
1. 楽曲の概要
「Far Out」は、ロンドン出身のシンガーソングライター、Gretel HänlynがGretel名義で2024年6月10日に発表したシングルである。配信上のアーティスト名はGretelだが、彼女は以前Gretel Hänlynとして活動しており、ユーザーが指定した表記もそのキャリアを踏まえたものといえる。
楽曲はBreadcrumb RecordsとAWAL Recordingsを通じてリリースされた。作詞・作曲にはGretel本人であるMadeleine Haenleinと、Mura Masaとして知られるAlexander Crossanが関わっている。プロデュースもMura Masaが担当しており、彼はGretelのデビューEP『Slugeye』以降、継続的なコラボレーターとして彼女の音楽に関わってきた。
「Far Out」は、2023年のEP『Head of the Love Club』やシングル「Cry Me A River」に続く作品であり、2024年に入ってからの最初の新曲として発表された。Gretelにとっては、Gretel HänlynからGretelへと名義を短くした後の新しい章を示す楽曲でもある。DIY Magazineのインタビューでは、本人がこの曲を制作した時期にライターズ・ブロックやシングルへのプレッシャーを抱えていたことを語っている。
キャリア上の位置づけとしては、「Far Out」は彼女のインディー・ロック/オルタナティヴ・ポップ路線をよりはっきりと外部に示した曲である。過去作のゴシックな物語性、低くハスキーな声、ギターを中心にした質感を残しつつ、ここでは1960年代的なポップ感、皮肉を含んだフック、Mura Masaらしい電子音の処理が強調されている。
2. 歌詞の概要
「Far Out」の歌詞は、遠距離の関係を軸にしている。語り手は「自分はこちらにいて、相手はあちらにいる」という物理的な隔たりを認識している。その距離は単なる地理的な遠さだけではない。相手が心理的にも、あるいは生活態度としても遠くにいる人物として描かれている。
タイトルの“far out”には複数の意味が重なっている。ひとつは文字通り「遠くにいる」という意味である。もうひとつは、1960年代以降の口語で使われる「ぶっ飛んでいる」「変わっている」「サイケデリックである」といった意味である。Gretel本人もインタビューで、遠く離れた相手について歌い始めたところから、ヒッピー的な意味の“far out”へ発想が広がっていったと説明している。
歌詞の中では、水辺や川、湖、海岸といったイメージが繰り返される。これは遠距離恋愛の物理的な隔たりを、渡るべき水域として表していると考えられる。語り手は相手から呼びかけられ、水に飛び込むが、相手はなお遠くにいる。この構図は、関係に踏み込もうとする側と、距離を保ったままの側の非対称性を示している。
感情の流れは、悲劇的な失恋というより、少し皮肉を含んだ恋愛の観察に近い。語り手は相手に惹かれているが、同時にその距離感や不可解さを面白がってもいる。Gretelの歌詞はしばしばゴシックな影や奇妙さを含むが、「Far Out」ではその要素が重くなりすぎず、軽快なポップソングの中に収められている。
3. 制作背景・時代背景
「Far Out」は、Gretelが2024年に提示した新しい方向性を象徴する曲である。彼女は2022年にGretel Hänlyn名義でEP『Slugeye』を発表し、インディー・ロック、オルタナティヴ・ポップ、グランジ的な要素を混ぜた若手アーティストとして注目された。2023年の『Head of the Love Club』では、よりメロディアスで物語性のあるソングライティングが前に出た。
その後に発表された「Far Out」は、楽曲単体としての即効性を意識したシングルである。本人はDIY Magazineの取材で、シングルを出さなければ忘れられてしまうというようなプレッシャーがあったと話している。Mura Masaとスタジオに入り、複雑に考えすぎるよりも、まずシングルを作るという実践的な姿勢で制作が進んだことがうかがえる。
この背景は曲の構造にも表れている。「Far Out」は難解な展開を持つ曲ではなく、反復されるタイトル・フレーズ、手拍子のようなリズム感、短いフックで構成されている。一方で、単純なギター・ポップには収まらない。奇妙な電子音、1960年代的なグルーヴ、無表情に近いボーカルの置き方が、曲に独特の引っかかりを与えている。
