イントロダクション
ステージに一歩踏み出した瞬間、彼は真紅のスーツのまま膝を折り、頭上へマイクを突き上げる。
グルーヴはヒップホップの呼吸で脈打ち、ギターはプリンス直系のファルセットをなぞり、突如放たれるシャウトがパンクの疾走を呼び覚ます。
ガーナ生まれオーストラリア育ち、Genesis Owusu――その音楽は多国籍なルーツと都市型アングストを同時に抱え込みながら、“ブラック・ドッグ”と呼ばれる内なる闇を踊りへと変換していく。
バックグラウンドと歴史
1998年、アクラで生まれた子どもは３歳で家族と共にキャンベラへ移住した。
兄は詩人で、週末には自宅リビングでスラムポエトリーを実演。
リリックの語感に早くから魅了された彼は、高校で友人とヒップホップクルーを組み、Haymarket の小箱でフリースタイルを披露していた。
2017年、EP Cardriveを自主リリース。
その一曲 Whip Cracker が地元ラジオの深夜枠で評判となり、Triple J Unearthed が早耳プレイリストに追加。
2021年、初フルアルバム Smiling with No Teeth を Kobalt/AWAL から発表。
“差別”を擬人化した赤い犬、“鬱”を擬人化した黒い犬というコンセプチュアルな二頭の獣をテーマに掲げ、ARIA Awards で４冠を獲得する快挙を遂げた。
2023年８月にはセカンド作 STRUGGLER を発表。
ファンク、ニューウェーブ、ダブ、ポストパンクを更にクロスオーバーさせ、Rolling Stone 誌は「ケンドリック・ラマーが Talking Heads をプロデュースしたら」と評した。
2024年夏、フジロックのホワイトステージを熱狂で包み、翌年はブルーノ・マーズのオセアニアツアー前座に抜擢されるなど、舞台は一気に地球規模へ拡大している。
音楽スタイルと特徴
キックは110BPM前後で跳ねるファンクの足取り。
ベースはクラヴィ式シンセと生演奏を重ね、サブウーファーを震わせる低域とメロディラインの両方を担う。
そこへニューウェーブ由来のギターカッティングとゴスペル風コーラスが折り重なり、楽曲は数分ごとに形態を変幻させる。
イメージの核となるのは“ブラック・ドッグ”――ガーナの民話で不吉を告げる犬と、ウィンストン・チャーチルが鬱を比喩した言葉を重ねたメタファーだ。
悩みや差別を抽象概念ではなく犬として描くことで、彼はステージ上でその「犬」を追い払い、噛みつき、手懐ける儀式を演じる。
観客はその様子を目撃しながら、自身の中にも潜む獣の影を思い出す。
代表曲の解説
・Whip Cracker
ダーティなベースとカウベルが跳ね、サビで一気にパンクへ加速。
鞭を鳴らすSEが「規律と抵抗」のバトルを可聴化する。
・Gold Chains
太いロボットファンクの上で、成功と虚しさを天秤にかける。
アウトロのゴスペルコーラスは偽りの栄光を溶かす炎のように広がる。
・Get Inspired
ハードコア寄りギターフィードバックからダンスビートへ急旋回。
自己啓発ビジネスを皮肉りつつ、最後には笑い飛ばして解放する快感を残す。
・Leaving the Light
STRUGGLER のリード曲。
春の雷のようなディストーションと乾いたハンドクラップが共存し、〈光はドアの外にある、走れ〉とリフレイン。
ライブでは客席全員が両手を掲げて跳ねるクライマックス。
アルバムごとの進化
| 年 | タイトル | 主な要素 |
|---|---|---|
| 2021 | Smiling with No Teeth | ファンク＋ヒップホップ＋ポストパンク。二頭の犬という比喩で差別と鬱を描写 |
| 2023 | STRUGGLER | BPMを上げ、ダブやニューウェーブを注入。抵抗と成長のプロセスを昆虫の脱皮になぞらえる |
影響を受けた音楽と文化
・Prince のワンマン・ファンク
・Talking Heads『Remain in Light』期のアフロポリリズム
・Bad Brains のハードコア精神
・ガーナ伝統音楽ハイライフのギターライン
・アートワークにはノイズ漫画家つげ義春の影響も公言
影響と波及
Genesis Owusu の躍進を受け、オーストラリアではアフロディアスポラを背景に持つ若手アクトが一斉に浮上。
Triple J は 2024 年の“可能性リスト”上位を有色系アーティストが占め、フェスラインナップの多様化が一気に進んだ。
また、差別を「犬」として擬人化する語り口は SNS 上でミーム化し、メンタルヘルス啓発のキービジュアルとしても引用されている。
オリジナル要素
- 蜂の羽根サンプル
STRUGGLER 収録曲に実際の蜂や蛾の羽音をハイハット代わりに取り込み、焦燥感を演出。 - セカンドライン形式のアンコール
ライブ終盤、ブラス隊と観客を引き連れ場外パレードを行い、都市の夜へグルーヴを解放。 - “Black Dog Ballet”
ミュージックビデオでクラシックバレエの振付を黒い犬マスクのダンサーに踊らせ、暴力と優雅を同居させる映像美を確立。
まとめ
Genesis Owusu の音楽は、夜明け前の高速道路を窓全開で走るような疾走感と、バックミラーにちらつく影の両方を抱え込む。
跳ねるビートで身体を解放しつつ、心の奥に潜む獣へ静かに目を向ける儀式。
次章で彼がどんな獣を連れ、どんな新しいリズムを奏でるのか。
闇の中で身構えながら、そこへ差し込む赤と金色の光を待ち受けたい。
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