在感を発揮したかを考えるうえでも興味深い。
日本の音楽シーンにも、Canの影響は間接的に及んでいる。ニュー・ウェイヴ、ポストパンク、ノイズ、テクノ、オルタナティヴ・ロック、実験音楽の文脈で、Can的な反復や音響への関心は多くのアーティストに共有されてきた。「Halleluhwah」は、その源流のひとつとして聴くことができる。
総評
「Halleluhwah」は、Canの代表曲であり、クラウトロックの歴史において最も重要な楽曲のひとつである。18分を超える長尺の中で、曲は通常のロック的な展開を拒み、反復するリズム、即興的な声、音響的なギターとキーボード、低音の循環によって、聴き手をトランス状態へ導く。これはロック・ソングでありながら、同時に儀式、実験、グルーヴの研究でもある。
この曲の中心には、Jaki Liebezeitのドラムがある。彼の演奏は、機械のような正確さと人間的な揺れを併せ持ち、曲全体を支配する巨大な反復構造を作っている。その上で、Holger Czukayのベースが低音の循環を支え、Michael Karoliのギターが断片的な刺激を加え、Irmin Schmidtのキーボードが不穏な空間を設計し、Damo Suzukiの声が意味以前のエネルギーとして漂う。
「Halleluhwah」は、ファンク的な身体性を持ちながら、単なるファンクではない。サイケデリックでありながら、単なる幻覚的ロックでもない。実験的でありながら、頭だけで聴く音楽ではない。身体、意識、時間感覚、言語感覚を同時に揺さぶる音楽である。
『Tago Mago』というアルバムの中で、この曲は中心的な位置を占める。前半のロック的な曲と、後半のアヴァンギャルドな音響実験をつなぐ巨大な橋であり、Canの音楽が持つ肉体性と知性の両方を示している。もし『Tago Mago』を一枚の意識変容の旅とするなら、「Halleluhwah」はその中核にある長い通過儀礼である。
後世への影響は非常に大きい。ポストパンク、ニュー・ウェイヴ、テクノ、ハウス、ポストロック、インディー・ロック、エクスペリメンタル・ミュージックにおいて、Canの反復とグルーヴの美学は繰り返し参照されてきた。「Halleluhwah」はその中でも、ロック・バンドがいかにして反復によって新しい時間を作れるかを示した決定的な楽曲である。
日本のリスナーにとっても、この曲はクラウトロック入門として避けて通れない作品である。最初は長く感じられても、聴き込むほどに反復の内部にある変化、Damo Suzukiの声の異物感、ドラムとベースの中毒性が浮かび上がる。「Halleluhwah」は、ロックを歌とコード進行の音楽から解放し、リズムと音響の持続による別の次元へ押し広げた楽曲である。
おすすめ関連アルバム
1. Can – Tago Mago
「Halleluhwah」を収録した1971年の代表作であり、Canの実験性とグルーヴが最も強烈に表れたアルバムである。Damo Suzuki在籍期の重要作で、ロック、サイケデリア、ファンク、現代音楽、テープ編集が混ざり合う。クラウトロックを理解するための最重要作品のひとつである。
2. Can – Ege Bamyasi
1972年発表のアルバムで、『Tago Mago』よりもコンパクトでありながら、Can特有の反復グルーヴと奇妙なポップ性が際立つ作品である。「Vitamin C」や「Spoon」など、後世に大きな影響を与えた楽曲を収録している。「Halleluhwah」のグルーヴをより整理された形で味わいたい場合に適している。
3. Can – Future Days
1973年発表のアルバムで、Canの音楽がより浮遊感とアンビエント的な方向へ進んだ作品である。『Tago Mago』の緊張感や荒々しさとは異なり、より流動的で涼しいサウンドが特徴である。Damo Suzuki期の終着点として重要であり、Canの幅広さを理解できる。
4. Neu! – Neu!
クラウトロックにおける反復リズム、特にモーターリック・ビートを理解するうえで欠かせない作品である。Canとは異なるミニマルで直線的な美学を持ち、ドイツのロックが英米ロックとは別の時間感覚を作り出したことを示している。「Halleluhwah」の反復性と比較して聴くと興味深い。
5. Public Image Ltd – Metal Box
Canの影響を強く感じさせるポストパンクの重要作である。Jah Wobbleの重いベース、Keith Leveneの非ブルース的なギター、John Lydonの不安定な声が、ロックを解体しながら新しいグルーヴを作っている。「Halleluhwah」が後のポストパンクへ与えた影響を理解するうえで有効な作品である。

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