
発売日:2011年9月27日
ジャンル:オルタナティヴ・ロック、インディー・ロック、オルタナティヴ・カントリー、アート・ロック、フォーク・ロック
概要
ウィルコの『The Whole Love』は、2011年に発表された通算8作目のスタジオ・アルバムである。1990年代半ば、ジェフ・トゥイーディーを中心に結成されたウィルコは、当初オルタナティヴ・カントリー/アメリカーナの文脈で語られることが多かった。前身バンドであるアンクル・テュペロが、パンク以降の感覚でカントリーやフォークを再解釈した重要な存在だったこともあり、初期ウィルコにはその延長線上のルーツ・ロック的な響きが強く残っていた。
しかしウィルコは、1996年の『Being There』、1999年の『Summerteeth』を経て、単なるオルタナティヴ・カントリー・バンドではなく、ポップ、ノイズ、実験音楽、クラウトロック、フォーク、アート・ロックを横断するバンドへ変化していく。そして2002年の『Yankee Hotel Foxtrot』は、ロック史における2000年代初頭の重要作となった。レコード会社との対立、インターネット時代の先駆的な流通、ノイズと美しいメロディの共存、9.11前後のアメリカの不安をにじませる音像によって、このアルバムはウィルコの評価を決定的なものにした。
その後の『A Ghost Is Born』では、さらに実験的で内省的な方向へ進み、『Sky Blue Sky』ではニール・ヤングやザ・バンドを思わせる温かいバンド・アンサンブルへ接近した。2009年の『Wilco (The Album)』は、バンドとしての安定感と親しみやすさを示した作品だったが、一部ではやや安全なアルバムとも受け取られた。そうした流れの後に登場した『The Whole Love』は、ウィルコが再び実験性とポップ性、ルーツ性とアート性を高い密度で統合した作品である。
本作は、ウィルコ自身のレーベルであるdBpm Recordsから発表された最初のスタジオ・アルバムでもある。この点は重要である。メジャー・レーベルとの関係に揺れた『Yankee Hotel Foxtrot』期を経て、バンドは自らのペースで音楽を作り、発表する体制を整えた。その自由度が、本作の多様なサウンドにも反映されている。冒頭の「Art of Almost」のような実験的で緊張感のある楽曲から、終盤の長大なフォーク叙事詩「One Sunday Morning」まで、アルバムは非常に幅広い表情を持つ。
音楽的には、『The Whole Love』はウィルコのキャリアを総括するような作品である。ノイズや電子音の処理には『Yankee Hotel Foxtrot』や『A Ghost Is Born』の実験性があり、メロディの親しみやすさには『Summerteeth』や『Wilco (The Album)』のポップ感覚がある。フォークやカントリーの温かみは『Sky Blue Sky』以降のバンド・サウンドに通じる。だが、それらは単なる過去作の寄せ集めではない。むしろ、長い時間をかけて獲得した音楽的語彙を、バンドが自然に使いこなしているアルバムといえる。
ジェフ・トゥイーディーの歌詞も、本作では非常に重要である。彼の作詞は、直接的な物語よりも、断片的なイメージ、曖昧な感情、日常の中に潜む喪失感を通じて意味を生む。『The Whole Love』では、愛、記憶、家族、宗教的な距離、自己不信、時間の流れ、関係の不完全さが繰り返し扱われる。タイトルの「The Whole Love」は、「完全な愛」あるいは「愛の全体」と訳せるが、ここでの愛は単純な幸福ではない。不完全で、壊れやすく、時に疲れを伴いながらも、人間をつなぎ止めるものとして描かれている。
バンドの演奏面では、ネルス・クラインのギター、グレン・コッチェのドラム、ジョン・スティラットのベース、ミカエル・ヨルゲンセンとパット・サンソンの鍵盤/ギター群が、それぞれ高い精度で機能している。ウィルコはジェフ・トゥイーディーのソングライティングを中心とするバンドでありながら、単なるシンガーソングライターの伴奏バンドではない。各メンバーの音が楽曲の空間を作り、アレンジの細部が歌詞の曖昧さや感情の揺れを増幅している。
