発売日: 2008年6月17日
ジャンル: インディーロック、アートロック、プログレッシブポップ
概要
『At Mount Zoomer』は、カナダのインディーロック・バンドWolf Paradeが2008年に発表した2作目のスタジオアルバムであり、デビュー作『Apologies to the Queen Mary』での衝動とエネルギーをより複雑かつ抽象的な表現へと昇華させた、野心的な一作である。
本作のタイトルは、バンドが使用していたレコーディングスタジオ「Mount Zoomer」にちなんでおり、同時に「Zoomer(拡大鏡)」という言葉が象徴するように、物事を拡大し、多層的に観察するような視座を持っている。
サウンド面ではポストパンクやガレージロックの粗さを保ちながらも、アートロック/プログレッシブ・ポップ的な構成と展開が目立ち、より“聴くほどに深まる”構造へと進化している。
Dan BoecknerとSpencer Krugという2人の作曲家によるコントラストは本作でも健在で、彼らのスタイルの差異がよりはっきりと現れている。
Boecknerはストレートなギターロックでエモーションを描き、Krugは鍵盤と変拍子を駆使した抽象的・演劇的なアプローチを行う。
混沌とした現実のなかで自己を見失いそうになる感覚と、それでも音楽を通じて意味を探ろうとする静かな誠実さが、この作品には込められている。
全曲レビュー
1. Soldier’s Grin
ミドルテンポのピアノリフと、浮遊感あるギターが印象的なKrug主導のオープニング。
“兵士の笑み”という逆説的なタイトルが示すように、苦境にあっても微笑むしかない心理を描く。
浮遊と落下を繰り返すようなリズム構成が、内的葛藤を音像化している。
2. Call It a Ritual
Boecknerによる、ギター主導のタイトでロック色の強いナンバー。
宗教的なテーマが表層に浮かび、儀式化された現代の行動様式を皮肉るような詞世界。
曲の疾走感とヴォーカルの張り詰めた緊張が耳を引く。
3. Language City
Krugの作曲による、複雑で構成的な楽曲。
言語と都市という二つの構築物を重ね合わせるようなテーマで、人間の表現と孤独を見つめ直す。
反復するフレーズと不協和な展開が、秩序と混乱のはざまを描く。
4. Bang Your Drum
比較的ポップで軽快なナンバー。
Boecknerのボーカルが前に出ており、“太鼓を叩け”というメッセージが個人の自己表現や抗議の象徴として響く。
サビの盛り上がりが心地よく、アルバム中の“呼吸点”としても機能する。
5. California Dreamer
Krugのソングライティングが冴えわたる長尺の楽曲。
幻想的なメロディと突如現れるテンポチェンジが交錯し、タイトルに反して安息や幸福からほど遠い夢の風景が描かれる。
“The city of death / The city of sleep”というラインが印象的で、崩壊寸前の夢想を鋭く捉えている。
6. The Grey Estates
Boeckner主導のギターロックで、アルバム中では比較的ストレートな構成。
灰色の郊外(グレイ・エステーツ)というイメージが示すように、均質化された社会や無感覚な日常を描く。
力強いサウンドが、停滞への反抗を象徴している。
7. Fine Young Cannibals
Krugによる、やや風刺的なタイトルを持つダークな楽曲。
食人という極端なモチーフを通じて、人間関係の搾取性や自己喪失を照射する。
ピアノの不協和音と歪んだ構成が、理性の崩壊を感じさせる。
8. An Animal in Your Care
Boecknerが歌う、哀感と怒りが交錯するエモーショナルなナンバー。
「君の世話をしている動物」という逆転した視点が、依存と支配の関係性を揺さぶる。
リズムセクションの緊張と爆発が、感情の起伏を生々しく表現する。
9. Kissing the Beehive
10分を超える壮大なクロージングトラック。
KrugとBoecknerの共作によるアルバムの総決算的ナンバーで、静と動、希望と絶望、理性と狂気が交差する音楽的“叙事詩”である。
「蜂の巣にキスをする」という危うく甘美なイメージが、全体のテーマを象徴している。
総評
『At Mount Zoomer』は、Wolf Paradeがロックバンドとしての即効性を保ちつつ、自らの創造性と対峙した結果生まれた“思索的な混沌”とも言える作品である。
デビュー作にあった焦燥と爆発が後退したことで、初聴ではやや印象が散漫に思えるかもしれない。
だがその分、構成の緻密さや内面的な情動の変化が丁寧に描かれており、繰り返し聴くことで新たな表情を見せるアルバムとなっている。
KrugとBoecknerの作家性の違いが前作以上に明確でありながら、両者の作品が有機的に並置されることで、1枚のアルバムとしての多様性と統一感を獲得している点も特筆に値する。
この作品を理解するには、即時的な“熱さ”よりも、余白を味わう“深さ”が求められるのかもしれない。
その意味で『At Mount Zoomer』は、Wolf Paradeの音楽を“感情の劇場”から“知性の迷宮”へと変貌させた重要作なのである。
おすすめアルバム
- Sunset Rubdown / Dragonslayer
Spencer Krugの別プロジェクト。複雑な構成と詩的世界観が共通する。 - TV on the Radio / Dear Science
ポストパンクとアートロックの融合、知的アプローチが近い。 - Broken Social Scene / You Forgot It in People
多様性と統一感の共存という点で共鳴。 - Deerhunter / Microcastle
内省と実験精神が交錯する音像が、『At Mount Zoomer』に通じる。 -
Of Montreal / Hissing Fauna, Are You the Destroyer?
精神の揺らぎとアート性をロックに注入した異色作。Krugの世界と重なる。
歌詞の深読みと文化的背景
『At Mount Zoomer』における歌詞は、明確な物語性よりも象徴や比喩を重ねて構成されており、都市、動物、儀式、夢といったイメージが頻出する。
これらはKrugとBoecknerがそれぞれの視点から描く“存在の不確かさ”や“関係性の摩耗”を映し出している。
Krugは幻想や夢を通して、言語化しにくい精神の不安定さを描き、Boecknerは現実の崩壊や社会的疲弊を直線的な語りで伝える。
こうした視点の交差が、アルバム全体に“対話のようでいて、すれ違う”ような不思議な緊張をもたらしている。
“Zoomer”——つまり拡大するという行為は、このアルバムにとって音楽的・詩的ディテールを凝視する行為そのものなのかもしれない。
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