
発売日:1997年2月25日 / ジャンル:インディー・フォーク、ローファイ、シンガーソングライター、インディー・ロック、アコースティック・ポップ
- 概要
- 全曲レビュー
- 1. Speed Trials
- 2. Alameda
- 3. Ballad of Big Nothing
- 4. Between the Bars
- 5. Pictures of Me
- 6. No Name No. 5
- 7. Rose Parade
- 8. Punch and Judy
- 9. Angeles
- 10. Cupid’s Trick
- 11. 2:45 AM
- 12. Say Yes
- 総評
- おすすめアルバム
- 1. Elliott Smith – XO
- 2. Elliott Smith – Elliott Smith
- 3. Nick Drake – Pink Moon
- 4. Big Star – Third/Sister Lovers
- 5. Sparklehorse – Vivadixiesubmarinetransmissionplot
概要
Elliott Smithの3作目『Either/Or』は、1990年代インディー・フォーク/シンガーソングライター作品の中でも、特に繊細で、暗く、美しいアルバムとして重要な位置を占める作品である。前作『Elliott Smith』で確立された、囁くようなヴォーカル、アコースティック・ギターを中心とした簡素な録音、孤独や依存、自己嫌悪をめぐる歌詞は、本作でさらに洗練され、ポップ・ソングとしての輪郭も強まった。『Either/Or』は、Elliott Smithがローファイな宅録的表現から、より完成度の高いソングライターとして広く認識されるきっかけとなったアルバムである。
Elliott Smithは、もともとポートランドのインディー・ロック・バンドHeatmiserのメンバーとして活動していた。しかし、彼のソロ作品では、バンドの歪んだギター・ロックとは異なり、はるかに内向的で、静かで、個人的な音楽が展開される。Nick Drake、Big Star、The Beatles、Simon & Garfunkel、Alex Chilton、そしてアメリカのフォーク/ポップの伝統を背景にしながら、Smithは90年代的な疎外感と自己破壊的な心理を、非常に小さな声と精密なメロディで歌った。
アルバム・タイトル『Either/Or』は、デンマークの哲学者Søren Kierkegaardの著作『あれか、これか』を連想させる。選択、分裂、倫理と欲望、自己の決定不能性といったテーマが含まれる言葉である。Elliott Smithの歌詞にも、この「どちらかを選ばなければならないが、どちらにも完全には行けない」という感覚が強く流れている。愛と孤独、逃避と自覚、依存と拒絶、自己憐憫と自己批判、親密さと切断。その間で揺れる人物たちが、本作の楽曲には何度も登場する。
音楽的には、『Either/Or』は前作までのローファイな親密さを保ちながら、アレンジの幅を広げている。アコースティック・ギターの弾き語りだけでなく、ドラム、ベース、エレクトリック・ギター、ピアノ、ダブルトラックされたヴォーカルが加わり、曲ごとにより明確な表情が生まれている。ただし、音は決して過剰ではない。どの楽器も、Smithの小さな声と繊細なメロディを壊さないよう、抑制されている。
本作の大きな特徴は、暗い歌詞と美しいメロディの落差である。Elliott Smithの曲は、しばしば依存症、孤独、自己破壊、裏切り、感情の麻痺を扱う。しかし、メロディは驚くほど親しみやすく、時にはThe Beatles的な甘ささえ持つ。そのため、曲は単なる暗い告白にはならない。痛みが美しい形で整えられているからこそ、聴き手はその深さに引き込まれる。
1990年代後半の音楽シーンにおいて、『Either/Or』はグランジ以後のオルタナティヴ・ロックの大音量とは対照的な作品だった。Nirvana以後、痛みや疎外を叫びとして表現する音楽が広がった一方で、Elliott Smithはそれを囁きとして表現した。彼の音楽は、怒鳴るのではなく、聴き手の耳元に近づいてくる。その小ささが、かえって強い緊張感を生む。
