※本記事は、TuneSightに登場する架空のライターによる創作対談です。
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1991年のprimal scream『Screamadelica』は、「ロックとダンス・ミュージックの融合」という説明だけでは捉えきれない作品だ。「Movin’ on Up」にはRolling Stonesやゴスペルを思わせるロックンロールがあり、「Loaded」は既存曲をAndrew Weatherallが解体して再構築したダンス・トラック、「Higher Than the Sun」ではThe Orbによるダブとアンビエントの空間が広がり、「Don’t Fight It, Feel It」ではクラブの反復そのものが曲を支配する。それでもアルバムは異ジャンルの見本市には聞こえない。ロック・バンドがハウスのビートを借りたのでも、DJがロックを装飾したのでもなく、一つの感覚が別々の形式へ変化しているように聞こえる。なぜそれが可能だったのか。今回はMarcus、Naomi、Alexの3人が、Andrew Weatherallの編集思想、acid house以後の身体感覚、リミックス、ダブ、ゴスペル、そして「バンドとは何か」という問題から『Screamadelica』を考える。
- Primal Screamはなぜ自分たちの「ロック」を守ろうとしなかったのか
- 「Loaded」はなぜリミックスなのにバンドの代表曲になったのか
- Andrew Weatherallは「プロデューサー」ではなく何をしたのか
- 「Come Together」はなぜロックの「一体感」とクラブの「一体感」を接続できたのか
- 「Higher Than the Sun」でロック・バンドはどこまで消えたのか
- 「Movin’ on Up」が普通のロックに聞こえることこそ重要だった
- 「Don’t Fight It, Feel It」はなぜクラブ・トラックなのにPrimal Screamだったのか
- Madchesterとは何が違ったのか
- なぜサンプリングが「ロックの本物らしさ」と衝突しなかったのか
- ダブが『Screamadelica』に教えた「空間」の考え方
- 『Screamadelica』のサイケデリアはなぜ60年代回帰ではなかったのか
- 「Damaged」のような曲があるからクラブへの接近が軽薄に聞こえない
- なぜ「融合」ではなく「変身」に聞こえるのか
- なぜロック・ファンとクラブ・ピープルのどちらにも「借り物」に聞こえなかったのか
- 『Screamadelica』の後、なぜ同じ方法を続けられなかったのか
- 最高傑作としての『Screamadelica』──一曲だけなら何を選ぶか
- 過小評価された曲に見えるアルバムの本質
- 対談を終えて
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Primal Screamはなぜ自分たちの「ロック」を守ろうとしなかったのか
まず重要なのは、『Screamadelica』以前のPrimal Screamが電子音楽のグループだったわけではないことです。初期には「Velocity Girl」のような短いジャングリーなインディー・ポップがあり、その後はもっと60年代的、ロックンロール的な方向へ進んでいる。だから彼らがクラブ・カルチャーへ接近したとき、それはもともとの専門分野を自然に発展させたというより、自分たちのバンド像を一度疑う行為だったと思います。
そこが大きいですね。Bobby Gillespie自身がacid houseの現場に強い刺激を受けたのは、単に新しいビートを見つけたからではない。ロックのライブとは違う共同体の作り方がそこにあった。DJが中心にいても観客はスターを見上げるだけではなく、フロア全体で音楽を成立させる。パンクがかつて持っていた地下性や解放感が、80年代末にはクラブの方にあると感じたとしても不思議ではありません。
そして電子音楽に接近するとき、「ではドラマーをドラム・マシンに替えよう」という程度で終わらなかったのが重要です。クラブ・ミュージックが変えたのは楽器ではなく、時間の考え方だった。ロックではヴァース、コーラス、ブリッジを進みながら物語を作るけれど、ハウスやダブでは反復する同じ素材の聞こえ方を少しずつ変える。『Screamadelica』はその時間感覚まで取り込んでいるんです。
