
1. 楽曲の概要
「Doesn’t Matter」は、ニュージーランド出身のシンガーソングライター、BENEEが2021年に発表した楽曲である。2022年のEP『Lychee』に収録され、同作では6曲目に置かれている。楽曲はBENEEとGreg Kurstinによって書かれ、プロデュースもGreg Kurstinが担当した。『Lychee』は2022年3月4日にRepublic Recordsからリリースされた7曲入りのEPであり、「Doesn’t Matter」はその先行シングルとして2021年10月に公開された。
BENEEは、2019年の「Soaked」や、Gus Dappertonを迎えた「Supalonely」によって国際的な注目を集めたアーティストである。軽やかなインディー・ポップ、ベッドルーム・ポップ、オルタナティヴR&Bの要素を持ちながら、歌詞では孤独、不安、自己嫌悪、恋愛の失敗をしばしば扱う。「Doesn’t Matter」は、その中でもメンタルヘルスの問題をかなり直接的に扱った曲である。
タイトルの「Doesn’t Matter」は「たいしたことじゃない」「気にしなくていい」と訳せる。しかしこの曲では、その言葉が慰めとして機能していない。むしろ、不安や強迫的な思考を抱える人に対して、周囲が軽く投げかける言葉の不十分さを示している。BENEEは、本人が感じている苦しさと、外側からの「大丈夫」「気にしすぎ」という反応のずれを歌にしている。
『Lychee』全体は、恋愛、孤独、不安、自己回復、個人的な成長を扱う作品である。その中で「Doesn’t Matter」は、EPの終盤に置かれた内省的な曲として機能する。「Marry Myself」が自分を選び直す軽やかな自己肯定の曲であるのに対し、「Doesn’t Matter」は、その前提にある不安や苦しさをより静かに見つめている。
2. 歌詞の概要
「Doesn’t Matter」の歌詞は、不安や強迫的な思考にとらわれる語り手の内面を描く。語り手は、何も考えずにいられる人の状態を想像し、それを羨ましく感じている。自分は頭の中の考えに消耗し、落ち着くことができない。ここで描かれる苦しさは、単なる一時的な心配ではなく、思考が止まらない状態に近い。
歌詞には、指を交差させる、スイッチを切る、家に何かが潜んでいるのではないかと考えるといった、強迫観念や不安を連想させる行動やイメージが出てくる。これらは、大げさな比喩というより、不安を抱える人が日常の中で感じる「理由のはっきりしない怖さ」を表している。外から見れば些細なことでも、本人にとっては無視できない。
曲の中心にあるのは、「それは問題ではない」と言われても、本人にとっては問題であり続けるという感覚である。周囲は悪意なく励まそうとする。しかし「気にしないで」「大丈夫」といった言葉は、しばしば当事者の苦しみを軽く扱ってしまう。BENEE自身もインタビューで、そうした言葉は助けたい気持ちから出るものだとしても、実際には十分ではないと語っている。
この曲は、メンタルヘルスを劇的な悲劇として演出しない。声は穏やかで、サウンドも過度に暗くはない。しかし、その抑制された表現によって、日常的に続く不安の質感がよりはっきり伝わる。大きく壊れる瞬間ではなく、毎日の中で少しずつ疲れていく状態を描いた曲である。
3. 制作背景・時代背景
「Doesn’t Matter」は、『Lychee』の中でも早い段階で制作された楽曲の一つとされる。BENEEはこの曲で、自身の不安やうつ、OCDの診断を含むメンタルヘルスの経験に触れている。彼女は、こうした問題を抱えていない人には、その苦しさが理解されにくいこと、また「心配しないで」といった言葉だけでは解決しないことを説明している。
『Lychee』は、BENEEが2020年のデビュー・アルバム『Hey U X』以降に発表したEPである。パンデミック期の孤独や不安、ロサンゼルスとニュージーランドを行き来する中での変化、恋愛や自己認識が作品全体に反映されている。BENEEはこのEPについて、暗い感情だけでなく、自分自身の変化や成長も含めた作品として語っている。
プロデューサーのGreg Kurstinは、Adele、Sia、Beck、Foo Fightersなど、幅広いアーティストとの仕事で知られる人物である。「Doesn’t Matter」では、彼のプロダクションは派手に曲を飾るのではなく、BENEEの声と言葉を前に出す方向で機能している。ギター、キーボード、ドラム、ベースは整理されており、曲は落ち着いたテンポで進む。
2020年代初頭のポップ・ミュージックでは、メンタルヘルスを直接扱う曲が以前より多く共有されるようになった。Billie Eilish、Clairo、girl in red、BENEEなど、若い世代のアーティストは、不安や孤独を隠さず歌詞に取り入れている。「Doesn’t Matter」もその流れの中にあるが、BENEEらしいのは、重さを過度に劇化せず、普段の声の延長として歌っている点である。
4. 歌詞の抜粋と和訳
What’s it like to not have to think about it?
