アルバムレビュー:Doc at the Radar Station by Captain Beefheart and The Magic Band

※本記事は生成AIを活用して作成されています。

発売日:1980年8月

ジャンル:アヴァンギャルド・ロック、ブルース・ロック、ポスト・パンク、エクスペリメンタル・ロック、アート・ロック

概要

Captain Beefheart and The Magic Bandの『Doc at the Radar Station』は、1980年に発表されたアルバムであり、ドン・ヴァン・ヴリートことキャプテン・ビーフハートの後期キャリアを代表する重要作である。1960年代後半から1970年代にかけて、ビーフハートはブルース、フリー・ジャズ、ガレージ・ロック、現代音楽的な不協和、シュルレアリスム詩を融合させ、ロックの形式そのものを解体するような音楽を作り上げてきた。特に1969年の『Trout Mask Replica』は、ロック史における最も特異な作品のひとつとして知られ、後のパンク、ポスト・パンク、ノー・ウェイヴ、オルタナティヴ・ロックに深い影響を与えた。

『Doc at the Radar Station』は、そうしたビーフハートの実験性が、1980年前後の音楽状況と強く共鳴した作品である。1970年代後半から80年代初頭にかけて、パンク以降のロックは、それまでのブルース・ロックやプログレッシヴ・ロックの様式を批判的に見直し、より鋭く、断片的で、神経質なサウンドへと向かっていた。Talking HeadsPere UbuThe Pop GroupPublic Image Ltd、Gang of FourDevo、The Fallなどのバンドは、ロックのグルーヴを解体し、反復、不協和、変則的なリズム、社会的・心理的な緊張を音楽化した。ビーフハートは彼らに直接・間接の影響を与えた先駆者であり、『Doc at the Radar Station』では逆に、そのポスト・パンク的な時代感覚と自身の原初的なブルース感覚を接続している。

本作は、前作『Shiny Beast (Bat Chain Puller)』で再浮上したビーフハートの創造力を、さらに荒々しく、凝縮された形で示すアルバムである。1960年代末の『Trout Mask Replica』ほど過剰に迷宮的ではないが、商業的に整えられたロックでもない。曲は短く、鋭く、切断面がむき出しになっている。ギターは通常のロック的なリフを奏でるというより、互いに斜めからぶつかり合う線のように配置され、リズムはブルースに根ざしながらも、常にずれ、跳ね、折れ曲がる。ビーフハートのヴォーカルは、歌というよりも、叫び、語り、呪文、動物的な唸り、詩の朗読が混ざった独特の表現であり、アルバム全体に奇怪な生命感を与えている。

キャリア上の位置づけとして、『Doc at the Radar Station』は、ビーフハートが1980年代初頭に最後の創造的ピークへ入ったことを示す作品である。続く『Ice Cream for Crow』を最後に、彼は音楽活動から退き、画家としての活動に重点を移していく。その意味で本作は、晩年の入口でありながら、音楽家キャプテン・ビーフハートの表現がなお鋭く、若いポスト・パンク世代に対しても十分に先鋭的であったことを証明するアルバムである。

歌詞面では、ビーフハート特有のシュルレアリスム的なイメージが全面に出ている。自然、動物、肉体、機械、戦争、欲望、社会の腐敗、言葉遊び、子どもの歌のような響き、不気味な寓話が混在する。彼の歌詞は通常の意味での物語やメッセージに還元しにくいが、そこには文明批評、反権威的な感覚、自然界への鋭い観察、身体感覚への執着がある。『Doc at the Radar Station』というタイトル自体も、医師、監視装置、軍事的なレーダー、科学技術、異常の診断といった複数のイメージを呼び起こす。アルバム全体は、現代社会のレーダーに映る異形の生命体、あるいは文明の病を診断する奇妙な医師の記録のようにも聴こえる。

後の音楽シーンへの影響という点では、本作は特にポスト・パンク、ノイズ・ロック、マス・ロック、オルタナティヴ・ロックにとって重要である。ギターの絡み方は、後のSonic Youth、Minutemen、The Fall、U.S. Maple、Deerhoof、Thinking Fellers Union Local 282、さらには一部のポスト・ハードコアや実験的インディー・ロックにも通じる。通常のコード進行やブルース形式を歪ませながら、なお身体的なエネルギーを失わない手法は、ロックの実験性が単なる知的操作ではなく、肉体的な衝撃として成立することを示している。

