
1. 歌詞の概要
Coconutは、Harry Nilssonが1971年に発表したアルバムNilsson Schmilssonに収録された楽曲である。
シングルとしては1972年にリリースされ、アメリカのBillboard Hot 100で8位まで上昇した、Nilssonの代表曲のひとつだ。
タイトルはCoconut。
そのまま、ココナッツである。
曲の内容も、一見すると本当にそれだけのように聞こえる。
兄弟がココナッツを買う。
姉妹がライムを買う。
ライムをココナッツに入れて飲む。
お腹が痛くなる。
医者に電話する。
医者は同じものをもう一度飲めと言う。
要約すると、ほとんどナンセンスな小話である。
だが、この曲の凄さは、そのどうでもよさを完璧なポップソングにしてしまったところにある。
Coconutは、物語としては非常に単純だ。
しかも、ほぼ同じフレーズが延々と繰り返される。
コード進行もほとんど動かない。
曲全体が、ひとつの円の中をぐるぐる回っているように進む。
普通なら退屈になりそうな構造である。
しかし、Nilssonはそれを退屈にしない。
声色を変え、語り手、女性、医者のような登場人物をひとりで演じ分ける。
そのため、曲は歌というより、奇妙な一人芝居のようになる。
この一人芝居感が、Coconutの最大の魅力だ。
Nilssonは、非常に美しい声を持つシンガーだった。
Without Youのような曲では、その声はドラマチックに、切実に、壮大に響く。
しかしCoconutでは、彼はその美声をあえておどけた方向へ使う。
高い声。
低い声。
少し間抜けな声。
不機嫌な医者の声。
民謡の語り部のような声。
それらを使い分けながら、ほとんど子どもの遊び歌のような世界を作っていく。
この曲には、深刻な感情はほとんどない。
失恋も、政治も、人生の苦悩も、哲学的な問いも前面には出てこない。
それでも、聴くと忘れられない。
なぜか。
それは、Coconutがポップソングの原始的な力を持っているからである。
同じ言葉が繰り返される。
変な物語がある。
声が面白い。
リズムが身体に残る。
一度聴いたら、つい口ずさんでしまう。
ポップソングにとって、これは非常に強い。
Coconutは、賢くふざけた曲である。
ただの冗談ではない。
冗談を、音楽として完璧に成立させている。
その軽さの奥には、Harry Nilssonというアーティストの特異な才能がある。
彼は、深い悲しみを歌える人だった。
同時に、こんなに馬鹿馬鹿しい小話を、誰もが知る名曲にしてしまえる人でもあった。
Coconutは、その二面性のうち、遊び心の極端な側を見せる曲なのだ。
2. 歌詞のバックグラウンド
Coconutが収録されたNilsson Schmilssonは、Harry Nilssonのキャリアを代表するアルバムである。
1971年にリリースされ、プロデュースはRichard Perryが担当した。
このアルバムは、Nilssonにとって大きな商業的成功をもたらした作品だった。
BadfingerのカバーであるWithout Youは全米1位を獲得し、Jump into the Fireはハードなロックナンバーとして強い印象を残した。
その一方で、Coconutのようなノベルティソングも含まれている。
この幅広さこそ、Nilsson Schmilssonの面白さである。
感動的なバラード。
激しいロック。
不思議なポップ。
冗談のような曲。
それらが一枚のアルバムに共存している。
Harry Nilssonは、一般的なロックスターとは少し違う存在だった。
ツアーをほとんど行わず、ライブパフォーマンスよりも録音芸術としてのポップソングに力を注いだ。
スタジオの中で声を重ね、キャラクターを作り、曲ごとにまったく違う顔を見せる。
Coconutは、そのスタジオ・アーティストとしてのNilssonらしさがよく表れている。
この曲の演奏は非常にシンプルで、全体を通してほぼひとつのコードが続くことで知られている。
一般的なポップソングのように、Aメロ、Bメロ、サビでコードが大きく展開するわけではない。
むしろ、単調さをあえて曲の核にしている。
その単調さが、呪文のような中毒性を生む。
ライムをココナッツに入れる。
飲む。
具合が悪くなる。
医者に電話する。