ミュージック・ビデオでは、Bob Fosseへの参照が語られている。特に映画『Sweet Charity』の“The Aloof”のダンス・シーンが発想源として挙げられており、無表情で少し奇妙な身体の動きが曲のキャラクターと結びついている。Gretelはこの曲について、60年代的なムードや、少しWarhol的なポップ・アート感があることも認めつつ、自身の新しい作品群全体を貫くものは「ゴシック」と「aloof」、つまり距離を置いた冷めた態度だと説明している。
時代背景としては、2020年代のUKインディーにおける女性アーティストの台頭とも重なる。Wet Leg、English Teacher、The Last Dinner Party、Heartwormsなど、ギターを中心にしながらもポップ、演劇性、ポストパンク、ゴシック趣味を横断するアーティストが注目される中で、Gretelもその周辺に位置づけられる。ただし「Far Out」は、攻撃的なロックというより、ポップソングの枠組みの中で奇妙さを保つ曲である。
4. 歌詞の抜粋と和訳
I live here and him there
和訳:
私はここにいて、彼はあちらにいる
この冒頭の一節は、曲の状況を非常に明確に示している。関係の問題は、抽象的な不安ではなく、まず距離として提示される。語り手と相手は同じ場所にいない。その事実が、以後の水辺や岸辺のイメージにつながっていく。
I made a big splash, but you’re so far out
和訳:
私は大きく飛び込んだのに、あなたはまだずっと遠くにいる
この部分では、語り手が関係に踏み込んだことが「大きな水しぶき」として表現されている。自分は行動したのに、相手との距離は縮まらない。ここには恋愛のずれがあるが、表現は重すぎない。むしろ、少しコミカルで、皮肉を含んだ視点がある。
Four wheels and a deep blue lake
和訳:
四つの車輪と深い青い湖
この一節は、移動と水のイメージを接続している。車で向かう現実的な移動と、深い湖という感覚的なイメージが並ぶことで、遠距離の恋愛が単なる距離の問題ではなく、心理的な深さや不確かさを含むものとして描かれる。
歌詞引用は批評・解説に必要な範囲にとどめている。全文は公式配信サービスや権利処理された歌詞掲載サービスで確認する必要がある。
5. サウンドと歌詞の考察
「Far Out」は、ギター・ポップ、インディー・ロック、オルタナティヴ・ポップをまたぐ曲である。最初に耳に残るのは、軽快で反復性のあるリズムと、曲の中に挿入される電子的なビープ音である。このビープ音は一見すると曲の滑らかさを崩す要素だが、Gretel本人はミュージック・ビデオのFosse的なトーンを伝えるうえで役立ったと語っている。
ギターは曲全体に60年代的なグルーヴを与えている。過剰に歪ませるのではなく、乾いた質感でリズムを刻み、ボーカルの冷めた表情を支える。Gretelの過去曲には「Motorbike」や「It’s the Future, Baby」のようにロック色の強い曲もあるが、「Far Out」はよりダンス的で、身体の揺れを誘う設計になっている。
ボーカルは、Gretelの特徴である低めでハスキーな声を生かしている。彼女の歌唱は感情を大きく爆発させるより、やや距離を置いた態度で言葉を置いていく。そのため、歌詞の中にある「遠さ」や「相手の不可解さ」が、声の質感そのものにも反映されている。相手に強く訴えるのではなく、冷静に観察しながら惹かれているように聴こえる。
コーラスでは“You’re so far out”が反復される。この反復は単なるキャッチフレーズではなく、意味の揺れを生む。最初は「あなたは遠くにいる」という距離の表現として聴こえるが、繰り返されるうちに「あなたは変わっている」「手の届かないところにいる」というニュアンスも強くなる。英語の口語的な多義性を利用したフックである。
Mura Masaのプロダクションは、曲を過剰に作り込む方向ではなく、Gretelの個性を見せる方向に作用している。彼はエレクトロニック・ミュージックのプロデューサーとして知られるが、ここではビートを主役にするより、曲の奇妙なポップ感を補強している。手拍子風のリズム、ビープ音、ギター、ボーカルの隙間が整理され、短い曲の中に明確なキャラクターが作られている。
