
発売日:2020年5月29日
ジャンル:Dance-Pop / House / Electropop
概要
Lady Gagaの6作目のスタジオ・アルバム『Chromatica』は、『Joanne』や映画『A Star Is Born』で前面に出していた生楽器中心のサウンドから、ダンス・ポップへ大きく戻った作品である。BloodPopを中心に、Axwell、Burns、Madeon、Skrillexら多数のプロデューサーが参加。1990年代のハウスを思わせる四つ打ちのキック、ピアノ、シンセ・ベースを軸にしながら、現代的な音圧と細かな電子音で仕上げている。標準盤は16トラックだが、「Chromatica I」「II」「III」はオーケストラによる短いインタールードで、残る13曲を三つの区画に分ける構成になっている。
明るく高揚感のあるダンス・ミュージックとは対照的に、歌詞では心の痛み、トラウマ、孤独、依存、回復への意志が繰り返し扱われる。悲しみを克服してから踊るのではなく、悲しみを抱えた状態で身体を動かすことが重要なのである。そのため『The Fame』期への単純な原点回帰ではなく、スターとして長い時間を過ごしたGagaが、自身の得意とするクラブ・ミュージックを別の意味で使い直した作品と考えた方が近い。曲の多くを3分前後に絞ったことで、重い題材を扱いながらアルバムは速いテンポを保って進んでいく。
全曲レビュー
1. 「Chromatica I」
弦楽器を中心とした約1分の序曲で、クラブ向けのビートではなく映画音楽のような広がりからアルバムを始める。旋律は徐々に緊張を高め、そのまま切れ目なく「Alice」へ接続するため、独立した楽曲というより最初の扉として機能する。電子的なダンス・アルバムの各章をオーケストラで区切るという、本作の構成を最初に提示するトラックである。
2. 「Alice」
四つ打ちのキックとピアノを中心とするハウス・ビートが始まり、一気にダンスフロアへ移る。「不思議の国のアリス」を借りた歌詞では、自分が現在いる場所ではなく、心から居場所と思える世界を探す人物が描かれる。Gagaはヴァースを比較的抑えて歌い、サビでは声を大きく開くため、閉塞した状態から出口を求める感覚がアレンジにも表れている。『Chromatica』という架空の世界へ入っていく導入として明快だ。
3. 「Stupid Love」
太いシンセ・ベースと弾むようなリズムの上で、非常に単純で強いサビを繰り返す。音数は多いがメロディを邪魔する装飾は少なく、Gagaの力強い声を中心に据えた王道のダンス・ポップである。歌詞では傷つく可能性を知りながら、それでも愛情を求める気持ちを隠さない。「愚かな愛」と自覚していることが重要で、無邪気なラブソングではなく、恐れを抱えたまま他者へ近づこうとする曲になっている。
4. 「Rain on Me」
Ariana Grandeとのデュエットで、雨を苦痛や涙の比喩として使いながら、その中で生き続けることを歌う。ヴァースでは比較的余白を残し、サビに入ると四つ打ちのキックとハウス風のピアノが大きく広がるため、感情の解放が身体的な高揚へ直結する。Gagaの太く押し出す声とGrandeの軽やかに上昇する声も好対照だ。苦痛を消すのではなく「降るなら降らせる」という姿勢が、本作の考え方を端的に伝えている。
5. 「Free Woman」
低く脈打つベースと一定の四つ打ちを土台に、クラブ・ミュージックらしい反復を強く押し出す。題名は自由の宣言だが、歌詞の中心にあるのは誰かとの関係によって自分の価値を決めないという意志であり、単純な勝利宣言より切実さがある。サビでは言葉を細かく詰めず、声をビートの上へ大きく広げることで、メッセージを身体で実感させるような作りになっている。
6. 「Fun Tonight」
題名に反して、実際には楽しめない自分を扱った曲である。きらびやかなシンセと前進するビートの下で、歌詞は自分自身との距離や、外から期待される姿と内面の苦痛とのずれを描く。特にサビでは明るい音が広がるほど言葉との落差が大きくなり、ダンス・ポップの高揚感そのものが皮肉に聞こえる。『Chromatica』が「悲しい歌詞を明るい曲に乗せる」だけではないことを示す一曲だ。
7. 「Chromatica II」
