
発売日:2025年1月31日
ジャンル:オルタナティヴR&B、シンセ・ポップ、ダークR&B、エレクトロ・ポップ、ニューウェイヴ、シネマティック・ポップ
概要
The Weekndの『Hurry Up Tomorrow』は、Abel TesfayeがThe Weekndという名義で築いてきた長大な物語の終章として位置づけられるアルバムである。2011年のミックステープ群をまとめた『Trilogy』で、彼は匿名性、ドラッグ、欲望、孤独、自己破壊を冷たいR&Bへ変換し、2010年代以降のオルタナティヴR&Bの方向性を大きく変えた。その後、『Kiss Land』では映画的な都市の悪夢を描き、『Beauty Behind the Madness』『Starboy』で世界的ポップ・スターとなり、『After Hours』『Dawn FM』では80年代シンセ・ポップ、死後のラジオ、罪悪感、救済の不可能性を巨大なコンセプトへ昇華した。
『Hurry Up Tomorrow』は、その流れを受けた三部作の最終章として聴くことができる。『After Hours』が夜のラスベガスを血まみれの罪と自己破壊の劇場として描き、『Dawn FM』が死後の待合室のようなラジオ番組として煉獄的な時間を描いたのに対し、本作は「明日を急げ」というタイトル通り、夜明け、終わり、再生、そしてThe Weekndという人格からの離脱をテーマにしている。ここでの「tomorrow」は単なる未来ではない。長く続いた夜、欲望、名声、演技、依存、自己嫌悪の先にある、別の存在へ移るための時間である。
本作の重要な点は、The Weekndが自らの過去を総括しながら、それを単純な勝利の物語として描いていないことである。彼はポップ・スターとして成功した。しかし、その成功は一貫して孤独、身体の消耗、関係の崩壊、名声への恐怖と結びついてきた。『Hurry Up Tomorrow』では、そのテーマがさらにメタ的に扱われる。つまり、The Weekndというキャラクターそのものが、Abel Tesfayeを閉じ込めてきた仮面として見えてくる。アルバム全体は、その仮面を脱ぐための儀式のように進む。
音楽的には、これまでのThe Weekndの要素が総合されている。『Trilogy』以来のダークR&Bの湿度、『Kiss Land』の映画的な不安、『Starboy』以降のエレクトロ・ポップのスケール、『After Hours』のシンセウェイヴ的疾走、『Dawn FM』のコンセプチュアルな流れが混ざり合う。そこに、ゲストやプロデューサーの存在も加わり、アルバムは非常に大きなサウンドスケープを持つ。シンセサイザーはきらびやかだが、常に暗い。ビートはダンス可能だが、身体を解放するというより、追い詰める。The Weekndのファルセットは美しいが、その美しさはしばしば崩壊寸前の声として響く。
歌詞面では、罪、声の喪失、身体、快楽への疲労、母性や宗教的な救済、名声、過去への回帰、死と再生が繰り返し現れる。初期The Weekndでは、語り手は快楽の場を支配する冷たい人物だった。しかし本作では、その支配者としての姿勢が崩れ、自分自身の虚構性に直面している。かつては相手を傷つける側だった人物が、ここでは自分の声、自分の身体、自分の名義そのものに傷つけられている。そこに、本作の終末感がある。
『Hurry Up Tomorrow』は、非常に長大で、密度の高いアルバムである。単純なヒット曲集として聴くより、The Weekndというプロジェクトの総決算として聴くべき作品である。すべての曲が即効性を持つわけではないが、アルバム全体を通すと、夜から夜明けへ、仮面から素顔へ、快楽から終わりへ向かう流れが見えてくる。
全曲レビュー
1. Wake Me Up
「Wake Me Up」は、アルバムの幕開けとして非常に象徴的な楽曲である。タイトルは「目を覚まさせてくれ」という意味を持ち、長く続いた夢、悪夢、陶酔、あるいはThe Weekndという人格からの覚醒を求める言葉として響く。『After Hours』から『Dawn FM』を経て、本作が「目覚め」の物語であることを冒頭から明確に示している。
