アルバムレビュー:Atlanta Millionaires Club by Faye Webster

※本記事は生成AIを活用して作成されています。

  • 発売日: 2019年5月24日
  • ジャンル: インディー・フォーク、オルタナティブ・カントリー、インディー・ポップ、R&B、ソフト・ロック

概要

フェイ・ウェブスターの『Atlanta Millionaires Club』は、2019年にリリースされたアルバムであり、彼女の名前をインディー・ポップ/シンガーソングライターの領域で広く知らしめた重要作である。ジョージア州アトランタ出身のウェブスターは、フォーク、カントリー、インディー・ロック、R&B、ヒップホップ以降の感覚を自然に混ぜ合わせるアーティストであり、本作ではその独自性が非常に明確な形で表れている。

タイトルの『Atlanta Millionaires Club』は、一見すると華やかな成功や富を連想させるが、実際のアルバムの音楽性は、むしろ孤独、気まずさ、片想い、倦怠、自己認識の不器用さを淡々と描くものになっている。この皮肉な距離感が、フェイ・ウェブスターの作風をよく示している。彼女の歌詞は劇的な感情の爆発よりも、日常の中でふと表面化する寂しさや未練、会話になりきらない感情を捉える。大きな物語を語るのではなく、ひとりの部屋、夜の時間、相手から返ってこない連絡、うまく言えない言葉の余白を音楽化する。

フェイ・ウェブスターの音楽を特徴づける大きな要素は、ペダル・スティール・ギターの使い方である。ペダル・スティールはカントリー・ミュージックに深く結びついた楽器だが、本作では単なるカントリー色の装飾ではなく、楽曲全体に浮遊感と哀愁を与える中心的な音響として機能している。そこに、柔らかなベース、控えめなドラム、ソウルやR&Bの影響を感じさせるコード感、インディー・ポップらしい簡潔なメロディが重なり、独特の温度の低いロマンティシズムが生まれている。

キャリア上の位置づけとして、『Atlanta Millionaires Club』は、フェイ・ウェブスターがアトランタという土地の多様な音楽文化を、自身の繊細なソングライティングへと落とし込んだ作品である。アトランタはヒップホップの重要都市として知られるが、同時に南部のカントリー、ソウル、インディー・ロックの文脈も持つ。ウェブスターはその環境の中で、ジャンルを強く主張するのではなく、自然に越境する音楽を作っている。本作にはラッパーのFatherが参加しており、アトランタのオルタナティブなヒップホップ・シーンとの接点も示されている。

同時代のインディー・シーンと比較すると、フェイ・ウェブスターはフィービー・ブリジャーズやジュリアン・ベイカーのような告白的なシンガーソングライターとも近い位置にありながら、より乾いたユーモアと脱力感を持っている。また、マック・デマルコ以降のレイドバックしたインディー・ポップ、ケイシー・マスグレイヴスのような現代カントリーの洗練、R&B的なメロウネスとも接点がある。しかし彼女の音楽は、そのどれかに完全には収まらない。声の小ささ、歌詞の素っ気なさ、音の隙間、微妙な気まずさによって、非常に個性的な世界を作っている。

日本のリスナーにとって本作は、派手なサビや強烈なビートではなく、空気感や余白を味わうタイプのアルバムとして聴くと理解しやすい。シティポップやネオ・ソウル、ベッドルーム・ポップ、オルタナティブ・カントリーに親しんでいるリスナーには、滑らかなコード感や柔らかい音像が自然に響くだろう。一方で、歌詞を追うと、そこにはかなり不器用で、時に痛々しいほど率直な孤独が存在する。『Atlanta Millionaires Club』は、心地よい音の中に、寂しさと自意識の揺れを静かに封じ込めたアルバムである。

全曲レビュー

1. Room Temperature

オープニング曲「Room Temperature」は、本作の世界観を端的に示す楽曲である。タイトルは「室温」を意味し、熱狂でも冷淡でもない、微妙に中間的な温度を示している。この感覚はフェイ・ウェブスターの音楽全体に通じる。感情は確かに存在しているが、それが大きなドラマとして爆発することはない。部屋の中に漂う空気のように、寂しさや未練が静かに残っている。

歌詞では、誰かと一緒にいること、あるいは誰かがいないことによって生まれる気分の変化が、非常に日常的な言葉で描かれる。彼女の歌詞は、抽象的な詩というより、会話の断片や独り言に近い。自分の感情を大げさに説明するのではなく、何気ない一文の中に孤独をにじませる。そのため、聴き手は大きな物語を受け取るというより、誰かの部屋に置かれたメモを読むような感覚になる。