全曲レビュー

1. Hot Head

オープニング曲「Hot Head」は、本作の緊張感を一気に提示する楽曲である。冒頭からギターが鋭く切り込み、リズムは直線的に進むようでいて、常に角ばった動きを見せる。通常のロック・ソングなら安定したリフが曲を支えるが、ここではギターのフレーズが互いに独立した生き物のように動き、ぶつかり合いながら曲を前進させる。そこにビーフハートの荒々しい声が乗ることで、楽曲は制御された混沌として成立している。

タイトルの「Hot Head」は、怒りっぽい人間、頭に血が上った状態を意味する。歌詞は直線的な怒りの表現というより、熱を帯びた精神の錯乱を断片的に描く。ビーフハートにおいて「頭」は理性の中心であると同時に、熱、衝動、暴走の場でもある。曲のスピード感と不安定なギターの動きは、まさに思考が過熱し、言葉が制御不能になっていく感覚と対応している。

この曲は、1980年という時代においてもビーフハートの音楽がパンク以降の鋭さにまったく劣らないことを示している。むしろ、パンクの単純化された攻撃性よりも複雑で、神経質で、得体の知れないエネルギーを持つ。アルバムの入口として、非常に強力な一曲である。

2. Ashtray Heart

「Ashtray Heart」は、Captain Beefheart後期の代表曲のひとつであり、本作の中でも特に印象的なトラックである。タイトルの「灰皿の心臓」は、強烈なイメージを持つ。灰、吸い殻、汚れ、使用済みのもの、燃え尽きた感情が「心臓」と結びつくことで、恋愛や精神の荒廃を、身体的かつ物質的な比喩として表現している。

音楽的には、ギターが鋭く刻まれ、リズムは奇妙に跳ねる。ビーフハートのヴォーカルは、通常の歌唱というよりも、相手に突きつけるような語りと叫びの中間にある。曲全体にはブルースの残響があるが、それは伝統的な12小節ブルースの形式としてではなく、損傷した感情の響きとして現れている。ブルースが本来持っていた苦痛、欲望、皮肉、身体性を、ビーフハートはモダンで奇怪な形へ変換している。

歌詞は、愛情の喪失や関係の崩壊を扱っているように読めるが、表現は直接的ではない。灰皿という日常的で汚れた物体が心臓に置き換わることで、人間の内面が廃棄物の容器のように描かれる。この物質的な比喩は、ビーフハートの詩の重要な特徴である。抽象的な感情を抽象語で語るのではなく、奇妙な物体、動物、身体部位、自然物に変換することで、感情を生々しいものとして提示する。ポスト・パンク以降の不安定なギター・ロックを先取りしながら、ブルースの根を失っていない名曲である。

3. A Carrot Is as Close as a Rabbit Gets to a Diamond

「A Carrot Is as Close as a Rabbit Gets to a Diamond」は、短いインストゥルメンタル曲でありながら、ビーフハートの世界観を凝縮したような作品である。タイトルは「ニンジンは、ウサギがダイヤモンドに最も近づけるもの」と訳せる。これは一見するとナンセンスな言葉遊びだが、欲望と価値の相対性を鋭く示している。人間にとってのダイヤモンドが価値の象徴であるなら、ウサギにとってのニンジンは同じ位置にある。価値は絶対的なものではなく、生き物の身体や欲望によって決まるという視点が含まれている。

音楽は短く、穏やかで、アルバム序盤の荒々しい流れに一瞬の余白を作る。ギターの響きには素朴さがあり、ビーフハートの音楽における自然観や童話的な感覚が表れている。彼の作品はしばしば過激さや難解さで語られるが、その根底には、動物や植物への強い関心、子どもの言葉遊びのような発想、自然界の奇妙な論理への愛着がある。

この曲は、激しいロック・ナンバーの間に挿入されることで、アルバムの異様なバランスを作っている。短い断片でありながら、ビーフハートが人間中心的な価値観をずらして見せる詩人であることを示す重要な小品である。

4. Run Paint Run Run

「Run Paint Run Run」は、タイトルからして視覚的であり、絵画的な運動感を持つ楽曲である。ビーフハートは後に画家としての活動に重心を移すが、この曲にはすでに音楽と絵画の境界を越える感覚がある。「絵の具が走る」というイメージは、画面上を色が流れ、飛び散り、制御を離れていく様子を想起させる。これは音楽そのものの構造にも対応している。

