アルバムレビュー:Independent Worm Saloon by Butthole Surfers

※本記事は生成AIを活用して作成されています。

発売日:1993年3月23日

ジャンル:オルタナティヴ・ロック、ノイズ・ロック、サイケデリック・ロック、ポスト・ハードコア、グランジ、アヴァンギャルド・ロック

概要

バットホール・サーファーズの『Independent Worm Saloon』は、1993年に発表された通算6作目のスタジオ・アルバムである。1980年代アメリカン・アンダーグラウンドの中で、最も悪趣味で、最も予測不能で、最も危険なバンドのひとつとして活動してきた彼らが、メジャー・レーベルから発表した重要作であり、バンドの異常性と1990年代オルタナティヴ・ロックの商業的文脈が衝突したアルバムでもある。

バットホール・サーファーズは、ギビー・ヘインズ、ポール・リアリー、キング・コフィーらを中心にテキサスで結成された。初期の彼らは、ハードコア・パンクの速度と荒さ、サイケデリック・ロックの幻覚性、ノイズ・ロックの不快感、ブラック・ユーモア、グロテスクな映像演出を組み合わせ、通常のロック・バンドの枠を大きく逸脱していた。『Psychic… Powerless… Another Man’s Sac』『Rembrandt Pussyhorse』『Locust Abortion Technician』などの作品では、ロックの形式そのものを腐食させるような音作りによって、アンダーグラウンドの怪物的存在となった。

『Independent Worm Saloon』は、その彼らが1990年代初頭のオルタナティヴ・ロック・ブームの中で、より大きな市場へ接近した作品である。ニルヴァーナ『Nevermind』以降、アメリカの地下ロックは一気にメインストリームへ吸い上げられた。グランジ、ノイズ・ロック、ポスト・ハードコア、インディー・ロックが、メジャー・レーベルの関心を集め、かつてなら商業的に考えにくかったバンドたちにも大きなチャンスが生まれた。バットホール・サーファーズもその流れの中にいたが、彼らはもともとメインストリームに馴染むにはあまりにも異形の存在だった。

本作のプロデューサーは、レッド・ツェッペリンのベーシスト/キーボーディストとして知られるジョン・ポール・ジョーンズである。この人選は非常に興味深い。バットホール・サーファーズの音楽は、ヘヴィ・ロックの伝統を歪めてきた側面が強く、ブラック・サバスやレッド・ツェッペリン的な重さやリフの感覚を、悪夢的なノイズとユーモアの中で再構成してきた。ジョン・ポール・ジョーンズの参加によって、本作は過去の作品よりも演奏や録音の輪郭がはっきりし、ロック・アルバムとしての骨格が明確になっている。

ただし、これはバットホール・サーファーズが普通のオルタナティヴ・ロック・バンドになったという意味ではない。『Independent Worm Saloon』には、以前よりも明確なリフ、短くまとまった曲、ラジオ向けにも届きうる構成が増えているが、その中身は依然として歪んでいる。ギビー・ヘインズの声は、説教師、道化、狂人、悪夢の案内人のように変化し、ポール・リアリーのギターはヘヴィでありながら、どこか悪ふざけの匂いを持つ。歌詞には暴力、性、身体、動物、宗教、薬物的なイメージ、アメリカの低俗文化が混ざり合い、笑いと嫌悪が同時に発生する。

アルバム・タイトルの『Independent Worm Saloon』も象徴的である。「Independent」は独立した、インディペンデントな、という意味を持ち、バンドの地下出身の精神を示す。一方で「Worm Saloon」は、虫の酒場、蠢くものたちのサロンのような奇妙なイメージを作る。ここには、ロックンロールの社交場を腐敗した地下の生物たちの集会場へ変えてしまう、バットホール・サーファーズらしい悪趣味な想像力がある。メジャーから出ているにもかかわらず、タイトルはあくまで腐った独立精神を掲げている。

音楽的には、本作はバットホール・サーファーズの中でも比較的ギター・ロック寄りである。「Who Was in My Room Last Night?」は、彼らのキャリアでも特にストレートなロック・シングルであり、MTVでも注目を集めた。一方で、「The Annoying Song」や「Dust Devil」「Some Dispute Over T-Shirt Sales」などには、彼ら特有の異常なユーモアと破壊的な感覚が残っている。つまり本作は、彼らが最もロック・バンドらしく聞こえるアルバムのひとつでありながら、そのロック・バンドらしさ自体をどこかで茶化している作品である。