日本のリスナーにとって『The Whole Love』は、ウィルコの多面的な魅力を理解するうえで非常に有効なアルバムである。アメリカーナ的な温かさ、インディー・ロック的な自由さ、アート・ロック的な実験性、そしてシンプルなフォーク・ソングとしての美しさが一枚の中に共存している。ウィルコ入門としてはやや幅広すぎる面もあるが、彼らがなぜ1990年代以降のアメリカン・ロックを代表するバンドとされるのかを理解するには、重要な作品である。
全曲レビュー
1. Art of Almost
アルバム冒頭を飾る「Art of Almost」は、『The Whole Love』の中でも最も実験的で緊張感のある楽曲である。冒頭から電子音、ノイズ、重いビート、断片的な音響が重なり、通常のルーツ・ロック的なウィルコ像からは離れた場所へ聴き手を連れていく。約7分に及ぶ長尺曲であり、アルバムの開始点として非常に大胆である。
タイトルの「Art of Almost」は、「ほとんど」の技術、あるいは「あと少しで届かないこと」の美学を思わせる。歌詞も断片的で、明確な物語というより、接近しながらも完全には到達しない感覚が漂う。愛や理解や自己認識に手を伸ばしても、常に少しだけ届かない。ウィルコの音楽にしばしば現れる不完全性への感覚が、ここでは音楽構造そのものに反映されている。
音楽的には、グレン・コッチェの精密なドラム、電子的なテクスチャー、ネルス・クラインのギターが重要である。曲の後半ではギターが激しく噴き上がり、抑制された電子的な緊張がロックの爆発へ変わる。この展開は、ウィルコが実験音楽とロック・バンドとしての身体性を同時に扱えることを示している。
アルバムの冒頭にこの曲を置いたことは、『The Whole Love』が安全な成熟作ではなく、依然としてリスクを取るバンドの作品であることを宣言している。ウィルコの実験的側面を強く打ち出した、非常に重要なオープニング曲である。
2. I Might
「I Might」は、前曲の実験的な緊張から一転して、軽快でキャッチーなロック・ナンバーである。オルガンの響き、弾むようなリズム、シンプルで耳に残るフックが印象的で、アルバムの中でも比較的即効性の高い楽曲である。
タイトルの「I Might」は、「そうするかもしれない」という曖昧な意志を示す。歌詞には、確信ではなく迷い、断言ではなく可能性の感覚がある。ジェフ・トゥイーディーの作詞では、強い宣言よりも、揺れ動く感情や不完全な自己認識が重要になる。この曲でも、主人公は何かを決めきれず、しかし完全に止まっているわけでもない。
音楽的には、ガレージ・ロックやパワー・ポップの感覚があり、ウィルコのポップな側面がよく表れている。オルガンの少しざらついた音色は、曲にヴィンテージ感を与えつつ、過度な懐古にはならない。リズムは軽快だが、歌詞にはどこか不穏さもある。この軽さと陰りの組み合わせが、ウィルコらしい。
「I Might」は、冒頭の「Art of Almost」で広げられた実験的な空間を、より親しみやすいロック・ソングへ接続する役割を持つ。アルバムが難解一辺倒ではなく、ポップな楽しさも持っていることを示す重要曲である。
3. Sunloathe
「Sunloathe」は、タイトルからして矛盾を含んだ楽曲である。「Sun」は太陽、「loathe」は嫌悪を意味し、光や明るさへの反発、あるいは幸福に対する居心地の悪さを感じさせる。ウィルコの音楽には、明るいメロディの中に不安や疲労を忍ばせる手法が多いが、この曲もその系譜にある。
サウンドは穏やかで、浮遊感のあるポップ・ロックとして展開される。ビートルズ以降のサイケデリック・ポップや、ソフトなアート・ロックの影響も感じられる。メロディは滑らかで、アレンジにも柔らかな色彩がある。しかし、タイトルと歌詞の感触は単純な陽性ではなく、光に照らされること自体への不安が漂う。
歌詞では、明るいもの、健康的なもの、前向きなものに対して素直になれない心理がにじむ。幸福や希望が目の前にあっても、それをそのまま受け入れられない。そうした感情は、現代のインディー・ロックにしばしば見られるが、ウィルコの場合は、それを過度に暗くせず、やわらかなメロディの中に包み込む。
「Sunloathe」は派手な曲ではないが、アルバムの色彩を深める楽曲である。光と嫌悪、穏やかさと不安が同時に存在することで、『The Whole Love』が扱う愛や日常の複雑さがより立体的に見えてくる。
4. Dawned on Me
「Dawned on Me」は、本作の中でも特に明快でポップな楽曲である。タイトルは「ふと気づいた」という意味を持ち、気づきや認識の瞬間がテーマになっている。軽快なギターとリズム、親しみやすいメロディによって、ウィルコのポップ・ロック・バンドとしての魅力が前面に出ている。
