発売日: 2012年1月27日
ジャンル: フォーク、アダルト・コンテンポラリー、ブルース、詩的ポップ
死を見つめ、なお愛を歌う——Leonard Cohen、“老い”と“光”を讃える晩年の福音
『Old Ideas』は、Leonard Cohenが77歳でリリースした12作目のスタジオ・アルバムであり、死、信仰、愛、喪失といったCohenの長年のテーマを、かつてないほど静かに、穏やかに、そして明確に描いた作品である。
タイトルにある「Old Ideas(古い考え)」とは、もはや語り尽くされたと思われるこれらのテーマに、詩人としてもう一度新しい光を当てようとする試みの宣言であり、同時にCohen自身の生と芸術の結晶でもある。
深く、かすれ、時に息に近いCohenの声は、もはや“歌”というより“語り”に近く、聴き手の耳に直接ささやくように届く。
ピアノやストリングス、女性コーラスを従えたシンプルな編成は、詩を中心に据えた構成として完璧であり、まるで1冊の詩集に旋律を添えたような作品世界が広がる。
全曲レビュー
1. Going Home
「私はCohenという名の人物についての詩を書いている、だが彼は愚かで、老い、気難しい」と、詩人が“自分”を三人称で語るメタ的構造。 死へと向かう「帰路」を、皮肉とユーモアで包む。
2. Amen
8分に及ぶ荘厳な祈りの歌。「アーメン」と何度も繰り返される呼びかけの中で、世界の苦しみと赦しを静かに問いかける。
3. Show Me the Place
ピアノとコーラスに導かれ、「場所を教えてくれ、跪く場所を」と歌う、信仰への渇望と自己放棄の詩。
4. The Darkness
ブルージーなギターに乗せて語られる“闇”の記録。死、老い、病——しかしそのすべての中に、なおもユーモアがある。
5. Anyhow
恋人に対して「どうかもう一度だけ、好きだと言ってくれ」と懇願するバラッド。老いのなかにある愛への執着が切実に響く。
6. Crazy to Love You
アコースティック・ギター1本と声だけで綴られる、“狂おしいまでの愛”の告白。 最もミニマルで、最も詩的な一篇。
7. Come Healing
“癒しよ、来たれ”というコーラスが繰り返される、美しい宗教的頌歌。罪と肉体、心と霊に癒しを求める祈り。
8. Banjo
奇妙に軽快なリズムと“バンジョーの音”をめぐる寓話的な語り。寓意と現実のあいだに揺れるCohen節が光る。
9. Lullaby
タイトル通り“子守唄”のような優しさで包まれたトラック。だがその歌詞には死と再生の暗喩がひっそりと刻まれている。
10. Different Sides
“君と僕は同じコインの反対側”という、対立と和解をめぐる最終曲。軽やかさと哲学的視線が同居する締めくくり。
総評
『Old Ideas』は、Leonard Cohenという詩人が、生涯の終盤においてなお“言葉にするべきもの”を探し続けた記録であり、その静けさと重みは、どの若きシンガーの叫びにも勝る力を持っている。
このアルバムには、怒りや絶望ではなく、すべてを受け入れた者だけが到達できる“祈りの透明さ”がある。
死を前にしてもなお、Cohenは「愛したい」「赦されたい」「癒されたい」と願い続ける。
それは詩人のエゴではなく、人間の普遍的な本能なのだ。
『Old Ideas』は、現代に生きるすべての人にとっての黙想の書であり、魂のランプのような音楽である。
おすすめアルバム
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You Want It Darker / Leonard Cohen
死と神を直接的に見つめた、Cohen最晩年の祈り。『Old Ideas』の続編的作品。 -
No More Shall We Part / Nick Cave & The Bad Seeds
苦悩、祈り、許しを主題にした宗教的オルタナティヴ・バラッド。 -
Blackstar / David Bowie
死を目前に作られた芸術的遺言。Cohenの美学と共振する壮絶な美。 -
Grace / Jeff Buckley
愛と死を切実に歌い上げた、儚くも鮮烈な声の遺産。 -
Skeleton Tree / Nick Cave & The Bad Seeds
喪失を受け入れ、静かに祈る音楽詩。Cohen以後の表現のあり方。
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