音楽的には、ペダル・スティール・ギターの浮遊感が重要である。カントリー由来の楽器でありながら、ここでは土臭さよりも夢見心地の寂しさを作り出している。リズムはゆったりとしており、ベースとドラムは控えめに曲を支える。全体のサウンドは柔らかいが、決して甘くなりすぎない。ウェブスターの平熱に近い歌声が、楽曲のタイトル通りの温度感を保っている。

「Room Temperature」は、アルバムの導入として非常に優れている。フェイ・ウェブスターの音楽が、激情ではなく、感情の微妙な変化を描くものであることを最初に提示する曲である。

2. Right Side of My Neck

「Right Side of My Neck」は、アルバムの中でも特に親密で、記憶の細部を扱った楽曲である。タイトルは「私の首の右側」という具体的な身体の一部を指しており、恋愛の記憶が抽象的な感情ではなく、匂いや触感、身体の一部分に残るものとして描かれている。

歌詞の中心には、相手の香りが首元に残るという非常に具体的なイメージがある。恋愛の余韻は、しばしば言葉よりも身体感覚に残る。誰かと過ごした後、服や肌に残る香り、触れられた場所の感覚、部屋に残る空気。ウェブスターはそのような小さな痕跡を通じて、関係の親密さと不安定さを表現している。

音楽的には、ゆったりとしたテンポと柔らかなコード進行が特徴である。ペダル・スティールはここでも重要な役割を果たし、曲全体に淡い哀愁を与える。メロディは穏やかで、サビも大きく開けるというより、同じ感情を静かに反復するように進む。派手な展開がないことで、歌詞の細部がより際立つ。

この曲におけるフェイ・ウェブスターのヴォーカルは、感情を強く押し出さない。むしろ、淡々と歌うことで、かえって未練の深さが伝わる。失恋や片想いの歌では、泣き叫ぶような表現もあり得るが、ウェブスターはそうした劇的な表現を避ける。平静を装う声の中に、感情が取り残されているような印象がある。

「Right Side of My Neck」は、本作の親密さを象徴する楽曲である。恋愛を大きな言葉で語るのではなく、身体に残る小さな痕跡によって描く点に、フェイ・ウェブスターのソングライティングの鋭さがある。

3. Hurts Me Too

「Hurts Me Too」は、相手の苦しみを見て自分も傷つくという、共感と無力感をテーマにした楽曲である。タイトルは「それは私も傷つける」という意味であり、恋愛関係や親密な人間関係において、相手の痛みが自分の内側に入り込んでくる感覚を描いている。

歌詞では、相手を助けたい、理解したいという気持ちがありながら、実際には十分に何もできないもどかしさが漂う。フェイ・ウェブスターの歌詞は、自己主張の強い宣言ではなく、関係の中で自分の立ち位置を測りかねるような不安をよく描く。この曲でも、相手のために何かをしたいという思いと、自分には届かないという感覚が重なっている。

音楽的には、ブルージーな感触とインディー・フォークの柔らかさが共存している。ギターやペダル・スティールの響きは控えめで、全体にゆるやかな揺れがある。リズムは強く前へ進むのではなく、感情に寄り添うようにゆったりと動く。このテンポ感が、痛みを抱えた関係の停滞感をよく表している。

ヴォーカルは、非常に抑制されている。声量や技巧で聴かせるのではなく、少し距離を置いたような歌い方によって、言葉の重さを浮かび上がらせる。ここでのウェブスターは、相手の痛みを完全に引き受けるヒロインではなく、ただ近くで見ているしかない人物として響く。その曖昧な立場が、曲のリアリティを生んでいる。

「Hurts Me Too」は、『Atlanta Millionaires Club』の中で、恋愛の甘さよりも痛みと共感の難しさを描く曲である。相手を思うことが必ずしも救いになるわけではなく、むしろ自分も傷ついてしまう。その複雑な感情を静かな音像で表現している。

4. Pigeon

「Pigeon」は、フェイ・ウェブスターらしいユーモアと孤独感が混ざった楽曲である。タイトルの「鳩」は、日常的で、どこにでもいる存在でありながら、ポップ・ソングの題材としては少し奇妙である。この少し外した視点が、ウェブスターの作家性をよく示している。