歌詞では、関係の中で何かに気づく瞬間、あるいは自分の感情が遅れて理解される感覚が描かれる。トゥイーディーの歌詞はしばしば曖昧だが、この曲では比較的開けた感情がある。気づきは必ずしも完全な救済ではないが、少なくとも停滞から一歩動く契機になる。
音楽的には、ギターの響きが非常に明るく、ビートも前向きである。とはいえ、ウィルコのポップ性は単純な陽気さではない。メロディの中には微妙なひねりがあり、アレンジの細部にも少しざらついた質感が残る。完全に丸く整えられたポップ・ソングではなく、バンドの手触りが残っている点が重要である。
「Dawned on Me」は、アルバムの中でリスナーを強く引き込む役割を持つ楽曲である。実験性や内省の多い本作において、シンプルに良質なロック・ソングとして機能しつつ、認識と感情の変化というアルバム全体のテーマにもつながっている。
5. Black Moon
「Black Moon」は、静かでフォーキーな楽曲であり、アルバムの中盤に深い陰影を与える。タイトルの「黒い月」は、通常の月が持つロマンティックなイメージを反転させ、暗い光、見えないもの、喪失や不吉さを連想させる。ウィルコのアメリカーナ的な側面が、非常に抑制された形で表れている。
音楽的には、アコースティック・ギターを中心にした穏やかなアレンジで、派手な展開は少ない。だが、その静けさの中に強い緊張がある。ストリングス的な響きや控えめな楽器の配置が、夜の空気のような広がりを作る。トゥイーディーの声も近く、語りかけるように響く。
歌詞では、失われたもの、届かないもの、暗い空の下で感じる孤独が描かれる。明確な物語ではなく、断片的なイメージが積み重なることで、深い寂しさが生まれる。ウィルコは、直接的に悲しいと言わずに、風景や天体のイメージを通じて感情を伝えることに長けている。
「Black Moon」は、本作の中で音量やテンポを落とし、リスナーを内側へ向かわせる楽曲である。アルバム全体が多彩であるからこそ、このような静かな曲の存在が重要になる。ウィルコのフォーク・バンドとしての深みを示す一曲である。
6. Born Alone
「Born Alone」は、アルバムの中でも特に印象的なロック・ソングである。タイトルは「人はひとりで生まれる」という根源的な孤独を示しているが、曲調は力強く、疾走感がある。孤独を静かに嘆くのではなく、前へ進むエネルギーへ変えている点が特徴である。
歌詞では、人間の孤独、自己の独立性、他者とのつながりの不完全さが扱われる。生まれるときも死ぬときも、人は根本的にはひとりである。しかし、その事実は必ずしも絶望だけを意味しない。むしろ、孤独を認識することで、他者との関係の貴重さが浮かび上がる。
音楽的には、ギターのフレーズとリズムの推進力が強く、サビに向かってエネルギーが高まる。中盤以降にはウィルコらしいひねりのある展開もあり、単純なロック・アンセムにはならない。終盤のコードの動きやアレンジには、バンドの実験性が自然に織り込まれている。
「Born Alone」は、『The Whole Love』のテーマを考えるうえで重要な曲である。アルバムは愛や関係性を扱っているが、その前提には孤独がある。孤独を否定するのではなく、それを受け入れたうえで愛を考える。この視点が、本作に大人の深みを与えている。
7. Open Mind
「Open Mind」は、穏やかで素朴なフォーク・ロック曲である。タイトルは「開かれた心」を意味し、関係の中で相手を受け入れること、あるいは自分自身の頑なさをほどくことがテーマになっている。アルバムの中では比較的シンプルで、親しみやすい楽曲である。
音楽的には、アコースティックな響きと柔らかなバンド・アンサンブルが中心で、ウィルコのルーツ・ロック的な側面がよく表れている。過度な実験性はなく、歌の良さを前面に出した構成である。トゥイーディーのヴォーカルも穏やかで、押しつけがましさがない。
歌詞では、相手に対して心を開いていてほしいという願いが描かれる。しかし、それは単純な理想論ではない。人はしばしば自分の傷や不安によって閉じてしまう。心を開くことは、優しさであると同時に、傷つく可能性を引き受けることでもある。この曲は、その繊細な願いを静かに歌っている。
「Open Mind」は、アルバムのタイトルである『The Whole Love』と直接つながる楽曲である。愛を全体として受け入れるには、完全な相手や完全な自分を求めるのではなく、不完全さに対して開かれている必要がある。その意味で、本曲は本作の中心的な精神を穏やかに表している。