音楽的には、シンセサイザーの壮大な広がりと、映画的な緊張感が印象的である。The Weekndの声は、まだ完全に目覚めていない人物のように、夢と現実の間で響く。曲は単なる導入ではなく、アルバム全体の精神的な門である。
歌詞では、眠りから覚めたいという願いが、救済への欲望として描かれる。しかし、ここでの目覚めは簡単ではない。なぜなら、The Weekndの世界において眠りは快楽であり、逃避であり、同時に罰でもあるからだ。目覚めることは、自分がしてきたこと、自分が演じてきたもの、自分が失ったものに直面することを意味する。
2. Cry For Me
「Cry For Me」は、The Weekndらしい自己憐憫と他者への要求が絡み合った楽曲である。タイトルは「僕のために泣いてくれ」という意味で、愛されたい願望、見捨てられる恐怖、自分の痛みを誰かに認めてほしいという欲求を含んでいる。
音楽的には、暗いR&Bのムードとポップなメロディが結びついている。The Weekndのヴォーカルは滑らかで美しいが、歌詞の中には依存的で身勝手な感情がある。彼は涙を求める。しかし、それは相手への共感ではなく、自分の存在を確認するための涙でもある。
初期作品では、The Weekndの語り手はしばしば相手の感情を消費していた。この曲では、その構図がより露骨に自己認識されている。誰かに泣いてほしいという願いは、自分がまだ誰かに影響を与えられる存在であることを確かめたい欲望でもある。
3. I Can’t Fucking Sing
「I Can’t Fucking Sing」は、非常に短いながら、本作のメタ的なテーマを強く示す楽曲である。The Weekndはその圧倒的な歌声によってスターになった人物である。その彼が「歌えない」と言うことは、単なる冗談ではない。これは声の喪失、表現の限界、そしてスターとしての自己像の崩壊を示している。
The Weekndの音楽では、声は常に武器だった。高く美しいファルセットは、誘惑、支配、告白、逃避のすべてを担ってきた。しかし本作では、その声が信頼できなくなる。歌うことができないという言葉は、The Weekndというキャラクターが維持できなくなっていることの象徴である。
この曲は、アルバムの中で間奏的な役割を持ちながらも非常に重要である。The Weekndの終章において、まず崩れるのは声である。歌えないという告白は、ポップ・スターとしての死の始まりでもある。
4. São Paulo feat. Anitta
「São Paulo」は、Anittaを迎えた楽曲であり、本作の中でも最も身体的で、クラブ的な快楽を持つ曲のひとつである。ブラジルの都市サンパウロをタイトルに置くことで、アルバムの舞台は北米的な夜から、よりグローバルで官能的な空間へ広がる。
音楽的には、ファンク・カリオカやラテン・ポップ的な身体性が、The Weekndのダークなシンセ・ポップと結びつく。Anittaの存在によって、曲には熱と肉体性が加わる。The Weekndの冷たい声と、Anittaのより直接的なエネルギーの対比が効果的である。
歌詞では、欲望、都市、ダンス、身体的な陶酔が描かれる。ただし、この快楽は完全な解放ではない。アルバム全体の文脈では、「São Paulo」は過去のThe Weekndが何度も描いてきた夜の快楽が、まだ彼を引き戻そうとしている場面として聴ける。明日へ向かうアルバムの中で、ここには夜の誘惑が強く残っている。
5. Until We’re Skin & Bones
「Until We’re Skin & Bones」は、身体の消耗を強く意識させる楽曲である。タイトルは「皮膚と骨になるまで」という意味で、快楽、愛、労働、名声によって身体が削られていく感覚を示す。The Weekndの歌詞において身体は常に欲望の場だったが、本作ではその身体が限界に近づいている。
音楽的には、比較的暗く、緊張感のある構成を持つ。シンセの質感は冷たく、ビートは身体を動かしながらも、疲労を感じさせる。歌声は美しいが、そこには肉体的な消耗がにじむ。