和訳:
それについて考えなくていいって、どんな感じなんだろう?
この一節は、曲の主題を端的に示している。語り手は、不安から自由な状態を想像している。しかしそれは自分にとって遠いものであり、だからこそ問いの形で歌われる。考えずにいられること自体が、語り手には特別なことに見えている。
Maybe I’m consumed by my mental
和訳:
たぶん私は、自分の心にのみ込まれている
ここでは、精神的な不調が外側からの出来事ではなく、自分の内側から広がるものとして表現される。「consumed」という言葉には、食い尽くされる、支配されるという感覚がある。語り手は不安を持っているだけではなく、不安に生活全体を覆われている。
It doesn’t matter
和訳:
そんなの問題じゃない
タイトルにもなるこの言葉は、曲の中で単純な慰めとしては響かない。むしろ、周囲が問題を小さく見積もるときの言葉として聞こえる。語り手の側からすれば、それはまさに問題であり、簡単に片づけられるものではない。
歌詞の権利はBENEEおよび各権利者に帰属する。本稿では批評・解説の目的で、必要最小限の短いフレーズのみを引用した。
5. サウンドと歌詞の考察
「Doesn’t Matter」のサウンドは、BENEEの曲の中でも比較的抑制されている。大きなビートや明るいフックで押すのではなく、淡いギターやシンセ、柔らかいリズムを中心に進む。テンポはゆったりしており、曲全体に沈んだ空気がある。ただし、完全に暗く沈み切るわけではない。メロディにはBENEEらしい軽さが残っている。
この軽さが、歌詞の重さと重要な対比を作る。不安や強迫的な思考を扱う曲でありながら、サウンドは過度に劇的にならない。これは、メンタルヘルスの問題が日常の中に静かに存在することをよく表している。外から見ると普通に見えるが、内側では思考が止まらない。その状態を、音の控えめな質感が支えている。
BENEEのボーカルは、非常に近い距離で録られているように感じられる。声は大きく張り上げられず、話すように歌われる。この歌い方は、相談や独白に近い。聴き手に向かって強く訴えるというより、自分の中の考えをそのまま外へ漏らしているように聞こえる。だからこそ、歌詞の内容が押しつけがましくならず、個人的な記録として響く。
Greg Kurstinのプロダクションは、曲の親密さを保ちながら、ポップ・ソングとしての形を整えている。音数は必要以上に多くなく、BENEEの声が中心に置かれる。リズムは淡々としているが、単調ではない。曲が進むにつれて、音の層が少しずつ増え、語り手の思考が広がっていくような感覚を作る。
「Doesn’t Matter」は、BENEEの代表曲「Supalonely」と比較すると、彼女の表現の変化がわかりやすい。「Supalonely」は孤独や自己嫌悪を、非常にキャッチーで踊れるポップに変えた曲だった。一方「Doesn’t Matter」は、同じく苦しい感情を扱いながら、もっと直接的で静かである。笑い飛ばすよりも、状態そのものを見つめる曲である。
同じ『Lychee』収録の「Marry Myself」との対比も重要である。「Marry Myself」は、自分自身を選び直すユーモラスな自己肯定の曲である。一方「Doesn’t Matter」は、その自己肯定へ向かう前にある苦しさを描く。自分を愛することは重要だが、それは簡単なスローガンでは済まない。この曲は、その難しさを補足している。
また、「Beach Boy」と比べると、「Doesn’t Matter」はEPの中で最も内向的な曲の一つである。「Beach Boy」は恋愛への憧れと一人でいたい気持ちの揺れを軽やかに描くが、「Doesn’t Matter」は他者との関係よりも、自分の頭の中から抜け出せない感覚に焦点を置いている。EP全体の感情の幅を示すうえで欠かせない曲である。
歌詞の中で印象的なのは、普通の励ましの言葉が効かないという点である。人は不安な相手に対して、しばしば「気にしないで」「大丈夫」と言う。その言葉は悪意ではないが、相手の苦しみを十分に受け止める言葉ではない。「Doesn’t Matter」は、その善意の限界を静かに指摘している。
