1. 歌詞の概要
「Faith Healer」は、Julien Bakerが2021年にリリースした3rdアルバム『Little Oblivions』の先行シングルとして2020年に発表された楽曲であり、彼女のソングライティングの到達点とも言える鋭さと繊細さを持ち合わせた作品です。タイトルの「Faith Healer(信仰治療師)」は、精神的・身体的な癒しを与えるとされる存在を指しつつも、Bakerの歌詞ではより象徴的に「救済を約束するもの」に対する皮肉や、渇望、そして不信の入り混じった複雑な感情を託しています。
歌詞の主題は、依存、信仰、欺瞞、欲望、そして“何かにすがりたい”という衝動。語り手は、「あなたが私を癒してくれると言うなら、私は信じる」と語りかけながらも、その実、癒されることなどないと分かっている——そんな内なる矛盾と諦めの感情が、不穏なリズムと重厚なバンドサウンドの上に綴られます。
自己破壊的な衝動や薬物依存、精神的な病との共存がテーマの根底にありながら、それを詩的な言語で抽象化することで、リスナーそれぞれの“信じたいけれど信じきれない”体験に呼応する楽曲となっています。
2. 歌詞のバックグラウンド
「Faith Healer」は、前作『Turn Out the Lights』までのミニマルで静謐な音像から大きく転換し、フルバンド編成によるダイナミックで濃密なサウンドへと舵を切ったアルバム『Little Oblivions』の象徴的作品です。Julien Bakerはこの曲のリリース時、「この曲は“何かにすがりたい”という感情と、それが危険だと知りながらも止められない衝動について書いた」と語っており、自身が経験してきたアルコール依存やメンタルヘルスとの戦いが背景にあることを明かしています。
彼女はまた、「“癒し”という言葉がもはや空虚なマーケティングの手段になっていることに違和感がある」とも発言しており、“faith healer”という言葉に込められた宗教的な文脈と現代の自己啓発文化に対する懐疑が、楽曲全体に漂う諦観と飢えのような情念を生み出しています。
「Faith Healer」は、彼女が初めて“外向き”のサウンドを取り入れたシングルでもあり、サウンド的なインパクトとともに、内面世界の混沌をより濃密に伝えることに成功しています。
3. 歌詞の抜粋と和訳
以下に「Faith Healer」の印象的な歌詞の一部を抜粋し、日本語訳を添えて紹介します。
Ooh, I miss it high
How it dulled the terror and the beauty
ああ、あの“ハイ”が恋しい
恐怖も美しさも鈍くしてくれたあの感覚が
And now I see everything in startling intensity
今はすべてがあまりにも強烈に見えてしまう
I’ll believe you if you make me feel something
何かを“感じさせてくれる”なら
あなたの言葉を信じてもいい
Faith healer, come put your hands on me
A snake oil dealer, I’ll believe you if you make me feel something
信仰治療師よ、私に手を当てて
ニセ薬を売る人でもいい
何か感じさせてくれるなら信じるから
‘Cause I’ve been waiting and I want it now
Cut it out, I’m not patient anymore
私はずっと待っていた
もう限界なの、これ以上は我慢できない
歌詞引用元: Genius – Faith Healer
4. 歌詞の考察
「Faith Healer」は、癒しや救いといった概念を巡る葛藤を、自己否定や依存の視点から描いた極めて現代的な祈りの歌です。語り手は、“何か”に救われたいと切望していながら、その“何か”が偽物である可能性を重々承知しています。それでも、「何も感じられない」ことの方が恐ろしい——その極限状態が、この楽曲に漂うヒリヒリとした緊張感の源泉となっています。
「snake oil dealer(ニセ薬を売る人)」という言葉は、ペテン師やインチキ医者を意味しながらも、語り手はその手にでもすがりたいと願っているのです。ここには、救済が偽物であっても“感じられるなら”構わないという、壊れかけた感受性が露呈しています。愛、宗教、薬物、他者との関係——あらゆるものが“依存”と“癒し”の間を揺れ動くなかで、彼女は「本物かどうか」より「何かを感じられるかどうか」の方を切実に求めているのです。
また、「I miss it high(あのハイが恋しい)」というラインは、薬物の使用を直接的に示唆するものであり、そこにあるのは単なる過去の回顧ではなく、“生きる実感を取り戻すための手段が危険であっても依存せざるを得なかった”という苦しい現実です。その認識があるからこそ、彼女の歌声には常に“自己暴露の痛み”と“それでも語らなければならない切迫感”が宿ります。
そして「I’ll believe you if you make me feel something」というフレーズが繰り返されるたびに、リスナーは次第に“信仰”とは盲目的な希望ではなく、“生きるために必要な一時的な依存”であることを思い知らされるのです。
歌詞引用元: Genius – Faith Healer
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Garden Song by Phoebe Bridgers
現実と幻想の狭間で“癒し”と“恐怖”を語るバラード。抽象性と親密さのバランスが「Faith Healer」と共鳴する。 - Circle the Drain by Soccer Mommy
精神的な空虚と自己認識のゆらぎを、ギターポップの文脈で描いた楽曲。救済に対する懐疑が共通。 - Your Best American Girl by Mitski
自分を変えようとする苦しさと、その破綻を描いた楽曲。内面の衝突が表面化する力強い一曲。 - Shadowboxing by Julien Baker
“自分自身との戦い”というテーマをストレートに表現した内省的バラード。繊細さと闘志が入り混じる。
6. 偽りでもいい、感じられるなら——現代の祈りとしてのバラード
「Faith Healer」は、Julien Bakerがこれまでの静かな弾き語りから一歩踏み出し、“感情のノイズ”を外側へと放出した第一歩です。信仰、癒し、救済、依存——これらを巡る言語はしばしば曖昧で美化されがちですが、彼女はそれらを美しく装飾せずに、むしろ鋭く切り刻んで差し出します。だからこそこの曲は、“偽物かもしれない”と知りながらも、それでも何かを信じたくなるような、絶望と希望の入り混じった感情を見事に表現しているのです。
現代という不確かな時代において、私たちはしばしば“確かな癒し”を求めますが、それが簡単に手に入らないことも知っています。「Faith Healer」は、その矛盾を真正面から引き受け、「偽りでもいい、ただ何かを感じたい」という人間の根源的な願いに寄り添う、極めてパーソナルでありながら普遍的なバラードです。
Julien Bakerはこの曲で、痛みを隠すのではなく、むしろその存在を音楽の中心に据えることで、聞き手にとっての“音としての共感”を実現しています。それは信仰でも、薬物でも、愛でもない。けれど、確かに“感じる”ことのできる、現代の祈りのかたちです。
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