だから「ギターを残したまま四つ打ちを入れる」という典型的なクロスオーバーとは違うんですよね。場合によってはギターがほとんど主人公ではなくなるし、曲そのものがリミックスによって別物になる。ロック・バンドとしての所有権をかなり手放している。普通ならそこが怖いはずです。
自分たちが演奏した音だから自分たちの音楽、という考えを捨てられたんでしょうね。誰かが編集して、サンプリングして、別のビートを加えてもPrimal Screamになり得る。この柔軟性がなければ、『Screamadelica』は「ロック・バンドが流行のacid houseを取り入れたアルバム」で終わったと思います。
「Loaded」はなぜリミックスなのにバンドの代表曲になったのか
「Loaded」が決定的なのは、Andrew WeatherallがPrimal Screamの既存曲「I’m Losing More Than I’ll Ever Have」を素材として、ほとんど別の音楽へ変えたことです。通常のリミックスなら、歌やサビを残してビートをダンス向けに調整する発想がある。でも「Loaded」では原曲を保存することより、使える断片を選び直すことが優先される。曲を建物だとすれば、内装を変えるのではなく一度解体して別の建物にしているんです。
ロック側からすると、これはかなり過激です。ソングライターなら、自分が書いたメロディやコード進行を作品の本体だと思いたくなるでしょう。でもWeatherallは「この部分は必要、この部分はなくてもいい」というDJ的な耳で聴く。イントロからPeter Fondaの声が入り、リズムとサンプルが中心になって、バンドの演奏は素材の一つまで下がる。それをPrimal Scream自身が受け入れた。
しかも「Loaded」は、ロックのエネルギーをなくしていないんですよ。ここが巧い。ビートはクラブ的だけれど、曲全体には反抗的な高揚がある。映画から取られた声のサンプルも含めて、「今から自由になる」という感覚がすごく直接的です。だからロックのリスナーが聴いても、自分の文化を奪われたようには感じにくい。
Weatherallが素晴らしかったのは、クラブ音楽へ翻訳するときに、ロックをハウスへ矯正しなかったことだと思います。テンポを一定にして全部を機械的に整えるのではなく、原曲にあるギターやピアノや声の高揚を残し、それを別の時間軸へ置く。結果として「ロックかダンスか」という分類自体があまり重要ではなくなる。
それに、この曲が成功したことでバンドも「自分たちの曲は自分たちが演奏した形で完成するわけではない」と理解したんじゃないでしょうか。普通ならリミックスはシングルの別ヴァージョンですよ。でもPrimal Screamの場合、リミックスが本編になった。それが『Screamadelica』全体の考え方を変えたと思います。
Andrew Weatherallは「プロデューサー」ではなく何をしたのか
Weatherallを普通のロック・プロデューサーとして考えると、少し分かりにくいんですよね。バンドをスタジオに入れて、良い演奏を引き出して、音を磨いて完成させるというより、すでに存在する音をどう聴き直せるかを考える人だった。DJとしての耳が中心にある。
まさに編集者なんです。ギターが録音されているから使う、ドラムを叩いたから残す、という発想ではない。録音素材の中から感触の強い部分を選び、ループさせ、位置を変え、別の音と衝突させる。ダブのプロデューサーに近いところもあります。ミキシングが仕上げではなく、作曲の続きを担っている。
ロックの制作って、曲を書く人と演奏する人とプロデューサーの役割が比較的分かれやすいでしょう。でも『Screamadelica』では、その境界が曖昧になる。Bobbyが書いた曲でも、Weatherallの手に渡った後では構造そのものが変わる。だからクレジットだけを見て「誰がこの曲を書いたか」と考えるだけでは、完成形がどう生まれたか説明できないんですよ。
ヒップホップではその感覚は理解しやすいです。元のレコードがあって、その断片を選んで反復させれば、別の意味を持つ曲になる。原曲を壊したから敬意がないとは限らない。むしろ何を抜き出すかに、その人の耳が出る。「Loaded」も同じで、WeatherallはPrimal Screamに存在していた高揚感を、バンド自身とは違う方法で発見した。
