発売日: 2024年3月8日
ジャンル: アンビエント・フォーク、ローファイ、インディー・ロック、エレクトロニック
概要
『East My Love』は、ニック・ラスプーリによるソロプロジェクトCurrent Joysの9作目のスタジオ・アルバムであり、
**彼のキャリアにおいて最も静謐で、最も映像的な“音の詩集”**と位置づけられる作品である。
前作『Love + Pop』『Love + Pop Pt. 2』での激しい実験性とサウンドの破壊を経て、
本作では一転して、音の余白と時間の流れそのものに耳を澄ますような内省的トーンが中心となる。
まるで心の東側、日が差す方角=希望や再生の入り口へと静かに向かっていくような旅路が描かれる。
アルバムタイトル『East My Love』には、ニック自身が語るように、
“自分の心の奥に向かう方角”という象徴的な意味が込められている。
また、映像作家でもある彼の資質がより音楽的にも発揮されており、
楽曲それぞれが短編映画のような静かな情景描写として構成されている。
全曲レビュー(抜粋)
1. “Sunrise in Reno”
出身地リノで迎える夜明け。
風景描写と共に始まるこのトラックは、郷愁と現在の自己の交差点を象徴している。
シンセのレイヤーとフィールドレコーディングの音が、まるで記憶の中を歩いているような印象を与える。
3. “East My Love”
表題曲にしてアルバムの感情的中心。
フォークギターとノイズの中間を揺らぐようなサウンドで、“愛”という名の方角を探し続ける。
「東へ、わたしの愛よ」と繰り返されるフレーズが、再生への祈りのようにも響く。
5. “Voice Note to Myself”
ボイスメモ風のトラック。
ニック自身の語りがそのまま収録され、自問自答、自己対話、記憶の断片が音として綴られる。
音楽というよりも、“心の記録”として存在するユニークな楽曲。
6. “Two Birds”
アコースティックギター主体の小曲。
2羽の鳥が飛ぶ風景に、過去の恋人と自分の関係性を重ねている。
比喩表現が多用されるが、その抑制された語りが逆に感情の深さを際立たせている。
8. “Static Silence”
無音に近いイントロから徐々に音が立ち上がる。
“ノイズの中の静けさ”という逆説を体現した曲で、都市と心の喧騒を沈めるような効果を持つ。
本作のアンビエント的側面を象徴するナンバー。
11. “The Edge of Morning”
夜明け直前、最も暗い時間のメタファー。
言葉少ななギターと、遠くで鳴るようなパッド音が織りなすサウンドスケープは、
光に届きそうで届かない場所に立つ感情を丁寧に描き出す。
総評
『East My Love』は、Current Joysが“叫び”から“囁き”へと移行した記録である。
前作で提示されたポップの破壊と再定義のあとに、
今作では音の余白、感情の輪郭、時間の質感といったものが丁寧に織り込まれている。
その結果、楽曲たちは決して派手ではないが、
まるで旅先で綴られた日記のような親密さと、
声にならない感情を手触りのある音で伝える繊細さを獲得している。
“愛”とはなにか、“再生”はどこにあるのか、
ニック・ラスプーリはそれを叫ぶのではなく、耳元でそっと囁くように伝えてくるのだ。
この作品は、夜明けを迎えるすべての“あなた”に向けた静かなラブレターである。
おすすめアルバム(5枚)
- Grouper – Shade (2021)
静謐なギターと囁きの歌声が織りなす感情の微風。『East My Love』の繊細さと共鳴。 - Mount Eerie – Sauna (2015)
音と沈黙の間で語られる哲学的な詩。風景と心情の重なりが似ている。 - Nick Drake – Pink Moon (1972)
極限まで削ぎ落とされた表現の中にある深い抒情。孤独と再生の感覚が通底する。 - Alex G – God Save the Animals (2022)
宅録からスピリチュアルなポップへと移行した音像。変化のプロセスに共通点がある。 - Sufjan Stevens – Carrie & Lowell (2015)
喪失と愛を題材にした個人史的フォークの傑作。私的で静かな語りが呼応する。
歌詞の深読みと文化的背景
『East My Love』の歌詞には、旅、風景、自然、自己の影といった詩的モチーフが数多く散りばめられている。
それらはすべて、自己回復と感情の解凍を目的とした**“静かな儀式”としての音楽**に昇華されている。
また、東という方角は、**希望、再出発、そして“光が差す方向”**として機能しており、
それは宗教的、哲学的なレイヤーでも意味づけ可能である。
ニックの旅するアーティストとしての在り方が、ここでは“方角の比喩”として明確に現れている。
この作品は、“ポップ”がうるさい世界で、
静かに愛を語るというラジカルな選択をとった、稀有なアルバムである。
『East My Love』は、耳で聴くものというより、心で触れるための音楽なのだ。
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