歌詞では、関係や快楽が人間を骨だけになるまで削るイメージが描かれる。The Weekndの世界では、愛やセックスは救済ではなく、しばしば消費と消耗の場である。この曲は、そのテーマを肉体のイメージにまで落とし込んでいる。
6. Baptized in Fear
「Baptized in Fear」は、宗教的なイメージと恐怖が結びついた楽曲である。洗礼は本来、浄化や再生を意味する。しかしここでは、その洗礼が水ではなく恐怖によって行われる。つまり、語り手は救済ではなく、恐怖によって新しい存在へ変えられる。
音楽的には、荘厳さと不穏さが同居している。シンセやコーラス的な広がりは宗教的な空間を思わせるが、曲全体には救いよりも圧迫感がある。The Weekndの声は、祈りと告白の間で揺れている。
歌詞では、罪、恐怖、浄化、再生への願望が暗示される。The Weekndのキャリアは、欲望と罪悪感の反復だった。この曲では、その罪悪感が宗教的な儀式として表れる。しかし、ここでの洗礼は安らぎではない。恐怖の中でしか変われないという、非常に苦い救済観がある。
7. Open Hearts
「Open Hearts」は、本作の中でも比較的メロディックで、The Weekndのポップ・ソングライティングの強さが表れた曲である。タイトルは「開かれた心」を意味し、閉じていた感情、傷ついた関係、再び愛する可能性を示す。
音楽的には、80年代的なシンセ・ポップの輝きがあり、『After Hours』や『Dawn FM』の流れを直接引き継いでいる。リズムは推進力があり、サビには開放感がある。しかし、歌詞の中には依然として不安や後悔が残る。
The Weekndの音楽において「心を開く」ことは簡単ではない。過去の彼は、感情を麻痺させ、相手を利用し、自分の孤独を快楽で埋めてきた。その人物が心を開こうとすることには、大きな意味がある。ただし、この曲は完全な救済ではなく、救済への願望として響く。
8. Opening Night
「Opening Night」は、舞台の初日、幕開けを意味するタイトルを持つ。The Weekndというキャラクターは、常に演じる存在だった。ステージ、ライト、観客、仮面。その文脈で「Opening Night」は、人生そのものを舞台として捉えるメタ的な楽曲である。
音楽的には、劇場的な空気がある。曲は大きなショーの始まりのように感じられる一方で、その華やかさの裏に不安がある。幕が開くことは、成功の瞬間であると同時に、演技が始まってしまう瞬間でもある。
歌詞では、ステージに立つ者の孤独や、観客に見られる存在としての自己意識が感じられる。The Weekndは、名声を享受してきた一方で、その名声に閉じ込められてきた。この曲は、その矛盾を劇場のイメージで表現している。
9. Reflections Laughing feat. Travis Scott & Florence + the Machine
「Reflections Laughing」は、Travis ScottとFlorence + the Machineを迎えた、非常に濃密な楽曲である。タイトルは「笑う反射」あるいは「笑っている映り込み」を意味し、鏡の中の自分、過去の自分、名声によって歪んだ自己像を示しているように響く。
音楽的には、Travis Scottの暗くトラップ的な質感、Florence Welchの劇的で霊的な声、The Weekndの冷たいファルセットが重なり、非常に映画的な空間を作る。三者の声は、それぞれ異なる種類の陶酔と不安を持っている。
歌詞では、自己の反射、嘲笑、名声、逃れられない過去が描かれる。鏡に映る自分が笑っているというイメージは不気味である。それは自分自身に嘲笑されているようでもあり、かつて作り上げたThe Weekndという人格に笑われているようでもある。
10. Enjoy the Show feat. Future
「Enjoy the Show」は、Futureを迎えた楽曲であり、ショー、名声、破滅の見世物化をテーマにしている。タイトルは一見、観客に向けた軽い言葉に見える。しかしThe Weekndの文脈では、それは非常に皮肉である。自分の崩壊すらも、ショーとして消費されるからである。
