
1. 歌詞の概要
Cheap Queen は、アメリカのシンガーソングライター、King PrincessことMikaela Strausが2019年に発表した楽曲である。
同名のデビューアルバム Cheap Queen の表題曲であり、Dorkの楽曲ページでは、2019年10月24日リリースのシングルとして掲載されている。(Dork)
アルバム Cheap Queen は、2019年10月25日にZelig Records / Columbia RecordsからリリースされたKing Princessのファーストアルバムである。Wikipediaのアルバム情報でも、2019年10月25日リリースのデビューアルバムとして記載され、プロデューサーにはKing Princess本人、Mike Malchicoff、Mark Ronson、Tim Anderson、Shawn Everettらの名前が挙げられている。(Wikipedia)
この曲の中心にあるのは、「安くても、偽物でも、即席でも、自分はクイーンである」という、少し皮肉で、少し照れくさく、でも確かな自己肯定である。
タイトルの Cheap Queen は、直訳すれば「安っぽい女王」「チープなクイーン」。
普通なら、けなす言葉にも聞こえる。
でも、King Princessはこの言葉を自分のものにする。
高価なドレスがなくても。
完璧なメイクでなくても。
豪華な宮殿にいなくても。
傷ついていても、だらしなくても、恋に振り回されていても。
それでも自分はクイーンなのだ。
アルバムタイトルにもなったこの言葉について、King Princessは、ドラァグの文脈にある「手持ちの少ないものから工夫して何かを作るクイーン」という感覚から来ていると説明している。Pitchforkのレビューでも、表題曲 Cheap Queen は彼女の仲間たち、つまりそれぞれの意味での「cheap queens」へのトリビュートだと紹介されている。(Pitchfork)
この曲の歌詞は、恋愛と自己演出のあいだを揺れる。
「いい子」でいられることもある。
相手が望むものになれることもある。
でも、その姿はどこか演技でもある。
相手の期待に合わせて形を変えながら、それでも自分の王冠を手放さない。
ここでの「クイーン」は、単なる自信満々の支配者ではない。
むしろ、かなり不安定だ。
恋に疲れている。
自分を安く見積もってしまうこともある。
相手に合わせすぎることもある。
それでも、「私はクイーン」と言う。
この矛盾が、Cheap Queen の魅力である。
サウンドは、派手なポップアンセムというより、少し抑えたファンク/R&B寄りの質感を持っている。
ベースは柔らかくうねり、リズムは軽く跳ねる。
声は近く、余裕があるようで、どこか疲れている。
King Princessらしい、クールさと脆さの同居がある。
この曲は、「私は最高」とまっすぐ叫ぶ自己肯定ソングではない。
もっと皮肉っぽく、もっと現代的だ。
「私、かなりチープだけど、それでもクイーンなんだよね」と笑いながら言う。
その笑いの奥に、名声、恋愛、クィアな自己認識、そして若くして注目を浴びたアーティストの疲労が見える。
Cheap Queen は、King Princessというアーティストのキャラクターを非常によく表した曲である。
かっこよくて、少し不機嫌で、色気があり、傷ついていて、それでも自分の王座から降りない。
2. 歌詞のバックグラウンド
Cheap Queen は、King Princessのキャリアにおいて非常に重要な時期に生まれた曲である。
彼女は2018年に 1950 で大きな注目を集めた。
同曲はクィアな愛をクラシックなポップソングの形で描いた楽曲で、SNSやストリーミングを通じて広く聴かれた。
その後、Talia、Pussy Is God などを発表し、若いクィア・ポップの象徴的な存在として急速に名前を広げていった。
その勢いの後に作られたのが、デビューアルバム Cheap Queen である。
Billboardのインタビューでは、King Princessがこのアルバムについて、2019年のティーンエイジの恋愛物語を描きつつ、メロディは時代を超えるものにしたかったと語っていることが紹介されている。(Billboard)
この発言は、アルバム全体を理解するうえで重要だ。
Cheap Queen は、極めて現代的なアルバムである。
スマートフォン越しの恋愛、名声のストレス、若いクィアな自己認識、SNS時代の見られる感覚。
それらが強く反映されている。
しかし、音楽の質感には、古いソウル、ロック、R&B、プリンス的なファンク、インディーポップの香りもある。
だから、ただ流行の音にはならない。
現代の恋愛を歌いながら、少し古いレコードのような温度も持っている。
表題曲 Cheap Queen は、そのアルバムの入口にある曲である。
アルバムの1曲目に置かれていることで、この曲は「King Princessがどんな王国を作るのか」を示す役割を持っている。
それは、完璧に磨かれた宮殿ではない。
少し散らかっている。
少し安っぽい。
でも、その安っぽさを恥じていない。
