1. 歌詞の概要
「Fisherman’s Blues」は、ザ・ウォーターボーイズ(The Waterboys)が1988年にリリースしたアルバム『Fisherman’s Blues』の表題曲にして、彼らの音楽的変革を象徴する一曲である。
それまで「ビッグ・ミュージック」と呼ばれるスケールの大きなロック・サウンドを展開していた彼らは、この曲でケルト音楽、カントリー、アメリカン・ルーツミュージックなどに急接近し、よりフォーク的で親密な表現へと舵を切った。
歌詞は、世俗的な成功や都市の喧騒から距離を置き、自然と労働、そして愛する人との暮らしを求める語り手の心情が、まるで詩のようなリズムで語られる。
彼が望むのは豪奢な生活でも、栄光でもない。ただ、釣り人として質素に生きながら、愛する人と人生を分かち合うこと。それこそが“幸福”なのだと、穏やかながらも力強く宣言している。
この歌は、単なる田舎への憧れや牧歌的ファンタジーではない。むしろ、「都市的な価値観からの脱却」「本当の自分を取り戻す」という、現代に通じる普遍的なメッセージが込められている。
2. 歌詞のバックグラウンド
「Fisherman’s Blues」が生まれた背景には、マイク・スコット(Mike Scott)の内面的な転機があった。
1980年代半ば、彼は『This Is the Sea』という壮大なアルバムで音楽的な頂点を極めた後、自身の内面に強い空虚感を覚えるようになる。そのとき彼が惹かれたのが、アイルランドやアメリカ南部のルーツ・ミュージックだった。
スコットはアイルランド西部のスピダルという村に移住し、地元の伝統音楽家たちと交流を深めながら、多くのセッションを重ねていく。その過程で生まれたのがこの「Fisherman’s Blues」であり、全体としては約2年半にわたる膨大な録音セッションを通じて、アルバムが完成していった。
本作の制作は、即興性、共同体性、そして自然との調和といった価値観が強く前面に出ており、「Fisherman’s Blues」はその中心的な主題を最も端的に表現した楽曲と言える。
3. 歌詞の抜粋と和訳
以下に、「Fisherman’s Blues」の印象的な一節を紹介する。引用元:Genius
I wish I was a fisherman
Tumbling on the seas
僕は漁師になりたい
大海原を転がりながらFar away from dry land
And its bitter memories
乾いた陸地と
その苦い記憶から遠く離れてCasting out my sweet line
With abandonment and love
糸を投げるんだ、無心で、愛を込めてNo ceiling bearing down on me
Save the starry sky above
僕の上にあるのは
どこまでも広がる星空だけ
この詩は、都市生活の制約(天井)からの解放を象徴的に描いており、「星空」や「海」といったイメージが、精神的な自由と再生の場として機能している。
4. 歌詞の考察
この曲が描く“漁師”という存在は、単なる職業的なモチーフではなく、“現代社会からの脱出”と“精神的自由”の象徴として描かれている。
語り手は、情報に溢れた都市や人間関係の複雑さに疲れ、自然と共に生きるという、より根源的で真実味のある生活を夢見ている。
興味深いのは、「愛」がこの夢の中心にあるということだ。
語り手は独りで海に出るのではなく、愛する人とともにあることを願っている。つまりこの歌は、“人間関係の再定義”でもあり、無駄な欲望や偽りを捨て、本当に大切なものだけを手元に残したいという誠実な願いが込められている。
「No ceiling bearing down on me(頭上に覆いかぶさる天井はない)」という一節は、まさに“解放”のメタファーであり、どこまでも続く空の下で、自分自身と向き合うという覚悟の表れでもある。
また、最後のヴァースで語られる「With light in my head / You in my arms(頭の中には光が、腕の中には君がいる)」というフレーズは、この曲全体のエッセンス――心の平穏と愛の共有――を完璧に要約している。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Into the Mystic by Van Morrison
海と霊性をテーマにした、スピリチュアルなソウル・フォークの傑作。 - Simple Twist of Fate by Bob Dylan
運命と流転を物語的に描いた、静かで詩的なバラード。 - Long May You Run by Neil Young
過ぎ去った時間と旅の記憶を慈しむように歌ったロードソング。 - Red Dirt Girl by Emmylou Harris
土地と記憶、女性の人生を静かに見つめるアメリカーナの名作。 -
Atlantic City by Bruce Springsteen
崩れゆく都市と小さな希望を淡々と歌い上げるフォークロックの骨太な一曲。
6. 本当の人生とは、静かな海に浮かぶ舟のようなもの
「Fisherman’s Blues」は、喧騒から抜け出し、心を裸にして世界と繋がるための“音楽的旅路”である。この曲に触れたとき、私たちは気づかされる――自分の暮らしにおいて何が本当に必要で、何が偽りなのか。
それは時に逃避としても受け取られるかもしれない。
しかし、この歌が伝えるのは“逃げること”ではなく、“本来の自分に戻ること”だ。
愛する人の腕の中で、頭の中にはやさしい光を宿しながら――
私たちもまた、人生という海に、小さな舟で漕ぎ出していくことができるのだ。
そしてそのとき、きっと聴こえてくるだろう。
あの静かな、漁師のブルースが。
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