
1. 歌詞の概要
「Queen Bitch」は、シアトルのロック・バンド、Green Riverによる楽曲である。
ただし、これはGreen Riverのオリジナル曲ではない。
原曲はDavid Bowieが1971年のアルバム『Hunky Dory』に収録した「Queen Bitch」である。
Green River版は、1988年の『Rehab Doll』カセット版のボーナス・トラックとしてリリースされ、のちに1990年のコンピレーション盤『Dry As a Bone/Rehab Doll』にも収録された。録音は1987年7月、シアトルのReciprocal Recordingで行われたとされる。
つまりこの曲は、70年代グラム・ロックの名曲を、80年代末のシアトルのプレ・グランジ・バンドが荒く、汚く、粘っこく塗り替えたカバーである。
原曲の「Queen Bitch」は、David BowieがThe Velvet Underground、とりわけLou Reed的な都会の退廃感を強く意識して書いた曲として知られている。
歌詞の舞台は、どこか夜の都市の高層階。
主人公は下の通りを見下ろしながら、派手な服を着た人物や、怪しげな人間関係を観察している。
そこには、嫉妬、欲望、冷笑、憧れが混ざっている。
Bowie版では、その世界がグラム・ロックらしい鋭さと粋な軽さで描かれていた。
ギターはシャープで、歌は芝居がかっていて、全体に都会的な退廃の香りがある。
Green River版では、その空気がかなり変わる。
Bowie版が、細身のスーツを着た夜のロックンロールだとすれば、Green River版は、破れたジーンズと汗の匂いがするガレージのロックンロールである。
しゃれているというより、汚れている。
軽やかというより、足元が重い。
退廃を見せるのではなく、退廃の中で転がっている。
この違いが、このカバーの面白さだ。
Green Riverは、のちにMudhoneyやPearl Jamへつながる重要メンバーを含んだバンドであり、グランジ前夜のシアトル・シーンを語るうえで欠かせない存在である。
Mark Arm、Steve Turner、Stone Gossard、Jeff Ament、Alex Vincentらが関わったこのバンドは、パンク、ハードロック、ガレージ、メタル、スラッジな質感を混ぜ、まだ「グランジ」という言葉が固まる前の不格好な熱を鳴らしていた。
そのGreen RiverがBowieをカバーする。
それも、洗練されたBowieではなく、「Queen Bitch」という、Velvet Underground風の毒を持った曲を選ぶ。
この選曲はとても象徴的である。
グランジは、しばしば70年代ハードロックとパンクの子どものように語られる。
だが、その奥には、グラム・ロックやニューヨークのアート・ロック、退廃的なロックンロールの血も流れていた。
Green Riverの「Queen Bitch」は、その血筋を荒々しく見せるカバーなのだ。
2. 歌詞のバックグラウンド
「Queen Bitch」の原曲は、David Bowieの1971年作『Hunky Dory』に収録されている。
『Hunky Dory』は、Bowieが「Changes」「Life on Mars?」などを含む重要作として知られるアルバムであり、翌年の『The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars』へ向かう直前の作品でもある。
「Queen Bitch」は、その中でも比較的ストレートなロックンロール曲だ。
しかし、ただのロックンロールではない。
都市の下世話さ、性的な曖昧さ、演劇的な視線、そしてVelvet Undergroundへのオマージュが入り混じっている。
Bowieは、誰かを観察する語り手を置く。
語り手は窓から下を見ている。
そこにいる人物たちは、夜の街の登場人物のように振る舞う。
歌詞は、具体的でありながらも、どこか映画のワンシーンのように切り取られている。
この曲の主人公は、完全な当事者ではない。
見ている。
羨んでいる。
からかっている。
少し傷ついてもいる。
その距離感が、Bowieらしい。
一方、Green Riverがこの曲を録音した1987年頃のシアトルは、まだ後のグランジ・ブーム前夜だった。
Nirvanaが世界を変える前。
Pearl Jamが結成される前。
MudhoneyがSub Popの顔になる少し前。
Green Riverは、その流れの中で重要な出発点になったバンドである。
Mark ArmはのちにMudhoneyへ。
Stone GossardとJeff AmentはMother Love Boneを経てPearl Jamへ。
つまりGreen Riverは、シアトル・ロック史の分岐点のような存在だった。