そして重要なのは、アルバム全部をWeatherall一人の音へ統一しなかったことです。The Orb、Jimmy Miller、Hypnotoneなど複数の制作陣が関わる。そのため『Screamadelica』には一つのプロダクション様式がない。でもアルバムとしてはつながっている。統一しているのは音色ではなく、変化すること自体なんです。
「Come Together」はなぜロックの「一体感」とクラブの「一体感」を接続できたのか
「Come Together」というタイトル自体が、このアルバムの思想にすごく合っています。ロックでも観客が一つになる瞬間はある。でもクラブの共同体感覚とは少し違う。ロックではステージ上の人物を中心に全員がつながることが多いけれど、クラブでは反復するビートを媒介に、フロアにいる人同士が横方向につながる。『Screamadelica』はその二つを重ねたんだと思います。
Weatherallが手がけたアルバム版「Come Together」は長い時間をかけて反復を成長させます。通常のポップ・ソングのように、一番、二番、サビという明確な目的地へ急がない。声、パーカッション、鍵盤、ギターなどが少しずつ入ってきて、曲が「進展する」というより空間が満たされていく。その体験はかなりクラブ的です。
でも楽器の感覚にはロックやソウルがあるんですよね。人間が演奏している部分がちゃんと感じられるし、ゴスペル的な高揚もある。だから無機質な反復にはならない。ロック・ファンが曲の長さに付き合えるのは、その途中に人間の演奏の熱があるからだと思います。
ゴスペルとのつながりは重要です。クラブの集団的な高揚を、Primal Screamは突然生まれた新しいものだけとして扱っていない。ソウルやゴスペルにも、人々が反復と声を通して共同体を作る伝統がある。そう考えると、「Come Together」でクラブ、ロック、ゴスペルが一つになるのは表面的な折衷ではないんですよ。
そうですね。違うジャンルでも、「反復によって個人の境界が少し薄くなる」という機能は共通している。『Screamadelica』が自然なのは、ジャンルの形式ではなく、その奥にある感覚を結びつけているからです。
「Higher Than the Sun」でロック・バンドはどこまで消えたのか
「Higher Than the Sun」は、『Screamadelica』が単なるインディー・ダンス作品ではないと分かる曲です。The Orbがプロデュースしたヴァージョンでは、アンビエント、ダブ、電子音が中心になり、従来のバンド演奏の輪郭がかなり消える。でもBobbyの声があるだけでPrimal Screamだと分かる。この状態まで来ると、「バンドとは特定の楽器編成である」という定義が崩れます。
ギタリストからすると、ここまでギターの役割が小さくてもバンドのアルバムに入れてしまうことが面白いです。普通のロック・バンドなら「これはサイド・プロジェクトでやろう」となりそうでしょう。でも彼らはアルバムの中心的な曲として置く。ギターが鳴っているかではなく、Primal Screamがこの感覚を表現したいかどうかが判断基準なんです。
声の使い方も違いますね。Bobbyはソウル・シンガーのように曲を支配するタイプではない。少し脱力した歌い方だから、ダブやアンビエントの空間に入っても人格が強すぎない。声が浮遊する一つの要素になれる。その弱さが逆に柔軟性になっています。
そして後半に収録された「Higher Than the Sun (A Dub Symphony in Two Parts)」では、Jah Wobbleのベースも含めてさらにダブ的な深度へ向かう。同じ曲が一つの完成形を持たないんです。ヴァージョンによって空間も重心も変わる。これはジャマイカのダブやクラブのリミックス文化では自然でも、ロック・アルバムではかなり重要な発想でした。
ロックは「オリジナル・ヴァージョン」が本物で、別ヴァージョンは付属品になりがちですからね。『Screamadelica』ではその序列が崩れている。誰かが曲を別の形に変えることで、むしろ曲の本質が見える。これはアルバム全体を理解する鍵だと思います。
「Movin’ on Up」が普通のロックに聞こえることこそ重要だった
逆に「Movin’ on Up」はかなり古典的なロック・ソングです。アコースティック・ギターから始まり、ピアノ、エレクトリック・ギター、ゴスペル的なバック・ヴォーカルが広がる。Jimmy Millerが関わっていることも含めて、Rolling Stones的なロックやソウルの系譜を強く感じる。アルバム冒頭にこれを置いたことが大事だと思います。