本作は、映画『Good Will Hunting』で楽曲が使用されたことにより、Elliott Smithの名前がより広く知られるきっかけにもなった。「Between the Bars」「Angeles」「Say Yes」などは、彼の代表曲として長く聴かれている。しかし『Either/Or』は、単なる名曲集ではなく、一枚のアルバムとして、孤独な人物が自分自身と世界の間で揺れ続ける記録でもある。
『Either/Or』は、Elliott Smithのキャリアにおいて、初期のローファイな美学と、後の『XO』『Figure 8』に見られるより豊かなスタジオ・ポップの中間にある作品である。最小限の音でありながら、メロディと構成は非常に精密で、感情は鋭く、歌は深い。Elliott Smithを理解するうえで、最も重要な入口のひとつである。
全曲レビュー
1. Speed Trials
オープニング曲「Speed Trials」は、アルバム全体の緊張感を静かに示す楽曲である。タイトルは「速度試験」を意味し、何かを急がされる感覚、競争、測定、消耗を連想させる。しかし曲のテンポは決して速くない。むしろ、抑制されたビートとギターの反復によって、精神的な焦りが静かに描かれている。
サウンドは、アコースティック・ギターを中心にしながら、ドラムやベースが控えめに加わる。Elliott Smithの声は近く、囁くように録音されている。曲は派手に始まらず、まるで部屋の中でひとりごとのように始まる。しかし、その小さな音の中には強い不穏さがある。
歌詞では、何かに追われるような人物像が浮かび上がる。外側から急かされているのか、自分自身の内側から逃げられないのかは曖昧である。Speed trialsという言葉は、現代社会の競争だけでなく、自己破壊的に自分を試し続ける心理にも読める。どこまで耐えられるのか、どこまで走れるのか。その問いが曲の奥にある。
「Speed Trials」は、Elliott Smithが大きな音を使わずに緊張を作る能力を示している。アルバム冒頭から、聴き手は静かな不安の中へ置かれる。本作の内向的な世界へ入るための、非常に優れた導入曲である。
2. Alameda
「Alameda」は、場所の名前をタイトルにした楽曲であり、Elliott Smithの歌詞にしばしば見られる都市的な孤独が強く表れている。Alamedaは通りや地名としても響くが、この曲では具体的な場所であると同時に、孤独な歩行、すれ違い、心の距離を象徴する空間として機能している。
サウンドは、穏やかなアコースティック・ギターと、抑制されたリズムが中心である。メロディは非常に美しく、柔らかい。しかし、歌詞の内容は決して穏やかではない。Elliott Smithの音楽では、この美しいメロディと冷たい現実の対比が重要である。
歌詞では、誰かとの関係における不信や孤立が描かれる。語り手は人とのつながりを求めているようでありながら、自分から距離を作ってしまう。人に傷つけられたというより、自分自身が関係を壊してしまうことへの自覚もある。Smithの歌詞の鋭さは、被害者としての悲しみに留まらず、自分自身の加害性や弱さにも目を向ける点にある。
「Alameda」は、アルバムの中でも特にElliott Smithらしい、静かで苦い曲である。美しい旋律の中に、親密さを求めながらそれを拒んでしまう人間の複雑さが刻まれている。
3. Ballad of Big Nothing
「Ballad of Big Nothing」は、本作の中でも比較的ポップで勢いのある楽曲である。タイトルは「大いなる無のバラッド」とでも訳せる皮肉な言葉で、人生や自由、選択に対する虚無的な感覚を含んでいる。Elliott Smithのユーモアと冷笑がよく表れたタイトルである。
サウンドは、アコースティック・ギターを軸にしながら、バンド的な推進力を持つ。メロディは非常にキャッチーで、アルバムの中でも開かれた印象がある。しかし、歌詞は明るい解放を歌っているわけではない。むしろ、自由に見える選択が、実際には空虚であることを示している。