1993年という時代において、本作は非常に特異な位置にある。ニルヴァーナ、パール・ジャム、サウンドガーデン、アリス・イン・チェインズ、スマッシング・パンプキンズなどがオルタナティヴ・ロックを商業的に拡大していた時期、バットホール・サーファーズは、その裏側にあるもっと汚く、もっと下品で、もっと幻覚的な地下の源流を提示した。彼らはグランジ以後のメインストリームに接近したが、完全には飲み込まれなかった。むしろメジャーのフォーマットの中に、地下の腐臭を持ち込んだ。

後世への影響も大きい。バットホール・サーファーズの悪趣味なサイケデリア、ノイズとユーモアの融合、ロックの伝統を歪める姿勢は、ニルヴァーナ、メルヴィンズ、フレーミング・リップス、ベック、ミスター・バングル、さらには日本のボアダムス周辺の感覚とも響き合う。『Independent Worm Saloon』は、初期の怪作群ほど極端ではないが、その分、彼らの異常性が1990年代オルタナティヴ・ロックの中でどう鳴り得たかを示す重要作である。

全曲レビュー

1. Who Was in My Room Last Night?

「Who Was in My Room Last Night?」は、本作を象徴する代表曲であり、バットホール・サーファーズの中でも最もストレートなロック・ナンバーのひとつである。タイトルは「昨夜、俺の部屋にいたのは誰だ?」という意味で、記憶の欠落、酩酊、混乱、不信、乱れた夜の感覚を端的に示している。

音楽的には、ヘヴィなギター・リフと直線的なビートが中心で、グランジ以降のオルタナティヴ・ロックの文脈でも十分に通用する強さを持つ。ジョン・ポール・ジョーンズのプロデュースによって、音は過去作よりも明瞭で、リフの力が前面に出ている。しかし、ギビー・ヘインズの声と歌詞の不穏さによって、一般的なハードロックにはならない。曲には常に酩酊した歪みがある。

歌詞では、部屋に誰かがいたという状況が示されるが、何が起きたのかは明確ではない。記憶が曖昧で、現実と妄想の境界が崩れている。これはバットホール・サーファーズの音楽に頻繁に現れるテーマである。自分の身体や部屋さえ、自分のものとして確信できない。ストレートなロックの形を取りながら、内側には強烈な不安と不快感がある。

2. The Wooden Song

「The Wooden Song」は、前曲のヘヴィな勢いから一転して、アコースティックで奇妙な雰囲気を持つ楽曲である。タイトルは「木の歌」と訳せるが、そこには素朴さと同時に、人形や棺、乾いた物質感のような不気味さも感じられる。バットホール・サーファーズは、牧歌的な音をそのまま美しく使うのではなく、どこか歪んだ民謡のように響かせる。

音楽的には、比較的静かで、フォーク的な感触がある。だが、普通のアコースティック・ソングの温かさとは違い、声やメロディには奇妙な不安定さがある。音数が少ない分、ギビー・ヘインズの歌の異様さが目立つ。彼の声は優しいようでいて、どこか信用できない語り手のように響く。

歌詞は明確な物語よりも、木、身体、乾いた風景のような感覚を残す。前曲のロック的な爆発の後にこの曲が置かれることで、アルバムは単なるヘヴィなオルタナティヴ作品ではなく、バンドの奇妙なフォーク/サイケデリック性も含んでいることを示す。静かな曲でありながら、十分に不気味である。

3. Tongue

「Tongue」は、身体の一部である舌をタイトルにした楽曲である。舌は言葉を発する器官であり、味覚、性、嘘、暴力、身体的な接触とも結びつく。バットホール・サーファーズの世界では、身体のパーツはしばしばグロテスクで滑稽なものとして扱われるが、この曲もその系譜にある。

音楽的には、ヘヴィなギターと粘り気のあるリズムが印象的である。曲全体に肉体的な重さがあり、タイトルが示すように、音そのものが湿っているような感触を持つ。ギターは鋭く切るというより、身体の中からうねるように鳴る。

歌詞では、舌をめぐる欲望や言葉の暴力が暗示される。舌は人を誘惑することも、傷つけることも、嘘をつくこともできる。バットホール・サーファーズにとって、言葉は意味を伝えるだけでなく、身体的な音であり、時には不快な器官の動きでもある。この曲では、その身体性が強く出ている。