歌詞では、自己認識の不安定さや、日常の中で感じる所在なさが描かれる。鳩というモチーフは、都会の片隅にいるありふれた存在として、自分自身の孤独や居場所のなさを映すものとして機能している。フェイ・ウェブスターの歌詞は、直接的に「私は寂しい」と言うより、奇妙な対象や何気ない場面を通じて、その寂しさを間接的に伝えることが多い。

音楽的には、アルバム全体に通じる柔らかなバンド・サウンドが基盤にある。ペダル・スティールやギターの響きは軽く揺れ、リズムはリラックスしている。曲そのものは穏やかだが、歌詞の視点には少し不穏なズレがある。この音楽的な心地よさと、歌詞の微妙な違和感の組み合わせが、ウェブスターの魅力である。

ヴォーカルは、淡々としている。感情を込めすぎない歌い方によって、歌詞の奇妙さが逆に自然に響く。彼女の音楽には、悲しみを悲しみとして大げさに演出しない美学がある。「Pigeon」でも、孤独や疎外感は深刻なドラマとしてではなく、日常の中にある小さなズレとして表現されている。

この曲は、アルバムの中でフェイ・ウェブスターの観察眼を示す重要な楽曲である。日常的な対象を通じて、自分の内面の不安や滑稽さを映し出す。その視点は、現代のインディー・ポップにおける「小さな感情」の表現と深く結びついている。

5. Jonny

「Jonny」は、『Atlanta Millionaires Club』の中でも特に印象的な楽曲であり、フェイ・ウェブスターのソングライティングの核心に近い曲である。タイトルは特定の人物名を示しており、歌詞はその人物への語りかけのように進む。ここで描かれるのは、恋愛とも友情とも言い切れない曖昧な関係、相手に対する未練、そして自分の感情をうまく処理できない状態である。

歌詞には、相手の名前を呼ぶことでしか保てない距離感がある。フェイ・ウェブスターの作品では、感情を明確に整理するよりも、整理できないままその場に置いておくことが多い。「Jonny」もまさにそのような曲であり、相手への思いがはっきりとした結論に向かわない。好きなのか、寂しいのか、怒っているのか、諦めているのか。そのすべてが混ざった状態が、淡々としたメロディに乗せられる。

音楽的には、ゆったりとしたテンポ、柔らかなコード、ペダル・スティールの哀愁が印象的である。楽曲は大きく盛り上がるのではなく、同じ感情の周囲をゆっくり回り続ける。これは、未練という感情の性質によく合っている。未練は前へ進むものではなく、同じ記憶を何度も反復するものだからである。

ヴォーカルは、非常に近い距離で録音されているように感じられる。ウェブスターの声は小さく、強く主張しない。しかしその小ささが、かえって親密さを生む。まるで相手に直接話しているのではなく、自分の中で相手の名前を繰り返しているような印象がある。

「Jonny」は、本作のテーマである孤独、未練、気まずさ、関係の曖昧さを集約した曲である。フェイ・ウェブスターの音楽が、大きな感情を小さな声で歌うことによって成立していることを示す代表的な楽曲である。

6. Kingston

「Kingston」は、本作の中でも特に人気の高い楽曲であり、フェイ・ウェブスターのメロディメイカーとしての魅力が最も分かりやすく表れた曲である。タイトルはジャマイカの首都キングストンを連想させるが、曲の中では具体的な土地というより、恋愛の中で生まれる逃避的なイメージや憧れとして響く。

歌詞では、相手への思いが非常に素直に表現される。フェイ・ウェブスターの多くの曲には気まずさや遠回しな感情があるが、「Kingston」は比較的ロマンティックで、甘さが前面に出ている。ただし、その甘さは大げさなラブソングの形ではなく、彼女らしい控えめなトーンで描かれる。相手と一緒にいることで生まれる幸福感や、どこかへ行きたいという気持ちが、軽やかに表現されている。

音楽的には、メロウなインディー・ポップとソウル的なコード感が融合している。ベースラインは滑らかで、ドラムは控えめながらも心地よいグルーヴを作る。ペダル・スティールの響きは、曲に甘く切ない浮遊感を与える。全体として、夜や夕暮れの空気を思わせる柔らかな音像があり、日本のシティポップやメロウなR&Bに親しむリスナーにも受け入れやすい。

ヴォーカルは、恋愛の高揚を歌っているにもかかわらず、過度に熱くならない。むしろ、控えめな歌い方によって、感情の純度が保たれている。ウェブスターの声は、ロマンティックな言葉を歌っても過剰に甘くならず、どこか照れや距離感を残す。そのバランスが「Kingston」の大きな魅力である。