医者がまた同じことを言う。
構造としては、円環である。
問題が解決しているようで、解決していない。
同じ場所へ戻ってくる。
このナンセンスな円環が、曲を一種の民話や童謡のようにしている。
Coconutは、ジャンルとしてはノベルティソング、カリプソ、エキゾチカ風の楽曲として語られることが多い。
ただし、厳密に本格的なカリプソをやっているというより、Nilsson流に戯画化された南国風ポップと考えたほうがしっくりくる。
南国の果物。
単純なリズム。
繰り返しのフレーズ。
ユーモラスな声色。
それらが、どこか作り物めいた楽園を作る。
この作り物感も重要だ。
Coconutの世界は、リアルなカリブ海の描写ではない。
むしろ、アメリカのポップカルチャーの中で想像された南国のイメージに近い。
そこでNilssonは、真面目に異国情緒を表現するのではなく、そのイメージ自体をおもちゃのように扱っている。
だから、この曲には少し漫画的な空気がある。
登場人物も、現実の人物というより、声のキャラクターである。
女性は具合が悪くなって騒ぎ、医者は眠そうに応答し、語り手は淡々と話を進める。
それらを全部Nilssonが演じる。
この演技力が、Coconutを特別にしている。
Nilssonは歌手であると同時に、声の俳優でもあった。
自分の声を美しく聴かせるだけではなく、滑稽にし、奇妙にし、物語の中の人物へ変えることができた。
Coconutは、その才能の見本市のような曲である。
3. 歌詞の抜粋と和訳
歌詞の権利に配慮し、ここでは短いフレーズのみを引用する。
put the lime in the coconut
和訳:
ライムをココナッツに入れて
この一節は、曲全体を代表するフレーズである。
意味だけを見ると、ただの飲み物の作り方だ。
しかし、繰り返されることで、この言葉は単なる説明ではなく、呪文のようになっていく。
ライム。
ココナッツ。
入れる。
飲む。
非常に具体的で、幼児的なほど単純な言葉である。
それが何度も戻ってくることで、頭の中にこびりつく。
ポップソングにおけるフックとは、まさにこういうものだ。
複雑な意味を持つ必要はない。
むしろ、意味が軽いほうが強く残ることもある。
口の中で転がしやすい言葉、リズムに乗る言葉、繰り返したくなる言葉。
このフレーズは、その条件を完璧に満たしている。
もうひとつ、短いフレーズを挙げる。
call me in the morning
和訳:
朝になったら電話しなさい
これは医者の返答として歌われる印象的な一節である。
普通なら、患者が具合が悪いと電話してきたら、医者は別の処置を提案するだろう。
しかしこの曲では、医者は原因とほとんど同じものを飲めと言う。
この無責任さ、あるいは適当さが、曲のユーモアを作っている。
真剣な問題のように見えて、解決策がまったく解決になっていない。
それなのに、曲は楽しげに続いていく。
Coconutの笑いは、このような無意味な反復から生まれる。
引用元・権利表記:歌詞はHarry Nilssonによる楽曲Coconutからの短い引用。歌詞の権利は各権利者に帰属する。
4. 歌詞の考察
Coconutの歌詞を深読みすることは、少し危険である。
なぜなら、この曲は基本的にはナンセンスソングだからだ。
何か深い思想を直接語る曲ではない。
むしろ、深い意味がありそうで、結局はライムとココナッツの話に戻ってくる。
しかし、そのナンセンスさ自体には考察する価値がある。
Coconutは、問題と解決の構造を茶化している曲だ。
女性は飲み物を作って飲む。
具合が悪くなる。
医者に助けを求める。
医者は、同じものをもう一度飲めと言う。
つまり、原因と治療が同じになっている。
これは、かなり馬鹿馬鹿しい。
だが、どこか人生の寓話のようにも聞こえる。
人はしばしば、自分を苦しめているものに、また頼ってしまう。
ストレスを解消するために、さらにストレスの原因へ戻る。
寂しさを埋めるために、自分を消耗させる関係へ戻る。
疲れを忘れるために、また同じ習慣を繰り返す。
もちろん、Coconutがそこまで真面目に言っているとは限らない。
だが、ナンセンスな歌ほど、こうした余計な読みを誘うことがある。
問題はライム入りココナッツだ。
解決策もライム入りココナッツだ。
この円環は、どこか滑稽で、少し怖い。