4. Chewin’ George Lucas’ Chocolate

「Chewin’ George Lucas’ Chocolate」は、タイトルだけで強烈な悪趣味とポップ・カルチャー感覚を示す楽曲である。ジョージ・ルーカスという大衆映画文化の象徴的存在と、チョコレートを噛むという幼稚で身体的な行為が結びつくことで、バットホール・サーファーズらしい不条理なイメージが作られている。

音楽的には、短く、勢いのある奇妙なロック・トラックである。曲は明快な物語を語るより、タイトルの異常さと音の衝撃によって聴き手に印象を残す。バンドのユーモアは、洗練された風刺というより、低俗な冗談と文化的引用を乱暴にぶつける形で現れる。

この曲は、1990年代オルタナティヴにおけるポップ・カルチャーの消費感覚とも関係する。スター・ウォーズ的な巨大な文化記号さえ、バットホール・サーファーズの手にかかると、口の中で噛み砕かれるチョコレートのようなものになる。高尚さも神話性もなく、ただ消費され、溶け、汚れる。この悪ふざけが、彼らの反文化的な姿勢をよく示している。

5. Goofy’s Concern

「Goofy’s Concern」は、タイトルにディズニーのキャラクターであるグーフィーを思わせる言葉が含まれる。グーフィーは本来、間抜けで親しみやすいキャラクターだが、バットホール・サーファーズの文脈では、その無邪気さが不気味なものへ変換される。「Concern」は心配や関心を意味し、滑稽さと不安が同時に存在するタイトルである。

音楽的には、ヘヴィなギター・ロックの骨格を持ちつつ、どこか歪んだコミカルさがある。曲のリフやリズムにはしっかりした推進力があり、メジャー期の彼ららしい聴きやすさもある。しかし、歌唱や曲の空気は単純なロックンロールの快感に収まらない。

歌詞では、何かを心配しているようで、実際にはその心配自体が滑稽であるような感覚が漂う。バットホール・サーファーズは、子ども向け文化やアニメ的な記号を、しばしば悪夢的なものへ変える。ここでも、親しみやすいはずの「Goofy」的なイメージが、荒れたギターの中で奇妙な不安へ変わる。

6. Alcohol

「Alcohol」は、タイトル通りアルコールを題材にした楽曲である。バットホール・サーファーズの世界において、アルコールや薬物的な酩酊は単なる享楽ではなく、現実認識を崩し、身体を変形させ、言葉を壊す力として機能する。

音楽的には、比較的ストレートなロック・ソングの形を持ちながら、演奏にはだらしない酩酊感がある。リフは力強いが、曲全体はどこか歪み、安定しきらない。これは題材とよく合っている。アルコールは一時的な高揚を与えるが、同時に意識と身体の制御を奪う。

歌詞では、飲酒、逃避、自己破壊、日常からの離脱が暗示される。バンドのユーモアによって、曲は説教臭くならない。しかし、笑えるだけではなく、そこには破滅的な感覚もある。バットホール・サーファーズは、快楽を美化せず、酔いの汚さや馬鹿馬鹿しさもそのまま音にする。この曲はその姿勢をよく示している。

7. Dog Inside Your Body

「Dog Inside Your Body」は、本作の中でも特にグロテスクで、バットホール・サーファーズらしいタイトルを持つ楽曲である。「あなたの体の中の犬」という言葉は、動物性、身体内部、異物感、野生の衝動を連想させる。体の中に犬がいるというイメージは滑稽でありながら、非常に不快でもある。

音楽的には、やや不穏なリズムと重いギターが中心である。曲には動物的なうねりがあり、身体の内側で何かが暴れているような感覚を作る。ギビー・ヘインズの声も、人間的な語りというより、身体の奥から聞こえる異物の声のように響く。

歌詞では、自己の内側にある制御不能な衝動が、犬というイメージで表現されているように聞こえる。犬は忠実な動物であると同時に、野性や欲望、吠える声、嗅覚的な身体性を持つ。人間の身体の中に犬がいるという発想は、理性の奥にある動物性を極端な形で示している。バットホール・サーファーズの身体観がよく表れた楽曲である。

8. Strawberry

「Strawberry」は、タイトルだけを見ると甘く可愛らしいイメージを持つが、バットホール・サーファーズのアルバムの中に置かれることで、その甘さはすぐに歪む。苺はポップ・ソングやサイケデリアにおいて、甘美さ、子どもっぽさ、薬物的な色彩を連想させるが、ここではどこか不吉な感触もある。