そうなんですよ。「俺たちはもうロックを卒業しました」というアルバムではないことが一曲目で分かる。むしろロックンロールの解放感と、後に出てくるクラブの多幸感は同じものだ、と提示しているように聞こえる。
アルバム構成としても巧いです。「Movin’ on Up」の生楽器的な高揚から始まって、その後「Slip Inside This House」「Don’t Fight It, Feel It」と進むにつれて、身体感覚が少しずつクラブの方へ移っていく。最初から電子音だけにすると、ロックとクラブの境界を越えるというより、単に別ジャンルへ移住したように聞こえたかもしれない。
それに「Movin’ on Up」がちゃんと良い曲なんですよね。『Screamadelica』が評価されたことで、WeatherallやThe Orbの革新性ばかりが強調されることもあるけれど、Bobbyたちはロックやポップの曲を書けた。土台のソングライティングがあるから、それを壊しても成立する。
「古いロック=保守的、新しいハウス=進歩的」という図式にしなかったことも重要です。ゴスペル、ソウル、ロック、ダブ、ハウスは時代順に古いものから捨てていく対象ではない。全部が現在の快楽として並んでいる。それが『Screamadelica』の開放感につながっています。
だからアルバムの未来性は、新しい機材を使ったことだけではないんです。音楽史を進歩の一本道として扱わなかったことの方が大きい。古いものと新しいものを同時に現在形で鳴らしている。
「Don’t Fight It, Feel It」はなぜクラブ・トラックなのにPrimal Screamだったのか
「Don’t Fight It, Feel It」は、タイトルがこのアルバムの姿勢をそのまま言っているように感じます。理解する前に感じろ、抵抗するなということですよね。ロック・ファンがダンス・ミュージックを「機械が同じことを繰り返しているだけ」と知的に拒否する態度に対して、身体から入れと言っているようにも聞こえる。
ここでは反復そのものが曲です。コード進行の劇的な変化やギター・ソロで引っ張らず、ビートと音色の変化が時間を作る。しかもDenise Johnsonのヴォーカルが非常に重要で、Bobbyのロック的なフロントマン像からも離れる。アルバムの中で「誰が歌うか」という中心まで移動するんです。
そこまでやってもPrimal Screamのアルバムとして違和感がないのが、この時期のバンドの強さですよね。普通ならリード・シンガー以外が前に出る曲を、アルバムの例外として扱いそうです。でも『Screamadelica』では誰が主人公かが曲ごとに違う。バンドのブランドより、その曲で必要な快感が優先されている。
Denise Johnsonの声が入ることで、ソウルやハウスの歴史との接続もより自然になる。ロック・シンガーがハウスを真似しているのではなく、異なる声が実際に入る。それによって「ジャンル融合」が一人の人物の仮装ではなくなるんです。
私はこの曲が、アルバムの民主性を象徴していると思います。ギター、DJ、歌手、プロデューサーのどれか一つが常に中心ではない。曲によって主導権が移る。それはクラブ的でもあり、ダブ的でもあり、同時にPrimal Screamがバンドという制度を柔らかくした結果でもあります。
Madchesterとは何が違ったのか
同時期にはThe Stone RosesやHappy Mondaysもいて、ロックとダンスの接続そのものはPrimal Screamだけの発明ではありません。だから『Screamadelica』を特別扱いするなら、そこは整理した方がいいと思います。Stone Rosesの「Fools Gold」はリズム隊そのものがダンスへ接近しているし、Happy Mondaysはファンクやクラブの感覚がバンド演奏の中に最初からある。
そうですね。Happy Mondaysなんて、もっと猥雑で身体的です。Shaun Ryderの言葉、Bezの存在、ファンクするリズム。クラブとロックが同じストリート文化の中にいる感じが強い。Primal Screamはそれとは違って、レコード制作そのものをクラブ文化によって変えたところが大きいと思います。