また、Coconutは声の演劇として非常に面白い。
Nilssonは、語り手、女性、医者を声色で演じ分ける。
ひとりの歌手が、短い曲の中で小さなラジオドラマを作っている。
この演じ分けによって、曲は単なる繰り返しから抜け出す。
同じフレーズが戻ってくる。
しかし、声のキャラクターが違う。
だから、聴き手は退屈しない。
これは、Harry Nilssonの声のコントロールがあってこそ成立している。
彼は美しいメロディを歌うだけの人ではない。
声で場面を作れる人だった。
そして、自分の声をコミカルに扱うことを恐れなかった。
ここが重要だ。
美声のシンガーは、自分の声を美しく見せる方向へ使いがちである。
だがNilssonは、そこに執着しない。
必要なら声を変にする。
変な声で歌う。
ふざける。
その結果、曲はより生き生きする。
Coconutは、Nilssonの遊び心と職人芸が同時にある曲なのだ。
さらに、この曲のコード構造も重要である。
曲はほぼ同じコードの上を進む。
和声的な展開で感情を盛り上げるのではなく、リズム、声、言葉の反復で聴かせる。
これは、ポップソングとしてはかなり大胆だ。
多くの曲は、コードの変化によって物語を作る。
緊張し、解決し、サビで開く。
しかしCoconutは、開かない。
ずっと同じ場所にいる。
その同じ場所にいる感じが、逆に南国的な脱力感や、童謡的な中毒性を生んでいる。
聴いていると、時間が少し平たくなる。
物語は進んでいるようで、実はぐるぐる回っている。
この感覚は、カリプソ風のリズムや、繰り返しの歌詞とよく合っている。
また、Coconutのユーモアは、完全に無害なようでいて、少し不気味でもある。
お腹が痛い人が医者に電話する。
医者は眠そうに、同じものを飲めと言う。
それで終わる。
解決したのかどうかは分からない。
むしろ、同じことがまた繰り返される気がする。
この未解決のループが、奇妙な余韻を残す。
子どもの歌のように楽しい。
でも、考えると少し変だ。
Nilssonの作品には、こういう二重性がよくある。
かわいい。
でも皮肉。
美しい。
でもどこか壊れている。
楽しい。
でも少し意地悪。
Coconutも、その系譜にある。
この曲はノベルティソングとして扱われることが多い。
それは正しい。
しかし、ノベルティソングという言葉で軽く見すぎると、この曲の構成力を見落としてしまう。
Coconutは、簡単そうに聞こえる。
だが、実際にはかなり巧妙だ。
一度聴けば覚えるフレーズ。
声色による演劇性。
単一コードによる中毒性。
ナンセンスな物語。
軽い南国風味。
そして、妙に耳に残るリズム。
これらが合わさって、曲は非常に強いポップとして成立している。
シンプルな曲ほど、実は作るのが難しい。
余計なものがないぶん、フックが弱ければすぐに退屈になる。
歌い方が平板なら、ただの冗談で終わる。
リズムが少しでも鈍ければ、繰り返しが苦痛になる。
Coconutは、その危険な条件をすべてクリアしている。
だから、今も残っている。
映画やテレビ、CMなどで繰り返し使われるのも、この曲の即効性が強いからだ。
一瞬で空気を変える。
深刻な場面を変な明るさで包む。
奇妙な脱力感を作る。
Coconutは、場面を支配する曲である。
しかも、力ずくではなく、馬鹿馬鹿しさで支配する。
そこがすばらしい。
5. この曲が好きな人におすすめの曲 5曲
- Gotta Get Up by Harry Nilsson
Nilsson Schmilssonの冒頭曲。Coconutとは違い、時間の経過と大人になることの苦さを描いた曲だが、軽快なメロディの中に皮肉と哀愁を忍ばせるNilssonらしさがよく出ている。Coconutの遊び心から入った人が、Nilssonのソングライターとしての奥行きを知るには最適な一曲である。
- Jump Into the Fire by Harry Nilsson
同じNilsson Schmilsson収録曲で、Coconutとはまったく違う激しいロックナンバー。長いグルーヴと狂気じみたテンションがあり、Nilssonの振れ幅の大きさを実感できる。Coconutの脱力したナンセンスと対照的に、こちらは身体ごと引きずり込むような熱がある。
- Day-O by Harry Belafonte
