
発売日:2015年8月28日
ジャンル:R&B、オルタナティブR&B、ポップ、ダークポップ、エレクトロポップ、ソウル、トラップ
概要
The Weekndの2作目のスタジオ・アルバム『Beauty Behind the Madness』は、Abel TesfayeがアンダーグラウンドなオルタナティブR&Bの象徴から、世界的なポップ・スターへと大きく飛躍した作品である。2011年に発表されたミックステープ三部作『House of Balloons』『Thursday』『Echoes of Silence』で、The Weekndは従来のR&Bが持っていた甘美さやロマンティシズムを、ドラッグ、性的依存、孤独、都市の夜、自己嫌悪、感情の麻痺と結びつけた。そこでは、愛は救済というより中毒であり、快楽は幸福ではなく空虚を隠すための一時的な手段として描かれていた。
その後、2013年の『Kiss Land』では、ツアー、名声、異国の都市、孤独をテーマに、より映画的で閉塞的な世界を構築した。しかし『Kiss Land』は、初期の暗い美学を保ちながらも、メインストリーム・ポップへの完全な突破には至らなかった。『Beauty Behind the Madness』は、その状況を一変させたアルバムである。「Can’t Feel My Face」「The Hills」「Earned It」という巨大なヒット曲を通じて、The WeekndはオルタナティブR&Bの実験性を保ちながら、ポップ・チャートの中心へと進出した。
本作のタイトル『Beauty Behind the Madness』は、「狂気の背後にある美」と訳せる。これはThe Weekndの音楽性を非常によく表している。彼の楽曲には、美しいメロディ、滑らかなファルセット、洗練されたプロダクションがある一方で、歌われる内容はしばしば破滅的である。薬物、裏切り、虚無、名声の孤独、性的関係の空虚さ、愛への不信。美しい声で暗い内容を歌うというコントラストこそが、The Weekndの核心であり、本作はその二面性を最も大衆的な形で提示した作品である。
音楽的には、初期の暗く霧がかったオルタナティブR&Bに、Max Martinらによるポップ・プロダクション、Daft Punk以前のエレクトロ・ポップ的な感覚、ヒップホップ以降の低音、Michael Jackson的なポップ・ヴォーカルの系譜、さらには映画音楽的なドラマ性が加わっている。「Can’t Feel My Face」はファンク/ポップの明快なフックを持ち、「The Hills」は歪んだ低音と不穏な空気で初期The Weekndの闇をメインストリームへ持ち込み、「Earned It」はストリングスを用いたクラシックな官能性を提示する。つまり本作は、The Weekndの複数の側面を一枚にまとめたアルバムである。
キャリア上の位置づけとして、『Beauty Behind the Madness』は決定的な転換点である。これ以前のThe Weekndは、匿名性、謎めいたイメージ、暗いミックステープ文化と結びついていた。しかし本作以降、彼は完全にポップ・スターとなり、以後の『Starboy』や『After Hours』へとつながる大規模なキャリアを展開していく。ただし、本作は単なる商業化ではない。むしろ、The Weekndは自らの闇を薄めるのではなく、それをポップ・ミュージックの中心へ持ち込んだ。その点に本作の重要性がある。
また、本作は2010年代中盤のR&Bとポップの関係を考えるうえでも重要である。Frank Ocean、Drake、Miguel、PARTYNEXTDOORなどがR&Bの内省性やヒップホップとの接続を更新していた時期に、The Weekndはより暗く、より映画的で、より大衆的な形でその流れを拡大した。R&Bはもはや単なるラブソングのジャンルではなく、自己破壊、名声、欲望、孤独を語る現代的な表現形式となった。本作はその変化を世界規模で可視化したアルバムである。
全曲レビュー
1. Real Life
アルバム冒頭の「Real Life」は、The Weekndの自己認識を提示する重要な導入曲である。ドラマティックなシンセと重いビートの中で、彼は自分が普通の恋愛や安定した生活に向いていない存在であることを歌う。タイトルの「Real Life」は現実の生活を意味するが、この曲で描かれる主人公は、その現実から常にずれている。
歌詞では、母親から「恋をするな」と言われたという趣旨の言葉が登場し、The Weekndの人物像が生まれながらにして破滅へ向かう存在として描かれる。ここでの恋愛は幸福な成長の場ではなく、相手を傷つけ、自分も傷つく危険な領域である。彼は愛を求めているが、同時に愛を壊す人物として自分を理解している。