Futureの参加によって、曲にはヒップホップ的な虚無と豪奢さが加わる。The WeekndとFutureは、快楽、ドラッグ、名声、孤独を共有する表現者として相性がよい。二人の声は、勝利の歌を歌っているようで、実際にはその勝利の中にある空洞を響かせる。
歌詞では、自分の人生が観客のためのスペクタクルになってしまうことへの諦めがある。苦しみも、失恋も、身体の崩壊も、すべてがショーになる。そこには、ポップ・スターとしてのThe Weekndの悲劇が凝縮されている。
11. Given Up on Me
「Given Up on Me」は、見捨てられること、あるいはすでに見放されたことを歌う楽曲である。The Weekndの歌詞では、相手を傷つける語り手が多く登場してきたが、本作では、その結果として自分が見捨てられる側に立つ瞬間が増えている。
音楽的には、哀愁のあるメロディと暗いビートが中心である。派手なダンス・トラックではなく、感情の後退と諦めが前面に出る。The Weekndの声は、ここでは誘惑者ではなく、失った者として響く。
歌詞では、相手がもう自分に期待していないこと、自分を変えられない人物として受け入れてしまったことが描かれる。見捨てられることは痛みであるが、同時に当然の結果でもある。この自己認識が、曲に苦味を与えている。
12. I Can’t Wait to Get There
「I Can’t Wait to Get There」は、未来への焦りを表す楽曲である。「そこへ行くのが待ちきれない」という言葉は、救済、終着点、死後の世界、あるいはThe Weeknd以後のAbel Tesfayeへ向かう欲望として読める。
音楽的には、前へ進む推進力があり、アルバムの中盤で未来志向の感覚を生む。だが、その未来は明るいだけではない。急いでそこへ行きたいという気持ちには、現在から逃れたいという切迫感も含まれる。
歌詞では、到達点への期待と、今いる場所への疲労が重なる。The Weekndは長い間、夜の中にいた。その夜から抜け出すためには、明日へ急がなければならない。この曲は、タイトル・トラックへ向かうアルバム全体の運動を支えている。
13. Timeless feat. Playboi Carti
「Timeless」は、Playboi Cartiを迎えた楽曲であり、アルバムの中でも特にヒット性と現代的なラップ・サウンドの強い曲である。タイトルは「時代を超える」という意味を持ち、名声、不死性、ブランド化された自己像をテーマにしている。
Playboi Cartiの存在によって、曲にはミニマルで鋭い現代ラップの感覚が加わる。The Weekndの滑らかな歌声とCartiの異物感のある声の対比が、曲の緊張を作る。サウンドは冷たく、豪奢で、自己神話的である。
歌詞では、自分たちは時代を超える存在であるという自信が示される。しかし、アルバム全体の文脈では、その自信は少し空虚にも響く。永遠でありたいという欲望は、死や終わりへの恐怖の裏返しである。The Weekndの終章に置かれる「Timeless」は、不死の宣言であると同時に、不死への執着の歌でもある。
14. Niagara Falls
「Niagara Falls」は、巨大な滝をタイトルにした楽曲であり、圧倒的な自然の流れ、落下、感情の奔流を連想させる。The Weekndの音楽において、水や落下のイメージは、浄化と破滅の両方を持つ。この曲でも、その二重性が重要である。
音楽的には、広がりのあるシンセと重いビートが、滝のようなスケール感を作る。曲は滑らかに流れるが、その流れは静かな川ではなく、落下へ向かう水である。
歌詞では、感情が制御できず流れ落ちる感覚、あるいは名声や人生の勢いに飲み込まれる感覚が描かれる。ナイアガラの滝は美しいが、近づきすぎれば危険である。The Weekndが何度も描いてきた快楽も同じで、美しさと破滅が隣り合う。
15. Take Me Back to LA