カリプソ風の掛け合いと繰り返しの中毒性という点で、Coconutと相性がいい。もちろん音楽的な背景は異なるが、労働歌的なコールアンドレスポンスと、ポップカルチャーで長く愛されるフックの強さを持っている。Coconutの南国風味が気に入った人におすすめである。
- Yellow Submarine by The Beatles
子どもの歌のような分かりやすさと、ポップソングとしての完成度が同居した名曲。Coconutと同じく、軽く、コミカルで、誰でも歌える曲でありながら、アレンジやキャラクター性が巧みに作られている。ナンセンスを名曲にするという点で通じるものがある。
- Short People by Randy Newman
皮肉とユーモア、キャラクターを演じる歌い方という点でおすすめしたい。Randy NewmanはNilssonとも近い文脈で語られることが多く、声や歌詞の中に架空の人物を立ち上げる力がある。Coconutの一人芝居的な面が好きな人には、Newmanのシニカルなソングライティングも響くだろう。
6. ばかばかしさを名曲に変える、Harry Nilssonの声の魔法
Coconutの特筆すべき点は、あまりにもばかばかしい曲なのに、あまりにもよくできていることだ。
この曲を真顔で説明すると、どうしても間抜けになる。
ライムをココナッツに入れる。
飲む。
お腹が痛くなる。
医者に電話する。
医者が同じものを飲めと言う。
それだけである。
しかし、音楽として聴くと、これが妙に完璧なのだ。
Coconutは、ポップソングにおける反復の力を極限まで使っている。
同じフレーズが何度も出てくる。
同じコード感が続く。
物語も同じ場所を回る。
それなのに、退屈ではなく、むしろどんどん頭に入ってくる。
これは、音楽的な催眠である。
聴いているうちに、ライムとココナッツという言葉が意味を失い、音の塊になる。
口の中で転がる。
リズムになる。
歌いたくなる。
ポップミュージックには、そういう瞬間がある。
意味よりも音が勝つ瞬間。
物語よりもフレーズが身体に入る瞬間。
Coconutは、その瞬間だけでできているような曲だ。
そして、その中心にあるのがNilssonの声である。
彼の声は、本来とても美しい。
なめらかで、表現力があり、バラードでは胸を締めつけるように響く。
しかしCoconutでは、その美声をわざと変な方向へ使う。
これは非常に贅沢な使い方である。
一流のシンガーが、本気でくだらないことをやっている。
その本気さが、曲を強くしている。
ふざけるときに、手を抜いてはいけない。
手を抜いた冗談はすぐに古びる。
しかし本気で作られた冗談は、長く残る。
Coconutは、本気の冗談である。
Nilssonは、歌の中で小さな劇場を作る。
語り手がいる。
女性がいる。
医者がいる。
そして、全員をNilssonが演じている。
この構造は、後のミュージックビデオ時代や、キャラクター性の強いポップにも通じる。
ひとりのアーティストが、曲の中で複数の人物になる。
声だけで場面を作る。
Coconutは、非常にシンプルな録音なのに、視覚的に感じられる。
聴いているだけで、小さなアニメーションが頭の中に浮かぶ。
兄弟と姉妹。
ココナッツ。
ライム。
お腹を抱える女性。
眠そうな医者。
ぐるぐる回る会話。
この映像的な分かりやすさも、曲が長く愛される理由だろう。
さらに、CoconutはNilsson Schmilssonというアルバムの中でも、独特の役割を持っている。
このアルバムにはWithout Youがある。
Nilssonの歌唱力を決定的に知らしめた、壮大な失恋バラードだ。
一方でJump Into the Fireのようなロックの狂気もある。
そこへCoconutが入ることで、アルバムは単なる名唱集ではなく、奇妙な遊園地のようになる。
Nilssonという人は、泣かせることもできる。
笑わせることもできる。
怖がらせることもできる。
そして、それらを同じアルバムの中に置ける。
この自由さが、彼の魅力である。
Coconutは、その自由さの象徴だ。
商業的にも、この曲は大きな成功を収めた。
全米トップ10入りしたことは、単なる珍曲で終わらなかった証拠である。
なぜ、こんな変な曲がヒットしたのか。
それは、変だからだ。
そして、変なのに覚えやすいからだ。