私はそこが決定的な違いだと思います。『Screamadelica』ではリミックス、ダブ、スタジオ編集が作曲と同等の位置にある。バンドがクラブ的な演奏をするだけではなく、録音したバンドをプロデューサーが後から解体する。そのためライブ演奏では一度に存在できない音楽がアルバムの中心になる。
The Stone RosesはReniとManiがものすごいから、4人で演奏していること自体がダンスとロックの接点でしょう。Primal Screamは逆に、「4人や5人で同時に演奏する必要があるのか」と問い始めた。だから同じ時代の融合でも方法が違うんです。
そして地域性も少し違う。MadchesterはManchesterという都市とシーンの物語が非常に強い。一方Primal ScreamはGlasgow出身だけれど、『Screamadelica』ではLondonのacid house文化やDJ、レゲエ、アメリカのソウル、サイケデリアなどを横断する。特定の都市の音というより、複数の地下文化を接続するアルバムに聞こえる。
なぜサンプリングが「ロックの本物らしさ」と衝突しなかったのか
90年代初頭のロックには、まだ「自分で演奏した音こそ本物」という価値観が強かったと思います。一方ヒップホップやハウスでは、既存音源を使って新しい文脈を作ることが創造性の中心にある。『Screamadelica』が面白いのは、その二つの考え方をどちらかへ統一しなかったことです。
ロック側の演奏もちゃんと残っていますからね。「Movin’ on Up」や「Damaged」では、ギターを弾くこと自体の快感がある。でも「Loaded」ではサンプルやループが中心になる。アルバムが「これからは生演奏よりサンプルが正しい」と主張しないんです。
音響制作では、録音された瞬間からすべての音は素材とも言えます。ギターを弾いたとしても、テープに録音した後で切り、反復し、速度を変えればサンプルと同じように扱える。『Screamadelica』はその考え方をロック・バンドへかなり自然に持ち込んだ。演奏と編集を敵対させなかったんです。
ヒップホップ的な耳で考えると、「誰が最初にその音を鳴らしたか」だけではなく、「今この音を何のために使っているか」が重要になる。Weatherallの仕事にもそれがある。過去の音楽を引用することを懐古趣味ではなく、現在のフロアを動かす材料にする。
そこはBobby Gillespieの音楽趣味の広さも大きかったんでしょうね。パンクやThe Rolling Stonesだけを信奉していたら、ここまで委ねられなかったはずです。ソウル、ダブ、ファンク、サイケデリアを同じ熱量で聴いていたから、「ロックに何かを足す」という発想ではなく、全部を自分たちの音楽として扱えた。
ダブが『Screamadelica』に教えた「空間」の考え方
『Screamadelica』をacid houseだけで説明すると、ダブの重要性が抜けます。特に「Higher Than the Sun」の後半ヴァージョンでは、ベースが巨大な重力を作り、音が突然消えたり、残響だけが残ったりする。ここではミキサー自体が楽器です。何を鳴らすかより、何を消すかで空間が変わる。
ダブはクラブ・ミュージックとロックをつなぐうえでも重要ですよね。レゲエの曲をスタジオで解体し、ベースとドラムを残し、声や楽器を断片にする。その文化がすでに「完成した歌を別の作品へ変える」という発想を持っていた。Weatherallのリミックス思想とも非常に相性がいい。
ロックのギターって、基本的には音を足して空間を埋める方向へ行きやすいでしょう。特に大きな曲ならギターを重ねる。でもダブは逆で、消すことで巨大にする。その発想が入ったから、『Screamadelica』にはロックのアルバムとして妙に広い場所があるんですよ。
そう。「Higher Than the Sun」では特に、音の量より距離感が重要です。近くで鳴る音、遠くへ飛ばされる音、低音だけが身体に残る瞬間がある。ヘッドフォンで聴いてもクラブ的な空間が想像できる。音量ではなく配置によって巨大さを作っています。
それがサイケデリックという言葉にもつながると思います。60年代サイケデリアならテープ操作やエフェクトで意識を変える。ダブもミックスによって現実の空間感覚を崩す。acid houseも反復で時間感覚を変える。『Screamadelica』はそれらを「別ジャンル」としてではなく、知覚を変える音楽としてまとめたんでしょうね。