「Take Me Back to LA」は、The Weekndの長年の物語と深く結びつく楽曲である。ロサンゼルスは、彼にとって成功、孤独、映画的な虚構、ナイトライフ、名声の中心地である。そこへ戻りたいという願いは、過去へ戻りたいという願いでもあり、同時に逃れられない都市への依存でもある。
音楽的には、哀愁のあるシンセ・ポップとして響く。ロサンゼルスの光はここで明るく輝くが、それは暖かい光ではなく、ネオンのように冷たい。The Weekndの声には、郷愁と疲労が混ざる。
歌詞では、LAへの回帰願望が描かれる。しかし、戻れば救われるわけではない。LAは彼をスターにした場所であり、同時に彼を壊した場所でもある。この曲は、The Weekndの神話の中心地を再訪する重要な場面である。
16. Big Sleep feat. Giorgio Moroder
「Big Sleep」は、Giorgio Moroderを迎えた楽曲であり、本作の中でも特に音楽史的な意味を持つ。Moroderはディスコ、シンセ・ポップ、映画音楽の革新者であり、The Weekndが80年代的な電子音楽を現代ポップへ再構築してきたことを考えると、非常に象徴的な参加である。
タイトルの「Big Sleep」は、大いなる眠り、つまり死を連想させる。『Hurry Up Tomorrow』というアルバムが目覚めを求める作品である一方で、この曲は眠り、死、終わりへ向かう。目覚めと死が同じアルバム内で交差している点が重要である。
音楽的には、シンセの反復と映画的な重さがあり、Moroder的な電子音楽の伝統をThe Weekndの暗い世界へ接続している。曲はダンス・ミュージックの快楽を持ちながら、死の影を帯びる。まさにThe Weekndらしい二重性である。
17. Give Me Mercy
「Give Me Mercy」は、赦しを求める楽曲である。タイトルは「慈悲を与えてくれ」という意味で、The Weekndの語り手が長年背負ってきた罪悪感の核心に触れる。ここで彼は、支配者や誘惑者ではなく、赦しを乞う人物として立っている。
音楽的には、比較的荘厳で、祈りに近いムードを持つ。シンセとヴォーカルが重なり、宗教的な空気を作る。The Weekndの声は、ここでは美しさよりも懺悔の響きを持つ。
歌詞では、過去の行為、自分の弱さ、変われなかったことへの後悔が描かれる。慈悲を求めることは、自分が裁かれるべき存在であることを認めることでもある。本作における救済のテーマを最も直接的に示す曲のひとつである。
18. Drive
「Drive」は、The Weekndの作品に何度も現れる移動のテーマを扱う楽曲である。車、夜の道路、都市、逃避、孤独。これらは『After Hours』以降の彼の映像的世界と強く結びついている。走ることは自由であり、同時に逃走でもある。
音楽的には、夜の高速道路を思わせるシンセとビートが中心である。曲は滑らかに進むが、その進行には安らぎよりも焦りがある。The Weekndの声は、車内で一人歌っているように響く。
歌詞では、どこかへ向かうこと、あるいは何かから逃げることが描かれる。しかし目的地は明確ではない。The Weekndの物語では、走り続けること自体が罰のようでもある。「Drive」は、アルバム終盤において、まだ終わりへ到達できない語り手の状態を示している。
19. The Abyss feat. Lana Del Rey
「The Abyss」は、Lana Del Reyを迎えた楽曲であり、本作の中でも特に暗く、美しい終末感を持つ。タイトルは「深淵」を意味し、死、無、欲望の底、自己喪失を連想させる。The WeekndとLana Del Reyは、これまでも退廃的なロマンティシズムを共有してきたが、この曲ではその相性が非常に濃密に表れる。
音楽的には、スロウで映画的で、深い残響がある。Lanaの声は、The Weekndの冷たいファルセットと対になるように、幽霊的で退廃的に響く。二人の声は、救済ではなく、美しい破滅へ向かって沈んでいく。