8. Capitol City
「Capitol City」は、アルバムの中でも少し風変わりなポップ・ソングである。軽妙で、どこか昔のミュージックホールやブリル・ビルディング的なポップスを思わせる雰囲気がある。ウィルコの中でも、ジェフ・トゥイーディーの遊び心が表れた楽曲といえる。
タイトルの「Capitol City」は、首都、あるいは象徴的な中心地を意味する。歌詞は明確な政治的主張というより、都市や権力、移動、観光的なイメージをゆるやかに扱っている。ウィルコの歌詞には、アメリカの風景や都市の記号がしばしば登場するが、この曲ではそれが少し戯画的に描かれている。
音楽的には、軽いリズム、親しみやすいメロディ、少し古風なアレンジが特徴である。前後の楽曲に比べると小品的だが、アルバムの流れにユーモアと変化を与えている。ウィルコはシリアスな実験ロックやフォーク・バラードだけでなく、このような軽妙なポップ感覚も持っている。
「Capitol City」は、アルバム全体の重さを中和する役割を果たす。愛や孤独、時間の流れを扱う作品の中で、少し肩の力を抜いた曲が入ることで、『The Whole Love』はより人間味のあるアルバムになっている。
9. Standing O
「Standing O」は、勢いのあるロック・ナンバーであり、タイトルは「スタンディング・オベーション」を意味する。アルバム後半に置かれ、作品に再び活力を与える曲である。短く、鋭く、バンドのエネルギーが前面に出ている。
歌詞では、称賛、演技、観客、期待といったイメージが浮かび上がる。スタンディング・オベーションは、成功や承認の象徴である。しかし、ウィルコの文脈では、それは単純な栄光ではなく、どこか皮肉を含むものとして響く。拍手を求めること、他者から評価されること、演じ続けることへの違和感がにじむ。
音楽的には、ギターの歪みとドラムの推進力が強く、ライブ感のある演奏が魅力である。ウィルコは繊細なアレンジのバンドであると同時に、ステージ上で強靭なロック・バンドとして機能するグループでもある。この曲は、その側面を短い時間で示している。
「Standing O」は、アルバム後半の流れを引き締める役割を持つ。実験、フォーク、ポップが続く中で、ロック・バンドとしての直接的なエネルギーを再提示する楽曲である。
10. Rising Red Lung
「Rising Red Lung」は、静かで不思議な質感を持つ楽曲である。タイトルは直訳すると「上昇する赤い肺」のような奇妙なイメージで、身体性、呼吸、生命、痛みを連想させる。ウィルコの歌詞における抽象性と映像性が強く表れた曲である。
音楽的には、アコースティックな響きを基調としながらも、どこか夢のように曖昧な空気がある。音数は多くないが、空間の使い方が非常に繊細である。声、ギター、控えめな音響がゆっくりと広がり、聴き手を内省的な場所へ導く。
歌詞は断片的で、明確なストーリーを追うよりも、言葉の質感やイメージの連なりから感情を受け取るタイプの曲である。赤い肺というイメージは、呼吸する身体、生きることの痛み、内側から立ち上がる感情を象徴しているように響く。愛や関係を扱うアルバムの中で、ここではより身体的で、言葉になる前の感覚が表現されている。
「Rising Red Lung」は派手な曲ではないが、ウィルコの深い魅力が表れた楽曲である。余白、曖昧さ、音の手触りによって感情を描くバンドとしての成熟が感じられる。
11. Whole Love
タイトル曲「Whole Love」は、アルバムの終盤に置かれた明るく躍動的な楽曲である。タイトルが示す通り、本作の中心概念である「愛の全体」を扱っている。しかし、ここでの愛は理想化された完璧なものではなく、不完全さも含めて引き受けるものとして響く。
音楽的には、軽快なリズムと明るいメロディが特徴で、アルバム全体の中でも開放感がある。ギターや鍵盤の響きはカラフルで、ウィルコのポップ・バンドとしての魅力が前面に出ている。前曲までに積み重ねられた孤独や不安を、一度明るい場所へ持ち上げる役割を果たしている。
歌詞では、完全ではない関係の中で、それでも愛を全体として受け取ろうとする姿勢が感じられる。「whole」という言葉は、欠けていない完全性を示す一方で、さまざまな断片を含んだ総体という意味も持つ。ウィルコの音楽における愛は、単純な幸福ではなく、傷、迷い、孤独、記憶を含んだものとして存在している。
