1. 歌詞の概要
「In a Cab(イン・ア・キャブ)」は、Bartees Strange(バーティーズ・ストレンジ)が2020年にリリースしたデビューアルバム『Live Forever』に収録された楽曲であり、そのタイトル通り「タクシーの中」という親密な空間で交わされる感情の機微を描いた、静かで詩的な一曲である。
この楽曲は、恋愛関係の中での距離や誤解、あるいは終わりの気配といった微妙な心理の交差点を、都市の夜と移動というシチュエーションに重ねて表現している。何も起こっていないようで、心の中では大きな変化が進行している――そんな瞬間を切り取ったような構成だ。
全編を通して言葉は少なく、抽象的な表現も多いが、その“曖昧さ”こそが、実際の人間関係における“分かりきれなさ”をリアルに映し出している。夜の街を移動するタクシーという密室空間が、語り手と相手との心理的な隔たりを際立たせ、深い余韻を生んでいる。
2. 歌詞のバックグラウンド
Bartees Strangeは、ジャンルの境界を越え、詩的で感情豊かな歌詞を得意とするアーティストであり、「In a Cab」はその作風が極めて純度高く反映された作品である。
この楽曲は、ツアーや移動、都市生活といった彼自身の実体験にもとづいて書かれた可能性が高く、Barteesにとって“移動”は単なる物理的な行為ではなく、感情の移ろい、関係の変化、自己認識の転換を象徴するモチーフとなっている。
また、彼の音楽的特徴でもあるミニマルなビートと浮遊感のあるサウンドスケープは、ここでも存分に発揮されており、歌詞の行間を“空気”として補完するように機能している。
3. 歌詞の抜粋と和訳
You were quiet in the cab
タクシーの中、君は黙っていたねLooking out at all the lights
窓の外の灯りを、ただ見つめてたI said something, you just smiled
僕が何か言っても、君は微笑むだけI knew we weren’t alright
そのときにはもう、僕たちが平気じゃないって気づいてたSilence filled the space between
ふたりのあいだには、沈黙が満ちていたLike it always does before the end
いつも別れの前に訪れるように
歌詞引用元:Genius Lyrics – In a Cab
4. 歌詞の考察
「In a Cab」は、“言葉にならない感情”を丁寧にすくい取った作品である。語り手と相手とのあいだには、もはや語るべきことがなく、しかし何かが終わりつつあるという予感だけが濃厚に漂っている。恋愛や人間関係の終焉にはしばしば、「声にならない瞬間」がつきまとうが、この楽曲はまさにその“空白”に焦点を当てている。
「タクシー」という密閉された移動空間は、心理的な逃げ場のなさを象徴しており、視線を交わさず、ただ都市の光を見つめるという行為が、ふたりのあいだの“断絶”を深く印象づける。
そして「I knew we weren’t alright(もう、平気じゃないってわかってた)」という一行は、関係の破綻が唐突に訪れたものではなく、じわじわと染み込んできたものであったことを示唆している。この静かな諦念と受容が、リリックに深みを与えている。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Pink Moon by Nick Drake
夜の静けさと心の内面を重ねた、短くも深いフォークソング。 - Fourth of July by Sufjan Stevens
家族や愛する人との関係に訪れる静かな別れを描いた、悲しくも美しいバラード。 - Elephant Gun by Beirut
旅と別れを詩的に描いた、ブラスとフォークの繊細な融合。 - Shiver by Lucy Rose
恋愛の終わりを、“言葉にできない想い”で満たした、胸に迫るインディーポップ。
6. “終わりを言葉にしない勇気”
「In a Cab」は、関係が壊れていくその瞬間に“言葉を発さない”という選択を描いた楽曲である。Bartees Strangeは、感情を爆発させたり、怒りや悲しみで叫んだりする代わりに、静かな沈黙の中に全てを託している。そしてその沈黙こそが、この曲の最大の語り手なのだ。
人間関係における終わりは、必ずしも劇的な言葉や別れの儀式を伴うわけではない。むしろ、多くはこうした「何も起きない時間」によって告げられる。その静けさ、その居たたまれなさ、そのやさしさと残酷さが、「In a Cab」には息づいている。
Bartees Strangeは、喪失をドラマにしない。それは、感情に対する敬意であり、過去に対する祈りでもある。この曲は、誰かとの別れを経験したことがあるすべての人にとって、記憶の中の“車内の沈黙”を呼び起こすだろう。そしてそこには、説明など必要のない、深い真実が横たわっている。
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