歌詞とサウンドの関係もよく設計されている。水辺のイメージは、流れるようなメロディや波のような反復と結びついている。一方で、電子音や無表情なダンス感は、恋愛の距離感を少し冷ややかに見せる。曲は恋愛の高揚を描いているが、完全にロマンティックには振り切らない。そこにGretelらしい皮肉と奇妙さがある。
「Far Out」は、Gretelのゴシックな側面を直接的な暗さとして出す曲ではない。むしろ、明るめのポップソングの中に、冷めた態度、奇妙な身体性、距離のある恋愛を混ぜ込んでいる。これは彼女のソングライティングの特徴であり、単に暗い曲を書くのではなく、ポップの中に違和感を残す作り方である。
6. この曲が好きな人におすすめの曲 5曲
- Cry Me A River by Gretel
「Far Out」の直前期にあたるGretelの楽曲で、Mura Masaも制作に関わっている。より感情的な陰影を持ちながら、Gretelのハスキーな声とオルタナティヴ・ポップ感を確認できる。
- Motorbike by Gretel Hänlyn
初期のGretel Hänlynを知るうえで重要な曲である。「Far Out」よりロック色が強く、ギターの勢いとボーカルの存在感が前に出ている。彼女のキャリアの出発点に近い魅力を聴ける。
- Chaise Longue by Wet Leg
皮肉を含んだボーカル、反復されるフレーズ、少し冷めたユーモアという点で「Far Out」と通じる。UKインディーにおける会話調のフックや奇妙なポップ感を楽しみたい人に合う。
- Nothing Matters by The Last Dinner Party
演劇性とギター・ポップの結合という点で関連づけられる曲である。「Far Out」よりドラマティックだが、クラシックなポップ感と現代UKインディーの感覚をつなぐ姿勢は近い。
- 2gether by Mura Masa feat. Gretel Hänlyn
Mura MasaとGretelの関係を知るうえで外せない曲である。「Far Out」ほどギター・ポップには寄っていないが、Gretelの声が電子的なプロダクションの中でどう機能するかを聴ける。
7. まとめ
「Far Out」は、Gretel HänlynからGretelへと名義を変えた時期の新しい方向性を示すシングルである。遠距離の相手をめぐる歌詞を軸にしながら、“far out”という言葉の多義性を利用し、距離、奇妙さ、1960年代的なムードをひとつのフックにまとめている。
サウンド面では、Mura MasaのプロダクションがGretelの個性を効果的に引き出している。ギター、手拍子風のリズム、電子音、ハスキーなボーカルが組み合わさり、単純なインディー・ポップではない質感を作っている。ビープ音のような一見邪魔に聴こえる要素も、曲の無表情で少し奇妙なキャラクターを支える役割を果たしている。
歌詞は複雑な物語を語るものではないが、物理的な距離と心理的な遠さを水辺のイメージで整理している。語り手は相手に惹かれ、関係に飛び込むが、相手はなお遠い。そのすれ違いを重く描きすぎず、皮肉とポップな軽さを保っている点がこの曲の特徴である。
Gretelのキャリアの中で「Far Out」は、過去のゴシックなインディー・ロック感と、より開かれたポップソングとしての強度をつなぐ曲である。2020年代UKインディーの文脈に置いても、演劇性、冷めたユーモア、ギター・ポップ、電子的プロダクションを横断する作品として聴くことができる。
参照元
- Gretel: “I’ve decided I just want to write good songs that create new paths in indie music” – DIY Magazine
- Gretel returns with new single ‘Far Out’ – Mystic Sons
- Far Out by Gretel – Shazam
- Far Out – Apple Music
- Gretel – Apple Music
- Song of the Day: Gretel – Far Out – Song Bar
- Gretel on Goth, Existentialism and Her New Single “Far Out” – Polyester Zine

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