アルバム Cheap Queen は、Metacriticで高い評価を受け、批評的にも成功した作品として紹介されている。Wikipediaでは、批評集積サイトMetacriticで81点を獲得し「universal acclaim」とされたことも記載されている。(Wikipedia)
Pitchforkのレビューは、表題曲について、彼女の友人たちへのトリビュートであり、具体性と共感性のバランスを取ったポップソングだと評している。(Pitchfork)
ここで大切なのは、「cheap」という言葉の扱い方である。
普通なら、cheap は悪口になる。
安っぽい。
価値が低い。
本物ではない。
軽い。
でも、ドラァグやクィアカルチャーの文脈では、安さは必ずしも弱点ではない。
むしろ、限られた資源から美しさを作ること。
手作りの工夫。
高価なものがなくても、自分を演出する力。
その創造性が「cheap queen」という言葉にある。
King Princessは、この感覚を自分のポップスター像に重ねる。
彼女はメジャーレーベルと契約し、Mark RonsonのZelig Recordsから登場したアーティストである。
決して完全なDIYの地下アーティストではない。
Pitchforkも、その点について少し皮肉を交えながら、彼女が「scrappiness」をブランド化していることに触れている。(Pitchfork)
だからこそ、Cheap Queen という言葉には、自己肯定と自己茶化しが同時にある。
私はクイーン。
でも、完璧なクイーンではない。
むしろ、チープなクイーン。
そこが私の面白さであり、強さであり、少しの矛盾でもある。
この曲は、その矛盾を隠さない。
3. 歌詞の抜粋と和訳
歌詞の全文は著作権で保護されているため、ここでは短い範囲で抜粋する。
歌詞の確認には、Dorkの楽曲ページや各種配信サービスを参照できる。(Dork)
I can be good sometimes
和訳:
私、いい子でいられることもある
この冒頭は、とてもKing Princessらしい。
「私はいい子です」と断言するのではない。
「いい子でいられることもある」と言う。
そこには、少しの皮肉がある。
相手が求めるなら、そう振る舞える。
社会が求めるなら、きれいな姿を見せられる。
でも、それが本当の自分のすべてではない。
この「sometimes」が重要である。
いつもではない。
完璧ではない。
都合よく清楚で、従順で、かわいいだけの存在にはならない。
でも、そう見せることもできる。
この揺らぎが、曲のキャラクターを作っている。
I’m a cheap queen
和訳:
私はチープなクイーン
この曲のタイトルであり、最も象徴的なフレーズである。
「queen」という言葉には、誇りがある。
クィアカルチャー、ドラァグ、ポップスター性、自己演出、華やかさ。
そのすべてが重なる。
しかし、その前に「cheap」が付く。
高価ではない。
豪華ではない。
完璧ではない。
でも、クイーン。
この組み合わせが、曲の魅力の核だ。
自分の不完全さを否定しない。
むしろ、それを王冠にしてしまう。
安っぽささえ、スタイルになる。
I can be what you like
和訳:
あなたが好きなものになれる
この一節には、恋愛の中で自分を変えてしまう危うさがある。
相手に合わせる。
相手の望む姿になる。
相手の欲望に応じて形を変える。
これは、恋愛の柔軟さでもある。
しかし、自己喪失の入口でもある。
King Princessは、その危うさを分かっているように歌う。
相手のために何者かになれる。
でも、それは本当に自分が望んでいることなのか。
この問いが、曲の下に流れている。
I’m getting too good at crying
和訳:
泣くのがうますぎるくらいになってきた
このフレーズは、曲の明るい自己演出の奥にある痛みを見せる。
クイーンであること。
かっこよく振る舞うこと。
相手に合わせること。
その裏には、泣くことに慣れてしまった自分がいる。
ここで曲は、ただの自信満々なアンセムではなくなる。
安っぽい王冠の下には、恋愛に疲れた人がいる。
何度も泣き、それでもユーモアを失わず、自分を演じ続ける人がいる。
引用元:Dork, Cheap Queen — King Princess
収録作:Cheap Queen
リリース:2019年
作詞作曲:King Princessほか関連クレジット
歌詞著作権:各権利者に帰属
4. 歌詞の考察
Cheap Queen の歌詞で最も重要なのは、自信と自己卑下がひとつの表現になっていることだ。
この曲は、ただ「私はクイーン」と言う曲ではない。
「私はチープなクイーン」と言う。
この「チープ」があることで、曲はぐっと現代的になる。
完璧な自己肯定ではない。
傷ついたままの自己肯定。
自分の欠点や不安やだらしなさを知ったうえで、それでも王冠をかぶる。
King Princessの音楽には、しばしばこのような二面性がある。
1950 では、クラシックなラブソングの形を借りながら、クィアな愛を現代に響かせた。