楽曲は、変則的なギターの絡みとリズムの推進によって構成される。各楽器は、均一な背景を作るのではなく、異なる色の線として画面上に配置されるように鳴る。ギターは時に鋭い筆跡のようであり、ベースとドラムはその下で不規則な運動を支える。ビーフハートの声は、画面の外から指示を飛ばす画家のようにも、絵の具そのものが言葉を発しているようにも聴こえる。

歌詞のテーマは、創造の暴走、物質の自律性、色彩と運動の結びつきにあると考えられる。ビーフハートの言葉は、意味を説明するためだけに存在しているのではなく、音として、リズムとして、視覚イメージとして機能する。この曲では、音楽が絵画のように扱われ、絵画がロックのように動き出す。『Doc at the Radar Station』が単なるロック・アルバムではなく、総合的な芸術表現に近い作品であることを示す一曲である。

5. Sue Egypt

「Sue Egypt」は、タイトルの響きからして奇妙な人物名、地名、歴史的イメージが重なっている。エジプトという言葉は、古代文明、墓、砂漠、神秘、死者の世界を想起させる。一方で「Sue」は女性名であると同時に、英語では訴えるという動詞にも通じる。ビーフハートの歌詞では、このような音と意味の二重性が頻繁に用いられる。

音楽的には、重くうねるリズムと、鋭く不規則なギターが特徴である。曲は単純なハード・ロックのように前進するのではなく、蛇行しながら進む。そこには砂漠を横切る隊列のような感覚もあれば、儀式的な反復のような感覚もある。ビーフハートのヴォーカルは、語り手であり、呪術師であり、登場人物でもあるように響く。

歌詞は明確な物語として整理しにくいが、女性像、古代的なイメージ、裁きや呪いの感覚が入り混じっている。ビーフハートの詩では、人物はしばしば現実的なキャラクターであると同時に、象徴的な存在でもある。「Sue Egypt」は、女性名と文明名を結びつけることで、個人的な欲望と歴史的・神話的なイメージを混線させている。アルバム中盤の中でも、特に重く神秘的な質感を持つ楽曲である。

6. Brickbats

「Brickbats」は、本作の中でも攻撃性の強い楽曲である。タイトルの「brickbat」は、投げつけられるレンガ片や、辛辣な批判を意味する。つまり、物理的な衝撃と言葉による攻撃が重なっている。ビーフハートにとって言葉は、単に意味を伝えるものではなく、音として身体にぶつかる物体でもある。この曲は、その言葉の物質性をよく示している。

音楽は、角ばったリズムと鋭いギターによって進む。ギター・フレーズは滑らかに流れず、破片のように飛び散る。ドラムも一定のビートをただ支えるのではなく、曲全体を不安定に揺さぶる。ビーフハートの声は、批判や罵声を音楽へ変換するように響き、楽曲全体が攻撃的なコラージュのように構成されている。

歌詞には、社会的な苛立ちや人間関係の摩擦、言葉の暴力性が感じられる。ビーフハートの音楽は、政治的スローガンを直接掲げるタイプではないが、権威や凡庸な社会秩序への敵意は常に存在する。「Brickbats」は、その敵意を抽象的な破片として投げつける曲である。ポスト・パンク的な切断感と、ブルース的な怒りが結びついた重要なトラックである。

7. Dirty Blue Gene

「Dirty Blue Gene」は、本作の中でも特にキャッチーな部類に入る楽曲でありながら、内容は十分に奇怪である。タイトルは「汚れた青い遺伝子」とも、「Dirty Blue Jean」と響きを重ねた言葉遊びとしても読める。遺伝子、ブルース、衣服、汚れ、身体性がひとつのフレーズに圧縮されている点がビーフハートらしい。

音楽的には、比較的明確なリズムと印象的なフックがあり、アルバムの中では聴きやすい入口となる。しかし、ギターの動きは決して通常のロックの文法に収まらない。リフはどこか歪んでおり、メロディも安定したポップ・ソングの形には落ち着かない。ビーフハートのヴォーカルは、ユーモラスでありながら不気味で、曲に独特の人格を与えている。

