
発売日: 1990年
ジャンル: ローファイ・ロック、ガレージロック、ダーク・フォーク
“蠅が潰されたその場所で”——アルコールと幻覚の向こうに立ち上がる、GBV最初の影
『Same Place the Fly Got Smashed』は、Guided by Voicesが1990年に発表した4作目の自主制作アルバムであり、
それまでの“奇妙なポップ感覚”とは明らかに異なる、ダークで内省的なサウンドを全面に押し出した一作である。
アルバム全体に漂うのは、アルコール、暴力、幻覚、日常の破綻といったモチーフ。
これまでのGBVの作品にあった幻想的で断片的なポップさが後退し、
代わりに“崩れかけたアメリカの一家庭”のようなリアリズムと不安の影が覆いかぶさっている。
低音質、テープヒス、録音の歪み——それらすべてがこの物語の一部となり、
まるで一冊の酩酊した短編集のように、ポラードの言葉と音がにじみ出す。
ここには、音楽ではなく「生き方」そのものを記録したような、生々しさがある。
全曲レビュー
1. Airshow ’88
短く不穏なインスト風イントロ。
すでに“空を飛ぶ夢”が墜落寸前であることを暗示するような、導入部の空虚。
2. Order for the New Slave Trade
ざらついたギターとゆがんだビートにのせて、“新しい奴隷制度”を暗示するようなタイトル。
社会への怒りというよりは、無力な個人のやさぐれた視線がそこにある。
3. The Hard Way
ヴォーカルが引っ込んだミックス、くぐもった演奏。
何もかもが遠くから鳴っているようで、逆に“部屋の中に閉じ込められた音”のように響く。
4. Pendulum
振り子のように揺れるギターリフが反復する、ミニマルで異様に中毒性のあるトラック。
“時間”と“運命”の単調な揺れを感じさせる。
5. Ambergris
荒々しいベースと崩れたメロディが交錯する、パンク的衝動の噴出。
タイトルは“竜涎香”=クジラの体内物。
ロマンティックで高貴なはずのものが、汚泥のように扱われている感覚。
6. Local Mix-Up/Murder Charge
架空の殺人事件を描いたようなダークな語りとグルーヴ。
町の片隅で起きた“ありふれた事件”が、
アルバム全体の陰鬱なストーリーテリングの中核を成す。
7. Starboy
GBVらしい一瞬のポップ感が顔を出すが、
それすらもどこか皮肉と虚無のベールに包まれている。
“スター”であることの儚さと空虚さを描いた短編。
8. Blatant Doom Trip
タイトル通りの“あからさまな破滅の旅”。
曲自体も、破綻寸前の構成、突如のノイズ、寸断されたヴォーカルなど、
音そのものが“崩壊”を演じているかのようだ。
9. How Loft I Am?
奇妙な文法のタイトルが暗示する通り、認知のズレと混乱を反映した一曲。
実験的な音像とループ感が、酩酊と孤独をそのまま録音したかのよう。
10. It Will Never Be Simple
終盤に現れる、しんとした寂しさをたたえたバラード。
“シンプルにはなりえない”という言葉の響きに、
このアルバム全体の不器用な叫びが凝縮されている。
11. Drinker’s Peace
ラストは、アコースティックの弾き語りによる極私的な小品。
アルコールへの依存と逃避が、自己告白として静かに綴られる。
この1曲で、『Same Place the Fly Got Smashed』が単なるアルバムではなく、一つの人生の記録であると確信させられる。
総評
『Same Place the Fly Got Smashed』は、Guided by Voicesが幻想や実験ではなく、現実と痛みへ向き合った唯一の作品である。
その音はひび割れ、ノイズにまみれ、メロディはすぐに途切れ、詞は錯乱している。
だがそのすべてが、リアルな“精神のドキュメント”として成立している。
GBVが後に確立する“メロディと断片の美学”とはまた異なる、
もっと地べたに近い、“潰された蠅の視点から見たアメリカ”がここにはある。
低予算、無名、非流通——それでもこのアルバムは、
音楽史の片隅で、ひっそりと輝き続けている。
まるで誰にも気づかれずに潰された蠅のように。
だがその死は、驚くほど雄弁なのだ。
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