音楽的には、比較的メロディアスでありながら、サウンドにはざらつきがある。完全に明るい曲にはならず、甘い表面の下に腐った果実のような感覚がある。バットホール・サーファーズは、甘いモチーフを使うときほど、その裏側の不快さを強調する傾向がある。

歌詞では、苺というイメージを中心に、欲望、記憶、甘さ、腐敗が暗示される。単純なラヴ・ソングではなく、甘いものを口に入れたときの身体的な感覚や、その甘さがすぐに気持ち悪さへ変わる瞬間が重要である。ポップなタイトルを持ちながら、十分に異様な曲である。

9. Some Dispute Over T-Shirt Sales

「Some Dispute Over T-Shirt Sales」は、バンドの物販やツアー生活の現実を思わせる、非常に具体的で妙に事務的なタイトルを持つ楽曲である。「Tシャツ販売をめぐるいくつかの揉め事」という言葉は、ロックの神話性とは正反対に、ツアーの裏側にある金銭、契約、揉め事、くだらなさを示している。

音楽的には、荒々しいロックとして進むが、タイトルのせいで曲全体がどこか滑稽に響く。バットホール・サーファーズは、ロック・バンドの偉大さや神秘性を破壊するのが得意である。ここでは、ステージ上の狂気の裏に、Tシャツの売上をめぐる争いがあるという現実が提示される。

歌詞やタイトルからは、音楽産業やバンド運営の低俗で現実的な側面が浮かぶ。ロックンロールは反抗や自由を掲げるが、実際には物販、金、契約、配分の問題から逃れられない。この曲は、バンド自身のメジャー移行期の状況とも重なり、地下バンドが商業システムの中に入ることの滑稽さを感じさせる。

10. Dancing Fool

「Dancing Fool」は、フランク・ザッパの楽曲タイトルとしても知られる言葉だが、ここでは踊る愚か者、あるいは踊らされる愚か者というイメージが中心にある。ダンスは自由や快楽の表現である一方、他者や社会に動かされることの比喩にもなりうる。

音楽的には、ロックのリズムに乗りながらも、どこか歪んだダンス感がある。バットホール・サーファーズのグルーヴは、洗練されたファンクやダンス・ロックとは異なり、酩酊した身体が勝手に動いてしまうような不格好さを持つ。その不格好さが曲の魅力である。

歌詞では、踊ることの滑稽さ、自己を失うこと、見世物になることが暗示される。愚か者として踊ることは、恥ずかしいことでもあるが、同時に理性から解放されることでもある。バットホール・サーファーズは、こうした恥と快楽の境界を好む。この曲はその境界に立つ楽曲である。

11. You Don’t Know Me

「You Don’t Know Me」は、本作の中では比較的直接的なタイトルを持つ楽曲である。「あなたは私を知らない」という言葉は、疎外感、誤解、自己防衛、他者への拒絶を示す。バットホール・サーファーズの音楽は悪ふざけが多いが、その奥にはしばしば強い孤立感がある。

音楽的には、荒れたギターとヴォーカルが前面に出る。曲には攻撃性があり、タイトルの拒絶感とよく合っている。ギビー・ヘインズの声は、相手を突き放すようでありながら、どこか不安定で傷つきやすくも聞こえる。

歌詞では、他者に理解されることへの不信が描かれる。これはバンド自身の立場にも重ねて読める。彼らはメジャー・レーベルに進出し、より多くのリスナーに届くようになったが、本当に理解されているのかという問いが残る。異常なバンドが大衆に見られるとき、その異常性はしばしば誤解され、商品化される。この曲には、その拒否反応があるように感じられる。

12. The Annoying Song

「The Annoying Song」は、タイトル通り「うっとうしい曲」を自称する楽曲である。バットホール・サーファーズの自己言及的なユーモアが非常によく表れた曲であり、聴き手を楽しませるだけでなく、わざと苛立たせることも自分たちの音楽の一部にしてしまう姿勢が見える。

音楽的には、反復的で、耳に引っかかる要素が強い。タイトル通り、心地よさよりも引っかかりや不快感を重視している。だが、その不快さは無計画ではなく、聴き手の反応を計算した悪ふざけとして機能している。

この曲は、バットホール・サーファーズの美学を端的に示す。彼らにとって音楽は、必ずしも美しいもの、気持ちよいもの、感動的なものではない。音楽は不快で、馬鹿馬鹿しく、しつこく、迷惑なものにもなり得る。その可能性を堂々とタイトルにしてしまうところが、このバンドらしい。