再びオーケストラへ切り替わり、第一部よりも緊迫した弦の動きが短時間で膨らんでいく。単体では劇伴的なインタールードだが、最大の効果は次の「911」への接続にある。クラシカルな響きが頂点に達した瞬間に機械的なビートへ切り替わるため、異質な二つの音楽が編集によって一つの展開のように聞こえる。
8. 「911」
無機質なシンセと硬いビートを使い、Gaga自身も感情を抑えた機械的な声で歌う。歌詞では自分自身の思考が最大の敵になっている状態と、それに対処するための抗精神病薬への言及があり、本作でも特に具体的にメンタルヘルスを扱った曲である。感情を爆発させるのではなく、声を加工して平坦にすることで、むしろ精神と身体の距離が強調される。直前の壮大なオーケストラとの落差も鮮烈だ。
9. 「Plastic Doll」
人工的に作られた人形というイメージを使い、人間を外見や役割だけで判断する視線への抵抗を歌う。硬質な電子音と明快なポップ・メロディの組み合わせは題材とも合っており、きれいに加工された表面の内側から人間性を主張するように聞こえる。Gagaのセレブリティ像を連想させる内容ではあるが、歌詞の語り手を本人だけに限定せず、他人から理想像を押しつけられる状況としても読める。
10. 「Sour Candy」
BLACKPINKを迎え、ハウスの反復性を強く打ち出したコンパクトな曲。低いベースと乾いたビートの上でBLACKPINKのメンバーとGagaが交互に登場し、声の切り替え自体がアレンジの変化として働く。歌詞では酸っぱいキャンディを、自分の扱いにくさと、その内側にある甘さの比喩として使用する。説明を増やさず、態度とグルーヴを2分台に凝縮したことでアルバム中盤の鋭いアクセントになっている。
11. 「Enigma」
跳ねるベースと大きく開くシンセを背景に、Gagaのボーカルが再び前面へ出る。特にサビでは高い音域まで強く声を伸ばし、機械的な「911」や抑制された「Sour Candy」と明確な差を作る。歌詞は二人の関係を固定された現実ではなく、想像によって別のものへ変えられる可能性として描いている。謎めいた題名に反して曲そのものは開放的で、ボーカリストとしてのGagaの強さを素直に聞かせる。
12. 「Replay」
反復する記憶から逃れられない感覚を、タイトル通り音楽的なループへ重ねている。ディスコ/ハウス系のリズムは身体を前へ動かす一方、歌詞では過去の傷が何度も頭の中で再生され、現在の感覚まで侵食していく。相手から受けた傷と自分自身の内側にある苦痛の境界も揺れており、単純に加害者と被害者を分ける内容にはなっていない。踊れる音とトラウマの反復が最も緊密に結びついた楽曲の一つである。
13. 「Chromatica III」
三つ目のインタールードでは弦楽器が再び現れ、短い時間の中で不安から高揚へ向かう動きを作る。「Chromatica」三部作はいずれも歌詞を持たないが、ここでは終盤へ入る前の呼吸というより、次の曲を大きく登場させるための助走という役割が強い。最後の盛り上がりがそのまま「Sine from Above」の冒頭へ流れ込む。
14. 「Sine from Above」
Elton Johnとの共演曲で、音楽そのものによって救われる感覚を、空から届く「sine=正弦波」という電子音響の言葉に置き換えている。GagaとJohnという声量のある二人を中心に据えながら、背景には大きなシンセが広がり、終盤では高速のドラムンベースへ急激に変化する。この唐突な展開によって、精神的な解放が整然としたものではなく、制御を越えて噴き出すように表現される。
15. 「1000 Doves」
傷ついた状態から一人で立ち直れると装うのではなく、他者へ支えを求める歌である。軽快な電子音と一定のキックが続くため表面上は明るいが、Gagaの歌唱は次第に力を増し、「持ち上げてほしい」という願いを切実なものにする。アルバム前半の「Free Woman」が自立を強調していたのに対し、ここでは助けを必要とすることも回復の一部として扱われる。その違いによって終盤の感情に奥行きが生まれている。
16. 「Babylon」
