
1. 歌詞の概要
「Through the Floor」は、**Crystal Stilts(クリスタル・スティルツ)**が2011年に発表したセカンド・アルバム『In Love with Oblivion』に収録された楽曲であり、空虚な日常をすり抜けるような感覚と、現実の地面が崩れていくような不安定な感覚を描いた、ダークでミニマルなサイケ・ポストパンクの逸品である。
このタイトルにある「床をすり抜けて(Through the Floor)」という表現は、直訳すれば物理的な落下を意味するが、Crystal Stiltsの世界ではそれが現実世界の構造の喪失、または精神の崩壊=“存在のズレ”の隠喩として機能している。
歌詞の内容はきわめて抽象的かつ断片的であるが、その断片が示すのは、自分の居場所が不安定で、何かが抜け落ちたような感覚、そしてそれを受け入れてしまう投げやりともいえる姿勢である。
浮遊するようなベースラインと単調なリズムの上に、ボーカルがあえて感情を排した呟きのようなスタイルで乗ることで、聴き手の意識も次第に現実から乖離していくような効果を生んでいる。
2. 歌詞のバックグラウンド
「Through the Floor」が収録された『In Love with Oblivion』は、Crystal Stiltsがデビュー作『Alight of Night』(2008)で確立したローファイ・サイケガレージ×ポストパンクの世界観をさらに推し進めた作品であり、そのタイトルが示す通り、「忘却」と「空虚」に対する愛情表現としての美学が全編に流れている。
「Through the Floor」はそのアルバム中でもとりわけ印象的なトラックであり、日常の構造が音もなく崩れていく瞬間、あるいは意識の裏側で世界が反転するような、不穏で美しい気配を持っている。
音楽的にはThe Velvet Underground、The Chameleons、さらにはTelevisionやThe Fallといったバンドの影響を感じさせつつ、極限まで削ぎ落とされた表現の中に深い余韻を残す構造となっている。
3. 歌詞の抜粋と和訳
“I fell through the floor / With a hole in my head”
僕は床をすり抜けた
頭にはぽっかり穴が空いていた“I was staring at the wall / But the wall wasn’t there”
壁を見つめていたつもりだった
でも そこに壁なんてなかった“The voices in the hall / They were calling my name”
廊下の声が 僕の名前を呼んでいた“But I couldn’t tell / If they were real or insane”
けれどそれが本物の声なのか
狂った幻想なのか わからなかった
※ 歌詞引用元:Genius
4. 歌詞の考察
この曲において最も重要なのは、「現実」と「非現実」の境界が完全に溶け合ってしまっている点だ。
「頭に穴が空いていた」「壁がなかった」「声が聞こえた」——これらはすべて、現実認識が崩壊し、主体と世界の接点が失われていく過程の描写である。
“Through the Floor”とは、単なる物理的な落下ではなく、現実に立っていたはずの「床=基盤」が崩れたことによって、心の中にある虚無の穴へと静かに吸い込まれていく過程を象徴している。
また「声が聞こえたが、それが本物かどうかわからない」というラインには、感覚の信頼性が崩れる恐怖と、それを受け入れてしまう諦念が同居している。
これは精神的な崩壊、もしくは超現実への接続を描いたリリシズムであり、まさにCrystal Stiltsの真骨頂とも言える美学だ。
この曲の語り手は、世界の構造が壊れていくのを感じながらも、それを恐れたり抵抗したりすることはない。むしろそれを**「当然の成り行き」として受け入れていく冷めた感性が、彼らの持つ後ろ向きのヒロイズム**を際立たせている。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- “Venus in Furs” by The Velvet Underground
耽美的で退廃的な精神世界を描いた、地下音楽の金字塔。 - “Shadowplay” by Joy Division
崩壊と支配を冷静に語る、ポストパンクの不穏な名曲。 - “Reel Around the Fountain” by The Smiths
曖昧な感情と回想の中にある、壊れやすさの詩学。 - “Cold Night for Alligators” by The Chameleons
感覚の暴走と音像の深淵が交錯する、英国ポストパンクの秘宝。 -
“Jesus” by The Velvet Underground
神秘と空虚のあいだを漂うような、祈りにも似た沈黙の歌。
6. 壁が消え、床が抜ける——「Through the Floor」が示す現実崩壊のポエティクス
「Through the Floor」は、Crystal Stiltsが追求した**“見えるものが信じられなくなる瞬間”の感覚を、サウンドと詩で静かに結晶化させた楽曲**である。
それは崩壊の歌でありながら、騒がしさや嘆きはない。むしろ、何かが壊れたあとの“音のない風景”を眺めるような余白が広がっている。
ここで描かれるのは、世界が終わっていく様をただ眺める者の視点であり、その静けさと距離感にこそ、この曲の最大の美しさが宿っている。
「Through the Floor」は、感情や現実が音もなく崩れていくとき、そこにどんな美が残るのかを問いかける、ポストパンク時代の夢の残骸なのである。
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