音楽的には、アルバムの幕開けにふさわしく、スケールの大きいサウンドが使われている。初期のミックステープにあった閉ざされた部屋のような音像よりも、ここではより大きな舞台が意識されている。しかし、その内容は依然として暗い。The Weekndはポップ・スターとして登場しながらも、最初から救われない人物として自らを提示している。
2. Losers feat. Labrinth
「Losers」は、Labrinthを迎えた楽曲であり、本作の中でもソウル、ゴスペル、ポップの要素が強く混ざった一曲である。タイトルの「Losers」は敗者を意味するが、ここでは単純な自己卑下ではなく、社会が定める成功や教育、常識への反発が込められている。
歌詞では、学校では何も学ばなかった、敗者から学んだというような姿勢が示される。これはThe Weekndのアウトサイダー性と結びついている。彼は正規の道を通って成功した人物ではなく、夜の世界、ドラッグ、孤独、音楽の中から自分の表現を作り上げた存在である。その意味で、「Losers」は社会的な周縁にいる者たちへの賛歌とも読める。
Labrinthの参加によって、曲には劇的な広がりとゴスペル的な熱が加わる。The Weekndの冷たく美しい声に対して、Labrinthの表現はより力強く、楽曲に人間的な厚みを与えている。音楽的には、本作の中で比較的異色の曲だが、The Weekndが単なる夜の享楽者ではなく、社会の外側から自分を作り上げた人物であることを示す役割を持つ。
3. Tell Your Friends
「Tell Your Friends」は、Kanye Westがプロデュースに関わった楽曲であり、アルバムの中でもヒップホップ的な語りの要素が強い。ソウルフルなサンプル感を持つビートの上で、The Weekndは自分の成功、過去、ドラッグ、女性関係、名声について比較的淡々と語る。
この曲の特徴は、The Weekndが自分の神話を自ら語り直している点である。初期の彼は匿名性と謎に包まれていたが、この曲ではより直接的に、自分が何者で、どこから来て、どのようにして今の場所へ到達したのかを示す。タイトルの「友達に伝えろ」という言葉には、自信、挑発、自己宣伝が含まれている。
音楽的には、派手なポップ・シングルではなく、ゆったりとしたグルーヴの中で言葉を聴かせる構成である。The Weekndのヴォーカルは歌とラップの中間にあり、メロディアスでありながらも語りの色が強い。Kanye West的なソウル・サンプルの感覚が、The Weekndの冷たい美学に温かみと皮肉を加えている。
歌詞の内容は、成功の誇示であると同時に、その成功が必ずしも幸福ではないことも示している。富や名声を得ても、彼の世界には依然としてドラッグと孤独がある。「Tell Your Friends」は、The Weekndがメインストリームへ入っていく瞬間の自己紹介として機能する楽曲である。
4. Often
「Often」は、The Weekndの性的なペルソナが強く表れた楽曲である。低く不穏なビート、妖しいメロディ、淡々とした歌唱によって、曲全体に冷たい官能性が漂う。本作の中でも、初期The Weekndの暗いR&Bの質感を比較的強く残している。
歌詞では、性的関係の反復、快楽への慣れ、感情の不在が描かれる。タイトルの「Often」は「頻繁に」という意味であり、主人公にとって性は特別な親密さではなく、日常的に繰り返される行為として提示される。そこには快楽があるが、同時に退屈と麻痺もある。
The Weekndの歌唱は、欲望を熱く叫ぶのではなく、冷静に、ほとんど無感情に響く。そのため、この曲の官能性は生々しい情熱ではなく、感情を切り離した快楽のように感じられる。彼の音楽では、性的な関係が愛の証明ではなく、孤独を一時的に埋める行為として描かれることが多い。「Often」はその典型である。
音楽的には、シンプルな構成ながら、空間の使い方が巧みである。低音の重さとヴォーカルの近さが、深夜の密室的な雰囲気を作る。本作のポップな楽曲群の中で、The Weekndの原点を思い出させる重要曲である。
5. The Hills
「The Hills」は、『Beauty Behind the Madness』を象徴する楽曲の一つであり、The Weekndの暗い美学がポップ・チャートの中心で成立した決定的な例である。冒頭の不穏な音、歪んだ低音、爆発するようなサビは、従来の明るいポップ・ヒットとは大きく異なる。にもかかわらず、この曲は巨大な成功を収めた。
