発売日: 2022年6月17日
ジャンル: インディーロック、ポストパンク、オルタナティヴR&B、アートロック、ヒップホップ
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概要
『Farm to Table』は、Bartees Strangeが2022年に発表したセカンド・アルバムであり、前作『Live Forever』で確立したジャンル横断的なアプローチをさらに深化させながら、成功、故郷、黒人性、家族、そして名声と引き換えに失われる何かを問い直す、パーソナルで哲学的な作品となっている。
アルバムタイトル「Farm to Table(農場から食卓へ)」は、直訳すれば“地産地消”だが、ここではルーツからステージへ、地方都市から音楽業界へという出世の比喩として機能しており、Bartees自身の移動と変容の物語でもある。
音楽的には、爆発的なギターロックからミニマルなR&B、アンビエント、トラップビートに至るまで、瞬時に表情を変えながら、全編にわたって“あらゆるジャンルを知っているからこそ壊せる美学”が貫かれている。批評家からもリスナーからも高く評価され、彼のポジションを“ジャンルを超えた語り手”として決定づけた作品である。
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全曲レビュー
1. Heavy Heart
成功後の“罪悪感”を主題にしたオープナー。パワフルなロックサウンドとラップ的な語り口が共存し、「家族を置いてきたこと」と「夢を叶えたこと」のあいだにある複雑な感情を鮮烈に描く。
2. Mulholland Dr.
都会の幻想と田舎の記憶が交錯する、ドリームポップ〜アンビエント的なスローバーナー。語りすぎないリリックと淡いコード進行が、喪失感をやさしく包む。
3. Wretched
恋愛の破綻と再生をテーマにしたR&B色の強いトラック。ピッチ加工されたヴォーカルと変拍子のビートが、内面の揺れをそのまま音に変えている。フックの中毒性が高い。
4. Cosigns
本作のハイライト。ビヨンセ、ファイスト、ボン・イヴェールなど大物たちの名前を連ねながら、“名声を得たあとも、なぜ満たされないのか”を問う壮大な自己分析。後半のバンドサウンドへの展開は圧巻。
5. Tours
ツアー生活の孤独と分裂を描く静かなナンバー。エレクトロニクスとフォークの融合が美しく、タイトルが示す通り、移動そのものが感情になっている。
6. Hold the Line
ジョージ・フロイドの死に触れた、非常に私的で政治的な曲。ギターのトレモロと崩れそうなボーカルが、怒りと疲弊を同時に描く。アルバムでも最も胸に迫る1曲。
7. We Were Only Close for Like Two Weeks
失われた関係性を、淡々と、しかし痛烈に回想する短編小説のような楽曲。タイトルの語り口自体がすでに感情を帯びている。
8. Escape the Circus
成功の裏にある業界への違和感を描写。自由と拘束、夢と現実が交差するなかで“ショーから逃げたい”という本音がにじむ。構成はポストロック的で緊張感が持続する。
9. Black Gold
黒人として音楽業界にいることの意味を問う、極めて政治的な曲。タイトルには資源としての“ブラックゴールド=石油”と、“ブラックネス”の象徴が重ねられている。
10. Hennessy
アルバムの終幕。ジャズ的コードと柔らかなリズム、そして“俺たちはいつか自由になる”という穏やかだが揺るぎない祈り。地に足のついた希望を残して幕を閉じる。
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総評
『Farm to Table』は、Bartees Strangeが“アーティスト”としてではなく、“語り手”として音楽を紡いだ記録である。
ここで描かれているのは、単なるサクセス・ストーリーではない。むしろ、「成功することが必ずしも自由を意味しない」こと、「黒人であることが今も構造的に見られ方を決めてしまう」ことへの、深い葛藤と誠実な対峙である。
音楽的には、前作『Live Forever』で提示されたジャンル融合の可能性が、さらに複雑かつ洗練された形で展開されており、もはやBarteesというジャンルが成立していると言っても過言ではない。
ジャンルの破壊者から、物語の構築者へ。 Bartees Strangeはこの作品で、あらゆる音楽の言葉を使って、たったひとつの「自分」を描き出すことに成功したのだ。
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おすすめアルバム(5枚)
- Moses Sumney『græ』
ジャンルを脱構築しながら、“声”という最も個人的な楽器で自己を描く作品。 - Yves Tumor『Safe in the Hands of Love』
ノイズ、ソウル、ロックを横断するサウンドと政治性が共鳴。 - Kelela『Raven』
黒人女性アーティストとしての視点から綴られる、現代的R&Bの進化形。 - Sufjan Stevens『The Ascension』
神話的なスケールと個人的な痛みが交錯する音の神殿。 - Hurray for the Riff Raff『Life on Earth』
ルーツと現代社会を橋渡しする、“個人的で政治的な”叙情詩。
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歌詞と文化的背景
Bartees Strangeの歌詞は、黒人としての可視性/不可視性、白人中心のオルタナティヴロックにおける周縁性、そして階層移動の代償といった、現代社会が抱える“見えにくい構造”を静かに暴いていく。
“Farm”とは生まれ育った土地であり、そこから“Table”=業界や都市部にやってきたことで得たのは果たして栄光だけだったのか? 本作はその問いを音と物語で投げかけ、答えを押しつけることなく、聴き手自身に委ねる。
この作品を通して、Barteesはジャンルも国境も越えて、「声を持たない誰か」の物語を、音楽というテーブルに運ぶことに成功したのである。
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