「Kingston」は、『Atlanta Millionaires Club』の中で最も開かれたラブソングと言える。アルバム全体の孤独や気まずさの中で、この曲は一瞬の幸福や憧れを示す。しかしその幸福も永続するものではなく、淡い夢のように浮かんでいる。その儚さが曲を印象的なものにしている。

7. Come to Atlanta

「Come to Atlanta」は、フェイ・ウェブスターの出身地であるアトランタをタイトルに掲げた楽曲であり、本作の地理的・文化的な中心を示す曲である。アトランタは、現代ヒップホップの重要都市であり、同時に南部のソウル、R&B、カントリー、インディー・ロックの交差点でもある。ウェブスターはこの都市の音楽的多様性を、自分の作風の中に自然に取り込んでいる。

歌詞では、誰かにアトランタへ来てほしいという呼びかけが中心にある。しかし、それは単純な観光案内や地元賛歌ではない。むしろ、相手に自分の場所へ来てほしい、自分の生活圏や孤独を共有してほしいという親密な願いとして響く。場所は単なる背景ではなく、関係性を測るための空間になる。

音楽的には、ゆったりとしたリズムと柔らかなアンサンブルが特徴である。アトランタという都市名からは、強いビートやヒップホップ的なサウンドを想像するかもしれないが、ウェブスターはあえて静かでメロウな音像を選んでいる。これにより、アトランタは派手な都市ではなく、彼女自身の生活と感情が染み込んだ個人的な場所として描かれる。

この曲には、ローカル性と普遍性が共存している。アトランタという具体的な場所を歌いながら、誰かに自分の街へ来てほしい、自分の日常を見てほしいという感情は、多くのリスナーに共有されるものでもある。地元を愛する気持ちと、そこに相手がいない寂しさが同時に存在している。

「Come to Atlanta」は、本作のタイトルにも含まれるアトランタという土地を、音楽的にも感情的にも位置づける楽曲である。フェイ・ウェブスターにとってアトランタは、単なる出身地ではなく、音楽の混ざり合いと個人的な孤独が生まれる場所であることが示されている。

8. What Used to Be Mine

「What Used to Be Mine」は、失われたもの、かつて自分のものだったものへの未練をテーマにした楽曲である。タイトルは「かつて私のものだったもの」という意味であり、恋愛、時間、関係、自分自身の状態など、さまざまな喪失を連想させる。

歌詞では、何かを失った後に残る感情が淡々と描かれる。フェイ・ウェブスターは、喪失を劇的な悲劇として扱うのではなく、日常の中に残る空白として表現する。別れや変化の後、生活は続いていく。しかし、その中でふと「以前は自分のものだった」と感じる瞬間がある。この曲は、そのような静かな痛みを扱っている。

音楽的には、スローでメロウな質感が強い。ペダル・スティールの音色は、喪失感を直接的に表現する重要な要素となっている。カントリー・ミュージックでは、ペダル・スティールはしばしば郷愁や悲しみを担う楽器として使われるが、ウェブスターはそれをインディー・ポップの柔らかな音像の中に溶かし込む。結果として、古典的な哀愁と現代的な脱力感が共存している。

ヴォーカルは、後悔や悲しみを強く演じない。むしろ、感情を言葉にすること自体に少し疲れているように聴こえる。この抑制が、曲のリアリティを高めている。失った直後の激しい悲しみではなく、時間が経った後にも残る鈍い痛みが表現されている。

「What Used to Be Mine」は、『Atlanta Millionaires Club』の中でも特に内省的な曲である。フェイ・ウェブスターが得意とする、過去に対する静かな執着と、そこから完全には抜け出せない感情がよく表れている。

9. Flowers feat. Father

「Flowers」は、アトランタのラッパー/プロデューサーであるFatherをフィーチャーした楽曲であり、本作の中で最も明確にヒップホップ・シーンとの接点を示す曲である。フェイ・ウェブスターはアトランタのインディー・フォーク的な文脈だけでなく、Awful Records周辺のオルタナティブなヒップホップ・コミュニティとも関係を持ってきた。この曲は、その背景をアルバム内で音楽的に示している。