歌詞では、隠された関係、夜中の連絡、欲望、後ろめたさが描かれる。タイトルの「The Hills」はロサンゼルスの高級住宅地やセレブリティ文化を連想させるが、ここで描かれるのは華やかな成功ではなく、その裏にある秘密と空虚である。「君の男が近くにいない時だけ電話してくる」という趣旨の歌詞は、関係が公にできないものであることを示している。
この曲の重要なフレーズは、「酔っている時だけ本当の自分になる」という感覚である。The Weekndの主人公は、通常の状態では仮面をかぶり、感情を隠している。薬物や酔いによって初めて本音が出るという認識は、非常に暗い。ここでは、真実さえも健全な対話ではなく、自己破壊的な状態を通じてしか現れない。
音楽的には、重い低音とミニマルな構成が強烈である。ポップ・ソングとしては異様なほど暗く、しかしサビのメロディは非常に強い。この組み合わせによって、「The Hills」はThe Weekndが持つ危険な魅力を最も分かりやすく提示している。
6. Acquainted
「Acquainted」は、過去の楽曲「Girls Born in the 90s」の発展形として知られる楽曲であり、The Weekndの恋愛観と欲望がより滑らかなR&Bの形で表れている。タイトルの「Acquainted」は「知り合いになる」「馴染みになる」という意味で、恋愛とも友情とも割り切れない曖昧な関係を示す。
歌詞では、相手に惹かれながらも、その関係が安全ではないことが描かれる。The Weekndの主人公は、相手に深入りすることを避けようとしながら、結局は引き寄せられていく。恋愛はここでも純粋な救済ではなく、危険な中毒として扱われる。
サウンドは滑らかで、メロディは非常に美しい。初期の暗さを残しつつも、プロダクションはより洗練されており、メインストリームR&Bとしての完成度が高い。The Weekndのファルセットは甘く響くが、その甘さの中には警戒心と諦めが混ざっている。
この曲は、本作の中でThe WeekndのR&Bシンガーとしての魅力を最も自然に味わえる楽曲の一つである。ポップな派手さよりも、彼の声、メロディ、関係性の曖昧な描写が中心になっている。
7. Can’t Feel My Face
「Can’t Feel My Face」は、The Weekndを世界的なポップ・スターへ押し上げた代表曲である。Max Martinらによるプロダクションのもと、ファンク、ディスコ、ポップの要素が洗練された形でまとめられており、Michael Jacksonを想起させる軽快なグルーヴとヴォーカル表現が特徴である。
表面的には、危険な恋愛に夢中になるポップ・ソングとして聴ける。しかし、タイトルの「顔の感覚がない」という表現は、薬物的な麻痺を強く連想させる。つまりこの曲は、恋愛の歌であると同時に、中毒の歌でもある。相手は主人公を破壊する存在でありながら、それでも彼は離れられない。これはThe Weekndが繰り返し描いてきた、快楽と破滅の関係である。
音楽的には、本作の中で最も明るく、踊れる曲の一つである。だが、明るいサウンドの中に危険なテーマを潜ませることで、The Weekndらしさが保たれている。彼は自分の闇を消してポップ化したのではなく、闇を非常にキャッチーな形に変換した。
「Can’t Feel My Face」は、The Weekndのキャリアにおいて極めて重要な曲である。これによって彼は、オルタナティブR&Bのカルト的存在から、世界的なポップ・スターへと明確に変化した。
8. Shameless
「Shameless」は、ギターを前面に出したスロウな楽曲であり、The Weekndの歌詞における依存と自己嫌悪が強く表れた一曲である。タイトルは「恥知らず」を意味し、主人公が自分の弱さや欲望を隠さず、むしろ開き直るような姿勢を示している。
歌詞では、相手が自分を必要としていること、自分もまた相手を利用していることが描かれる。ここでの関係は健全ではない。互いに傷を埋め合うようでありながら、実際にはさらに深い依存を生んでいる。The Weekndの主人公は、自分が相手にとって悪い存在であることを理解しているが、それでも離れようとしない。
音楽的には、比較的ロック寄りの質感があり、ギターの歪みが感情の荒さを支える。サウンドは派手ではないが、重く、沈み込むようなムードを持つ。The Weekndのヴォーカルは切実でありながら、どこか冷めている。この二重性が、曲の痛々しさを強めている。
「Shameless」は、The Weekndの世界における愛が、しばしば自己犠牲ではなく、互いの弱さにつけ込む行為として描かれることを示す楽曲である。