13. Dust Devil

「Dust Devil」は、砂塵旋風を意味するタイトルを持つ楽曲である。乾いた土地、アメリカ南西部的な風景、突然巻き上がる塵、荒野の不穏な自然現象が連想される。テキサス出身のバンドであるバットホール・サーファーズにとって、こうした乾いた土地のイメージは重要である。

音楽的には、砂っぽく、ざらついたギター・サウンドが印象的である。曲には疾走感というより、乾いた風が渦を巻くような感覚がある。サイケデリックでありながら、湿った幻覚ではなく、日差しと埃にやられるような乾いた幻覚である。

歌詞では、自然現象としての砂塵旋風と、内面的な混乱が重なる。Dust Devilは小さな竜巻のような現象であり、完全な破壊ではないが、突然視界を奪い、方向感覚を失わせる。バットホール・サーファーズの音楽も同じように、聴き手の感覚を少しずつ狂わせる。この曲は、彼らの土地性とサイケデリアが結びついた重要曲である。

14. Leave Me Alone

「Leave Me Alone」は、「放っておいてくれ」という直接的な拒絶を示す楽曲である。『Independent Worm Saloon』全体には、メジャー進出によって注目を浴びるバンドの状況も背景にあるため、このタイトルは非常に意味深い。大きな市場に出ながらも、同時に放っておいてほしいという矛盾した感情がある。

音楽的には、荒く、力強いロック・ナンバーである。曲はシンプルな怒りを持ち、聴き手に対しても、業界に対しても、社会に対しても突き放すように響く。ギターは厚く、ヴォーカルには苛立ちがある。

歌詞では、他者からの干渉への拒否が中心にある。これは個人的な人間関係にも、メディアからの視線にも、バンドが置かれた商業的状況にも当てはまる。バットホール・サーファーズは、大衆に向けて音を鳴らしながら、その大衆を拒絶するようなバンドである。この曲はその矛盾をストレートに表現している。

15. Edgar

アルバム最後を飾る「Edgar」は、短く人名のようなタイトルを持つ楽曲である。具体的な意味は明確ではないが、バットホール・サーファーズの終曲らしく、明るい結論や感動的な大団円を提示するものではない。むしろ、奇妙な人物名だけを残してアルバムが閉じるような感覚がある。

音楽的には、終曲としてはやや不穏で、余韻を残す。『Independent Worm Saloon』は、比較的ロック・アルバムとして聴きやすい構成を持ちながらも、最後まで完全に整うことはない。「Edgar」は、その整わなさを最後に残す役割を持っている。

タイトルの「Edgar」は、エドガー・アラン・ポー的なゴシックな連想を呼ぶ可能性もあり、また単なる謎の人物名としても機能する。バットホール・サーファーズは、最後に意味を説明しない。聴き手は、奇妙な名前と不安定な音を残されたままアルバムを終えることになる。この終わり方は、彼らの美学にふさわしい。

総評

『Independent Worm Saloon』は、バットホール・サーファーズがメジャー・レーベル期において、最もロック・バンドとしての輪郭を明確にしたアルバムである。初期の『Locust Abortion Technician』や『Rembrandt Pussyhorse』のような極端な悪夢性や音響的な混沌はやや後退しているが、その代わりに、リフ、曲構成、音圧、録音の明瞭さが強まり、1990年代オルタナティヴ・ロックの文脈で聴きやすい作品になっている。

しかし、聴きやすくなったからといって、バットホール・サーファーズが普通になったわけではない。本作には、依然として悪趣味なユーモア、身体的な嫌悪、酩酊した現実感、ポップ・カルチャーの不条理な引用、地下的な腐敗感が強く残っている。「Who Was in My Room Last Night?」のようなロック・シングルでさえ、記憶の欠落と不穏な夜の感覚に満ちている。「Dog Inside Your Body」「The Annoying Song」「Some Dispute Over T-Shirt Sales」などは、普通のメジャー・ロック・アルバムではあり得ない題材と感覚を持つ。

本作の成功は、ジョン・ポール・ジョーンズのプロデュースにも大きく関係している。彼の手腕によって、バンドの演奏は過去作よりも整理され、ヘヴィ・ロックとしての強さが明確になった。特にギター・リフの存在感やリズムの押し出しは、バットホール・サーファーズの音楽をより広いリスナーへ届ける助けとなっている。一方で、過度に整えられすぎていないため、バンドの異常性は保たれている。このバランスが本作の大きな魅力である。