歌詞の中で印象的なのは、「You can do what you want to whenever you want to」という趣旨の感覚である。一見すると自由を肯定しているようだが、曲全体の文脈では、その自由がどこか無意味に響く。何でもできるが、何も意味がない。Big Nothingとは、まさにその感覚である。
「Ballad of Big Nothing」は、Elliott Smithのポップ・センスが非常に強く出た曲でありながら、内側には深い虚無がある。明るく聴こえる曲ほど暗い。この反転が、本作の魅力をよく示している。
4. Between the Bars
「Between the Bars」は、『Either/Or』の中でも最も有名で、Elliott Smithの代表曲として広く知られる楽曲である。タイトルは「バーの間」と訳せるが、酒場のバー、牢獄の鉄格子、音楽の小節線など複数の意味が重なる。依存、閉じ込め、誘惑、逃避が一つの言葉に集約されている。
サウンドは非常にシンプルで、アコースティック・ギターと声が中心である。余計な装飾はほとんどなく、その静けさが曲の緊張を強めている。Elliott Smithの声は耳元に近く、まるで誰かが深夜に囁いているように響く。
歌詞は、酒や依存そのものが語り手に話しかけているようにも読める。優しく慰めるような言葉の中に、危険な誘惑が潜んでいる。「君を守ってあげる」「嫌なことを忘れさせてあげる」という声は、一見すると救いのようでありながら、実際には相手を閉じ込める力を持つ。この曖昧さが曲を非常に深くしている。
「Between the Bars」は、依存を単なる破滅としてではなく、温かく優しい声を持つものとして描いている点が鋭い。人は苦しいものに惹かれるのではなく、一時的に救ってくれるものに惹かれる。その救いが結果的に牢獄になる。この曲は、その危うい構造を美しいメロディで表現した名曲である。
5. Pictures of Me
「Pictures of Me」は、本作の中で比較的バンド・サウンドが強く、怒りや苛立ちが前面に出た楽曲である。タイトルは「僕の写真」あるいは「僕についてのイメージ」を意味し、他者から見られる自己像、誤解、メディアや人間関係の中で作られるイメージへの反発を感じさせる。
サウンドは、ギターとドラムがはっきりしており、前曲「Between the Bars」の静けさとは対照的である。曲にはロック的な推進力があり、Elliott Smithのソロ作品の中でも比較的外向きのエネルギーを持つ。しかし、その外向きの音も、怒りというより苛立ちに近い。
歌詞では、他人によって作られる自分の姿への嫌悪が描かれる。人は周囲から何かのイメージを貼り付けられる。弱い人、才能ある人、壊れた人、優しい人、面倒な人。そうした「pictures of me」は、本当の自己とはずれていく。Smithはその不快感を、鋭く歌っている。
「Pictures of Me」は、Elliott Smithの内向性だけでなく、外界への怒りや抵抗も示す曲である。静かな歌だけではない、彼のロック的な側面が表れた重要曲である。
6. No Name No. 5
「No Name No. 5」は、Elliott Smithの初期作品に見られる「No Name」シリーズの一つであり、匿名性と断片性を持つ楽曲である。タイトルが具体的な名前を持たないことで、曲はより個人的でありながら、特定の物語に固定されない。番号だけが付けられた感情の記録のように響く。
サウンドは暗く、重く、アコースティック・ギターの響きにも影がある。ヴォーカルは抑えられ、曲全体に疲労感が漂う。本作の中でも、特に自己嫌悪や孤立の感覚が強い曲である。
歌詞では、精神的な消耗、他者との断絶、自己破壊的な状態が描かれる。Smithの歌詞はしばしば、直接的に状況を説明するより、断片的なイメージや冷たい言葉によって心理を浮かび上がらせる。この曲でも、語り手は自分の状態を完全には説明しない。しかし、そこにある痛みは明確である。
「No Name No. 5」は、アルバムの中で深い闇を担う曲である。メロディは美しいが、救いは少ない。Elliott Smithの音楽が、優しさだけでなく、かなり厳しい自己認識を含むことを示している。