Pussy Is God では、性的な喜びを神聖さへと引き上げた。
Hit the Back では、欲望を隠さず、しかしどこか寂しげに歌った。
Cheap Queen では、自己演出と脆さが重なる。
語り手は、自分が何者かを完全には決めていない。
いい子にもなれる。
相手が好きなものにもなれる。
泣くことにも慣れている。
それでも、自分をクイーンと呼ぶ。
これは、かなりリアルな自己像である。
現代の自己肯定は、必ずしもまっすぐではない。
「私は完璧」「私は最強」と本気で言える日ばかりではない。
むしろ、自分のダメさを分かっていて、それを笑いながら生きることのほうが多い。
Cheap Queen は、その感覚を非常にうまく捉えている。
ドラァグカルチャー的な「cheap queen」という言葉も、ここで重要な意味を持つ。
ドラァグにおけるクイーンは、華やかさの象徴である。
しかし、その華やかさは必ずしもお金だけで作られるわけではない。
工夫、誇張、手作り、態度、ユーモア、見せ方。
限られた資源から、自分を大きく見せる技術がある。
King Princessは、その精神をポップスター像に持ち込んでいる。
豪華なセットがなくても、クイーン。
完璧な恋愛をしていなくても、クイーン。
泣いていても、クイーン。
安っぽくても、クイーン。
この自己演出は、クィアな生存の方法にもつながる。
社会から十分な場所を与えられなかった人たちは、自分たちでステージを作る。
自分たちで名前を作る。
自分たちで王冠を作る。
それがたとえ安い素材でできていても、その王冠には意味がある。
Cheap Queen は、そのような手作りの誇りを歌っている。
一方で、曲には名声の影もある。
King Princessは、若くして一気に注目を浴びた。
1950 のヒットによって、クィアポップの新星として期待され、メディアに取り上げられ、多くのリスナーから象徴的な存在として見られるようになった。
それは喜びであると同時に、重荷でもある。
Cheap Queen の「私はあなたが好きなものになれる」という言葉は、恋人に向けた言葉であると同時に、ファンやメディアに向けた言葉にも聞こえる。
あなたたちが望む私になれる。
でも、それは本当に私なのか。
この曖昧さが、曲を深くしている。
King Princessは、ポップスターである自分をよく理解している。
見られること。
演じること。
期待されること。
欲望の対象になること。
そのすべてを引き受けながら、少し皮肉な笑みを浮かべている。
Cheap Queen は、その笑みの曲だ。
5. この曲が好きな人におすすめの曲 5曲
- 1950 by King Princess
King Princessのブレイクを決定づけた楽曲であり、2018年のEP Make My Bed に収録された代表曲である。Pitchforkのレビューでは、彼女が女性代名詞を使ってクィアな恋を自然に歌うことの意味が評価されている。(Pitchfork)
Cheap Queen の自己演出やクィアなポップスター性に惹かれるなら、1950 は必ず聴くべき曲だ。こちらはよりクラシックでロマンティックなKing Princessが味わえる。
- Prophet by King Princess
Cheap Queen 収録曲で、The Guardianのレビューでも「dusky, downbeat crush song」として触れられている。(The Guardian)
Cheap Queen のクールな抑制が好きな人には、Prophet の暗い艶、低い温度の欲望、夜のようなサウンドがよく合う。
- Hit the Back by King Princess
同じ Cheap Queen 収録曲で、身体的な欲望をより直接的に歌った楽曲である。King Princessは2019年にSaturday Night Liveで 1950 と Hit the Back を披露しており、この曲がアルバム期の重要曲だったことも分かる。(Pitchfork)
Cheap Queen が自己演出と脆さの曲なら、Hit the Back は欲望と身体の曲だ。King Princessの官能的な側面を知るために重要である。
- Pussy Is God by King Princess
性的な喜びと神聖さを結びつけた初期の重要曲である。Pitchforkのトラックレビューでは、King Princessがポップの中でクィアな性を開かれたものとして持ち込んでいる曲として評されている。(Pitchfork)
Cheap Queen のクィアカルチャー的な自己肯定が好きなら、この曲の大胆さも響くはずだ。
- Silk Chiffon by MUNA featuring Phoebe Bridgers
クィアな恋の高揚を、明るく開かれたポップソングとして鳴らした楽曲である。Cheap Queen の少し皮肉で夜っぽいムードとは違うが、クィアなポップが持つ自由さ、軽やかさ、自己肯定の感覚は通じている。
6. チープでも王冠は王冠、自分を演じながら自分でいるためのポップソング
