
発売日:2021年4月16日
ジャンル:ポップ、ダンス・ポップ、エレクトロ・ポップ、クラブ・ポップ、ハイパーポップ、リミックス・アルバム
概要
Rina Sawayama の Sawayama Remixed は、2020年に発表されたデビュー・アルバム SAWAYAMA の楽曲を再構成したリミックス・アルバムである。オリジナルの SAWAYAMA は、2000年代初頭のポップ、R&B、ニューメタル、ロック、エレクトロ・ポップ、クラブ・ミュージックを大胆に接続しながら、移民、家族、資本主義、ジェンダー、アイデンティティ、自己イメージといったテーマを扱った作品だった。Sawayama Remixed は、その複合的な世界をクラブ・ミュージック側へさらに開き、楽曲の意味や身体性を別の角度から照らし出す作品である。
リミックス・アルバムという形式は、単なるボーナス盤やファン向け企画と見なされることも多い。しかし、Rina Sawayama の場合、もともとの音楽性がジャンルの境界を横断するものだったため、リミックスによって楽曲の構造やテーマがよりはっきり見える場面が多い。SAWAYAMA の楽曲は、ポップ・ソングとして強いメロディを持つ一方で、音像は非常に変化に富んでいた。リミックスでは、その中のダンス、クラブ、ハイパーポップ、エレクトロニックな側面が強調され、原曲の歌詞やメロディが別の感情を帯びる。
Rina Sawayama は、英国を拠点に活動する日本生まれのアーティストであり、自身の作品でしばしば「複数の文化にまたがる自己」をテーマにしてきた。SAWAYAMA では、個人的な家族史やアジア系移民としての視点が、2000年代ポップへの参照と結びついていた。Sawayama Remixed では、その個人的・文化的なテーマが、クラブ空間の共同性へ置き換えられる。原曲では内面の葛藤として聴こえたものが、リミックスでは踊る身体、解放、変身、夜の空間の中で再解釈される。
本作には、Pabllo Vittar、Bree Runway、Chanmina、Dorian Electra など、Rina と親和性の高いアーティストが参加したバージョンも含まれている。これにより、SAWAYAMA の楽曲は単なるソロ・ポップの枠を越え、クィア・ポップ、グローバル・ポップ、アジア圏ポップ、ハイパーポップのネットワークの中に配置される。特に「Comme des Garçons」のような楽曲は、原曲の時点でファッション、自己演出、ジェンダー・パフォーマンスを扱っていたが、リミックスによってそのクラブ的な側面がさらに強調される。
音楽的には、リミックスごとに方向性は異なる。原曲のロック色を削ぎ落としてビートを前面に出すもの、ボーカルを断片化してハイパーポップ的に変形するもの、より大衆的なダンス・ポップへ寄せるもの、ゲストの個性によって楽曲の視点を拡張するものがある。全体としては、SAWAYAMA の「過剰さ」を、クラブ・ミュージックの身体性へ移し替えるアルバムといえる。
ただし、Sawayama Remixed はオリジナル・アルバムの代替ではない。SAWAYAMA が持っていた物語性、アルバムとしての起伏、ロックとポップの衝突、家族やアイデンティティをめぐる痛みは、リミックス盤ではやや後景に退く。その代わり、本作では楽曲がより流動的になり、別のアーティストやプロデューサーの手によって、Rina の曲がいかに変化しうるかが示される。つまり本作は、完成されたアルバムの「解体」と「再演」である。
全曲レビュー
1. Dynasty
「Dynasty」は、オリジナル版では SAWAYAMA の壮大なオープニングとして機能していた楽曲であり、家族の歴史、世代間の傷、受け継がれる痛みをドラマティックに歌っていた。リミックス・アルバムにおいても、この曲はRina Sawayama の音楽世界の根本にある「血筋」と「継承」のテーマを示す重要な楽曲である。
原曲の「Dynasty」は、メタル的なギター、劇的な展開、オペラティックなボーカルによって、個人的な家族史を大きな神話のように響かせていた。リミックスでは、その重厚さが別の音響へ置き換えられることで、曲の持つ悲劇性がより抽象化される。ロック的な怒りが後退すると、メロディの強さとボーカルのドラマ性が前面に出る。
歌詞では、家族から受け継いだ痛みを断ち切れるのか、あるいは自分もまた同じ連鎖の中にいるのかが問われる。リミックスとして聴くと、その問いはより身体的になる。クラブ・ビートの中で「血筋」や「呪い」が歌われることにより、個人的なトラウマが踊る身体の中で再処理されるように感じられる。
「Dynasty」は、リミックスされてもなお、Rina の音楽における家族史の重みを失わない。むしろ、サウンドが変化することで、楽曲の持つ演劇性と普遍性が再確認される。
2. XS