ただし、Green Riverの音楽は、後のグランジの完成形とは違う。
もっとガサガサしている。
もっと悪趣味で、もっと汚い。
パンクの速さ、メタルの重さ、ガレージの粗さ、そしてロックンロールの下品な腰つきが混ざっている。
そのGreen Riverが「Queen Bitch」を演奏すると、Bowieの持っていた都会的な毒が、シアトルの地下室の汗とノイズに変わる。
これは単なるカバーではなく、翻訳である。
ロンドン/ニューヨーク的なグラムの退廃を、シアトルのプレ・グランジ的な泥へ翻訳している。
キラキラしたサテンを、ぼろぼろの革ジャンへ着替えさせている。
鋭利な皮肉を、酔った笑いとフィードバックへ変えている。
「Queen Bitch」が『Rehab Doll』カセット版のボーナス・トラックだったことも興味深い。
アルバム本編の中核曲というより、バンドの嗜好やルーツがふと漏れ出したような位置にある。
そこに、Green Riverのロック観がよく見える。
彼らは、ただパンクやメタルだけを聴いていたわけではない。
Bowieのようなグラム・ロックの演劇性、Velvet Underground的な退廃、70年代ロックの妖しさも、どこかで吸収していた。
その雑多な吸収こそ、後のグランジの土壌になったのだ。
3. 歌詞の抜粋と和訳
歌詞の引用は、著作権に配慮し、批評と解説に必要な短い範囲にとどめる。
She’s so swishy in her satin and tat
和訳:
彼女はサテンとぼろ布をまとって、ひどくなまめかしく揺れている
この一節は、原曲「Queen Bitch」の雰囲気をよく表している。
「satin」は光沢のある布。
「tat」は安っぽい飾りやぼろ。
つまり、華やかさと安っぽさが同時に存在している。
ここにBowieらしい美学がある。
美しい。
でも、少し下品。
洗練されている。
でも、どこか壊れている。
高級なサテンと、ぼろぼろの装飾が同じ身体の上にある。
この矛盾が「Queen Bitch」の魅力だ。
Green River版では、この言葉の質感がさらに汚くなる。
Bowieが歌うと、そこには観察者の余裕がある。
どこか洒落ていて、皮肉っぽく、都会的である。
しかしMark Armが歌うと、その余裕は崩れる。
もっと荒い。
もっと噛みつく。
もっと酔っているように聴こえる。
原曲の人物が、ネオンの下で見えるなら、Green River版の人物は、煙たいライブハウスの隅にいる。
もうひとつ、曲のタイトルにもなっているフレーズが重要である。
Queen Bitch
和訳:
女王気取りの厄介者
この言葉はかなり強い。
同時に、単なる侮辱だけではない。
「Queen」という言葉には、支配、華やかさ、演劇性、クィアなニュアンス、そしてロックンロールの過剰さが含まれる。
「Bitch」という言葉には、攻撃性、軽蔑、毒、そして相手への執着がある。
この二つが合わさることで、曲の人物はただの悪口の対象ではなく、強烈なキャラクターになる。
主人公は彼女を見下しているようで、実は目を離せない。
腹を立てているようで、惹かれてもいる。
軽蔑と憧れが同じ場所にある。
それが「Queen Bitch」という言葉の面白さである。
引用した歌詞の権利は、各権利者に帰属する。引用は批評・解説を目的とした最小限の範囲で行っている。
4. 歌詞の考察
「Queen Bitch」は、視線の曲である。
誰かを見ている。
上の階から、下の通りを見ている。
その人物の服装や振る舞いを見ている。
そして、その人物が誰かと関係を持っていることに対して、複雑な感情を抱いている。
ここには嫉妬がある。
しかし、まっすぐな嫉妬ではない。
「あいつに取られた」と泣く曲ではない。
「なぜ自分ではないのか」と叫ぶ曲でもない。
もっとひねくれている。
見下しているように言う。
からかうように語る。
しかし、その言葉の裏には、傷ついたプライドと未練が見える。
この屈折が、Bowieの原曲の魅力だった。
Green River版は、その屈折をより直接的なロックの肉体へ変える。
Bowie版では、歌詞の人物たちは舞台の上にいる。
照明があり、衣装があり、観客の視線がある。
語り手もまた、演劇の一部としてその人物を眺めている。
Green River版では、その舞台が崩れ落ちる。
代わりにあるのは、音の汚れ、ギターのざらつき、Mark Armの喉の荒さである。
このカバーでは、歌詞の持っていた都市的な芝居が、より身体的な欲望へ引き寄せられている。
Bowieの「Queen Bitch」が、夜の街を見下ろす曲だとすれば、Green Riverの「Queen Bitch」は、その夜の街の中へ転がり落ちていく曲だ。
ここにカバーの意味がある。
Green Riverは、原曲を忠実に再現することを目的にしていない。
むしろ、原曲の持つ下世話なエネルギーを抜き出し、自分たちの音で汚している。