歌詞では、身体、遺伝、汚れ、欲望が絡み合う。ブルースを意味する「blue」と遺伝子を意味する「gene」が結びつくことで、ブルースが単なる音楽ジャンルではなく、身体に組み込まれた性質のように表現される。ビーフハートにとってブルースとは、形式ではなく、肉体の奥にある歪みや苦味である。この曲は、その考え方を比較的ポップな形で提示している。後のオルタナティヴ・ロックが持つ変則的なキャッチーさにも通じる一曲である。

8. Best Batch Yet

「Best Batch Yet」は、タイトルの「これまでで最高の一群」「最高の出来」という響きから、料理、製造、創作、実験のイメージを持つ曲である。ビーフハートの作品では、音楽がしばしば自然物や食品、物質の混合物として表現される。この曲も、何かを混ぜ合わせ、生成し、奇妙な成果物を作り出す感覚を持っている。

楽曲は、短く鋭いフレーズが組み合わされ、全体として不規則なグルーヴを形成する。ビーフハートのバンドにおける演奏は、即興的に聞こえることが多いが、実際には複雑に組み立てられている。各パートは自由に暴れているようでいて、曲全体の構造の中で正確に配置されている。この「制御された混乱」こそが、Magic Bandの大きな特徴である。

歌詞は、創作物の質や生産物への奇妙な誇りを思わせる。だが、その誇りは直線的な自己賛美ではなく、冗談、皮肉、異物感を伴う。ビーフハートは、芸術作品を高尚なものとしてではなく、泥、肉、野菜、機械部品、動物の鳴き声が混ざったものとして扱う。この曲は、彼の創作観を軽妙かつ鋭利に示す楽曲である。

9. Telephone

「Telephone」は、通信、声、距離、断絶を扱う曲である。電話は人と人をつなぐ装置でありながら、同時に声を機械化し、相手の身体を不在にするメディアでもある。ビーフハートのように声の物質性にこだわるアーティストにとって、電話という題材は非常に相性がよい。声が遠くから届くが、完全には届かない。その不完全な伝達の感覚が、曲の不穏さにつながっている。

音楽的には、リズムとギターが断続的に絡み、通話の途切れやノイズを思わせる。ビーフハートのヴォーカルは、受話器越しの声のようにも、電話線を流れる異物のようにも響く。通常のロック・ソングでは、ヴォーカルは中心に置かれ、感情を伝える役割を担う。しかしこの曲では、声そのものがひとつの異常な音響現象として扱われている。

歌詞のテーマは、コミュニケーションの不安定さにある。電話はつながるための道具であるにもかかわらず、そこには誤解、遅延、ノイズ、見えない相手への不信がつきまとう。ビーフハートはその不安を、日常的な装置を通じて奇怪なものへ変換する。1980年前後のポスト・パンクがしばしば都市的な疎外やメディア環境を扱ったことを考えると、この曲も時代の神経と強く響き合っている。

10. Flavor Bud Living

「Flavor Bud Living」は、味覚、身体、生命感を主題化したようなタイトルを持つ楽曲である。「taste bud」ではなく「flavor bud」という言い回しが、通常の言語感覚を少しずらしている。ビーフハートの言葉は、既存の表現を変形させることで、身体感覚を新しく感じさせる力を持つ。

音楽は短く、断片的で、アルバムの中の奇妙な間奏のように機能する。楽器の響きには素朴さと異物感が同居しており、まるで身体の内部で小さな生物が動いているような印象を与える。ビーフハートの音楽では、人体は抽象的な精神の入れ物ではなく、味覚、嗅覚、皮膚、筋肉、臓器を持つ生々しい存在として扱われる。

歌詞やタイトルが示すように、この曲では「生きること」が味わうことと結びついている。世界は視覚や理性だけで理解されるものではなく、味や匂い、触感によっても把握される。ビーフハートの詩的感覚は、こうした身体的な知覚を非常に重視する。短い曲ながら、アルバム全体の肉体性を強める役割を果たしている。

11. Sheriff of Hong Kong

「Sheriff of Hong Kong」は、地理的にも文化的にも奇妙な組み合わせを持つタイトルである。アメリカ西部劇を思わせる「保安官」と、アジアの都市である香港が結びつくことで、歴史、植民地主義、映画的イメージ、ポップ・カルチャーの混乱が生じる。ビーフハートは、こうした異なる記号を衝突させることで、現実には存在しない奇妙な世界を作り出す。