歌詞の中心には、愛情、孤独、承認欲求、贈り物としての花のイメージがある。花は伝統的に愛や謝罪、記憶を象徴するものだが、この曲ではその意味が少し曖昧である。花を欲しがることは、愛されたいという願望でもあり、自分の存在を認めてほしいという気持ちでもある。フェイ・ウェブスターの歌詞において、こうした小さな願望はしばしば大きな寂しさと結びつく。

音楽的には、彼女のメロウなインディー・ポップと、Fatherのラップが自然に共存している。ビートは激しくなく、むしろゆったりとした空気を保っているため、ラップのパートも曲全体のムードを壊さない。Fatherの声は、ウェブスターの柔らかな歌声とは異なる質感を持ちながら、同じアトランタの空気を共有しているように響く。

この曲の重要性は、ジャンルの越境を無理なく行っている点にある。インディー・フォークにラップを足したという表面的なコラボレーションではなく、アトランタという土地の中で自然に隣り合っている音楽文化が、ひとつの曲の中で接続されている。ウェブスターの音楽が、カントリーやフォークだけではなく、現代の南部ヒップホップとも同じ生活圏を持っていることが分かる。

「Flowers」は、本作の中で最もジャンル横断的な楽曲であり、フェイ・ウェブスターの背景を理解するうえで欠かせない。柔らかな寂しさと、アトランタのオルタナティブな都市感覚が交差する重要曲である。

10. Jonny (Reprise)

アルバムの最後に置かれた「Jonny (Reprise)」は、5曲目の「Jonny」を再訪する楽曲である。リプライズという形式は、アルバム内で一度提示されたテーマを別の角度から回収する役割を持つ。ここでは、相手への未練や曖昧な感情が、より静かで余韻のある形で再提示される。

本編の「Jonny」が、相手に対する語りかけや関係の未整理な感情を中心にしていたのに対し、「Jonny (Reprise)」は、その感情が言葉を失った後の残響のように響く。曲の構成は短く、アルバム全体を大きく締めくくるというより、部屋の明かりが消えた後にまだ残っている気配のような役割を果たす。

音楽的には、非常に抑制されたアレンジで、ウェブスターの声と楽器の余白が際立つ。ここでの重要な要素は、完成された結論ではなく、未解決のまま残る感情である。『Atlanta Millionaires Club』の楽曲の多くは、関係性に明確な答えを出さない。リプライズもまた、物語を解決するためではなく、解決しないまま存在する感情を最後に残すために置かれている。

歌詞は、少ない言葉の中に多くの余白を含んでいる。フェイ・ウェブスターの魅力は、すべてを説明しないことにある。彼女は自分の痛みや未練を、わかりやすい結論へと変換しない。むしろ、説明できないものを説明できないまま歌にする。その姿勢が、このリプライズには凝縮されている。

「Jonny (Reprise)」は、アルバムの締めくくりとして非常に象徴的である。華やかな終幕ではなく、静かな未完の感覚を残すことで、『Atlanta Millionaires Club』の世界が終わった後も、感情が聴き手の中に残り続ける。フェイ・ウェブスターの音楽における「余白」の美学を示す、控えめながら重要なラスト・トラックである。

総評

『Atlanta Millionaires Club』は、フェイ・ウェブスターの音楽的個性を決定づけたアルバムであり、2010年代後半のインディー・シンガーソングライター作品の中でも独特の位置を占める一枚である。本作は、フォーク、カントリー、インディー・ポップ、R&B、ソフト・ロック、ヒップホップ以降の空気感を自然に混ぜ合わせながら、どのジャンルにも完全には属さない柔らかな音楽を作り出している。

最大の特徴は、音の温度感である。アルバム全体は非常にメロウで、リズムはゆったりし、楽器の配置には余白がある。ペダル・スティール・ギターは、カントリー的な郷愁をもたらすだけでなく、現代インディー・ポップの浮遊感とも結びついている。ベースやドラムは控えめだが、R&B的な滑らかさを持ち、楽曲に心地よいグルーヴを与える。全体として、聴きやすく柔らかい音像でありながら、感情の中身は単純な癒やしにはとどまらない。

歌詞の面では、恋愛の不器用さ、孤独、未練、自己認識のズレが中心にある。フェイ・ウェブスターは、感情を大げさな言葉で表現しない。むしろ、何気ない一文、身体に残る香り、相手の名前、地元へ来てほしいという呼びかけ、花が欲しいという小さな願望によって、深い寂しさを描く。こうした表現は、現代のインディー・ポップにおける親密なソングライティングの流れと通じているが、彼女の場合はそこに乾いたユーモアと南部的な音楽感覚が加わる。