Cheap Queen の特筆すべき点は、自己肯定を「完璧な自信」ではなく、「不完全な自分を笑いながら引き受けること」として描いているところにある。
この曲は、堂々としている。
でも、完全には強くない。
むしろ、泣くことに慣れてしまった人の曲だ。
恋に疲れた人の曲だ。
相手に合わせてしまう自分を知っている人の曲だ。
それでも、安っぽい王冠をかぶってステージに立つ人の曲である。
ここが、非常にKing Princessらしい。
彼女は、ポップスターでありながら、ポップスターらしい完璧さを少し拒んでいる。
声には少しだるさがある。
歌詞には皮肉がある。
サウンドは洗練されているが、どこかラフさも残る。
Cheap Queen という言葉は、その全部を包んでいる。
高価ではない。
清潔すぎない。
無傷ではない。
でも、魅力がある。
むしろ、そこに魅力がある。
クィアカルチャーの中で、こうした「作ること」の精神はとても大切だ。
与えられた場所がないなら、自分で場所を作る。
与えられた衣装がないなら、自分で衣装を作る。
王冠がないなら、紙でもアルミでも何でも使って王冠を作る。
それがチープでも、そこに態度があればクイーンになれる。
Cheap Queen は、その美学をポップソングにしている。
この曲の自己肯定は、豪華な自己肯定ではない。
もっとDIYで、もっと皮肉っぽく、もっと生々しい。
たとえば、「I can be what you like」という言葉は、聞きようによってはかなり危うい。
相手の望む姿になってしまうこと。
恋愛の中で自分を失うこと。
ポップスターとして、観客が求めるイメージを演じること。
そのすべてが重なる。
でも、King Princessはそれをただ悲劇にはしない。
演じることも、自分の一部なのだ。
相手に合わせることも、自分がそれを分かっているなら、完全な敗北ではない。
クイーンとは、演じる存在でもある。
だから、この曲は自己喪失と自己演出の境界で揺れている。
自分を変えてしまっているのか。
それとも、自分で自分を演出しているのか。
その境界は曖昧だ。
Cheap Queen は、その曖昧さを楽しんでいるようにも聞こえる。
また、この曲はアルバムの表題曲として、Cheap Queen 全体のテーマをよく示している。
アルバムは、恋愛の崩れ、スマホ越しの孤独、欲望、名声の不安、クィアな自己認識を扱う。
The Guardianのレビューでは、アルバムのハイライトとして Watching My Phone や Prophet が挙げられ、禁じられた欲望やデジタル時代の孤独がテーマとして触れられている。(The Guardian)
その中で、表題曲は王冠をかぶる。
これから始まるアルバムは、完璧な恋愛の物語ではない。
むしろ、かなり散らかった心の記録である。
でも、その散らかりを恥じない。
チープなまま、クイーンとして始める。
この導入として、Cheap Queen は非常にうまい。
曲のサウンドも、タイトルのニュアンスをよく支えている。
ゴージャスすぎない。
でも貧相ではない。
低くうねるグルーヴがあり、声は近く、余白がある。
大きく盛り上がりすぎず、少し肩の力を抜いたまま進む。
この抑えた感じが、逆にかっこいい。
自分をクイーンと呼ぶ曲なのに、過剰に大仰なサウンドにしない。
そこに、King Princessの美学がある。
彼女のクイーン性は、王宮のシャンデリアではなく、深夜の部屋、古いソファ、煙草の煙、安い酒、少し崩れたメイクの中にある。
完璧に整った美しさではなく、少し乱れた美しさだ。
その乱れが、現代的なポップスターの魅力になっている。
Cheap Queen は、自己肯定の歌でありながら、自己批評の歌でもある。
私はクイーン。
でも、チープ。
私はいい子になれる。
でも、いつもではない。
私はあなたの好きなものになれる。
でも、それは私をすり減らすかもしれない。
私は泣くのがうまくなった。
でも、それでも歌っている。
この矛盾を、曲は解決しない。
むしろ、矛盾したままステージに立つ。
それがこの曲の強さである。
現代のリスナーにとって、この感覚はとても分かりやすいかもしれない。
SNSでは、自分を演出する。
恋愛では、相手の欲望に合わせる。
仕事では、求められるキャラクターを演じる。
それでも、本当の自分はどこにいるのか分からなくなる。
Cheap Queen は、その時代の感覚を、クィアで、少しドラァグ的で、少しR&B的なポップソングとして鳴らしている。
そして最後に残るのは、安っぽさを恥じないという態度だ。
高価でなくてもいい。
完璧でなくてもいい。
堂々とした王冠でなくてもいい。
自分で作った王冠なら、それは王冠なのだ。
Cheap Queen は、そのことを教えてくれる。
King Princessは、この曲で「私は完璧な女王です」とは言わない。
「私はチープなクイーンです」と言う。
そのほうが、ずっと信用できる。
傷ついていても、安っぽくても、少し演じていても、自分の王座に座ることはできる。
Cheap Queen は、そのための小さな戴冠式のような曲である。

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