「Whole Love」は、アルバムのタイトル曲として、作品全体の感情を明るくまとめる役割を担う。ただし、これでアルバムが完全に解決するわけではない。続く「One Sunday Morning」が、より長く、静かな余韻を与えることで、本作はさらに深い場所へ向かう。
12. One Sunday Morning (Song for Jane Smiley’s Boyfriend)
アルバムの最後を飾る「One Sunday Morning」は、約12分に及ぶ長大な楽曲であり、『The Whole Love』の感情的な終着点である。副題に「Song for Jane Smiley’s Boyfriend」とあるように、特定の人物や会話から着想を得たとされるが、曲そのものは非常に普遍的なテーマへ広がっている。
音楽的には、シンプルなアコースティック・ギターの反復を中心に、淡々と進んでいく。大きなドラマや爆発的な展開はない。むしろ、同じパターンが長く続くことで、時間そのものが音楽の中に流れ込むような感覚が生まれる。これは、ウィルコのキャリアの中でも特に美しい終曲のひとつである。
歌詞では、父と子、宗教、家族の距離、死後の不安、記憶、和解できないまま残る感情が描かれる。主人公は、父親との関係を振り返りながら、宗教的な信念の違いや、家族の中で埋められなかった距離を思い出す。日曜の朝という穏やかな時間設定とは対照的に、歌詞には深い感情の層がある。
この曲の重要性は、結論を急がない点にある。父との関係が完全に解決されるわけではなく、宗教的な問いに答えが出るわけでもない。ただ、記憶が静かに流れ、過去の言葉や感情が現在の中に残り続ける。その受け入れ方が、曲の長い反復によって表現される。
「One Sunday Morning」は、『The Whole Love』のタイトルにある「愛」を、恋愛だけでなく、家族、記憶、失われた時間、和解できない関係へ広げる曲である。アルバムはこの曲によって、単なるインディー・ロック作品ではなく、人生の長い時間を見つめる作品として閉じられる。
総評
『The Whole Love』は、ウィルコのキャリアの中でも非常にバランスの取れた重要作である。実験的な冒頭曲「Art of Almost」、キャッチーな「I Might」や「Dawned on Me」、フォーキーな「Black Moon」や「Open Mind」、ロック色の強い「Standing O」、そして長大な終曲「One Sunday Morning」まで、アルバムは多彩な表情を持っている。それにもかかわらず、全体として散漫にならないのは、バンドの演奏力と、ジェフ・トゥイーディーのソングライティングが強い軸を持っているからである。
本作の魅力は、ウィルコの過去の要素が自然に統合されている点にある。『Yankee Hotel Foxtrot』の実験性、『A Ghost Is Born』のノイズと内省、『Sky Blue Sky』の温かいバンド・アンサンブル、『Summerteeth』のポップ感覚が、それぞれ本作の中に形を変えて存在している。しかし、『The Whole Love』は過去作の再現ではない。長いキャリアを通じて獲得した技法を、バンドが無理なく使いこなしている作品である。
歌詞面では、愛の不完全さが大きなテーマになっている。タイトルの「Whole Love」は、一見すると完全な愛を意味するように思えるが、アルバムを通して聴くと、それは欠点のない愛ではなく、欠点や傷を含めた愛の全体を指しているように響く。「Born Alone」では人間の根本的な孤独が歌われ、「Open Mind」では心を開くことの必要性が示され、「Whole Love」では愛を総体として受け入れる姿勢が表れる。そして「One Sunday Morning」では、家族や宗教、記憶の中に残る解決されない愛が描かれる。愛はここで、甘い感情ではなく、人間関係の複雑さそのものとして扱われている。
音楽的にも、本作は非常に豊かである。ウィルコの演奏は、アメリカーナの素朴さとアート・ロックの緻密さを両立している。ネルス・クラインのギターは、必要な場面では激しくノイジーに炸裂し、別の場面では繊細な音色で空間を彩る。グレン・コッチェのドラムは、ロックのビートを支えるだけでなく、音響的な細部にも敏感である。ジョン・スティラットのベースは、派手ではないが、バンドの重心を安定させる。鍵盤やギターの重なりも、楽曲ごとに異なる色を与えている。