本作の魅力は、感情の曖昧さをそのまま保っている点にもある。多くのポップ・ソングは、失恋、恋愛、自己肯定といったテーマを明確な結論へ導く。しかし『Atlanta Millionaires Club』の曲は、しばしば結論を出さない。「Jonny」や「What Used to Be Mine」では未練が残り、「Hurts Me Too」では相手を救えない無力感が残り、「Room Temperature」では感情が熱くも冷たくもなりきらない状態が続く。この未解決感が、アルバム全体のリアリティを支えている。

また、アトランタという土地の影響も重要である。アトランタはヒップホップの中心地として世界的に知られるが、フェイ・ウェブスターはその都市の音楽的多様性を、派手に誇示するのではなく、自然な形で吸収している。「Flowers」でのFatherの参加はその象徴であり、インディー・フォークとオルタナティブ・ヒップホップが同じローカルな文脈の中でつながっていることを示している。彼女の音楽は、ジャンルの融合をコンセプトとして掲げるのではなく、生活環境の中で当たり前に混ざっている音をそのまま反映している。

日本のリスナーにとって本作は、静かな夜や一人の時間に合うアルバムとして受け入れやすいだろう。派手な展開や強烈なサビは少ないが、メロディは親しみやすく、音像は柔らかい。シティポップ、ネオ・ソウル、ベッドルーム・ポップ、インディー・フォーク、オルタナティブ・カントリーを横断して聴くリスナーには、特に響きやすい作品である。歌詞を理解すると、心地よさの奥にある孤独や気まずさが見えてきて、アルバムの印象はさらに深まる。

『Atlanta Millionaires Club』は、華やかな成功を誇るアルバムではなく、むしろ「うまくいかなさ」を美しく、控えめに、そして少しユーモラスに描いた作品である。恋愛の失敗、相手への未練、自分自身への戸惑い、地元への愛着、他者との距離感。それらが柔らかなバンド・サウンドの中で静かに揺れている。フェイ・ウェブスターの魅力は、この揺れを無理に解決しないことにある。

総じて『Atlanta Millionaires Club』は、2010年代のインディー・ポップにおける繊細な名作であり、フェイ・ウェブスターの作家性を決定づけたアルバムである。ペダル・スティールの哀愁、R&B的なメロウネス、フォークの親密さ、アトランタ的なジャンル横断性が溶け合い、静かだが強い個性を持つ作品となっている。

おすすめアルバム

1. Faye Webster – I Know I’m Funny haha(2021)

フェイ・ウェブスターの次作にあたり、『Atlanta Millionaires Club』で確立したメロウなインディー・ポップ/オルタナティブ・カントリー路線をさらに洗練させた作品。ユーモア、孤独、恋愛の不器用さがより自然な形で表現されており、彼女のソングライティングの成長を確認できる。

2. Faye Webster – Faye Webster(2017)

『Atlanta Millionaires Club』以前の作風を知るうえで重要な作品。フォークやカントリーの要素がより素直に表れており、後のメロウでジャンル横断的なスタイルへ向かう前段階を聴くことができる。ペダル・スティールを中心とした哀愁ある音像の原型も確認できる。

3. Kacey Musgraves – Golden Hour(2018)

現代カントリーとポップの境界を柔らかく更新した重要作。カントリー由来の楽器や歌心を保ちながら、ドリーム・ポップやソフト・ロック的な音響へ広げている点で、フェイ・ウェブスターの音楽と親和性が高い。繊細で現代的なカントリー・ポップを理解するうえで有効な比較対象である。

4. Phoebe Bridgers – Punisher(2020)

親密な歌詞、孤独、皮肉、静かな音像を特徴とするインディー・シンガーソングライター作品。フェイ・ウェブスターよりも暗く内省的な方向に寄っているが、日常の違和感や感情の不器用さを繊細に描く点で共通している。2010年代後半以降の女性シンガーソングライターの流れを理解するうえで重要な作品である。

5. Soccer Mommy – Clean(2018)

ベッドルーム・ポップ以降の感覚と90年代オルタナティブ・ロックの影響を持つ作品。恋愛、自己不信、若い世代の孤独を率直に描く点で、『Atlanta Millionaires Club』と近いテーマ性を持つ。フェイ・ウェブスターよりもギター・ロック寄りだが、親密な歌詞表現と控えめな感情の出し方に共通点がある。

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