「XS」は、Rina Sawayama の代表曲のひとつであり、消費社会、過剰な欲望、資本主義的な自己イメージを皮肉った楽曲である。タイトルの “XS” は「excess」、つまり過剰と響き合い、同時にファッションのサイズ表記も連想させる。原曲では、2000年代R&B風の滑らかなグルーヴと、突然挿入されるメタル的なギターが、欲望の過剰さを音として表現していた。
リミックスでは、この曲の持つ消費社会批判が、よりクラブ的な快楽の中へ置かれる。これは非常に興味深い。原曲では「もっと欲しい」という欲望が批判的に描かれていたが、リミックスではその欲望が実際に踊れるビートとして増幅される。つまり、批判している対象の快楽に音楽自体が接近する構造になる。
歌詞では、ラグジュアリー、所有、見せびらかし、身体のイメージ、金銭的成功への欲望が皮肉を込めて歌われる。Rina はそれを単純に否定するのではなく、自分自身もその欲望に巻き込まれていることを理解している。その自己批評性が「XS」の強さである。
リミックス版の「XS」は、楽曲のポップ性をさらに強調しながら、原曲の皮肉を別の形で浮かび上がらせる。踊れるからこそ危険であり、気持ちよいからこそ批判が効く。Rina Sawayama のポップ・ミュージック観がよく分かる楽曲である。
3. STFU!
「STFU!」は、Rina Sawayama の怒りを最も直接的に表現した楽曲のひとつである。原曲では、ニューメタル的なギター、急激な展開、攻撃的なボーカルによって、人種差別的なマイクロアグレッションや、アジア系女性に向けられるステレオタイプへの怒りが爆発していた。
リミックスでは、この怒りがクラブ的なエネルギーへ変換される。原曲の金属的な暴発が、ビートや電子音によって再構成されることで、怒りは叫びだけではなく、身体を動かす力として機能する。これは、政治的怒りがクラブ空間でどのように共有されるかという問題にもつながる。
歌詞の中心には、「黙れ」という極めて単純で強い言葉がある。これは単なる悪態ではない。相手が無自覚に投げかける差別的な言葉、文化的偏見、性的な視線、東アジア人女性への固定観念に対して、はっきりと境界線を引く言葉である。Rina は説明することに疲れた主体として、相手に沈黙を要求する。
リミックス版の「STFU!」では、原曲の暴力的なロック性が変化するぶん、言葉の鋭さが別の形で浮かび上がる。怒りはギターだけで表現されるのではなく、ビート、反復、ボーカル処理によっても表現できる。本作の中でも特に攻撃性の強い楽曲である。
4. Comme des Garçons
「Comme des Garçons」は、ファッション、自己演出、ジェンダー・パフォーマンス、クラブ・カルチャーを結びつけた楽曲である。タイトルはフランス語で「少年たちのように」を意味し、同時に日本発のファッション・ブランド Comme des Garçons への参照でもある。Rina の日本的背景、ファッション文化、クィア的な自己表現が交差する曲といえる。
原曲はすでにハウス/クラブ寄りの楽曲であり、リミックスとの相性が非常に高い。ビートが強調されることで、この曲の持つランウェイ的な感覚、自己をまとい直すような感覚がさらに前面に出る。リミックス版では、原曲の洗練されたクールさが、より明確にダンスフロアへ向けられる。
歌詞では、自分をどう見せるか、どう演じるか、どう欲望されるかがテーマになっている。Comme des Garçons という言葉は、男性性をまとうこと、既存のジェンダー表現をずらすこと、ファッションを通じて自己を再構築することを示している。Rina はここで、自己表現を表面的な装飾としてではなく、アイデンティティの実践として扱う。
「Comme des Garçons」は、Sawayama Remixed の中でも特にリミックス盤の意義が分かりやすい楽曲である。もともとクラブ的だった曲が、さらに外へ開かれ、Rina の音楽がクィア・ポップやファッション文化と強く結びついていることを示している。
5. Akasaka Sad
「Akasaka Sad」は、東京の赤坂という具体的な地名と、孤独や悲しみを結びつけた楽曲である。原曲では、世代を越えて受け継がれる不安、移動、文化的な分裂、家族の記憶が、エレクトロ・ポップ的なサウンドの中で描かれていた。タイトルに日本語的な地名が入ることで、Rina の日本との関係性が非常に明確に示される。
リミックスでは、この曲の持つ都市的な孤独がより抽象化される。赤坂という具体的な場所は、クラブ・サウンドの中で実在の街であると同時に、記憶の中の都市、家族史の中の場所、帰属できない場所として響く。ビートが強くなることで、悲しみは静かな内省ではなく、都市の夜を移動する身体の感覚へ変わる。
歌詞では、自分が母親や家族から受け継いだ感情的なパターンに気づく姿が描かれる。日本という場所は、単純な故郷ではない。そこには記憶があり、距離があり、言語や文化の断絶がある。赤坂はその複雑な感情を象徴する地名として機能している。