『The Whole Love』は、ウィルコが自らのレーベルから発表した作品であることもあり、バンドの自由度が強く感じられる。メジャー・レーベルの期待や、過去の名盤へのプレッシャーから距離を取りながら、自分たちがやりたいことを丁寧に形にしている。冒頭で実験的な長尺曲を置き、終盤で12分の静かなフォーク曲を配置する構成は、商業的な即効性だけを考えたものではない。アルバムという形式を信頼しているバンドだからこそ可能な構成である。
日本のリスナーにとって、本作はウィルコの魅力を多角的に理解するための優れた入口となる。初めて聴く場合、「I Might」「Dawned on Me」「Whole Love」のようなキャッチーな曲から入りやすい。一方で、ウィルコの深みは「Art of Almost」や「One Sunday Morning」のような楽曲に強く表れている。ポップでありながら実験的、アメリカーナでありながら都市的、穏やかでありながら不穏。この複数の性質が同時に存在することが、ウィルコの本質である。
また、本作は2010年代のインディー・ロックにおける成熟のあり方を示す作品でもある。若さや破壊衝動だけでなく、長く続くバンドがどのように創造性を保つかという問いに対して、ウィルコは非常に誠実な答えを出している。過去の成功をなぞるのではなく、過去の語彙を現在の演奏で再び生かす。過剰な実験に走るのではなく、楽曲の必要に応じて実験性を配置する。こうした姿勢が、本作を落ち着いた名作にしている。
総じて『The Whole Love』は、ウィルコの総合力が高い水準で結実したアルバムである。冒険心と親しみやすさ、孤独と愛、ノイズとメロディ、アメリカーナとアート・ロックが、自然な流れの中で共存している。『Yankee Hotel Foxtrot』のような歴史的事件性はないが、バンドとしての成熟と自由を示す作品として、ウィルコのディスコグラフィの中でも重要な位置を占める。愛を完全な理想としてではなく、不完全なものを含んだ全体として見つめるこのアルバムは、静かに長く聴かれ続けるタイプの作品である。
おすすめアルバム
1. Wilco『Yankee Hotel Foxtrot』(2002年)
ウィルコの代表作であり、2000年代アメリカン・ロックを語るうえで欠かせない作品である。ノイズ、フォーク、ポップ、電子音響が融合し、不安定な時代の空気を美しいメロディの中に封じ込めている。『The Whole Love』の実験性や音響的な奥行きを理解するために重要な一枚である。
2. Wilco『A Ghost Is Born』(2004年)
『Yankee Hotel Foxtrot』の後に発表された、より内省的で実験的な作品である。長尺曲、ノイズ、ミニマルな反復、痛みを伴う歌詞が特徴で、『The Whole Love』冒頭の「Art of Almost」に通じる緊張感がある。ウィルコのアート・ロック的側面を深く知ることができるアルバムである。
3. Wilco『Sky Blue Sky』(2007年)
温かいバンド・アンサンブルとフォーク/ルーツ・ロック色が強い作品である。派手な実験性は抑えられているが、演奏の細やかさとメロディの美しさが際立つ。『The Whole Love』の「Open Mind」や「Black Moon」のような穏やかな側面を好むリスナーに適している。
4. Jeff Tweedy『Sukierae』(2014年)
ジェフ・トゥイーディーが息子スペンサー・トゥイーディーと制作した作品で、ウィルコ本体よりも私的で親密な雰囲気を持つ。フォーク、ロック、実験的な音響が自然に混ざり、トゥイーディーのソングライターとしての核がよく分かる。『The Whole Love』の歌詞世界をさらに個人的な角度から理解できる作品である。
5. The Jayhawks『Tomorrow the Green Grass』(1995年)
オルタナティヴ・カントリー/アメリカーナの重要作であり、美しいハーモニーとルーツ・ロックの温かさが特徴である。ウィルコの初期背景や、アメリカーナが1990年代以降のインディー・ロックとどのように接続したかを理解するうえで有効なアルバムである。『The Whole Love』のルーツ的な側面をより素朴な形で味わえる。

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