この曲は、メンタルヘルスを語るうえで重要な視点を持っている。問題は、苦しんでいる人が単に考えすぎていることではない。考えないようにしたくても考えてしまうこと、心配しないように言われても止められないことが問題である。BENEEはその状態を、専門用語で説明しすぎず、日常の言葉とポップ・ソングの形式で伝えている。
6. この曲が好きな人におすすめの曲 5曲
- Happen to Me by BENEE
『Hey U X』収録曲で、不安や死への恐れをかなり直接的に扱っている。「Doesn’t Matter」と同じく、メンタルヘルスや思考の暴走をテーマにしているが、より広い存在不安に向かう曲である。BENEEの内省的な側面を理解しやすい。
- Supalonely by BENEE feat. Gus Dapperton
BENEEの代表曲で、孤独と自己嫌悪を明るいポップに変換した楽曲である。「Doesn’t Matter」よりも軽快だが、苦しい感情を正面から歌う点は共通している。BENEEのユーモアと不安のバランスを知るうえで重要である。
- Doesn’t Matter by BENEE
『Lychee』収録の中心的な内省曲であり、EP全体のメンタルヘルスのテーマを最も直接的に示す曲である。穏やかなサウンドの中に、思考が止まらない苦しさが込められている。
- Why Am I Like This?
自分の考え方や行動を止められないことへの苛立ちを歌った曲である。「Doesn’t Matter」と同じく、自己分析と不安がポップ・ソングの形で表現されている。軽いギター・ポップの中に、深い自己疑念がある。
- Serotonin by girl in red
不安、強迫的な思考、自己破壊的な衝動をかなり直接的に扱った曲である。「Doesn’t Matter」よりもエネルギーが強く、感情の起伏も大きいが、メンタルヘルスを隠さず歌う同世代のポップとして比較しやすい。
7. まとめ
「Doesn’t Matter」は、BENEEのEP『Lychee』に収録された、メンタルヘルスを主題にした重要曲である。2021年に先行シングルとして発表され、不安や強迫的な思考、周囲から理解されにくい苦しさを、抑制されたポップ・サウンドの中で描いている。
タイトルの「Doesn’t Matter」は、慰めの言葉としてではなく、むしろ慰めになりきらない言葉として機能する。本人にとっては切実な問題であるにもかかわらず、外側からは「気にしないで」と言われてしまう。そのずれが、曲の中心にある。
サウンドは穏やかで、BENEEのボーカルも大きく感情を爆発させない。そのため、曲は劇的な悲しみではなく、日常的に続く不安の質感を伝える。Greg Kurstinの整理されたプロダクションは、BENEEの声と言葉を邪魔せず、曲の親密さを保っている。
「Doesn’t Matter」は、BENEEが単に軽やかなインディー・ポップを作るアーティストではなく、若い世代の不安や自己認識を率直に歌えるソングライターであることを示す曲である。明るい自己肯定へ向かう前にある、考えすぎてしまう時間。その苦しさを、静かに、しかし明確に記録した楽曲だといえる。
参照元
- BENEE – Lychee – Apple Music
- BENEE – Doesn’t Matter – Spotify
- BENEE – Doesn’t Matter – Ones to Watch
- GRAMMY.com – BENEE Interview on Lychee
- NME – BENEE on Lychee, Beach Boy and running her own label
- Dazed – New Zealand pop idol Benee is a voice of the pandemic generation
- Happy Mag – BENEE is more charming, astute and vulnerable than ever
- Discogs – BENEE – Lychee
- Wikipedia – Lychee EP

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