「Akasaka Sad」は、Rina Sawayama のアイデンティティ表現の中でも特に重要な曲である。リミックスされることで、その悲しみは個人的なものから、都市的でグローバルな孤独へと広がっている。
6. Paradisin’
「Paradisin’」は、青春期の解放感、家族からの独立、夜遊び、自由への衝動を描いた楽曲である。原曲では、2000年代ポップ・パンクやティーン・ポップの明るさが強く、SAWAYAMA の中でも比較的軽快な位置にあった。リミックスでは、その楽しさがさらにダンス的に拡張される。
この曲の魅力は、明るさの中にある反抗である。歌詞では、親の目を盗んで外へ出ること、自分の時間を持つこと、若さの中で自由を試すことが描かれる。これは単なる遊びの歌ではなく、家庭や期待から一時的に離れ、自分自身の身体と欲望を取り戻す曲でもある。
リミックスでは、原曲のポップ・パンク的な弾け方が、クラブ的な高揚へ変換される。これにより、曲の中の「逃げ出す喜び」はより集団的になる。ひとりで夜に出かける歌が、ダンスフロアで共有される解放の歌へ変わる。
「Paradisin’」は、Sawayama Remixed の中で軽やかな幸福感を担う曲である。ただし、その幸福は完全な無邪気さではない。自由は一時的で、家庭や社会の制約から完全には逃れられない。それでも、その一瞬の解放が大切なのだと曲は示している。
7. Love Me 4 Me
「Love Me 4 Me」は、自己受容をテーマにした楽曲である。原曲では、2000年代R&B/ポップの温かさを思わせるサウンドの中で、自分自身を愛すること、他者の期待ではなく自分の価値を認めることが歌われていた。SAWAYAMA の中でも、比較的率直で肯定的なメッセージを持つ曲である。
リミックスでは、この自己受容のテーマがより軽やかに、身体的に響く。自己肯定は単なる言葉の宣言ではなく、踊ること、自分の身体を自由に動かすこと、音楽の中で自分を解放することとして表現される。クラブ・ミュージックにおいて、自分を肯定することはしばしば身体の回復と結びつく。
歌詞では、自分を変えようとする圧力、他人に認められるために自分を小さくする感覚から離れ、自分自身をそのまま愛することが求められる。これはポップ・ミュージックではよくあるテーマだが、Rina の場合、移民的な背景、クィア的な感覚、女性としての自己イメージの問題と結びつくため、より具体的な重みを持つ。
「Love Me 4 Me」は、リミックス盤の中で優しい解放を担う楽曲である。攻撃的な怒りではなく、自分を受け入れるためのダンスとして機能している。
8. Bad Friend
「Bad Friend」は、友情の喪失、後悔、忙しさや距離によって関係が薄れていく痛みを描いた楽曲である。原曲は、SAWAYAMA の中でも特に感情的なハイライトであり、ポップなメロディの裏に非常に苦い自己認識があった。自分が悪い友人だったという告白は、恋愛の失敗とは異なる種類の痛みを持つ。
リミックスでは、この後悔が別の温度を帯びる。原曲のバラード的な切なさが、ビートによって再構成されることで、喪失感が静かに泣くものではなく、夜の中で反復される記憶のようになる。クラブ・ミュージックはしばしば忘却のための音楽だが、この曲ではむしろ忘れられない友情の記憶がビートの中で浮かび上がる。
歌詞では、昔の友人との関係が変わってしまったこと、その責任の一部が自分にあることが認められる。恋愛の別れよりも、友情の消滅は語られにくい。しかし、それは非常に深い喪失である。Rina はその曖昧な罪悪感を、率直に歌にしている。
「Bad Friend」は、リミックスされてもなお、Rina のソングライティングの繊細さを保っている。ビートが変わっても、中心にあるのは、誰かを大切にできなかったという痛みである。
9. Fuck This World
「Fuck This World」は、タイトル通り世界への拒絶、疲労、怒りを表す楽曲である。原曲はインタールード的な位置づけを持ちながら、SAWAYAMA の中で社会や環境への絶望感を短く示していた。リミックス・アルバムでは、この曲の虚無感や攻撃性が、より電子的な質感で再解釈される。
歌詞の中心にあるのは、世界の破壊性や人間の愚かさへの疲れである。環境問題、社会の不平等、消費社会、終末的な気分。Rina はそれを長い説明ではなく、投げ捨てるような言葉で示す。この短さが逆に強い印象を残す。
リミックスでは、原曲の断片性が活かされ、曲がひとつのムードとして機能する。踊れるかどうかよりも、アルバム全体の中で怒りと疲労の空間を作る役割が強い。世界への拒絶は、明確な政治的プログラムというより、ポップ・ミュージックの中に残された絶望の叫びとして響く。
「Fuck This World」は、Sawayama Remixed においても、明るいダンス性だけではない暗い感情を保っている。Rina の音楽には、祝祭と絶望が常に隣り合っていることを示す楽曲である。