ハウスのビートに、ファッション・ショーを思わせる堂々としたリズム感とゴスペル風のコーラスを組み合わせたエンディング。題名のBabylonと「babble on」を重ねる言葉遊びを使い、噂話や他人について語り続ける行為を派手なショーへ変えている。深刻な自己分析が続いたアルバムの最後で、Gagaは再び演技性やキャンプ的な誇張を楽しむ側へ回る。問題を完全に解決して静かに終えるのではなく、最後まで踊り続けるという本作らしい結末である。
総評
『Chromatica』では、ダンス・ミュージックが苦痛から逃げるための背景音ではなく、苦痛を処理するための方法として使われている。四つ打ちのキックはほぼ一貫して身体を動かし続ける一方、歌詞の語り手は必ずしも元気ではない。「Fun Tonight」のように楽しめないことを認め、「911」では自分の精神状態と向き合い、「Replay」では過去の記憶が戻ってくる。音楽が明るくなるほど歌詞との落差が生まれ、その矛盾自体がアルバムの推進力になっている。
制作面では1990年代のハウスを大きな基盤とし、ピアノ、太いベース、四つ打ちという分かりやすい材料を現代的なポップへ組み直している。個々の曲は短く、複雑な展開よりもサビやビートへ素早く到達するため、16トラックあっても流れは速い。一方で、基本となるテンポや音色が近い曲も多く、中盤では均質に感じられる部分もある。その代わり三つの「Chromatica」と客演曲を節目に置き、声や音響を大きく変えることで全体の起伏を作っている。
Gagaのキャリアという点では、初期のダンス・ポップをそのまま再現しなかったことが重要だ。『The Fame』や『Born This Way』ではクラブの高揚が野心、欲望、自己表現と強く結びついていたが、『Chromatica』では同じように踊れる音が、心の傷や回復という題材に使われる。『Joanne』や『A Star Is Born』を経て生身の歌唱力を広く示した後だからこそ、加工されたボーカルや人工的なビートへ戻ることも、歌唱力を隠す行為ではなく意識的な選択として聞こえる。
2020年のポップ作品としても、EDM的な巨大なドロップを追求するより、ハウスの反復とクラブ文化の感覚へ戻った点が特徴的だった。しかも懐古趣味だけに頼らず、「Sine from Above」の急激な終盤や「911」の無機質な処理など、曲ごとに現代的な違和感を加えている。『Chromatica』はGagaの最も多彩なアルバムではないが、テーマと音楽形式の結びつきは明確である。踊れることと苦しんでいることを反対の状態として扱わず、その二つが同時に存在できる場所を作ったことが、この作品の強さである。
おすすめアルバム
The Fame Monster by Lady Gaga
初期Gagaのダンス・ポップが最も凝縮された作品の一つ。暗い欲望や不安を巨大なポップ・フックへ変える作曲は『Chromatica』にもつながるが、こちらはエレクトロポップ色が強く、二作品の時代差も分かりやすい。
Born This Way by Lady Gaga
自己受容を中心に据えながら、ハウス、エレクトロ、ロックなどを大胆に混ぜた2011年作。『Chromatica』より荒々しく過剰だが、クラブ・ミュージックを個人的な解放と結びつける発想には明確な共通点がある。
Confessions on a Dance Floor by Madonna
ダンスフロアをアルバム全体の舞台として使い、曲を連続的に進める2005年作。ディスコ寄りの音楽性は異なるものの、過去のクラブ音楽を現代的なポップ制作へ変換する方法で『Chromatica』と比較できる。
Body Talk by Robyn
強い電子ビートの上で孤独、失恋、親密さへの欲求を歌い、踊ることと悲しむことを同じ場所に置いた作品。『Chromatica』の感情とダンス・ポップの関係を理解するうえで、特に相性のよい一枚である。
Renaissance by Beyoncé
ハウス、ディスコ、クラブ・カルチャーを現代のポップへ接続した2022年作。『Chromatica』より曲同士の連続性とリズムの変化を重視しているが、ダンスフロアを解放や回復のための空間として扱う点で興味深く比較できる。

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