1. 歌詞の概要
「Be All Things」は、アメリカのシンガーソングライターChelsea Wolfe(チェルシー・ウルフ)が2019年にリリースしたアルバム『Birth of Violence』に収録された楽曲であり、この作品全体の静謐で内省的なトーンを象徴する一曲である。ドゥーム、インダストリアル、フォーク、ゴシックといったジャンルを横断してきた彼女が、本作ではアコースティックを基盤としたよりパーソナルで瞑想的な表現へと回帰しており、「Be All Things」はまさにその最も純化された瞬間である。
歌詞において彼女は、自分の存在が他者にとってすべてのもの(be all things)となることの喜びと苦悩を同時に抱えながら、自己を差し出す愛と献身、そしてそこからくる痛みや空虚感を静かに歌い上げる。言葉数は少ないが、一語一語に重みと静かな炎のような感情が込められており、まるで祈りのように響く。
2. 歌詞のバックグラウンド
「Be All Things」が収録された『Birth of Violence』は、チェルシー・ウルフが自身の限界やノイズの洪水から距離を置き、内なる声に耳を澄ませるようにして生まれた作品である。制作当時、彼女は都市を離れ、カリフォルニアの山間部に身を置きながらレコーディングを行った。そこでの自然との静かな交感や、テクノロジーから隔絶された生活が、本作の**“静寂の美学”**に結実している。
「Be All Things」は、アルバムの中でも特に極限まで削ぎ落とされた編成で演奏され、ギター、わずかなストリングス、空間を生かしたリヴァーブ、そして彼女の囁くような歌声だけで構成されている。このミニマルな音世界は、逆に言葉や沈黙のひとつひとつに宿る“体温”を際立たせる仕掛けでもある。
タイトルの「Be All Things」という表現は、誰かにとってあらゆる役割を引き受けることの犠牲と覚悟、あるいはその期待に疲弊する自己を示唆しており、まさにチェルシー・ウルフがアーティストとして、女性として、個人として背負ってきた感情の結晶とも言える。
3. 歌詞の抜粋と和訳
“Be all things”
あなたにとってのすべてであること“To everyone you meet”
出会うすべての人に対して“And do you lose yourself / In the giving of it?”
そのすべてを与えることで あなたは自分を失ってしまうの?“And do you lose yourself / In the giving of it?”
与えるたびに あなた自身は削がれていくの?
引用元:Genius
4. 歌詞の考察
この曲の中心にある問いは、**「自己犠牲と献身の境界線はどこにあるのか」**という極めて普遍的なテーマである。「Be all things(すべてであること)」という言葉には、一見すると優しさや慈愛が込められているように思えるが、チェルシー・ウルフがそれを囁く声には、疲弊、消耗、孤独といった逆の感情が含まれているようにも感じられる。
「誰かにとっての“すべて”になろうとすることは、自分の一部を削ることかもしれない」。この認識が、歌詞の中で静かに滲んでいる。とりわけ「And do you lose yourself / In the giving of it?(それを与えることで自分を失ってしまうの?)」というラインは、愛の行為が自己の解体に繋がる危うさを端的に示しており、その問いかけは聴き手自身にも投げかけられてくる。
この問いは、女性性、アーティスト性、ケアする者としての役割など、さまざまな文脈で響く多層的なテーマであり、ウルフの歌声はそのどれにも答えを出すことなく、**“問いのまま抱きしめる”**という姿勢を貫いている。その余白こそが、彼女の音楽が多くの人の内面に深く染み込む理由でもあるのだ。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Your Best American Girl by Mitski
誰かに“なろうとする”ことの苦しさと、自己の喪失を描いたモダンなインディ・ロックの名作。 - Colorblind by Counting Crows
感情の繊細さと無力さを静かなメロディに託した、哀しみの中の優しさを持つ楽曲。 - Black Lake by Björk
愛と破壊、自我と献身が複雑に交錯する、壮絶な個人の告白詩。 - In the Garden by Emma Ruth Rundle
個と宇宙、静寂と痛みの交錯する音世界が「Be All Things」と強く共鳴する。 - We’re All Leaving by Sophie Hutchings
インストゥルメンタルながらも、感情が音に変換されたような、静かなる深淵。
6. 自己と他者の境界で揺れる声——沈黙に潜む祈りのように
「Be All Things」は、爆発もクライマックスもない。だがそれゆえに、この楽曲は静けさの中に最大の力を宿している。誰かのために尽くすこと、理解されたいと願うこと、完璧な“何者か”になろうとすること——それらはときに、自分自身を削る刃ともなり得る。
チェルシー・ウルフはそのことを、声を荒らげず、ただ囁くように、問いかけるように私たちに語る。そして聴く者はその問いに、何も答えられないまま、ただ静かに向き合うことしかできない。
この曲は、現代における**“ケアすることの美しさと苦しさ”**を鋭く射抜いており、その響きはリスナーの中で長く残り続ける。Be all things——あなたは本当に、すべてであろうとしているのか?
そしてそれによって、自分を見失ってはいないだろうか?
この問いが沈黙の中で反響するとき、音楽は単なる音ではなく、感情そのものになるのだ。Chelsea Wolfeはその術を、誰よりも知っている。
コメント