歌詞では、深淵を見つめること、そこへ引き寄せられることが描かれる。The Weekndの終章において、深淵は避けるべき場所であると同時に、通過しなければならない場所でもある。再生の前には、一度底へ落ちなければならない。この曲は、その底を描いている。
20. Red Terror
「Red Terror」は、アルバム終盤に不穏な緊張をもたらす楽曲である。タイトルは赤い恐怖、血、暴力、革命、罪の色を連想させる。The Weekndの世界では、赤はしばしば『After Hours』のスーツや血のイメージとも結びつく。本曲は、その赤い過去の残響として聴ける。
音楽的には、暗く、重く、攻撃的な空気がある。ビートは不安を煽り、シンセは危険な光を放つ。アルバムが終わりへ向かう中で、まだ過去の恐怖が消えていないことを示す曲である。
歌詞では、暴力的な記憶、罪、恐怖、自己の中に残る赤い影が描かれる。The Weekndは明日へ向かおうとしているが、その前に赤い恐怖を通過しなければならない。この曲は、浄化の前の最後の悪夢のように機能する。
21. Without a Warning
「Without a Warning」は、突然訪れる終わり、変化、別れをテーマにした楽曲である。タイトルは「警告なしに」という意味で、人生の重要な出来事が予告なく起こることを示す。The Weekndの終章において、この曲はThe Weekndという人格の終わりが突然近づいてくる感覚を持つ。
音楽的には、静かな緊張とドラマティックな広がりがある。アルバムのクライマックス直前に置かれることで、聴き手は終わりの接近を強く意識する。The Weekndの声には、諦めと覚悟が混ざる。
歌詞では、警告なしに失われるもの、予想できなかった別れ、そして自分では制御できない運命が描かれる。The Weekndの物語は長く続いてきたが、終わりはいつも突然訪れる。この曲は、最後のタイトル曲へ向かうための前室である。
22. Hurry Up Tomorrow
表題曲「Hurry Up Tomorrow」は、アルバムの結論であり、The Weekndという物語の終着点として機能する。タイトルは「明日を急げ」という意味で、夜を早く終わらせたい、現在から抜け出したい、別の自分へ移行したいという願望を表している。
音楽的には、終曲にふさわしい壮大さと余韻がある。曲は単なるポップ・ソングとしてではなく、長い儀式の最後の祈りのように響く。The Weekndの声は、これまでのアルバムで聴かれた誘惑者、スター、罪人、亡霊の声をすべて背負いながら、最後に未来へ向かおうとする。
歌詞では、明日への切望が中心になる。しかし、ここでの明日は単純な幸福ではない。過去を捨てることは、同時に自分の一部を失うことでもある。The Weekndという人格を終わらせることは、救済であると同時に死でもある。だからこそ、この曲には解放感と哀しみが同時にある。
「Hurry Up Tomorrow」は、The Weekndの長い夜を締めくくる楽曲である。夜明けは来る。しかし、その夜に生まれた音楽、罪、快楽、孤独は完全には消えない。それらを背負ったまま、語り手は明日へ向かう。
総評
『Hurry Up Tomorrow』は、The Weekndというプロジェクトの総決算として非常に重要なアルバムである。『Trilogy』で始まった暗いR&Bの匿名の部屋、『Kiss Land』の映画的な悪夢、『Starboy』の名声、『After Hours』の血まみれの夜、『Dawn FM』の死後のラジオ。そのすべてが、本作では終わりと再生の物語として再配置されている。
本作の最大のテーマは、The Weekndという仮面の終焉である。Abel TesfayeはThe Weekndとして、欲望、孤独、名声、罪を歌ってきた。しかし、その名義は単なるアーティスト名ではなく、ひとつの人格、ひとつの演技、ひとつの牢獄でもあった。『Hurry Up Tomorrow』では、その人格が自分自身を維持できなくなっていく。声は失われ、身体は削られ、過去の反射が笑い、慈悲が求められ、最後に明日が急かされる。