9. Earned It
「Earned It」は、映画『Fifty Shades of Grey』のサウンドトラックとしても知られる楽曲であり、本作の中でもクラシックなR&Bバラードに近い官能性を持つ。ストリングスを用いたアレンジ、ゆったりとしたテンポ、The Weekndの艶やかな歌唱によって、曲全体に豪華で退廃的な雰囲気が漂う。
歌詞では、相手が愛や快楽を「勝ち取った」「ふさわしい」と歌われる。The Weekndの他の楽曲に比べると、ここでの関係は比較的ロマンティックに描かれている。ただし、そのロマンティシズムにも支配と官能のニュアンスが含まれており、純粋な愛というより、欲望と賞賛が混ざり合った関係である。
音楽的には、The Weekndの声の美しさが非常に際立つ。彼のファルセットは滑らかで、古典的なソウル・バラードの系譜と現代的なダークR&Bの感覚を結びつけている。この曲は、The Weekndが単に暗いビートの上で歌うアーティストではなく、クラシックな歌唱力とバラード表現を持つシンガーであることを証明した。
「Earned It」は、本作の中で最も洗練された官能性を持つ楽曲であり、The Weekndのポップ・スター化に大きく貢献した曲である。
10. In the Night
「In the Night」は、80年代ポップやMichael Jackson的なサウンドを強く思わせる楽曲である。疾走感のあるビート、鮮やかなメロディ、ドラマティックなコーラスによって、アルバム後半に大きな高揚をもたらす。しかし歌詞の内容は重く、夜の世界で生きる女性の痛みや過去の傷が描かれている。
この曲の重要性は、明るくダンサブルなサウンドと、トラウマを含んだ歌詞の対比にある。The Weekndはここで、夜に踊る女性を単なる欲望の対象としてではなく、傷を抱えた人物として描く。彼女は夜の中で生き、笑い、踊るが、その背後には搾取や痛みの記憶がある。
音楽的には、「Can’t Feel My Face」と同様にポップ・ソングとして非常に完成度が高い。ただし、「In the Night」の方がより劇的で、物語性が強い。The Weekndのヴォーカルも、単なる官能性ではなく、悲劇を見つめるような響きを持つ。
この曲は、The Weekndがポップな形式の中で暗い人物描写を行えることを示している。踊れる曲でありながら、歌詞を追うと深い悲しみが現れる点で、本作の美学をよく表している。
11. As You Are
「As You Are」は、アルバムの中でも比較的素直な愛情表現を持つ楽曲である。タイトルは「ありのままの君で」という意味で、相手を変えようとせず受け入れるという姿勢が示される。The Weekndの作品では珍しく、関係の中に少し温かさが感じられる曲である。
ただし、この曲も完全に健全なラブソングとは言い切れない。The Weekndの主人公は、自分自身が壊れた人物であることを理解しており、相手にも傷や欠点があることを受け入れようとする。つまりここでの愛は、理想化された純粋さではなく、互いの不完全さを知ったうえでの受容である。
音楽的には、前半は穏やかで、The Weekndの歌唱が丁寧に響く。後半にかけてサウンドが変化し、より暗く、初期作品に近いムードが現れる。この展開によって、曲は単なる甘いバラードではなく、The Weekndらしい陰影を持つ。
「As You Are」は、本作の中で数少ない救済の可能性を感じさせる楽曲である。しかし、その救済も完全ではなく、闇の中で一時的に見える光のように響く。
12. Dark Times feat. Ed Sheeran
「Dark Times」は、Ed Sheeranを迎えた楽曲であり、アコースティックな質感とThe Weekndのダークな世界観が交差する異色の一曲である。Ed Sheeranの参加によって、曲にはフォーク/シンガーソングライター的な親密さが加わる。
タイトルの通り、歌詞では暗い時代、暗い心境、過ちを抱えた人物同士の関係が描かれる。ここでの主人公たちは、健全で明るい関係を築ける人物ではない。むしろ、自分たちの問題を自覚しながら、それでも夜の中で寄り添うような存在である。
音楽的には、派手なプロダクションは抑えられ、ギターと声の存在感が強い。The Weekndの声とEd Sheeranの声は質感が異なるが、その違いが曲に対話的な雰囲気を与えている。Ed Sheeranの素朴さが、The Weekndの冷たい官能性を少し人間的な方向へ引き寄せている。