10. Who’s Gonna Save U Now?
「Who’s Gonna Save U Now?」は、原曲ではアリーナ・ロック的な壮大さを持ち、裏切り、自己救済、ステージ上の演劇性を大きく展開した楽曲である。観客の歓声のような音像も含め、Rina がロック・スター的な身振りをポップの中で演じる曲だった。
リミックスでは、このアリーナ感がクラブ的な高揚へ置き換えられる。原曲のギターやライブ感が後退する場合でも、曲の持つドラマ性は残る。むしろ、救済を問うフレーズが反復されることで、クラブ空間における集団的なカタルシスへ変化する。
歌詞では、相手を救っていた自分がもういないとき、誰が相手を救うのかが問われる。これは失恋や裏切りの歌であると同時に、自己犠牲からの離脱の歌でもある。誰かを救う役割を担わされてきた人物が、その役割を拒む瞬間が描かれる。
「Who’s Gonna Save U Now?」は、リミックスによってロックのドラマからダンスのドラマへ移行する楽曲である。救済を求める声と、救済を拒む声が交錯し、本作の中でも大きな感情のうねりを作っている。
11. Tokyo Love Hotel
「Tokyo Love Hotel」は、日本の都市イメージ、観光的な消費、性的な幻想、文化の表面的な利用をテーマにした楽曲である。原曲では、明るくドリーミーなポップ・サウンドの中に、東京が外部の視線によって消費されることへの違和感が込められていた。Rina の日本との関係性を考えるうえで非常に重要な曲である。
リミックスでは、この曲の都市的なきらめきがさらに強調される。電子音やビートによって、東京の夜、ネオン、クラブ、消費されるイメージがより鮮やかに浮かび上がる。その一方で、歌詞の中の批判性も残るため、聴き手はそのきらめきを単純には楽しめない。
歌詞では、東京がエキゾチックな欲望の対象として扱われることへの違和感が示される。Tokyo Love Hotel という言葉自体が、外部から見た日本の性的で奇妙なイメージを含んでいる。Rina はそのイメージを利用しながら、同時に批判している。この二重性が曲の大きな魅力である。
「Tokyo Love Hotel」は、リミックスされることで、観光的な東京像とクラブ的な東京像が重なり合う。Rina の音楽が日本性を単純に装飾として使うのではなく、その消費のされ方まで含めて扱っていることがよく分かる。
12. Chosen Family
「Chosen Family」は、血縁ではなく、自分で選び取った家族をテーマにしたバラードである。原曲では、クィア・コミュニティや移民的な孤独、家族から完全には理解されない人々にとっての「選ばれた家族」の重要性が、非常に率直に歌われていた。SAWAYAMA の中でも最も感情的で、普遍的な楽曲のひとつである。
リミックス・アルバムにおいてこの曲が持つ意味は大きい。クラブ・カルチャーやクィア・ポップの文脈では、選ばれた家族という概念は非常に重要である。血縁や国家、伝統的な共同体から外れた人々が、音楽や夜の場所で互いを見つける。その感覚が、リミックスによってより強く響く。
歌詞では、過去をすべて説明しなくても、互いを理解し合える関係が歌われる。血のつながりがなくても、似た痛みや経験を持つ人々は家族になれる。これはRina の作品全体に通じる、帰属と自己定義のテーマの重要な結論である。
「Chosen Family」は、リミックスされても原曲の核を失わない。むしろ、クラブ・ミュージック的な文脈に置かれることで、この曲の共同体的な意味がさらに広がる。Rina Sawayama の音楽が、個人的な告白を超えて、多くの人々の居場所を作る力を持つことを示す楽曲である。
総評
Sawayama Remixed は、Rina Sawayama のデビュー・アルバム SAWAYAMA を、クラブ・ミュージック、ハイパーポップ、ダンス・ポップ、クィア・ポップの文脈で再構成した作品である。オリジナル・アルバムが持っていたロック、R&B、メタル、ポップの激しい衝突は、ここではより流動的なビートと電子音へ置き換えられる。結果として、Rina の楽曲がいかに強いメロディとテーマを持っていたかが再確認される。