7. Rose Parade
「Rose Parade」は、比較的軽やかなサウンドを持ちながら、歌詞には強い皮肉と距離感がある楽曲である。タイトルは実在する祝祭的なパレードを連想させ、華やかさ、共同体、祝福、見せ物のイメージを持つ。しかしSmithは、その祝祭を素直には受け入れない。
サウンドは、アコースティック・ギターを中心にした穏やかなポップで、メロディも親しみやすい。だが、歌詞ではパレードへの参加を拒むような態度が感じられる。人々が楽しむ祝祭の場に、自分はうまく入れない。あるいは、その祝祭が空虚に見えてしまう。
この曲の重要なテーマは、共同体からの距離である。多くの人が共有する喜びや祝祭が、自分には嘘っぽく見えることがある。Elliott Smithの音楽には、そうした疎外感が繰り返し現れる。人混みの中にいても孤独であり、笑顔の場にいても自分だけが冷めている。その感覚が「Rose Parade」にはある。
「Rose Parade」は、アルバムの中で明るい表情を見せながら、祝祭への不信を歌う曲である。The Beatles的なポップ感覚と、90年代的な疎外感が自然に結びついている。
8. Punch and Judy
「Punch and Judy」は、伝統的な人形劇のキャラクターをタイトルにした楽曲である。Punch and Judyは、しばしば暴力的で滑稽な夫婦関係や家庭劇として知られる題材であり、この曲では関係性の不健全さ、繰り返される争い、演じられる役割が示唆されている。
サウンドは、比較的軽いタッチで、メロディもポップである。しかし、タイトルが示すように、その裏には人間関係の歪みがある。Elliott Smithは、暗いテーマを重苦しく表現するだけでなく、軽いポップの中に皮肉として忍ばせることが多い。この曲もそのタイプである。
歌詞では、関係の中で同じ役割を演じ続ける人物たちが浮かび上がる。愛情があるのか、惰性なのか、攻撃なのか、依存なのか。それらが混ざり合い、二人は同じ劇を繰り返す。Punch and Judyという人形劇の構造は、人間が自分の意思で動いているようで、実は決まったパターンを反復していることを示している。
「Punch and Judy」は、Elliott Smithの観察眼が光る曲である。個人的な感情を歌いながら、それを小さな人形劇のように距離を置いて見ている。その冷静さが、曲に独特の苦味を与えている。
9. Angeles
「Angeles」は、『Either/Or』の中でも特に美しい楽曲のひとつであり、Elliott Smithのアコースティック・ギターの技術とメロディ・センスが凝縮された名曲である。タイトルはLos Angelesを思わせるが、同時に天使たちを意味する“angels”にも近い響きを持つ。都市、誘惑、成功、孤独、救済の偽物が重なっている。
ギターのアルペジオは非常に繊細で、曲全体に静かな緊張を作る。Elliott Smithの演奏は派手ではないが、細部が非常に精密である。声は囁くように重ねられ、曲は内密な会話のように進む。
歌詞では、ロサンゼルス的な成功の世界、契約、誘惑、搾取、自己喪失が暗示される。誰かが語り手を誘い、何かを差し出す。しかし、その差し出されるものには代償がある。成功や承認は魅力的だが、それは自分自身を売り渡すことにもつながる。この曲は、音楽業界や都市の誘惑を、非常に静かな言葉で描いている。
「Angeles」は、美しいが冷たい曲である。ギターの響きは優しく、メロディは甘い。しかし歌詞には、逃れにくい罠の感覚がある。Elliott Smithの代表的な美学が凝縮された楽曲である。
10. Cupid’s Trick
「Cupid’s Trick」は、本作の中で最もロック色が強く、歪んだギターと粗いエネルギーを持つ楽曲である。タイトルは「キューピッドの策略」と訳せるが、愛が純粋なものではなく、人を混乱させ、傷つけるトリックとして描かれている点がElliott Smithらしい。
サウンドは、他のアコースティック中心の曲に比べてかなり荒々しい。ギターは歪み、ドラムも強く、Heatmiser時代のロック的な感覚に近い。アルバムの中でこの曲が置かれることで、Smithの音楽が静かなフォークだけではないことが示される。