この曲は、本作の中では評価が分かれやすい楽曲でもある。The Weekndの世界観にEd Sheeranの柔らかい作風がどこまで合うかは聴き手によって受け止め方が異なる。しかし、アルバム全体においては、The Weekndが異なるタイプのポップ・アーティストと交わることで、自身の表現領域を広げようとした試みとして重要である。
13. Prisoner feat. Lana Del Rey
「Prisoner」は、Lana Del Reyを迎えた楽曲であり、本作の中でも最も相性の良いコラボレーションの一つである。The WeekndとLana Del Reyは、どちらもアメリカ的な夢、欲望、名声、退廃、自己破壊を美しいメロディの中で描いてきたアーティストである。そのため、この曲では二人の美学が自然に重なり合う。
タイトルの「Prisoner」は囚人を意味し、歌詞では名声、欲望、愛、自己イメージに囚われる感覚が描かれる。成功したポップ・スターでありながら、その成功自体が檻になる。愛されること、見られること、消費されることから逃れられない。このテーマはThe WeekndにもLana Del Reyにも共通している。
音楽的には、暗く、ゆったりとしたシンセとビートが中心で、二人の声が夢の中のように重なる。The WeekndのファルセットとLana Del Reyの低く気怠い声は対照的だが、その対比が曲に深い退廃感を与えている。
「Prisoner」は、『Beauty Behind the Madness』のタイトルが示す「狂気の背後の美」を非常によく体現している。美しい声とメロディの背後に、名声に囚われた人物の空虚がある。アルバム後半の重要曲である。
14. Angel
アルバム本編の最後を飾る「Angel」は、壮大なバラードであり、The Weekndの中では珍しく、相手の幸福を願うような感情が前面に出る楽曲である。タイトルの「Angel」は天使を意味し、相手を自分よりも清らかな存在として見ているような響きがある。
歌詞では、主人公が自分では相手を幸せにできないことを認め、相手が別の誰かと幸せになることを願う。これはThe Weekndの作品において、かなり重要な姿勢である。彼の主人公はしばしば欲望に囚われ、相手を手放せず、関係を壊す。しかし「Angel」では、少なくとも言葉の上では相手を解放しようとする。
音楽的には、非常に大きなスケールを持つ。コーラスやアレンジは終曲らしく広がり、The Weekndの声も感情的に高まる。初期作品の閉塞的な闇とは異なり、ここでは一種のカタルシスがある。ただし、そのカタルシスは完全な救済ではない。主人公は自分の不完全さを認めることで、ようやく相手を手放す可能性に触れる。
「Angel」は、本作の最後に置かれることで、アルバム全体の暗い欲望に対する一つの出口を示す。The Weekndの世界では救済は常に不確かだが、この曲には少なくとも、相手を傷つけ続けることから離れようとする意志がある。
総評
『Beauty Behind the Madness』は、The WeekndがアンダーグラウンドなオルタナティブR&Bの存在から、世界的なポップ・スターへと変貌した決定的なアルバムである。本作の最大の意義は、彼が自分の暗い美学を捨てずに、ポップ・ミュージックの中心へ到達した点にある。「Can’t Feel My Face」のような明るいファンク・ポップ、「The Hills」のような不穏なダークR&B、「Earned It」のような官能的なバラードが同じアルバムに共存し、それらすべてがThe Weekndという一つの人物像へ収束している。
このアルバムの核心には、快楽と破滅の関係がある。The Weekndの主人公は、愛を求め、性的な関係に溺れ、薬物や名声で空虚を埋めようとする。しかし、それらは根本的な救済にはならない。むしろ、快楽が増えるほど孤独は深くなる。「Often」や「The Hills」では感情の麻痺が描かれ、「Shameless」では依存の醜さが露出し、「Prisoner」では名声そのものが檻になる。美しいメロディの背後にあるのは、壊れた自己認識である。
一方で、本作は単なる暗いアルバムではない。ポップ・アルバムとしての完成度も非常に高い。「Can’t Feel My Face」は、The Weekndの声を最大限に活かしたダンス・ポップとして機能し、「In the Night」は80年代的な輝きと悲劇的な物語を結びつけ、「Earned It」はクラシックなバラードの格式を持つ。これらの曲によって、The Weekndは初期のカルト的な支持を超え、幅広いリスナーに届く存在となった。