音楽的には、鋭いギターと変則的なリズムが前面に出る。曲は一見コミカルにも聞こえるが、そこには強い緊張がある。ギターのフレーズは断片的で、リズムは安定した行進というよりも、追跡や逃走を思わせる。ビーフハートのヴォーカルは、荒唐無稽な役柄を演じるようでありながら、どこか威圧的でもある。

歌詞は、権力の滑稽さ、異文化イメージの混線、架空の法と秩序を描いているように読める。保安官という存在は秩序を守る者だが、香港という舞台と結びつくことで、その秩序は不自然で演劇的なものになる。ビーフハートはここで、権威の衣装を着た人物を奇妙な舞台に置き、権力そのものの滑稽さを浮かび上がらせている。ポスト・パンク的な風刺性を持つ、アルバム後半の重要曲である。

12. Making Love to a Vampire with a Monkey on My Knee

「Making Love to a Vampire with a Monkey on My Knee」は、ビーフハートの楽曲タイトルの中でも特に強烈なイメージを持つ一曲である。「膝に猿を乗せたまま吸血鬼と愛し合う」という言葉は、性的イメージ、怪奇映画、動物的滑稽さ、不条理劇を一度に呼び込む。タイトルだけでひとつのシュルレアリスム絵画のようであり、アルバムの終盤を異様な熱で満たす。

音楽的には、ブルースの影を強く残しながらも、通常のブルースからは大きく逸脱している。ギターは歪んだ線を描き、リズムは不安定に揺れ、ビーフハートの声は呪術的な語りとして響く。吸血鬼というモチーフは、欲望、搾取、不死、死の誘惑を象徴する。一方、猿は本能、滑稽さ、人間の動物性を示す。これらが同時に存在することで、曲は官能と恐怖、笑いと不快感が混ざった独特の空間を作る。

歌詞は、欲望の場面を描いているようでありながら、単純なエロティシズムにはならない。むしろ、人間の欲望そのものがどれほど奇妙で、動物的で、恐怖に近いものかを示している。ビーフハートにおいて性はしばしば、文明化されたロマンスではなく、身体と怪物性が交差する場として描かれる。この曲は、その表現が最も濃く表れた楽曲のひとつである。

また、この曲には、ビーフハートのブルース解釈の本質がある。伝統的なブルースが持つ性的暗喩、悪魔的イメージ、ユーモア、嘆き、身体性を、彼は徹底的に変形し、異形のモダン・ブルースへと変えている。アルバムの終盤に配置されることで、『Doc at the Radar Station』全体が、単なるポスト・パンク的な実験ではなく、ブルースの深層を歪ませた作品であることを強く印象づける。

総評

『Doc at the Radar Station』は、Captain Beefheart and The Magic Bandの後期作品の中でも特に完成度が高く、ビーフハートの音楽的本質が鋭く凝縮されたアルバムである。初期の代表作『Trout Mask Replica』がロックの構造を徹底的に破壊した巨大な迷宮だとすれば、本作はその破壊力をより短く、硬く、鋭い形に圧縮した作品といえる。曲ごとの尺は比較的コンパクトでありながら、そこに詰め込まれたリズム、言葉、ギターの線、声の表情は非常に濃密である。

音楽的な特徴としては、まずギター・アンサンブルの独自性が挙げられる。通常のロックでは、ギターはコード進行やリフを中心に曲の土台を作ることが多い。しかし本作では、ギターは互いにずれた線を描き、時に対話し、時に衝突し、時に別々の方向へ進む。これはフリー・ジャズ的な発想に近いが、完全な即興ではなく、精密に構築された複雑なアレンジとして成立している。Magic Bandの演奏は、混乱しているように聞こえながら、実際には高い技術と集中力を必要とするものであり、ビーフハートの音楽を単なる奇人趣味ではなく、厳密なバンド・ミュージックとして成立させている。

リズム面でも、本作は非常に特異である。ブルースやロックンロールの身体性を持ちながら、拍の置き方やフレーズの入り方が常にずれている。そのため、聴き手は安定したグルーヴに身を預けることができず、常に音の動きに反応させられる。この落ち着かなさは、1980年前後のポスト・パンクが追求した神経質なリズム感とも強く共鳴する。ただし、ビーフハートの場合、その根には常にデルタ・ブルースやリズム・アンド・ブルースの土臭さがある。つまり本作は、前衛的であると同時に、非常に原始的なロック・アルバムでもある。