歌詞は比較的断片的で、欲望、苛立ち、愛への不信が混ざり合っている。Cupidは本来、愛を結びつける存在だが、ここでは人をだます存在として響く。恋愛は幸福の贈り物ではなく、感情を混乱させる仕掛けである。その視点が曲の荒い音とよく合っている。
「Cupid’s Trick」は、アルバムの中で感情が最も外へ噴き出す瞬間のひとつである。Elliott Smithの静かな歌の奥にある怒りや衝動が、歪んだギターとして表に出ている。
11. 2:45 AM
「2:45 AM」は、深夜の具体的な時刻をタイトルにした楽曲である。この時刻の具体性が、曲に非常に強い現実感を与えている。午前2時45分は、眠れず、酔いが残り、考えたくないことを考えてしまう時間である。Elliott Smithの音楽に最も似合う時間帯のひとつといえる。
サウンドは、アコースティック・ギターを中心にしながら、暗く、静かで、緊張感がある。曲は大きく盛り上がらず、深夜の部屋の中で独り言のように進む。声は近く、聴き手はまるで語り手のすぐそばにいるように感じる。
歌詞では、後悔、自己嫌悪、記憶の反復が描かれる。深夜には、日中なら忘れられることが急に戻ってくる。過去の言葉、失敗、壊れた関係、自分がしてしまったこと。2:45 AMという具体的な時刻は、その精神状態を非常に正確に表している。
「2:45 AM」は、本作の中でも特に孤独な楽曲である。Elliott Smithの歌は、夜の中で自分自身から逃げられなくなる瞬間を、非常に静かに捉えている。小さな曲だが、感情の密度は非常に高い。
12. Say Yes
ラストを飾る「Say Yes」は、『Either/Or』を締めくくるにふさわしい、穏やかで美しい楽曲である。本作には孤独、依存、自己嫌悪、後悔が多く描かれてきたが、この曲にはそれらを完全に解決するわけではないにせよ、ほんの少しの開放感がある。タイトルの「Say Yes」は、肯定すること、受け入れること、関係に踏み出すことを示している。
サウンドは、アコースティック・ギターと柔らかなヴォーカルを中心にした非常にシンプルなものだが、メロディは本作の中でも特に美しい。Elliott Smithの声は静かで、慎重で、どこか信じきれていないようにも聞こえる。その不確かさが、曲を単純なハッピーエンドにしない。
歌詞では、恋愛の始まり、あるいは関係の再確認が描かれる。しかし、それは無邪気な幸福ではない。過去の傷や不安を知ったうえで、それでも「Yes」と言うこと。ここでの肯定は、楽観ではなく、恐れを抱えたままの小さな選択である。アルバム・タイトル『Either/Or』が示す選択のテーマとも深く響き合う。
「Say Yes」は、Elliott Smithの代表的なラブソングであると同時に、非常に脆い希望の歌である。暗いアルバムの最後に置かれることで、その小さな肯定がより強く響く。救済は大きくない。しかし、完全な絶望でもない。その曖昧な光が、本作の終幕にふさわしい。
総評
『Either/Or』は、Elliott Smithのソングライターとしての才能が最も純粋な形で表れたアルバムのひとつである。ローファイな親密さを保ちながら、曲作りは非常に洗練され、メロディ、コード進行、歌詞、録音のすべてが高い密度で結びついている。大きな音や派手なアレンジに頼らず、声とギターと最小限のバンド・サウンドだけで、深い心理世界を作り上げている。
本作の中心にあるのは、選択できない人間の苦しさである。愛したいが傷つきたくない。逃げたいが救われたい。自由でいたいが誰かに必要とされたい。依存から離れたいが、依存が慰めでもある。『Either/Or』というタイトル通り、本作の人物たちは「あれか、これか」の間で揺れ続ける。しかし、どちらかを選んでも完全な救いはない。その不安定さが、アルバム全体を貫いている。
Elliott Smithの歌詞は、個人的でありながら、単なる日記ではない。彼は自分の痛みをそのまま吐き出すだけではなく、それを非常に精密な言葉とメロディに変換する。「Between the Bars」では依存が優しい声として現れ、「Angeles」では成功の誘惑が静かな罠として描かれ、「Ballad of Big Nothing」では自由が虚無へ変わる。彼の歌詞は、感情を説明するのではなく、感情が生まれる構造を描く。