歌詞の面では、The Weekndの自己演出が大きな役割を果たしている。彼は自分を傷ついた被害者としてだけではなく、相手を傷つける加害者としても描く。愛したいが愛せない、求めるが壊してしまう、成功したが満たされない。この矛盾が、The Weekndのペルソナを単なる悪役やプレイボーイ以上のものにしている。『Beauty Behind the Madness』では、その矛盾がポップ・スターとしてのスケールで提示されている。
客演の使い方も興味深い。Labrinthはゴスペル的な熱を加え、Ed Sheeranはアコースティックな親密さを持ち込み、Lana Del Reyは退廃的な美学を深める。それぞれの参加は、The Weekndの世界を広げながらも、アルバム全体の暗いムードから大きく外れない。特に「Prisoner」は、The WeekndとLana Del Reyの美学が非常に自然に結びついた楽曲であり、本作のテーマを補強している。
音楽史的に見れば、本作は2010年代のR&Bがメインストリーム・ポップと完全に融合していく過程を象徴している。The Weeknd以前にも、R&Bとポップの融合は長い歴史を持っていた。しかし本作が重要なのは、R&Bの官能性だけでなく、オルタナティブR&Bの暗さ、ドラッグ的な空気、自己破壊的な歌詞までもが、世界的なポップ・ヒットとして成立した点にある。これは2010年代中盤以降のポップに大きな影響を与えた。
日本のリスナーにとって『Beauty Behind the Madness』は、The Weekndの入門編として非常に聴きやすい作品である。『House of Balloons』のような初期作品に比べるとポップで、メロディも明快である。一方で、『After Hours』ほどコンセプトが完全に統一されているわけではなく、The Weekndのさまざまな側面が一枚に並んでいる。その意味で、本作は彼の音楽世界を広く知るための重要な入口である。
『Beauty Behind the Madness』は、完全な傑作というより、The Weekndが巨大なポップ・スターへ変わる瞬間のエネルギーを記録したアルバムである。初期の闇とメインストリームの輝き、官能と孤独、美しい声と壊れた歌詞。そのすべてが混ざり合い、タイトル通り、狂気の背後にある美しさを浮かび上がらせている。本作によってThe Weekndは、R&Bの異端児から、現代ポップを代表する存在へと決定的に変貌した。
おすすめアルバム
1. House of Balloons by The Weeknd
The Weekndの原点であり、暗いオルタナティブR&Bの美学を決定づけた作品である。『Beauty Behind the Madness』のポップな成功の背後にある、ドラッグ、孤独、性的依存、都市の夜というテーマを最も濃密に味わえる。よりローファイで危険なThe Weekndを知るうえで欠かせない作品である。
2. Kiss Land by The Weeknd
『Beauty Behind the Madness』の前作にあたるスタジオ・アルバムであり、ツアー、名声、異国の都市、孤独をテーマにした映画的な作品である。本作よりも閉塞的で商業性は控えめだが、The Weekndの世界観の濃さを理解するうえで重要である。
3. Starboy by The Weeknd
『Beauty Behind the Madness』で獲得したポップ・スターとしての地位を、さらにエレクトロポップやダンス・ミュージックの方向へ広げた作品である。Daft Punkとのコラボレーションを含み、より洗練されたメインストリーム・サウンドが特徴である。The Weekndの商業的展開を追ううえで重要な一枚である。
4. Channel Orange by Frank Ocean
2010年代R&Bの表現を大きく広げた重要作である。The Weekndとは異なり、より文学的で内省的な作風だが、R&Bを単なる恋愛音楽から、孤独、欲望、アイデンティティ、社会的な視点を含む表現へ拡張した点で共通している。『Beauty Behind the Madness』と並べて聴くことで、2010年代R&Bの多様性が見えてくる。
5. Wildheart by Miguel
官能的なR&B、ロック、サイケデリックな質感を融合した作品である。The Weekndよりも温度感は高く、肉体的な情熱が前面に出るが、愛、欲望、自己表現を現代的なR&Bとして描く点で関連性が高い。『Beauty Behind the Madness』の官能性に惹かれるリスナーに適した関連作である。

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