『Screamadelica』のサイケデリアはなぜ60年代回帰ではなかったのか
Primal Screamは60年代のロックも好きだったわけですが、『Screamadelica』を聴いてCreamやJefferson Airplaneを再現しているとは感じないですよね。サイケデリックという精神だけを受け取って、方法は90年代初頭のものに置き換えた。そこが重要です。
昔のサイケデリアでは、テープ、逆回転、フェイザー、長い即興などが現実感を揺らす方法だった。『Screamadelica』ではサンプラー、リミックス、ダブ、アンビエント、ハウスの反復がその役割を担う。つまり「サイケデリックな音色」を再現するのではなく、「知覚をずらす」という目的を継承しているんです。
そしてacid houseの集団性もあります。60年代のサイケデリアには個人の意識拡張というイメージも強いけれど、レイヴでは大勢が同じビートの中で状態を共有する。『Screamadelica』はその共同体感覚をロックのサイケデリアへ戻したように聞こえます。
だからギター・ソロを10分弾いて「サイケです」とはならない。「Inner Flight」みたいに、音が浮遊しているだけで十分なんですよ。バンドの技巧を見せずに、聴き手の時間感覚を変える。その発想が完全にスタジオ寄りです。
それがアルバム全体の多様性を支えていると思います。「Movin’ on Up」と「Higher Than the Sun」はジャンルだけなら遠い。でも、どちらにも自分の日常から少し抜け出して別の状態へ行く高揚がある。その感覚が同じだから一枚に収まる。
「Damaged」のような曲があるからクラブへの接近が軽薄に聞こえない
僕は『Screamadelica』で「Damaged」がかなり重要だと思っています。アルバムの中でもストレートなバラードで、ギターやピアノが前に出る。クラブ的な革新を期待して聴くと、一見地味ですよね。でも、この曲があるからPrimal Screamがダンス・ミュージックへ完全に着替えただけではないと分かる。
そう。彼らにはもともとソウルやバラードへの愛情がある。だからハウスを取り込んだことも、流行の衣装として見えにくいんです。「Damaged」で人間的な傷や弱さを歌い、「Don’t Fight It, Feel It」では身体を解放する。その二つを別の人格にしない。
アルバムの音響的な呼吸としても必要です。反復する長いダンス・トラックが続くだけだと、聴覚がその状態に慣れてしまう。「Damaged」のように楽器と声の関係が近い曲を置くと、その後の電子的な空間がまた広く感じられる。コントラストがアルバムを立体化するんです。
それにBobbyの弱い声が一番合うのは、こういう曲でもある。彼は典型的なブルース・ロックの豪快なシンガーじゃない。少し細くて危うい。その声が「Damaged」では傷つきやすさになり、「Higher Than the Sun」では浮遊感になる。同じ弱点が二つのジャンルをつないでいる。
だから『Screamadelica』は「クラブがロックを救った」という一方向の物語じゃないと思います。ロックやソウルが持っていた歌の感情も、クラブ側へ持ち込まれている。お互いが変化しているんです。
なぜ「融合」ではなく「変身」に聞こえるのか
私は『Screamadelica』に「融合」という言葉を使うと、少し誤解が生まれると思います。融合というと、AとBという完成されたジャンルを半分ずつ混ぜるイメージでしょう。でもこのアルバムでは、一曲ごとに比率が全然違う。「Movin’ on Up」はほぼロック、「Don’t Fight It, Feel It」はかなりクラブ寄り、「Higher Than the Sun」はダブとアンビエントへ行く。それでも一枚として成立する。
そうなんですよ。全曲でギターとハウス・ビートを50対50にしたら、もっと「ロックとダンスの融合アルバム」らしくなる。でもたぶん今ほど面白くない。Primal Screamは曲によって自分たちの姿を変える。ジャンルを混ぜるというより、バンドそのものが変身しているんです。
その方がクラブ文化にも誠実だと思います。ハウスをロックへ従属させて「ギター・バンドの新しい味付け」にしない。クラブの曲をやるときは、本当にクラブの論理に身体を預ける。だから「Don’t Fight It, Feel It」が成立する。