1993年という時代において、本作は非常に象徴的である。オルタナティヴ・ロックがメインストリームへ進出した結果、かつてなら地下にしか存在し得なかったバンドが、メジャーの流通に乗るようになった。だが、バットホール・サーファーズは、その流れに単純に適応したわけではない。彼らはメジャーのスタジオと予算を使いながら、ロックの下品さ、馬鹿馬鹿しさ、危険さ、不快さを保ち続けた。『Independent Worm Saloon』は、オルタナティヴが商業化される時代に、その商業化に完全には浄化されなかった作品である。

アルバム全体のテーマとしては、身体、酩酊、商業化、孤立、悪ふざけが繰り返し現れる。「Tongue」「Dog Inside Your Body」では身体の奇妙さが前面に出る。「Alcohol」や「Who Was in My Room Last Night?」では酩酊と記憶の欠落が扱われる。「Some Dispute Over T-Shirt Sales」では、ロック・バンドの商業的な現実が滑稽に描かれる。「Leave Me Alone」では、注目されながらも拒絶する矛盾した姿勢が示される。これらは、バンド自身のメジャー期の状況とも深く結びつく。

日本のリスナーにとって本作は、バットホール・サーファーズの入門として比較的聴きやすい一枚である。『Locust Abortion Technician』のような極端な悪夢性にいきなり入るより、本作の方がロック・アルバムとしての手触りが明確である。しかし、そこから先へ進むと、彼らのより深い異常性が見えてくる。つまり『Independent Worm Saloon』は、バットホール・サーファーズの狂気をメジャー・ロックの形式で体験するための入口として機能する。

一方で、本作は初期作品を好むリスナーからは、やや整理されすぎた作品として見られることもある。確かに、初期の完全に制御不能な音響や、悪夢のような混沌は弱まっている。しかし、その代わりに、本作にはロック・バンドとしての強靭さがある。バットホール・サーファーズが単なる実験集団ではなく、強力なリフとグルーヴを持つバンドでもあったことがよく分かる作品である。

総じて『Independent Worm Saloon』は、バットホール・サーファーズのメジャー期を代表する重要作であり、1990年代オルタナティヴ・ロックの奇妙な産物である。地下の悪趣味とメジャーの録音環境、ノイズ・ロックの異常性とハードロックのリフ、サイケデリックな混乱とポップ・カルチャーの低俗さが、一つの不潔な酒場に集まっている。タイトル通り、ここは独立した虫たちのサルーンであり、聴き手はその中で、笑い、不快になり、酔い、少しだけロックの意味を疑うことになる。

おすすめアルバム

1. Butthole Surfers『Locust Abortion Technician』(1987年)

バットホール・サーファーズの最重要作のひとつであり、悪夢的なサイケデリア、ノイズ、スラッジ、ブラック・ユーモアが極限まで濃縮されたアルバムである。『Independent Worm Saloon』よりもはるかに混沌としており、バンドの地下時代の狂気を理解するために欠かせない。

2. Butthole Surfers『piouhgd』(1991年)

『Independent Worm Saloon』の直前に発表された作品で、インディー期からメジャー期への移行を感じさせるアルバムである。ローファイな不安定さと、より明確なロック・ソングの形が混在しており、本作へ至る流れを知るうえで重要である。

3. Melvins『Houdini』(1993年)

同じ1993年に発表された、メルヴィンズの代表作である。ヘヴィなリフ、スラッジ的な重さ、グランジ以後のメジャー環境との接触という点で、『Independent Worm Saloon』と強く響き合う。地下の異形バンドがメジャー期にどう鳴ったかを比較するうえで有効である。

4. The Jesus Lizard『Goat』(1991年)

アメリカン・ノイズ・ロックを代表する名盤であり、タイトな演奏、暴力的なヴォーカル、乾いた不穏さが特徴である。バットホール・サーファーズとは異なる冷たい緊張感を持つが、1990年代前半の異常なロックの重要な比較対象となる。

5. Nirvana『In Utero』(1993年)

同じ1993年に発表された、メジャー・オルタナティヴの代表的作品である。バットホール・サーファーズから影響を受けたニルヴァーナが、メインストリームの中でどのようにノイズと不快感を持ち込んだかを聴くことができる。『Independent Worm Saloon』と並べることで、1993年のオルタナティヴ・ロックの幅がよく分かる。

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