1. 歌詞の概要
「Today (can’t help but cry)」は、ロンドン出身のシンガーソングライター、Gretel Hänlyn(グレーテル・ヘンリン)が2023年に発表したEP『Head of the Love Club』に収録されている楽曲であり、そのタイトルが物語るとおり、感情の高まりと涙が止まらない瞬間の“どうしようもなさ”を、淡々と、しかし深く描いた一曲である。
この曲の語り手は、ある種の感情的“溢れ”に抗うことなく身を任せている。涙は決して劇的な出来事によって流されるのではなく、むしろ日常の些細なこと、ふとした孤独や内なる不安によって引き起こされるものであり、その“説明のつかない涙”を真正面から描いたこの作品は、極めて静かで、極めて普遍的な感情の風景を切り取っている。
サウンド面では、スロウで浮遊感のあるギターと、深く沈むようなリズムが基調となっており、Hänlynの低くしっとりとしたボーカルが感情を抑えることなく寄り添うように流れていく。まるで何も起きていない日の“心の内側だけが揺れている”時間——そんな風景を音楽で表現したような、内省的な美しさに満ちている。
2. 歌詞のバックグラウンド
「Today (can’t help but cry)」は、EP『Head of the Love Club』全体のテーマである「感情の不安定さ」「愛と自己の摩擦」「女性的な複雑性」といった要素を象徴的に体現した一曲である。HänlynはこのEPにおいて、恋愛や喪失といった典型的なテーマを“感情の構造”という観点から掘り下げており、本曲では特に「感情が勝手にあふれる瞬間」のリアリズムに焦点が当てられている。
この曲が描くのは、誰にでも訪れる“感情の予測不可能性”であり、何かを失った直後でも、何かが起きた直前でもない、“説明のつかない涙”が流れる“今日”という一日のこと。Hänlynはこの曲を通して、「心が壊れたわけではない、でも整ってもいない」という“中間の感情”の美しさを掬い上げている。
3. 歌詞の抜粋と和訳
Today I can’t help but cry
And I don’t even know why
今日は泣かずにはいられない
でも、その理由さえ分からない
The sky looks the same
But it’s pressing down on me
空はいつもと変わらないのに
なぜか私を押し潰そうとしてくる
I made my bed
I brushed my teeth
I did everything right
And still, I broke
ベッドを整えて
歯も磨いて
ちゃんと“正しいこと”は全部やったのに
それでも私は、壊れてしまった
Maybe tomorrow I’ll smile again
But today I won’t pretend
もしかしたら明日には笑えるかもしれない
でも今日は、無理に笑ったりはしない
歌詞引用元:Genius – Gretel Hänlyn “Today (can’t help but cry)”
4. 歌詞の考察
この曲の最大の特徴は、「理由のない涙」を中心に据えている点である。一般的に“泣く”という行為は、原因があって起こる感情の発露として描かれることが多いが、Hänlynはここで、“説明できない涙”のリアリティを丹念に描いている。それは悲劇でも、怒りでも、失恋でもない。ただ“どうしようもない”感情の震えが、静かに涙として現れる。
「正しいことは全部やったのに、それでも壊れてしまった」というラインは、現代を生きる多くの人にとっての共感ポイントとなるだろう。社会が求める“整った日常”をきちんとこなしながらも、それでも心が追いつかない、あるいは心のほうが別の方向へ向かってしまう。その“ズレ”が、この曲の核なのである。
また、「でも今日は、無理に笑ったりはしない」という終盤の宣言は、極めて静かでありながら、強い自己肯定の意志が滲んでいる。“元気なふり”や“前向きさ”を押し付ける空気に抗うようにして、自分の感情をありのままに受け止める——それはまさに、Gretel HänlynがこのEP全体を通して描いている“女性的な強さ”の形である。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Funeral by Phoebe Bridgers
特別な理由がなくても気持ちが沈んでしまう“憂鬱”を、淡く美しい旋律に乗せたバラッド。 - No One’s There by Laura Marling
孤独と寄り添いながら、それを受け入れる姿勢を柔らかく描いた名曲。 - Motion Sickness by Phoebe Bridgers
感情の不安定さをユーモアと自己分析で語りながら、誠実さを失わないスタイルが共鳴する。 -
Drew Barrymore by SZA
自信の欠如と、それでも愛されたい気持ちが交錯する、現代的自己肯定のアンセム。 -
Liability by Lorde
“面倒な存在”としての自分を静かに見つめる、ミニマルで心に響くバラード。
6. “理由のない涙”を肯定するうた
「Today (can’t help but cry)」は、理由もなく泣いてしまう日を“恥”や“弱さ”と捉えるのではなく、それをむしろ“人間らしさ”として抱きしめることの大切さを教えてくれる。現代のポップミュージックにおいて、これほど静かに、これほど正直に“泣くこと”を描いた楽曲は希少であり、その意味でこの曲は感情の解放そのものである。
Hänlynの声はここで、同じように“泣いてしまった誰か”に向けて語りかけるように響く。それは慰めではなく、「大丈夫じゃなくてもいい」というささやかな共感の言葉だ。彼女はこの曲で、“感情を隠さないこと”そのものを、抵抗であり美徳であり、人間性の証として歌っている。
「Today (can’t help but cry)」は、説明できない感情があふれる日を、そのまま受け入れる勇気をくれる楽曲である。無理に元気でいようとしなくていい、ちゃんとしていなくても壊れてしまう日もある——そんな真実を、優しく、そして静かに伝えてくれるGretel Hänlynのうたは、現代を生きる私たちの心に確かに寄り添ってくれる。
コメント