音楽的には、Elliott SmithのThe Beatles的なメロディ感覚が非常に重要である。彼の曲は暗いが、メロディはしばしば甘く、美しい。コード進行には意外な動きがあり、短い曲の中にも豊かな展開がある。このポップ・センスがあるからこそ、本作は単なる陰鬱なフォーク・アルバムではなく、何度も聴き返したくなる作品になっている。
また、本作は録音の距離感が非常に優れている。声は近く、ギターも近い。聴き手は、まるで部屋の中でElliott Smithが小さく歌っているように感じる。しかし、その親密さは安心だけを生むわけではない。むしろ、あまりにも近い声が、歌詞の痛みを直接伝えてくる。この近さが、本作の緊張感である。
『Either/Or』は、後の『XO』や『Figure 8』に比べると、アレンジは控えめで、音の規模も小さい。しかし、その小ささが本作の強さである。後年の作品でSmithはより豊かなスタジオ・ポップへ向かうが、本作ではまだ、最小限の音の中で最大限の感情を表現している。初期のローファイな鋭さと、後期のソングライティングの完成度が交差する地点にある。
日本のリスナーにとって『Either/Or』は、静かな音楽を好む人だけでなく、90年代オルタナティヴの内面的な表現に関心がある人にも重要な作品である。Nick Drake、Big Star、The Beatles、Belle and Sebastian、Sufjan Stevens、Phoebe Bridgers、Bright Eyes、Sparklehorseなどに親しみがある場合、本作の繊細なメロディと暗い心理描写は深く響きやすい。
『Either/Or』は、暗いアルバムである。しかし、ただ暗いだけではない。そこには小さな光、脆い肯定、消えそうなメロディがある。「Say Yes」で終わることが示すように、本作は絶望の中でも完全には肯定を捨てない。Elliott Smithはこの作品で、壊れやすい心の動きを、驚くほど美しいポップ・ソングへ変えた。90年代インディー・フォークを代表する、静かで鋭い傑作である。
おすすめアルバム
1. Elliott Smith – XO
『Either/Or』の次作であり、より豊かなスタジオ・アレンジとポップ・ソングライティングが前面に出た作品。ストリングス、ピアノ、厚いコーラスが加わりながら、Elliott Smith特有の孤独と繊細さは保たれている。『Either/Or』からの発展を知るうえで重要なアルバムである。
2. Elliott Smith – Elliott Smith
『Either/Or』の前作にあたり、より暗く、よりローファイで、親密な作品。アコースティック・ギターと囁くような声を中心に、依存や自己破壊をめぐる鋭い楽曲が並ぶ。『Either/Or』の原点を理解するために欠かせない一枚である。
3. Nick Drake – Pink Moon
静かなアコースティック・ギターと内省的な歌で構成されたシンガーソングライター作品の古典。Elliott Smithの囁くような歌唱、孤独なムード、簡素な録音と深く響き合う。より英国フォーク的で、極限まで削ぎ落とされた美しさを持つ作品である。
4. Big Star – Third/Sister Lovers
美しいポップ・メロディと崩壊寸前の精神状態が同居する重要作。Elliott Smithが影響を受けたAlex Chiltonの不安定なポップ感覚を理解できる。甘いメロディと壊れた感情の組み合わせという点で、『Either/Or』と強い関連性がある。
5. Sparklehorse – Vivadixiesubmarinetransmissionplot
ローファイな録音、壊れやすい声、奇妙な音響、孤独な歌詞を持つ90年代オルタナティヴ作品。Elliott Smithよりも歪んだサウンドやサイケデリックな要素が強いが、傷ついた内面を静かに表現する点で親和性が高い。

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