そして、その変身を可能にするのがアルバムというフォーマットなんですよね。一曲だけなら「Primal Screamがハウスをやった」で終わる。でもアルバムの中で何度も違う形に変わることで、「そもそもPrimal Screamとはどんな音のバンドなのか」という質問が意味を失っていく。
最終的に残るのは、Bobbyたちの音楽趣味と感覚なんでしょうね。ギターの音色でもドラム・パターンでもなく、「格好いいと思ったものならどこへでも行く」という態度。それがバンドのアイデンティティになった。
なぜロック・ファンとクラブ・ピープルのどちらにも「借り物」に聞こえなかったのか
ジャンルをまたぐ作品で一番難しいのは、両方の側から偽物に見えることですよね。ロック側には「機械で作った音」、クラブ側には「ロック・バンドが流行に乗っただけ」と言われる可能性がある。『Screamadelica』がそこを越えたのは、Bobby Gillespieたち自身がクラブ文化の観客になったことが大きいと思います。
そうですね。研究して取り入れたのではなく、「こっちの方が今面白い」と実際に感じてしまった。だからバンドの威信を守るより、その体験をレコードへ持ち込むことが優先される。音楽家としてのプライドより、ファンとしての興奮が先にある。
それに専門家へ委ねたことも大きいです。WeatherallやThe Orbを呼んでおきながら、「でもギターは必ずここに残してください」と管理しすぎなかった。異なる文化の人を呼ぶなら、その人の方法で作品を変えてもらう。コラボレーションを装飾にしなかったんです。
クラブ文化側も、当時はかなり雑食的だったことを忘れたくないですね。DJがハウスだけを純粋主義的にかけるというより、ダブ、ファンク、インディー、ヒップホップ、ディスコなどが行き来していた場所もある。だからPrimal Screamの雑食性自体が、その時代のフロア感覚と合っていた。
つまりロックとクラブがそれほど遠くない瞬間だったんですよね。ジャンルの歴史だけ見れば別々でも、同じ若い人が昼にはギター・バンドを聴き、夜にはレイヴへ行く。その人にとっては自然な組み合わせだった。『Screamadelica』はそこを理論ではなく生活として捉えたんだと思います。
『Screamadelica』の後、なぜ同じ方法を続けられなかったのか
面白いのは、次の『Give Out But Don’t Give Up』でPrimal Screamが同じ路線を続けなかったことです。むしろRolling StonesやFaces、アメリカ南部のロックやソウルへ強く寄る。『Screamadelica 2』を作らなかった。それによって『Screamadelica』がさらに特殊な作品に見えるようになった。
『Screamadelica』の方法って、実は簡単に公式化できないんです。Weatherallを呼ぶ、四つ打ちを入れる、ダブ処理をする、という表面的な要素だけなら真似できる。でも本質は「自分たちの完成形を他人に壊してもらう」ことだから。同じ壊れ方をもう一度やったら、それは今度は様式になってしまう。
それにクラブ文化自体も動いていますからね。acid houseや初期レイヴの多幸感を永遠に同じ状態で再現することはできない。シーンが変われば、同じ音は違う意味になる。『Screamadelica』は非常に特定の瞬間をつかんだ作品でもあります。
僕は次作への転換自体はPrimal Screamらしいと思います。彼らは「僕たちはロックとダンスを融合するバンドです」と定義されたくなかったんでしょう。その後も『XTRMNTR』みたいな極端に電子的で攻撃的な作品まで行く。スタイルを守るより変化することを守った。
だから『Screamadelica』の影響は、特定のサウンドを残したことより、ロック・バンドが自分の形式をどこまで解体できるかを示したことにあると思います。DJやリミキサーを「外部スタッフ」ではなく、曲を根本から変える共同作者として迎える。その発想はその後かなり普通になりました。
最高傑作としての『Screamadelica』──一曲だけなら何を選ぶか
Primal Screamの最高傑作を一枚選ぶなら、私は『Screamadelica』です。後の『XTRMNTR』の方が音響的にはさらに攻撃的で、電子音楽とロックの境界を極端に壊している。でも『Screamadelica』には多方向へ開かれた感じがある。ダブ、ゴスペル、ロック、アンビエント、ハウスが競争せず、全部が一つの多幸感へ向かっている。その開放性は特別です。