本作の魅力は、原曲の意味を完全に変えてしまうのではなく、別の角度から照らす点にある。「XS」は消費社会への皮肉を踊れる快楽へ変え、「STFU!」は差別への怒りをクラブ的な攻撃性へ変える。「Comme des Garçons」はファッションとジェンダー・パフォーマンスをより明確にダンスフロアへ接続し、「Bad Friend」は友情の後悔を夜の反復として響かせる。「Chosen Family」は、クィアな共同体性をリミックス盤の文脈でさらに強く感じさせる。
また、本作はRina Sawayama が単独のポップ・スターであるだけでなく、複数のアーティストやプロデューサーとのネットワークの中で機能する存在であることを示している。ゲストやリミキサーが加わることで、彼女の楽曲はよりグローバルで多文化的なポップ空間へ開かれる。これは、Rina 自身のアイデンティティとも合っている。日本生まれ、英国育ち、インターネット以後のポップ文化、クィア・カルチャー、2000年代ポップの記憶。それらがリミックスという形式の中で再配置されている。
ただし、アルバムとしての完成度という点では、SAWAYAMA 本編のほうが明確な物語性と起伏を持っている。Sawayama Remixed は、あくまで原曲を知っていることを前提に楽しむ作品であり、初めてRinaを聴く入口としては本編ほど適していない。だが、原曲を聴いた後で本作に触れると、楽曲の別の可能性が見えてくる。特に、Rina の音楽がもともと持っていたクラブ性、過剰さ、演劇性、共同体性がよく分かる。
日本のリスナーにとっては、Rina Sawayama の日本語や日本文化への参照が単なる装飾ではなく、移民的な距離や文化的消費への批評と結びついている点が重要である。「Akasaka Sad」や「Tokyo Love Hotel」は、リミックスされることで都市イメージとしての東京がより強調されるが、同時にその消費され方への違和感も残る。ここに、Rina の表現の複雑さがある。
Sawayama Remixed は、原曲をクラブへ連れ出すアルバムである。家族の傷、消費社会への皮肉、人種差別への怒り、友情の後悔、選ばれた家族への愛。それらが、踊れるビートの中で再び鳴らされる。Rina Sawayama の音楽が、個人的な痛みとポップの快楽を同時に抱えるものであることを再確認させる、補完的かつ重要なリミックス作品である。
おすすめアルバム
1. Rina Sawayama – SAWAYAMA
本作の原点となるデビュー・アルバム。ニューメタル、R&B、ポップ、ロック、エレクトロを大胆に横断しながら、家族、移民、消費社会、自己受容を扱った重要作である。Sawayama Remixed を理解するために必須の作品である。
2. Rina Sawayama – Hold the Girl
Rina の2作目であり、より大きなポップ・ロック/ダンス・ポップのスケールを持つ作品。トラウマ、癒し、宗教的イメージ、自己回復がテーマとなり、SAWAYAMA の個人的な問題意識がさらに拡張されている。
3. Charli XCX – how i’m feeling now
ハイパーポップ、クラブ・ポップ、インターネット時代の感情表現を代表する作品。Rina Sawayama と親和性の高い音楽的文脈を持ち、ポップ・ソングがどのように解体・再構成されるかを理解するうえで重要である。
4. Lady Gaga – Dawn of Chromatica
Chromatica のリミックス・アルバムであり、クィア・クラブ・カルチャー、ハイパーポップ、エレクトロニック・ポップの接続が強い作品。Sawayama Remixed と同じく、ポップ・アルバムをクラブ的に再解釈する試みとして関連性が高い。
5. Dorian Electra – Flamboyant
ジェンダー・パフォーマンス、過剰なポップ表現、ハイパーポップ的な音響を結びつけた作品。Rina Sawayama の「Comme des Garçons」やクィア・ポップ的な側面に関心があるリスナーに適している。

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