発売日: 1996年10月15日
ジャンル: オルタナティヴ・ロック、パワー・ポップ、フォーク・ロック、スロウコア
概要
『Car Button Cloth』は、The Lemonheadsが1996年にリリースした7作目のスタジオ・アルバムであり、
エヴァン・ダンドゥが抱える孤独、疲労、そして音楽への執着が結晶化した、“壊れかけた美しさ”に満ちた作品である。
1993年の前作『Come on Feel the Lemonheads』でチャート的成功を収めたあと、
バンドは長いツアーとメンバーの脱退・入れ替えを繰り返し、実質的に“エヴァン・ダンドゥのソロ・プロジェクト”と化していた。
その結果、本作にはダンドゥの内省、皮肉、脆さ、そして鋭さがストレートに反映されており、
ポップスとしての親しみやすさを保ちながらも、よりダークで不安定なムードが支配している。
“Car Button Cloth（車のボタン布）”というアルバムタイトル自体が、
無機質な記号のようで、どこか意味ありげな感覚を持っており、
まさに本作の音楽世界を象徴する言葉として機能している。
全曲レビュー
1. It’s All True
エヴァンらしい飄々とした口調と、力強いギターが共存するオープニング。
“全部本当だよ”という曖昧な主張に、真実と嘘の境界を揺らす語りが滲む。
2. If I Could Talk I’d Tell You
本作中唯一の軽快なポップ・チューン。
甘酸っぱいメロディに、「話せたら伝えるのに」という不器用な愛情の表現が乗る。
シングル曲としての華があり、90年代後期のLemonheadsを象徴するナンバー。
3. Break Me
そのタイトル通り、「壊してくれ」と叫ぶような荒んだ空気感が漂う。
ダンドゥの脆弱さと攻撃性がせめぎ合い、“ギリギリの自己崩壊”を詩的に昇華している。
4. Hospital
精神的入院と現実逃避をユーモラスに描いた楽曲。
「病院に戻りたい」という歌詞に、逃げ場としての非日常空間が投影されている。
エヴァン・ダンドゥの“心の居場所のなさ”が見える佳曲。
5. The Outdoor Type（Smudgeのカバー）
オーストラリアのインディーバンドSmudgeのカバー。
「実はアウトドアが大嫌いなんだ」と自白する、アイロニーと優しさが同居する隠れた名曲。
ダンドゥの等身大のキャラクターが最も愛らしく表れている。
6. Yeah
ラフで短いギター・ロック。
歌詞もシンプルながら、開き直りと無関心の中にある小さな感情が光る。
7. C’mon Daddy
ビートルズ調のコード進行と、奇妙な歌詞が不思議なバランスで交差する。
“パパ”という言葉が、無邪気さと倒錯を同時に運ぶ危うい一曲。
8. One More Time
失われた関係への未練を、あくまで淡々と語るミッドテンポ。
“もう一度だけ”というタイトルの裏には、過去への執着と未来への放棄が同居している。
9. Tenderfoot
エヴァンと親交の深いSmudgeのトム・モーガンによる楽曲。
穏やかで叙情的なコード進行が心地よく、アルバムの中でも特に安堵感のある瞬間。
10. Secular Rockulidge
タイトルからして意味不明で、音もカオティック。
リズムとメロディがズレていく構成に、不安定な精神状態の写し鏡のような迫力がある。
11. Let’s Just Laugh
「ただ笑おう」と繰り返すリリックが、乾いた諦めと悲しみの裏返しに感じられる。
メロウなコード進行と、沈黙寸前の歌唱が心に残る。
12. Purple Parallelogram（一部盤のみ）
Noel Gallagherとの共作でありながら、後に本人の要望によりカットされた幻の一曲。
ポップかつサイケな風合いで、Lemonheadsの中でも異彩を放つ。
総評
『Car Button Cloth』は、“心がすり減ったあとに残る、静かなノイズ”のようなアルバムである。
前作のカラフルなポップ性は影を潜め、ここにはより内省的で、孤立したソングライティングが並ぶ。
エヴァン・ダンドゥは、すでにスター性の渦の中で自らを見失いかけており、
それゆえに本作は、飾らない言葉、削ぎ落とされた音、そして壊れたユーモアで構成されている。
だがそれが逆に、“誰にも言えない気持ちをそのまま歌にしたような誠実さ”として、多くのリスナーに静かに響いた。
この作品を最後にThe Lemonheadsは長期休止に入り、
次作『The Lemonheads』（2006）まで、実に10年の空白が生まれることとなる。
その意味で『Car Button Cloth』は、“ひとつの終わり”であると同時に、
90年代のエヴァン・ダンドゥの最も赤裸々なポートレートでもあるのだ。
おすすめアルバム
- Elliott Smith『Either/Or』
内省的で痛みを孕んだシンガーソングライター作品。静かな共鳴がある。 - Sparklehorse『Vivadixiesubmarinetransmissionplot』
壊れた感情とポップの同居。エヴァンと近い精神性を感じさせる。 - Sebadoh『Bakesale』
ラフな音像と内面の告白。Car Button Clothの“荒れた親密さ”に似た質感。 - Beck『Mutations』
ポップと脱力、アイロニーと哀愁を横断するスタイル。 -
Paul Westerberg『Eventually』
Replacements解散後のソロ。疲弊と優しさの同居が、同時代の共感を呼ぶ。
ファンや評論家の反応
本作は、商業的には前作ほどの成功を収められず、
評論家の間でも「精彩を欠く」「エヴァンの疲労がそのまま出ている」といったやや否定的な声も少なくなかった。
しかし後年になって、この静けさと破綻の感触こそがリアルだったとして、再評価が進む。
特に「Hospital」「The Outdoor Type」「If I Could Talk I’d Tell You」は、
エヴァン・ダンドゥの心の記録として、今日も多くのファンの心を捉え続けている。
『Car Button Cloth』は、ポップロックの“明るさ”だけでは語れない、
“暗がりに寄り添う音楽”の傑作なのである。
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