僕も『Screamadelica』ですが、ギター・バンドとしてのPrimal Screamがちゃんと残っていることを評価したい。「Movin’ on Up」や「Damaged」のような曲があるから、Weatherallの解体がより効いてくる。ロックを捨てたのではなく、ロックも選択肢の一つにした。その違いは大きいです。
僕も同じです。ただ、一曲だけなら「Come Together」を選びます。ロック、ゴスペル、クラブの共同体感覚が全部一つになるから。ジャンルを説明するより「みんなで同じところへ行く」という体験が先にある。『Screamadelica』の思想が最も直接的です。
私は「Higher Than the Sun」です。バンドという形がほとんど消えてもPrimal Screamでいられることを証明した曲だから。低音、残響、電子音、声だけで、ロック・アルバムのスケールを完全に別の方向へ広げている。後の彼らの自由を考えても重要です。
僕なら「Loaded」です。単に名曲だからではなく、バンドの歴史を変えた方法そのものが入っているから。自分たちの既存曲を他人に渡し、それを解体され、それでも「こっちの方が面白い」と認める。その瞬間にPrimal Screamは、普通のロック・バンドから別の存在になったと思います。
過小評価された曲に見えるアルバムの本質
過小評価された曲なら「Damaged」を挙げたいです。『Screamadelica』の革新性を説明するとき、どうしてもWeatherallやThe Orbの曲へ話が集中する。でもこのバラードを聴けば、Primal Screamが歌そのものへの愛情を捨てていないと分かる。だからクラブ的な曲も流行への逃避に聞こえないんです。
僕は「Slip Inside This House」です。13th Floor Elevatorsの曲を取り上げながら、60年代サイケデリアの復元にはしない。反復するビートと現代的なプロダクションを通して、サイケデリックという感覚だけを90年代へ移す。『Screamadelica』が過去と現在をどう扱ったかがよく見える曲です。
私は「Inner Flight」です。派手なシングルではないけれど、アルバムの中で非常に重要な呼吸になっている。リズムの快楽だけではなく、アンビエント的に時間を停止させる感覚がある。クラブ文化を「踊る音楽」だけとして理解していないことが分かります。
そこは大事ですね。レイヴの体験って、ピークの四つ打ちだけではない。長い夜の中には上がる時間も、漂う時間も、誰かと話している時間もある。『Screamadelica』はアルバム全体でそういう状態の変化を作っている。
だから曲単位で「これはロック」「これはハウス」と分類すると、むしろ本質から離れてしまうんですよね。アルバムを通して身体と意識の状態が変わる。それが『Screamadelica』という作品なんだと思います。
対談を終えて
『Screamadelica』がロックとクラブカルチャーを自然に結びつけられたのは、Primal Screamが二つのジャンルを均等に混ぜようとしなかったからだ。ロックを演奏するときには「Movin’ on Up」のように堂々とロックを鳴らし、クラブへ入るときには「Don’t Fight It, Feel It」の反復へ身体を預け、「Higher Than the Sun」ではダブとアンビエントの中でバンドの輪郭そのものを消した。それを結びつけたのは共通の楽器ではなく、音楽によって日常の感覚から抜け出したいという高揚だった。
そしてAndrew WeatherallをはじめとするプロデューサーやDJに、自分たちの演奏を壊す権利を渡したことも決定的だった。『Screamadelica』では、曲を書いた人、演奏した人、編集した人の序列が崩れ、リミックスが原曲と同じかそれ以上の意味を持つ。ロックがクラブへ譲歩したのでも、クラブがロックを近代化したのでもない。パンク、ソウル、ゴスペル、ダブ、サイケデリア、acid houseに共通していた「音楽によって身体と意識を解放する」という欲望を、1991年の現在形へ組み直した。そのため『Screamadelica』は異ジャンル融合の企画盤ではなく、境界を意識する必要そのものが一時的に消えてしまったアルバムとして、今も特別に聞こえる。

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