1. 歌詞の概要
「A55(エー・フィフティファイブ)」は、イギリス・リーズを拠点に活動するインディロック・バンド English Teacher による2023年リリースのシングルであり、バンドのデビューアルバム『This Could Be Texas』にも収録された、詩的でロードムービー的な魅力を備えた楽曲である。
タイトルの「A55」は、実在する英国ウェールズ北部の主要幹線道路を指し、**物理的な道であると同時に、記憶、愛、別れ、アイデンティティの通り道としての“比喩的ハイウェイ”**として機能している。
その歌詞は、かつての恋愛や別れたパートナーとの思い出を旅の道筋と重ねながら、景色に染み込む感情と、癒えぬ距離感を静かに描写している。
ボーカルのリディア・ペックハム(Lydia Peckham)の語りかけるような声と、ダイナミックで空間的なギターサウンドが、ノスタルジアと未練を軽やかに包み込むように響く。
それは決して劇的ではないが、だからこそ、リスナー自身の記憶や風景と重なりやすい、親密で私的な一曲となっている。
2. 歌詞のバックグラウンド
「A55」という道路は、イングランド北西部とウェールズ北部を繋ぐ沿岸ルートであり、風光明媚な旅路としても知られる。
Lydiaはこの曲について、かつての恋人とのドライブの記憶からインスピレーションを得たと語っており、個人的なロードトリップの記憶を、誰しもが抱える“別れ”や“振り返り”の物語へと昇華させた作品となっている。
English Teacherの楽曲の多くは、個人の情感と社会的構造のあいだにある曖昧さを描くことを特徴としており、「A55」ではその手法がより抒情的に、詩としての強度を持って展開されている。
本作は、BBC 6 Musicなどでも頻繁にオンエアされ、インディロックの定型を踏襲しながらも、文学性と映像的想像力を融合させたコンテンポラリーな作詞世界が高く評価された。
3. 歌詞の抜粋と和訳(意訳)
“Driving down the A55 / I left my heart at junction five”
「A55を走りながら/私の心は第5ジャンクションに置き去りにされた」“You said nothing / and it was everything”
「あなたは何も言わなかった/でもそれがすべてだった」“Windscreen wipers waltz in time / to your silence, to my sighs”
「ワイパーは沈黙と溜息に合わせて/ワルツのように動いていた」“I see your ghost in motorway lights”
「高速道路の灯りに/あなたの幻を見た」
こうしたリリックは、身近な景色の中に残るかつての愛情や、その余韻がどれほど日常に溶け込んでいるかを、極めて詩的かつ映像的に描写している。
あくまで静かに、しかし切実に。まさに“英国詩人によるモダン・バラッド”と呼ぶべき内容である。
4. 歌詞の考察
「A55」は、別れを“忘れようとする”のではなく、“そのまま連れて走る”という選択を描く、成熟した哀しみの歌である。
ここで描かれる失恋は、激情や恨みではなく、沈黙のなかに残る“語られなかった感情”と、共有された風景の記憶によって形作られている。
とりわけ「言わなかったことが、すべてだった」という一節は、言葉ではなく“沈黙”によって語られる終わりの持つ重さを示しており、それはリディアのソングライティングにおける真骨頂とも言える。
また、曲の中で繰り返し現れる「道路」「ワイパー」「車内の静けさ」といったモチーフは、物理的な移動と内的な回想が並走する“心理地図”のような役割を果たしている。
つまり、「A55」という地名は単なる地理的な場所ではなく、ふたりが過ごした時間、言えなかった気持ち、残された感情の“舞台”そのものなのだ。
English Teacherはこの楽曲において、インディロックの形式の中に詩、映画、日記、哲学的思索を詰め込むような文学的アプローチを試みており、それはDry CleaningやBig Thief、Phoebe Bridgersのような現代の詩的ロックと深く通じ合っている。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- “Kyoto” by Phoebe Bridgers
都市と記憶、移動と未練の交差点を鮮やかに描く。内省の美しさが共鳴する。 - “Your Best American Girl” by Mitski
アイデンティティと恋愛の微細なズレを、ロックの轟音と繊細さで表現。 - “Sunglasses” by Black Country, New Road
道中の風景を内面と重ねるような描写の妙が魅力。 - “Scratchcard Lanyard” by Dry Cleaning
無関心と皮肉の背後にある感情の複雑さを、語りのスタイルで描写。 -
“Motion Sickness” by Phoebe Bridgers
揺れ動く感情を淡々とした語り口と甘いメロディで包む手法が重なる。
6. A55はどこへ続くのか——風景にしみ込んだ、消えない記憶
「A55」は、かつての恋人との旅路を反芻するうちに、“終わった関係”ではなく“まだ続いている記憶”として再構築されていく曲である。
私たちは、忘れたふりをしながら、
道を変えてもなお、いつも同じ風景に戻ってきてしまう。
高速道路のジャンクションに心を置き去りにしながら、
ワイパーが刻むリズムに合わせて、
喪失を静かに引きずることしかできない。
でもそれが、私たちの生き方なのかもしれない。
A55という道路は、記憶と心の風景をつなぐ、“あの人”への地図なのだ。
コメント