それによって、「Queen Bitch」はグラム・ロックからプレ・グランジへ変わる。
この変化は、音楽史的にも面白い。
グラム・ロックは、しばしば演劇性、性の曖昧さ、人工性、派手な衣装と結びつく。
一方、グランジは、汚れた服、歪んだギター、無造作さ、反商業的な雰囲気で語られることが多い。
しかし、この二つは完全な対立ではない。
どちらも、ロックの中の「普通ではない身体」を扱っている。
どちらも、既存の男らしさや清潔なロック像からはみ出している。
どちらも、歪んだ欲望や不格好な自己表現を含んでいる。
Green Riverの「Queen Bitch」は、その接点にある。
Bowieのグラム的な毒が、Green Riverの汚れたロックンロールに入ることで、後のグランジに通じる別の過剰さが見えてくる。
サウンド面では、ギターの質感が重要だ。
Green River版のギターは、Bowie版のようにスリムで切れ味のあるロックンロールではない。
もっと分厚く、ざらつき、少しだらしない。
そこに、80年代末のシアトルらしい湿ったノイズ感がある。
ドラムも、軽快なロックンロールの跳ねというより、少し重く、前のめりだ。
ベースは曲を支えながら、音全体に濁った厚みを与えている。
この重さによって、歌詞の人物たちはより泥臭くなる。
サテンの輝きは、くすんだ光になる。
高層階からの眺めは、地下のクラブの床へ近づく。
Bowieの都市的な余裕は、Green Riverのぐらついた欲望へ変わる。
Mark Armのヴォーカルも、曲の印象を大きく変えている。
Bowieの歌唱には、冷ややかな演技性がある。
自分の声をキャラクターとして操り、歌詞の人物を外側から照らす。
Mark Armはもっとむき出しだ。
歌詞を演じるというより、吐き出す。
整えるより、崩す。
きれいに見せるより、汚れたまま放り投げる。
この違いによって、同じ歌詞が別のものになる。
「Queen Bitch」は、もともと退廃的な曲だった。
Green River版は、その退廃をさらに安く、荒く、地下に引きずり下ろす。
これは、カバーとして非常に正しい態度だと思う。
名曲をカバーするとき、原曲の上品さを守ろうとすると、かえって弱くなることがある。
Green Riverは、Bowieを尊重しながらも、遠慮していない。
自分たちの音で壊している。
その結果、曲の別の側面が見える。
「Queen Bitch」は、実はかなりガレージ・ロック的な曲でもある。
シンプルなリフ、毒のある歌詞、都市の下品さ、勢い。
Green Riverは、その部分を強調している。
つまり、Bowieの曲に潜んでいた汚いロックンロールを、より大きくしたのだ。
また、このカバーはGreen Riverというバンドの美学を理解するうえでも重要である。
彼らは、後に「グランジの先駆け」として歴史に位置づけられる。
しかし本人たちの音楽は、ジャンル名に収まる前の混合物だった。
パンク。
メタル。
ガレージ。
グラム。
ハードロック。
スラッジ。
悪ふざけ。
「Queen Bitch」は、その混合物の中にグラムの血があったことを示している。
Green Riverの音楽には、シリアスな暗さだけではなく、下品なユーモアやロックンロールの芝居気もある。
それはのちのMudhoneyにも強く残る。
Mark Armの声には、常に少しからかうような調子があり、真面目になりすぎることを拒む感覚がある。
このカバーでも、それがよく出ている。
ただ「かっこいいDavid Bowieをやってみました」というカバーではない。
むしろ、Bowieの曲をガレージの床に転がし、ビールをこぼし、アンプのノイズで汚したような演奏である。
それが、Green Riverらしい。
5. この曲が好きな人におすすめの曲 5曲
- Queen Bitch by David Bowie
まずは原曲を聴くべきである。1971年の『Hunky Dory』に収録されたBowie版は、Velvet Undergroundへの愛と、グラム・ロック前夜の鋭さが詰まった名曲だ。
Green River版の汚れた質感を聴いたあとに原曲へ戻ると、Bowieのアレンジがいかに軽やかで、都会的で、演劇的だったかがよくわかる。同じ曲がここまで違う身体を持てることに驚くはずだ。
- Swallow My Pride by Green River
Green Riverの代表的な楽曲のひとつであり、バンドのパンク寄りの勢いとシアトルらしいざらつきがよく出ている。
「Queen Bitch」カバーの荒さが好きなら、この曲の下品で前のめりなロック感も自然に響くだろう。Mark Armの声の魅力もわかりやすい。
- Rehab Doll by Green River
Green Riverの後期を代表する曲であり、『Rehab Doll』期のより重く濁ったサウンドを味わえる。