ポップチャートでは、時にこうした曲が強い。
深刻なバラードや正統派ロックの中に、突然現れる変な曲。
一度聴くと忘れられず、人に話したくなる曲。
Coconutはまさにそのタイプである。
しかも、この曲は子どもにも大人にも届く。
子どもは、言葉の繰り返しや変な声を楽しめる。
大人は、その作りの巧さや皮肉っぽいループを楽しめる。
音楽好きは、単一コードでここまで持たせる発想に驚ける。
入口が多いのだ。
また、この曲には、Nilssonの孤独なスタジオ職人としての魅力もある。
彼は大規模なライブ活動で曲を育てるアーティストではなかった。
むしろ、録音物として完結するポップを作った。
Coconutは、まさに録音だからこそ成立する曲である。
声の重ね方。
キャラクターの演じ分け。
音の配置。
繰り返しの作り方。
それらは、スタジオの中で緻密に作られた遊びである。
ライブの熱狂ではなく、録音された声の演劇。
それがCoconutの本質だ。
この曲を聴いていると、ポップソングは深刻でなくてもよいのだと改めて思う。
もちろん、音楽には深い感情や社会的な意味を持つ曲も必要だ。
だが、それだけではない。
意味が薄く、ばかばかしく、ただ楽しい曲にも価値がある。
むしろ、ばかばかしさを美しく作るには、かなりの才能がいる。
Coconutは、その才能の結晶である。
曲の最後まで、基本的には何も解決しない。
医者の助言も適当だ。
お腹が治ったのかもよく分からない。
それでも、曲は完璧に終わったように感じる。
なぜなら、この曲にとって重要なのは解決ではなく、反復だからだ。
ライムをココナッツに入れる。
また戻る。
また歌う。
また笑う。
その円の中で、聴き手も一緒に回る。
Coconutは、音楽のメリーゴーラウンドのような曲である。
少し安っぽく、少し変で、でも一度乗ると妙に楽しい。
降りたあとも、回転の感覚が残る。
Harry Nilssonのカタログの中で、Coconutは異色作でありながら、彼を理解するうえで欠かせない曲だ。
美声の持ち主。
優れたソングライター。
スタジオの魔術師。
そして、くだらないことを本気でやれる人。
そのすべてが、この一曲に入っている。
Coconutは、深刻な名曲ではない。
しかし、深刻でない名曲である。
この違いは大きい。
軽い。
でも弱くない。
ばかばかしい。
でも雑ではない。
ふざけている。
でも作りは見事だ。
だから、何十年経っても聴かれ続けている。
ライムをココナッツに入れるだけの曲が、これほど長く世界に残る。
その事実自体が、ポップミュージックの不思議さを教えてくれる。
参照元
- CoconutはHarry Nilssonが作詞作曲し、1971年のアルバムNilsson Schmilssonに収録された楽曲で、1972年にシングルとしてリリースされた。
Coconut – Harry Nilsson song information
- CoconutはアメリカのBillboard Hot 100で最高8位を記録し、1972年のBillboard年間チャートにも入った。
Coconut – Harry Nilsson song information
- Nilsson Schmilssonは1971年に発表されたHarry Nilssonの代表的アルバムで、Without You、Jump into the Fire、Coconutなどを収録している。
Nilsson Schmilsson – track listing
- Coconutでは、Nilssonが語り手、女性、医者など複数のキャラクターを声色で演じ分けていると解説されている。
Coconut – Harry Nilsson song information
- Coconutはカリプソ、エキゾチカ、ノベルティソングとして紹介され、曲全体がほぼ単一コードの反復で構成されていることでも知られる。
Coconut – Harry Nilsson song information
- PitchforkのNilsson関連特集では、CoconutをNilssonの遊び心ある声の使い方を示す楽曲として言及している。
L.A.

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