発売日: 1977年9月29日
ジャンル: ソフトロック、ピアノロック、シンガーソングライター、ブルーアイド・ソウル
“見知らぬ顔”を抱きしめて——日常に潜む矛盾と優しさのポートレート
1977年にリリースされたBilly Joelの5作目のアルバム『The Stranger』は、彼のキャリアを決定づけたブレイクスルー作品であり、アメリカン・ポップソングの金字塔でもある。
地元ニューヨークのドラマと街のリアリティを、ピアノを通して描き出したこのアルバムは、“ありふれた人生の中にある愛と葛藤、夢と妥協”を描いた傑作だ。
プロデューサーに迎えられたのは、元Blood, Sweat & Tearsのメンバーで名匠Phil Ramone。
彼の感性がジョエルの持つポップス的感性と絶妙に融合し、緻密で洗練されたサウンドに仕上がっている。
ソウル、ジャズ、クラシック、フォーク、ロックが自由に溶け合い、“ジャンルではなく情景で聴かせる”アルバムとなっている。
全曲レビュー
1. Movin’ Out (Anthony’s Song)
イタリア系移民の子“アンソニー”を通して描かれる、“出世”と“幸福”の関係。
シンコペーションを効かせたピアノと、ヒステリック気味のヴォーカルが、社会風刺の切れ味を倍増させている。
2. The Stranger
口笛の旋律に導かれる、ミステリアスなタイトル曲。
誰もが内に秘めている“もう一人の自分”=ストレンジャーをテーマに、ジョエルはその仮面の存在を静かに告白する。
ジャズ的コードと変拍子が織りなす、不穏かつ美しい構成。
3. Just the Way You Are
ビリー・ジョエルを世界的アーティストへ押し上げた代表的ラブバラード。
「君はそのままでいてくれればいい」という包容と優しさの名フレーズは、永遠の愛のスタンダードとなった。
Phil Woodsによるサックスソロも名演。
4. Scenes from an Italian Restaurant
3部構成から成る7分超の組曲で、アルバムの中心的存在。
ボトルワインとキャンドルの灯るイタリアン・レストランで語られるのは、ブレンダとエディの青春と挫折。
一曲の中で語り、笑い、泣き、人生の機微が流れていく。
5. Vienna
ゆったりとしたワルツに乗せて、若者に「急がなくていい」と語りかける人生の叙情詩。
ウィーンという異国の街を舞台に、自身への静かな戒めとしての歌。
この楽曲の再評価が高まったのは、SNS時代に“立ち止まること”の意味が再発見されたからかもしれない。
6. Only the Good Die Young
陽気なリズムに乗せて、抑圧的な宗教観を茶化す“危険な青春賛歌”。
キャッチーであるがゆえに、一部宗教団体からは問題視された。
だがその本質は、「生きることを恐れるな」というメッセージに他ならない。
7. She’s Always a Woman
“彼女はいつだって女”という肯定と諦念が同居する、不思議な愛の歌。
愛する人を神聖化せず、ひとりの複雑な人間として受け入れようとする視点が、非常に成熟している。
シンプルなピアノの伴奏が、語りのような歌を静かに支える。
8. Get It Right the First Time
恋愛における“最初の印象”をテーマにしたファンキーなミッドテンポ。
ホーン・セクションを交えたリッチなアレンジが、アルバムに軽妙さを加えている。
9. Everybody Has a Dream
ゴスペル的展開を持つラストトラック。
夢を見る権利を持つ“みんな”への讃歌であり、同時に自身の祈りでもある。
最後に“Stranger”のテーマが再び現れることで、アルバムを円環構造に閉じる演出が見事。
総評
The Strangerは、Billy Joelが単なる“ヒットメイカー”から“アメリカの語り部”へと昇格した記念碑的作品である。
彼の音楽が示すのは、ニューヨークの雑踏、家庭の食卓、恋人との静かな夜——決して劇的ではないが、かけがえのない日常の姿である。
本作に登場するのは、夢を諦めたエディ、過去を懐かしむブレンダ、仮面をつけた誰か、そしてどこにでもいる私たち自身だ。
“誰の中にもストレンジャーがいる”という真実を受け入れる勇気を、ビリー・ジョエルはこの作品で静かに、そして確かに歌い上げた。
おすすめアルバム
- Paul Simon – Still Crazy After All These Years
大人の知性と情感が共存する、70年代のポップソングの名作。 - Carole King – Tapestry
家庭的な温かさと女性の内面を繊細に描いたソングライティングが共鳴する。 - Jackson Browne – The Pretender
日常と夢の交差点を描く、ポスト・ヒッピー世代の都市詩人の傑作。 - Steely Dan – Aja
洗練された演奏と都市的クールネスが光る、アメリカン・アートポップの金字塔。 - Randy Newman – Good Old Boys
風刺と愛情のあわいで語られるアメリカ。ジョエルの語りのルーツとも重なる。
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