「Queen Bitch」がBowieの曲を汚したカバーだとすれば、「Rehab Doll」はGreen River自身の暗く歪んだ美学が前面に出た曲である。プレ・グランジの粘りを感じたい人に向いている。
Green River解散後、Mark ArmとSteve Turnerが結成したMudhoneyの代表曲である。Green Riverの汚れたユーモアとガレージ感が、さらに簡潔で強烈な形にまとまっている。
「Queen Bitch」のだらしない毒気が好きなら、この曲の病んだロックンロール感は必ず刺さるはずだ。
- Suffragette City by David Bowie
「Queen Bitch」と同じく、Bowieのグラム・ロック的な勢いを味わえる楽曲である。より派手で、より攻撃的で、後のハードロックやパンクにも通じる推進力がある。
Green RiverがBowieをカバーした理由を考えるうえで、この曲のロックンロール的な強度も聴いておきたい。
6. Bowieのグラムをシアトルの泥で塗り替えた、プレ・グランジ的カバー
Green Riverの「Queen Bitch」は、カバー曲としてとても面白い。
なぜなら、この曲には二つの時代のロックがぶつかっているからだ。
ひとつは、David Bowieの70年代グラム・ロック。
もうひとつは、Green Riverの80年代末シアトル・プレ・グランジ。
Bowieの原曲には、都会の夜、性的な曖昧さ、衣装、視線、皮肉があった。
Green River版には、歪んだギター、荒い声、汚れたグルーヴ、地下室の汗がある。
この二つは、一見するとかなり違う。
しかし、実は深いところでつながっている。
どちらも、ロックンロールのきれいごとを信じていない。
どちらも、欲望や嫉妬や見栄や演技を音楽にしている。
どちらも、普通のラブソングでは描けない人間のいやらしさを扱っている。
Green Riverは、そのBowieの毒を、自分たちの時代の音で再び鳴らした。
結果として生まれたのは、洗練されたグラムの再現ではない。
もっと不器用で、もっと汚く、もっと地べたに近い「Queen Bitch」である。
このカバーを聴くと、グランジがいきなりNirvanaから始まったわけではないことがよくわかる。
その前には、こういう混沌としたバンドがいた。
パンクも、ハードロックも、Bowieも、Stoogesも、Velvet Undergroundも、安いビールも、地下のライブハウスも、全部をまとめて鳴らしていたバンドがいた。
Green Riverは、そのひとつの象徴である。
「Queen Bitch」は、彼らのオリジナル代表曲ではない。
だが、バンドの美学を知るうえでは重要だ。
彼らが何をかっこいいと思っていたのか。
どんなロックの毒に惹かれていたのか。
そして、それを自分たちの音でどれほど汚せるか。
その答えが、このカバーにある。
David Bowieの原曲を知っている人ほど、Green River版には驚くかもしれない。
優雅さは減っている。
音は粗い。
歌は荒い。
でも、そのぶん、曲の下品なロックンロール性がむき出しになっている。
まるで、Bowieが着せたサテンの衣装を脱がせ、その下にある汗ばんだ身体を見せているような演奏である。
それは乱暴だ。
しかし、魅力的だ。
カバーとは、原曲を丁寧に保存することだけではない。
別の場所へ連れていくことでもある。
時代を変え、音を変え、歌い手の身体を変えることで、曲の別の顔を見せることができる。
Green Riverの「Queen Bitch」は、まさにそのタイプのカバーである。
美しく飾るのではなく、汚す。
整えるのではなく、崩す。
尊敬しながら、遠慮なく噛みつく。
それが、この曲のいちばんの魅力なのだ。
そして、その汚し方の中に、後のシアトル・ロックの匂いがある。
まだグランジという言葉が世界を席巻する前。
まだ誰もその音を巨大な産業にする前。
Green Riverは、Bowieの曲を自分たちの地下の音に変えていた。
その瞬間を聴けるのが、この「Queen Bitch」である。
参照情報
- Apple Music – Queen Bitch / Green River
- Discogs – Green River / Dry As A Bone / Rehab Doll
- Discogs – Green River / Rehab Doll
- Pitchfork – Green River / Dry As a Bone・Rehab Doll Review
- Sub Pop – Green River / Rehab Doll Deluxe Edition
- Wikipedia – Dry as a Bone/Rehab Doll

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