歌詞面では、ビーフハートのシュルレアリスム的な言語感覚が全編にわたって発揮されている。灰皿の心臓、ウサギにとってのダイヤモンド、走る絵の具、香港の保安官、膝の上の猿と吸血鬼など、通常の論理では結びつかないイメージが次々と現れる。しかし、それらは単なるナンセンスではない。そこには、文明社会の価値観への疑い、人間中心主義からの逸脱、身体感覚の回復、欲望や暴力への批評、自然界の奇妙な秩序への関心がある。ビーフハートの言葉は、意味を解読する対象であると同時に、音として身体にぶつかる物体でもある。

キャリア上では、本作はビーフハートがパンク以降の時代に再び強い存在感を示した作品である。彼はパンクやポスト・パンクの世代より前に、ロックの定型を壊し、音楽を異形のものへ変えていた。しかし『Doc at the Radar Station』では、その先駆性が単なる過去の功績ではなく、1980年の同時代的な鋭さとして鳴っている。The Fall、Pere Ubu、Public Image Ltd、The Pop Group、Gang of Fourなどの音楽を聴くリスナーにとっても、本作は違和感なく接続できる。一方で、Robert JohnsonやHowlin’ Wolfのようなブルースの肉体性を知るリスナーにとっても、ビーフハートの声とリズムには確かな連続性がある。

日本のリスナーにとって本作は、決して聴きやすいアルバムではない。メロディはしばしば断片的で、リズムは不安定で、歌詞は通常の物語として把握しにくい。しかし、ロックを単なる快楽的なサウンドやメッセージの媒体ではなく、言葉、身体、音響、絵画的イメージが衝突する芸術形式として聴くなら、本作は非常に豊かな作品である。ノイズ・ロック、ポスト・パンク、マス・ロック、オルタナティヴ・ロック、アヴァンギャルド・ジャズに関心があるリスナーにとっては、重要な参照点となる。

『Doc at the Radar Station』は、キャプテン・ビーフハートという存在が単なる奇矯なロック史の異端ではなく、ロックそのものの可能性を拡張した作家であることを示すアルバムである。ここで鳴っている音は、ブルースであり、パンクであり、フリー・ジャズであり、詩であり、絵画であり、動物の鳴き声でもある。そのすべてが整理されないまま、しかし確かな構造を持って衝突している。1980年という時代において、本作は過去からの亡霊ではなく、未来のロックの設計図のように響いた。現在聴いても、その異様な鮮度は失われていない。

おすすめアルバム

1. Captain Beefheart and His Magic Band『Trout Mask Replica』

1969年発表の歴史的代表作。ブルース、フリー・ジャズ、アヴァンギャルド、詩的ナンセンスを極限まで混ぜ合わせた作品であり、ロックの形式を根底から組み替えた。『Doc at the Radar Station』の変則的なギター、複雑なリズム、シュルレアリスム的な歌詞を理解するうえで、最も重要な参照点となる。

2. Captain Beefheart and The Magic Band『Shiny Beast (Bat Chain Puller)』

1978年発表の復帰作。『Doc at the Radar Station』直前の作品であり、後期ビーフハートの創造性が再び活性化したアルバムである。より明るく、やや開かれた音像を持ちながら、変則的なリズムと奇妙な詩世界は健在で、本作への流れを知るうえで重要である。

3. Pere Ubu『Dub Housing』

1978年発表のポスト・パンク/アヴァン・ロック重要作。都市的な不安、歪んだギター、異様なヴォーカル、壊れたロックンロール感覚が特徴であり、ビーフハートの影響を強く感じさせる。『Doc at the Radar Station』が同時代のポスト・パンクとどのように響き合うかを理解するために有効な一枚である。

4. The Fall『Hex Enduction Hour』

1982年発表のポスト・パンク代表作。反復するギター、荒々しい演奏、マーク・E・スミスの語りに近いヴォーカル、歪んだ日常感覚が特徴である。Captain Beefheartの言語感覚やロック解体の姿勢が、イギリスのポスト・パンクにどのように受け継がれたかを考えるうえで関連性が高い。

5. Tom Waits『Swordfishtrombones』

1983年発表の転換作。従来のシンガーソングライター的な作風から離れ、奇妙な打楽器、壊れたブルース、劇場的な語り、異形のアメリカーナへ向かった作品である。ビーフハート的な声の使い方、ブルースの変形、物語と音響の混合という点で、『Doc at the Radar Station』と深く共鳴する。

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