音楽的には、非常に大きなアルバムである。ダークR&B、シンセ・ポップ、ラテン的な身体性、トラップ、映画音楽的な構成、80年代ディスコへの参照が混ざり合う。ゲストも多く、Anitta、Travis Scott、Florence + the Machine、Future、Playboi Carti、Giorgio Moroder、Lana Del Reyらの存在が、The Weekndの世界を多方向へ広げている。ただし、彼らは単なる客演ではなく、The Weekndの過去の各側面を反射する鏡のように機能している。
アルバムは長く、密度も高い。そのため、すべての曲が即座に独立したヒットとして立ち上がるわけではない。しかし本作は、曲単位よりも全体の流れに大きな意味がある。目覚めを求める「Wake Me Up」から、声の喪失、快楽への回帰、宗教的な恐怖、名声の見世物化、LAへの郷愁、死の眠り、慈悲、深淵、赤い恐怖を経て、最後に「Hurry Up Tomorrow」へ至る構成は、The Weekndの物語の終章として非常に明確である。
歌詞面では、初期作品にあった冷酷な享楽性が、ここでは強い自己検証へ変わっている。かつてのThe Weekndは、夜の中で相手を傷つける人物だった。しかし本作では、その人物が自らの罪や虚構性に追い詰められている。これは単なる反省ではない。むしろ、長年演じてきたキャラクターを終わらせるための痛みである。
日本のリスナーにとって本作は、The Weekndを単なる「Blinding Lights」の大ヒット・アーティストとしてではなく、2010年代から2020年代にかけてR&Bとポップの物語性を更新してきた作家として理解するうえで重要である。特に『Trilogy』『After Hours』『Dawn FM』を経て本作を聴くと、The Weekndがいかに一貫して夜、欲望、罪、名声、死、再生を扱ってきたかが見えてくる。
『Hurry Up Tomorrow』は、夜明けを待つアルバムである。しかし、その夜明けは完全に明るいものではない。長い夜を終わらせるには、そこで生まれた自分自身を葬らなければならない。The Weekndはこの作品で、ポップ・スターとしての巨大な仮面を最後まで見つめ、その仮面の向こう側へ進もうとしている。これは終わりのアルバムであり、同時に、別の名前で始まるためのアルバムでもある。
おすすめアルバム
1. The Weeknd『After Hours』
『Hurry Up Tomorrow』へ続く三部作の起点として重要な作品。80年代シンセ・ポップ、ダークR&B、ラスベガス的な虚構、血と罪のイメージが結びついた代表作である。本作の夜の美学と自己破壊の物語を理解するうえで欠かせない。
2. The Weeknd『Dawn FM』
『After Hours』の続編的作品で、死後のラジオ番組というコンセプトを通じて、煉獄、回想、許し、未練を描く。『Hurry Up Tomorrow』の終末感や明日への移行を理解するために、直接的に関連するアルバムである。
3. The Weeknd『Trilogy』
The Weekndの原点であり、欲望、ドラッグ、孤独、自己破壊を冷たいR&Bとして提示した作品。『Hurry Up Tomorrow』で終わろうとしているThe Weekndという人格がどこから始まったのかを知るために必聴である。
4. The Weeknd『Kiss Land』
映画的で暗い都市の悪夢を描いた初期スタジオ・アルバム。『Hurry Up Tomorrow』にあるシネマティックなスケール、名声への不安、異国的な夜の感覚と強くつながる。The Weekndのコンセプト志向を理解するうえで重要な作品である。
5. Giorgio Moroder『From Here to Eternity』
電子音楽、ディスコ、シンセ・ポップの歴史を考えるうえで重要な作品。『Hurry Up Tomorrow』に参加したGiorgio Moroderの音楽的背景を知ることで、The Weekndがどのような電子音楽の系譜を現代ポップへ接続しているかが理解しやすくなる。

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